音楽における私の神様は3人。学生時代からずっと変わらなくて
1,忌野清志郎
2,ボブ・マーリー
3,ポール・サイモン
今日は、第2位の神様の映画「ルーツオブレジェンド」を吉祥寺バウスシアターに見に行きました。
もともと大きな映画館ではないが、その中でも一番小さい部屋だろう。学校の教室の半分もない。
スクリーンも当然小さい。
こんな狭い映画館で、映画の世界に没頭できるかなとちょっと心配になった。
しかし、杞憂だった。
生地・ジャマイカの片田舎(ああ、ガーナやマレーシアの田舎もこんな感じだったなあ~)の映像からどんどん引き込まれて、144分間、魂を釘付けにされた。
キングストンのゲットーでもがいていたボブが独立して成功を収めるあたりもすごかったが、カリスマとなってなおも本気で音楽と社会と対峙していく姿に痺れた。
どの曲も学生時代から聴いていた大好きな曲。
そのストーリーが語られる。
"One Love"
神を称え、対立を乗り越えて一つになろうと歌うこの曲。
この曲をタイトルにした“One Love Peace Concert”というライブがあった。
2大政党が激烈な武力抗争を続けてきたジャマイカに生命の危険を冒しても戻ったボブが、ステージ上で2大政党の党首を握手させた伝説のライブであることは知っていた。
けれど、白人と黒人の混血として両方の社会から排除されてきた彼だったからこそできたことだとは知らなかった。
負を背負い続けていくことで、正に逆転させた輝かしい業績。
ちなみに、欧米の抑圧された人たち・・・特にアメリカの黒人・・にレゲエが広まらず、熱狂する聴衆のほとんどは白人だったことを生涯気にしていて、世界有数のアーティストになったのに、わざわざ落ち目のコモドアーズの前座をやった(コモドアーズが前座ならわかるが)!
"Jimbabwe"
白人政権に抑圧されていたジンバブエ黒人の独立運動を応援し、権利のために戦う人々を鼓舞するこの曲。
いつ聞いても血が沸き立つ思いに駆られる。
そのジンバブエが独立して、その式典でライブを行ったボブ。しかし会場に入れなかった解放軍兵士が柵を倒してなだれ込み、暴徒化をおそれた何者かが会場に催涙ガス弾を放った。バンドのメンバーは死の恐怖に駆られてステージから逃げたけれど、ボブだけが歌い続けた。「聴衆とともに死ぬ気だ」とスタッフは感じたという。本人は「あのとき、誰が真の革命家だかよくわかった」とコメントしていた。歌詞そのままに。
ただ、現実の政治は厳しい。ボブは生涯、母のルーツでありラスタファリズムの聖地であるアフリカの独立と発展を支持し続けたが・・・
民衆兵士に催涙ガスを打ち込んだことからも垣間見えるように、ジンバブエはやがて独裁国家となってその後経済は破綻。
ボブが頼まれて誕生日祝賀ライブを行ったガボン大統領も実は独裁者。
そして何よりも、ボブが神と崇めたエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ一世はエチオピアを世界最貧国に転落させて皇帝の座を追われた。
でも、それは仕方ない。彼は政治家ではないから。
清志郎も、自分の歌が「反原発」「反体制」などのレッテルを貼られるのを嫌がった。本当に伝えたいことはそこにはないから。
ボブの歌は苦しんでいる人の魂に直接語りかけ、魂を呼び覚ます。
だから政治的プロパガンダに繰り返し使われることにもなるけれど、それは力のある歌の宿命なのだろう。
"No Woman, No Cry"
これは、昔から、一番好きな曲.
いろんなテイクがあるけれど、最高なのが”Live!”の5曲目.
辛いことがあると口ずさむ。"everything"は”gonna be allright"だと確信できる。
そのデモテープが聞けた。なんとゴスペル調だった。びっくり。これもいい!
