夜長姫と耳男

忌野清志郎を愛し、路上生活者支援NPO・TENOHASIの事務局長Sの日記

ぼくの自転車の後ろに乗りなよ

2006年10月04日 | Weblog
10月4日 水

 手帳を見たら、明日、清志郎の出る番組があるではないか。せっかくケーブルテレビをデジタル契約にしたんだし、DVDで撮りたい。
 即、DVDレコーダーを買うことを決意。ヤマダ電機へ。デジタルのチューナー付きでないと画質が悪いと言われたが、そのために8万近くの機械を買う気はせず、一番安かったパイオニアのHDD160GBモデルを28800円で買う。

 家に帰って荷物を置き、おにぎり隊へ。kちゃんの畑仲間が3人もきていた。さらに、この前の炊き出しのあとで飲んだk西さんとhさんも。k西さんは埼玉の会社に就職が決まった。ミリ単位の精度が求められる仕事だという。でも、生気にあふれていた。よかったよかった。
 僕とazuさん・kちゃん達で1隊・料理長さんとy田・m木さんでもう1隊を作る。今日も人は少なくてメトロポリタンあがったところの女性と男性、後はn井さんとその周りの人たち。みんなでn井さんとしばらくおしゃべり。11時20分解散。

家に帰って24時。DVDレコーダーの接続と試験・明日の予約を終えて寝たのは3時。 

タイトルはRC二枚目のアルバム”楽しい夕に”より。
静かに始まり、一気にシャウトする、
次のアルバムに収められた”甲州街道はもう秋なのさ”の前身みたいな曲。
「君が僕を知ってる」とも共通するテーマ。

この曲では自転車に乗ってるのに、”甲州街道はもう秋なのさ”では乗っているのが車になっている。
どっちの時代も貧乏だったはずなのに、この間に免許を取ったのかな。

”ぼくの自転車の後ろに乗りなよ
 坂を下って 坂を下って 南口に行こうよ
 君はいつでもぼくを愛している
 君だけがぼくの味方だったこともあった”

この「坂」というのはたぶん、有名な多摩蘭坂。
国分寺から、国立駅南口に下る坂。その途中の家に清志郎が住んでいた。
RCの聖地として有名で、石垣にファンがたくさん落書きしていたのだが、4年前にマンション建設で石垣が撤去されてしまった。

在りし日の多摩蘭坂の石垣

僕は、高1から大学2年まで(1977~82年)、多摩蘭坂から自転車で5分の実家に住んでいた。
国立にはよく本やレコードを買いに行ったから、一回くらいは清志郎とすれ違っているのではないかと思う。見たかったな。

多摩蘭坂という美しい名前は、坂が急で登る人が「たまらんたまらん」と嘆いたのが語源だという。
武蔵野台地が多摩川の河岸段丘に落ち込むところにあるので、昔から人が住み着いてきた。考古学専攻の学生だったときに「多摩蘭坂遺跡発掘調査報告書」を大枚はたいて買った覚えがある。

今日も2000字を越えた。全部読む人なんているんだろうか?
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