夜長姫と耳男

忌野清志郎を愛し、路上生活者支援NPO・TENOHASIの事務局長Sの日記

去年の今頃

2006年10月31日 | Weblog
10月31日 火

ユナイテッドシネマ豊島園で「フラガール」を見る。

昭和40年、斜陽の常磐炭坑。
生き残りをかけて、常磐ハワイアンセンターの建設が始まる。
売り物は、構内から噴き出す温泉と、炭坑の娘達のフラダンス。
借金を抱えて東京を捨ててきたダンサーと、この世界から抜け出すという夢をかかえて集まった炭坑娘達の出会い。

というわけで、20歳の時に筑豊キャラバンに散会して以来、炭坑ものは欠かさない私としては、前売りを買ったわけだ。蒼井優も出てるし。
でも公開から50日たってようやく劇場へ。

かなりよかった。

昭和40年といえば、高度成長まっただ中のはずだが、炭住街はこんなに貧しかったんだな。
そして、社会の圧力はこんなに強く(労使の対立・女性への圧力・男らしさを求める圧力・・・)、家族は良くも悪くも絆が強かった・・・

「ALWAYS 三丁目の夕日」以来、昭和30~40年代を描いた映画は、時代劇の一ジャンルとして確立したんではないだろうか。

貧乏・個人を抑圧する社会のシステム・家族のしがらみ・・・
戦後の社会は、ひたすらそれらを振り捨てて、個人の自由をもとめてきたと思う。
もちろんそれは避けられなかったことで、いまさら貧乏が当たり前で、家長が絶対の時代に戻りたいとは思わないだろう。

でも、こういう映画が受けるのは、たぶん、人生がもっとハードで、生きている手応えがあった時代へのノスタルジーだろう。

タイトルはアルバム”HARD FOLK SUCCESSION”より

”僕のうちにおいでよ
 僕が自転車で 駅まで迎えに行くよ
 二人でこたつで紅茶を飲もう
 オーティスのレコード聞きながら”

清志郎はフラガール達より3歳年下、ほぼ同世代のはずだが、
東京郊外にはこんな生活があった。

都市と田舎。
中心と辺境の深い断絶。
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誰も知らない

2006年10月30日 | Weblog
10/30 月
代休で休み。

今日こそは世界遺産の本の原稿を書くぞ!と思っていたが・・・
8時に起きて、apbank fesのビデオを見たり、日記を整理してブログにアップしたりしているうちに時間は過ぎる。

ご飯だけはうまい。
昨日の筋子とカツオのたたきで、たらふく食べてしまった。
また太ったな。
 
15時 畑に行って、春菊とスティックセニョールを取る。
野菜だけはあっという間に大きくなる。原稿もこの調子で進めば・・

16時 ようやく原稿に取りかかる。
18時 すぐに飽きて夕食作り

 サンマのつみれ鍋にしようと思ってサンマを買いに行く。ところが、スーパー4軒回って3軒は売り切れ・1軒は高くて買う気にならず。

鍋用の野菜だけはたっぷりあるので、仕方なく、冷凍庫の魚を鍋にする。
でも家族の評判はよくない。炒め物の方が人気があった。

その後、仕事は諦め、”のだめ”をみて、酒を飲んで、就寝12時。
風邪が抜けないだらだらした1日であった。


タイトルはアルバム"冬の十字架"より。

"誰も知らない 僕が歌うところを誰も見てない
 誰も知らない みんなはテレビが歌う歌しか知らない
  でもそれはいいことなのかも知れない
  今まで通りがみんなは大好きだから”

売れない時期に、自嘲的に恨みを込めて作った歌。
選挙ソングや、パンク君が代で、マスコミの話題にはなっていたけど、
CDは売れず・・・

ひきこもり状態の1日を振り返るとこれがぴったり。、
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Hungry

2006年10月29日 | Weblog
10月29日 日
調子悪い。共同保育所のバザーの手伝いは休ませてもらって、 12時まで寝る。
まあ自転車整理係なら休んでも影響はあるまい。

13時半からの「ホームレスの自立支援・就労支援とは」シンポジウム 東京仕事センター(飯田橋)に参加。

パネリストから聞いた話を乱暴に要約すると・・・

「路上生活者が安定した仕事に就いて自立する」事を目標とした政策はすでに破綻した。安定した仕事を確保するには阻害要因が多すぎる。社会の側にも本人の側にも。長期の職業訓練や、ケア付き就労などの必要性だろう。
 また、できる限り働いて稼ぐが、足りないところは生保などに頼る半就労半福祉の考えや、とりあえず住宅だけは保障して生活の安定と就労意欲の増進を図る住宅単給などのアイデアも出された。

僕も、「今後ニートフリーターが路上に出て社会問題になるだろうが、その見通しは」と質問したが、「そんなに悲観してない。若者は友達のネットワークもあるし・・・」とよくわからない答えが返ってきただけだった。

17時に終わり、帰宅。

すごく疲れた。
途中で、刺身(ホタテ・サケ・カツオ)とサンマを買い、夕食は連れ合いと作る。

メインはサンマ塩焼きとカツオのたたき。秋の味覚の両横綱に、更に筋子の醤油漬け。しみじみ幸せ。


タイトルは、RC最後のアルバム"Baby a Go Go"より

”かまわないでくれ 腹がへってるんだ
 食いたくないものばかり食わされる”

