まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

トランプカード(京楽、デジパチ)

2014-04-30 17:07:06 | 現金機デジパチ

1990年(平成2年)に京楽から登場した旧要件デジパチ「トランプカード」

★賞球:7&13
★大当り確率:1/236
★最高10ラウンド継続
★アタッカー開放時間:約25秒
★出玉:2000個以下~3000個オーバー(オマケチャッカーの釘次第)
★7×10の単色ドットマトリクス(赤)採用
★図柄…2~10、J、Q、K、顔、JK、A(計15種類)
★デジタル停止順:左⇒中⇒右
★スーパーリーチ:なし
★大当りの連チャン性:なし(ノーマルデジパチ)

 


(京楽お馴染みの赤色ドットデジタル。ただ、名機「ダービー」のドットとは少々雰囲気が異なる。むしろ、同社の麻雀モノデジパチ「麻雀王4号」のデジタル部を踏襲したといえる。デジタル回転中に、軽快なサウンドが流れるのも特徴だった。デジタルの移行法則があった気もするが失念。)

 


(アタッカーは、「ダービー」と同タイプのゲート型。オマケの釘次第では、3000発越えも可能。)


 

 

この時期、京楽のトランプモノでは「ニュートランプカード2」の存在が良く知られたが、同社の「元祖トランプ」といえば、実は本機の方である。両者はデビュー時期がほぼ同じだが、検定通過は2か月ほど本機の方が早い。


(京楽「ニュートランプカード2」)1990年登場。大当り確率1/225。10R継続の旧要件機。

 

因みに、ニュートランプカード2には、同じブロック液晶を使った兄弟機「ニュートランプカード」(1/230)及び「ニュートランプカード3」(確率不明)が存在する。また、新要件版として、「トランプエース」(1/225)も出ている。一方、本機にそのような後継機等は存在しない。

 

本機には、ニュートランプカード2の大きな特徴である「スーパーリーチ」がない。その代わり、左中テンパイでリーチがかかると、右デジタルがスロー気味にスクロールを続けた後、最終停止の3コマ手前から「ガクン」とスピードを大きく落とす。この「2段階スロー」に切り替わった瞬間、大当りかハズレかを判別出来たので、ほんの一瞬だが、大いに興奮することが出来た。

また、本機は「ニコちゃんクラブ」や「ダービー」等と同様に、当時の京楽の流行りだった、赤色ドットマトリクスのデジタル表示を採用。先述した通り、このドット表示部は先行機「麻雀王4号」と同タイプのものを使用(当然、図柄は異なるが)。

一方、ニュートランプカード2は、シンプルなドットマトリクスではなく、ブロック型の液晶デジタルを新たに採用した(当時、「グランプリ2号」なども同じブロック液晶タイプ)。機種名の「ニュー」には、「ドットからの脱却」と「スーパーリーチ搭載」という、二つの意味が込められている気もする。


 

★本機の実戦店…新宿・歌舞伎町「オデヲン」、向ヶ丘遊園駅・北口「スター」


(新宿「オデヲン」)…コマ劇の真向いにあった大きな店(閉店)。よく、店名を「PARLOR」と間違えられた(正面入口のネオン看板のせいで)。’90年当時、正面右手にガリバースぺシャル(北電子、2-2号機)が並んでいた(その後、アラジンII」とスーパープラネットに入替)

 
 (向ヶ丘遊園「スター」)北口を出て、すぐ右手にあった小店(今も名前を変えて営業)。ダービー、ニュートランプカード2、エクサム5など、当時は京楽系の台を多く設置。2Fがパチスロのシマ(当時はコンチIとビッグパルサー)。

 

★1990年当時、新宿・コマ劇場周辺のパチ屋と換金所の見取図

赤文字:ホールの位置 青文字:換金所の位置

A:ラスベガス B:オデヲン C:パチスロ・ニュープリンス
D:モナミ E:ニューセブン F:コスモ

当時、コマ劇の周囲には香ばしいパチ屋、スロ屋がゴロゴロしていた。その多くが、店舗からやや離れた怪しい場所に換金所があったので、特殊景品を見せびらかして歩いていると、ボッタクリのバーや風俗店に誘い込む「ポン引き」に、声を掛けられたりした。

本機を打った新宿「オデヲン」も、当時はコマ劇裏の小さな換金所まで歩かねばならず、コマ劇前や花道通りをウロつくポン引き達に、行く手を遮られる事があった。その後、オデヲンは裏口近くに新たな換金ブースを設置したので、その心配はなくなった。