しかし、ヨーロッパでのブレイクを果たしたボブがロンドンで歌った”Live!”のバージョンは何度聞いても心が震える。
それにしても、どうしてこの人はこんなにいい顔ができるんだろう。
深い思いに沈む顔。ライブ中のトランス状態。ものすごくチャーミングな笑顔。
これを見るだけで、1800円の価値があるな。
ジャー(神)がいるから銃撃も恐れないといったボブ。
しかし、足指に悪性のガンができても踊れなくなるのがいやで切断せずに音楽を続け、末期になっても最後の最後まで歌い続けるために我慢強く治療に取り組んだ姿勢は、命を惜しむと言うことの本当の意味を感じさせてくれる。
そうそう、このあたりは清志郎と重なる。
最後のライブになったピッツバーグでは、倒れそうになりながら「いいノリしてるぜ! これなら毎年くるぜ! いや、毎月でも毎週でも!」と叫んだ。もし清志郎でも同じことを言っただろう。
ボブが家族に見守られながらマイアミで亡くなったのは清志郎に先立つこと27年。1982年5月11日だそうだ。
僕は大学2年で、その前年に出会ったRCに夢中になっていたが、ボブマーレー死去のニュースに接した覚えがない。
翌年くらいにボブの曲に出会い、魂を揺さぶられ、ほとんど経歴も知らないままずっと聞き続けてきた。
この映画で初めて清志郎との共通点も知った。
その魂・その姿勢・その生き方。
ホンモノはかくあるべし、とニセモノまたは俗物であることを深く自覚する私は思うのでありました。
1,忌野清志郎
2,ボブ・マーリー
3,ポール・サイモン
今日は、第2位の神様の映画「ルーツオブレジェンド」を吉祥寺バウスシアターに見に行きました。
もともと大きな映画館ではないが、その中でも一番小さい部屋だろう。学校の教室の半分もない。
スクリーンも当然小さい。
こんな狭い映画館で、映画の世界に没頭できるかなとちょっと心配になった。
しかし、杞憂だった。
生地・ジャマイカの片田舎(ああ、ガーナやマレーシアの田舎もこんな感じだったなあ~)の映像からどんどん引き込まれて、144分間、魂を釘付けにされた。
キングストンのゲットーでもがいていたボブが独立して成功を収めるあたりもすごかったが、カリスマとなってなおも本気で音楽と社会と対峙していく姿に痺れた。
どの曲も学生時代から聴いていた大好きな曲。
そのストーリーが語られる。
"One Love"
神を称え、対立を乗り越えて一つになろうと歌うこの曲。
この曲をタイトルにした“One Love Peace Concert”というライブがあった。
2大政党が激烈な武力抗争を続けてきたジャマイカに生命の危険を冒しても戻ったボブが、ステージ上で2大政党の党首を握手させた伝説のライブであることは知っていた。
けれど、白人と黒人の混血として両方の社会から排除されてきた彼だったからこそできたことだとは知らなかった。
負を背負い続けていくことで、正に逆転させた輝かしい業績。
ちなみに、欧米の抑圧された人たち・・・特にアメリカの黒人・・にレゲエが広まらず、熱狂する聴衆のほとんどは白人だったことを生涯気にしていて、世界有数のアーティストになったのに、わざわざ落ち目のコモドアーズの前座をやった(コモドアーズが前座ならわかるが)!
"Jimbabwe"
白人政権に抑圧されていたジンバブエ黒人の独立運動を応援し、権利のために戦う人々を鼓舞するこの曲。
いつ聞いても血が沸き立つ思いに駆られる。
そのジンバブエが独立して、その式典でライブを行ったボブ。しかし会場に入れなかった解放軍兵士が柵を倒してなだれ込み、暴徒化をおそれた何者かが会場に催涙ガス弾を放った。バンドのメンバーは死の恐怖に駆られてステージから逃げたけれど、ボブだけが歌い続けた。「聴衆とともに死ぬ気だ」とスタッフは感じたという。本人は「あのとき、誰が真の革命家だかよくわかった」とコメントしていた。歌詞そのままに。
ただ、現実の政治は厳しい。ボブは生涯、母のルーツでありラスタファリズムの聖地であるアフリカの独立と発展を支持し続けたが・・・
民衆兵士に催涙ガスを打ち込んだことからも垣間見えるように、ジンバブエはやがて独裁国家となってその後経済は破綻。
ボブが頼まれて誕生日祝賀ライブを行ったガボン大統領も実は独裁者。
そして何よりも、ボブが神と崇めたエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ一世はエチオピアを世界最貧国に転落させて皇帝の座を追われた。
でも、それは仕方ない。彼は政治家ではないから。
清志郎も、自分の歌が「反原発」「反体制」などのレッテルを貼られるのを嫌がった。本当に伝えたいことはそこにはないから。
ボブの歌は苦しんでいる人の魂に直接語りかけ、魂を呼び覚ます。
だから政治的プロパガンダに繰り返し使われることにもなるけれど、それは力のある歌の宿命なのだろう。
"No Woman, No Cry"
これは、昔から、一番好きな曲.
いろんなテイクがあるけれど、最高なのが”Live!”の5曲目.
辛いことがあると口ずさむ。"everything"は”gonna be allright"だと確信できる。
そのデモテープが聞けた。なんとゴスペル調だった。びっくり。これもいい!
しかし、ヨーロッパでのブレイクを果たしたボブがロンドンで歌った”Live!”のバージョンは何度聞いても心が震える。
それにしても、どうしてこの人はこんなにいい顔ができるんだろう。
深い思いに沈む顔。ライブ中のトランス状態。ものすごくチャーミングな笑顔。
これを見るだけで、1800円の価値があるな。
ジャー(神)がいるから銃撃も恐れないといったボブ。
しかし、足指に悪性のガンができても踊れなくなるのがいやで切断せずに音楽を続け、末期になっても最後の最後まで歌い続けるために我慢強く治療に取り組んだ姿勢は、命を惜しむと言うことの本当の意味を感じさせてくれる。
そうそう、このあたりは清志郎と重なる。
最後のライブになったピッツバーグでは、倒れそうになりながら「いいノリしてるぜ! これなら毎年くるぜ! いや、毎月でも毎週でも!」と叫んだ。もし清志郎でも同じことを言っただろう。
ボブが家族に見守られながらマイアミで亡くなったのは清志郎に先立つこと27年。1982年5月11日だそうだ。
僕は大学2年で、その前年に出会ったRCに夢中になっていたが、ボブマーレー死去のニュースに接した覚えがない。
翌年くらいにボブの曲に出会い、魂を揺さぶられ、ほとんど経歴も知らないままずっと聞き続けてきた。
この映画で初めて清志郎との共通点も知った。
その魂・その姿勢・その生き方。
ホンモノはかくあるべし、とニセモノまたは俗物であることを深く自覚する私は思うのでありました。