因みに、当時の歌舞伎町でポン引きの「トラップ」がもっとも多かったのは、「さくら通り」という風俗店の集まる路地だった。上の地図には載せていないが、「トップス」というさくら通りのパチ屋の前には、懐の暖まったパチンカー達を狙うポン引き共が、いつも目を光らせていた(路地の四つ角で通せんぼする感じ)。無視して通り過ぎれば何てことはないのだが、ヘンに「後でね」なんて軽くあしらったりすると、いきなり逆ギレするので注意が必要だった。

なお、 Cの「ニュープリンス」は、店舗の入った小さな雑居ビルの屋上に、掘立小屋のようなボロい換金所があった為、ポン引きの心配は無用だった。

※新宿・歌舞伎町のパチンコ店マップはコチラ
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/02e7d120715b2d1c45944c46c600bb6e
「新宿・歌舞伎町のパチンコ店マップ変遷(1987~2002)」


 

余談だが、本機の実戦に関して、私の脳裏に強く焼き付いているのが、「黄色い透明な電球」だ。

といっても、連日ハマリを喰らって頭がヘンになり、黄色いサイレンの救急車でホールから運び出された訳ではない(笑)(「黄色い救急車」自体、単なる都市伝説に過ぎない)。

実は、トランプカードを打っていた新宿「オデヲン」と向ヶ丘遊園「スター」の2店舗は、いずれも当時、頭上の呼び出しランプ(大当りランプ)に「黄色い小電球」を使っていたのだ。

直径4センチ程で、中のフィラメントが透けて見えるような、半透明の電球が1個だけ付いていた。当時は、赤・青・黄の三色ランプが派手に光る店や、角型の赤ランプを備え付ける店が主流だったが、呼び出しランプが「黄色い裸電球1個」の店もチラホラ見かけた。非常に地味な装置だが、なんともレトロ感タップリで、私は好きだった。

台トラブルなどで店員を呼ぶ時、このランプの横にある小さなボタン(スイッチ)を押すと、黄色い小さな電球が「あの、店員さん…」という感じで控えめに点灯する(まぁ、店員の方は大抵、シマ端のトラブルランプで呼出に気づくのだが)。また、台が大当りすると、この電球がゆっくりゆっくり、噛みしめるように点滅を繰り返すのだ(店によっては、点滅速度の早いところもあった)。

こういったランプの「奥ゆかしさ」が、都会の喧噪と対照的に感じられて、深く心に沁みた。平成初期のパチ屋には、「昭和」を感じるこのテの要素が、まだ多く残っていた(パンチ穴テープのレシート、客に高圧的な店員、有線放送の演歌、銀玉がめり込んだ板張り床、軍艦マーチetc…)。

 



5 コメント

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コメント (白夜の)
2014-04-30 20:14:44
確か船橋駅前の某店に設置されていたと記憶してます。パチ屋の両替機にヒモやゴムに着けられた百円ライターは今いずこ…
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Unknown (kk)
2014-05-01 07:21:27
はあ、黄色ランプ懐かしい。。。さがみの会館もそれでしたね。軍艦マーチも店によってバージョンがいろいろありましたね。あー、オブラディオブラダのインストゥルメンタル流れる中で、昔の台を打ちたい!
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Unknown ()
2014-05-01 08:14:27
黄色いランプ・・う~ん、私の記憶には無いですねぇ。古い設備を残した店って東京の方が多かったですね、スマートボールとかコイン式アレパチなども・・人の数が違うので寂れても経営が成り立つっていうのは都心の良いところです。

パンチ穴式のテープも懐かしい~あれ、財布の中でグシャグシャになっちゃうんですよね^^ パチンコ店の両替機と言えば、札が横に入っていくタイプを見て、さすが現金を大量に扱うパチンコ店ならではの設備だなぁと驚きました。その後現金機の減少と共に少なくなって来ましたが・・
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これがうわさの・・・ (たまき)
2014-05-02 21:54:56
攻略雑誌を見る前にホールで見かけ、本機にもスーパーリーチがあるのでは?と思いながら打ち込みましたねぇ。
隣のシマの3500発仕様のパールセブンより明らかに回る分、トランプカードの出玉は2700個程度でした。

軽快な回転音が隣の台と同調するとなぜかわざと同調を回避したくなる気がしました。

ドット部分は一定時間回らないと、「これがウワサのトランプカード」とスクロールした記憶があるのですが、ニュートランプカードだったかな???





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Unknown (山形屋)
2014-05-26 16:22:27
どのトランプを打ったか記憶がありません。

確か4000発以上あったような?。
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