"ボスしけてるぜ”などの清志郎の怒りの歌シリーズの中でも特にかっこいい曲だと思う。

”ままままま・・・まずい”というとこが楽しい。

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山のふもとで犬と暮らしてる

2006年10月28日 | Weblog
10月28日 土

授業参観で6日連続の出勤。疲れと薄着からか、鼻風邪をひいた。
炊き出しは他の皆さんにお願いして、仕事へ。

仕事が終わって、
19時からTENOHASI学習会へ。
福祉の現場で働く方を招いて話を聞く。
・・・・・・・・・・・・・
コミュニケーション能力が落ちている。
福祉に係ろうとする人も、その相談を受ける人も。

ケースワーカーも相談員も複雑な福祉制度全てを知っているわけではない。
つい最近、障害者自立支援法の運用に関する書類が来たが、ものすごく分厚い。
こんなの全て頭にはいるわけがない。

だから、担当者に全てお願いして、お任せすれば大丈夫と思ってはいけない。

こちらから、積極的に相談して、どんどん聞いて要求していくことが必要。

いい担当者に当たるかどうかは運次第。
区のケースワーカーは1人100人以上のケースをかかえていて、パンク状態。
これ以上増やしたくないと思うのも無理はない・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほかにも、ここではかけないこともいろいろ。

現場の本音や悩みを聞けてとても勉強になった。

そのあと、和民で飲み会。
0時にお開き。

タイトルはRCのアルバム”ハートのエース”より

”今日は一日 本を読んで暮らした
 とても冷える日だった

 朝からドアを閉めたままの
 暖かい部屋の中

 お前はストーブの前にのびていた
 あくびしかなかった”

とっても優しい、清志郎の詞の世界。
疲れた夜に最適。
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さんざんなめにあっても!

2006年10月27日 | Weblog
10月27日 金

仕事を終えて、22時帰宅。
1時就寝。

タイトルは、糸井重里との共作アルバム
「ABCD」より。

”みんなからバカにされて
 けとばされて笑われて
 ツバをかけられて いしをぶつけられて

 さんざんな目にあっても
 さんざんな目にあっても
 へいき いきてるから”

中学生のいじめ自殺事件が続発している。
こんな歌を教えてあげても、何の解決にもならないけど。

でも、今、自殺を考えている数千人の、3人くらいには役に立つかも知れない。
”へいき いきてるから!!”と言えれば。
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自由

2006年10月26日 | Weblog
10月26日 木

しぶやの「花のえん」でおこなわれたアーユスという坊さんのNGOのトークライブへ。
北村年子さんと坊さんのライブ。

北村さんの話で印象に残ったこと・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「路上生活者と、襲う中高生は共通項。安心できる居場所を持たないホームレス。

襲った子たちの一人がようやく気持ちを言語化してくれた。
「襲うのは、自分が辛いときだ」

いままで、夜回りにたくさんの中高生を連れて行った。
冬の夜回りの前に言うことは「暖かいかっこしていきな。でも手袋だけは取ってね」・・
ある女の子が夜回りが終わったあとに泣いていた。
「お嬢ちゃん、こんな寒いのに、たいへんやな・・・これしてきな」といって、おっちゃんが自分のぼろぼろの軍手を脱いで渡してくれた・・・

「いいお母さん」からは「いい子」が育つかも知れない。
でも、幸せなお母さんから幸せな子が育つ

自尊感情
あなたはすばらしい。あなたには価値がある、あなたのことが大切・・・そう言い続けてきた。
でも、それでは明日私が「あなたなんて最低」といえば戻ってしまう。

揺るぎない自尊感情を。
人から認めてもらう必要はない。
自分の欠点をどれだけ認められるか。
 
瞑想・・呼吸に始まり、呼吸に終わる。今、この瞬間を生きる。
 頭が良くても感情はコントロールできない。
 自己受容

子供が1歳で育児ノイローゼ。
 私は泣きたかったのに、泣けなかった。
 母が家出した。別れるときに「泣いたらあかん」と思って笑顔でバイバイした。
 父が死んだときも、泣かなかった。
 ずっと、自分が頑張らなくてはと思ってた。泣いたらあかん・・
 でも、繊細な息子が、泣いて泣いて、気づかせてくれた。がんばらなくていいんだよ・・・

 瞑想に行く
 体のあちこちの痛み・・暴れ回る
 最初の何日かは葛藤を繰り返した。
 でも、やめた。否定も肯定もせず、ただ見つめた・・・そうしたら、消えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもながら引き込まれる。

ただ、話している北村さんと聞いている仏教関係者のテンションの差があるみたいで、疲れてしまった。

みんなで自己紹介
 その中の1人・・若いお坊さんがあっけらかんと、「僕も高校生の時に襲った」。
河原に住んでいた人に、集団でロケット花火を打ち込んでいたそうだ。
でも、ある時に仲間がおっちゃんに捕まった。
戻ったら、一列に並ばされた。
そして聞かれた。「お前ら、カミソリ持ってる奴いるか」
「いません」
「最近、カミソリで自殺する奴いるけどな、そんなことするなよ」
そういっただけで帰してくれた。
それ以来、襲撃はやめたそうだ。

そんな路上生活者がいたんだ・・・
とても僕にはまねできない。衝撃。


タイトルは、RCのアルバム”FEEL SO BAD”(1984)の1曲目。

”俺はつきあいにくいぜ
 だれのいうことも きかねえ
 口やかましくいわれても
 俺の態度を変えることは できねえ
 
 だって俺は自由・自由・自由
 短いこの人生で
 一番大事なもの
 それは俺の 自由・自由・自由”

レコード会社やら芸能界やらにむかついていた気持ちをストレートに歌った歌。
CHABOのギターがまたかっこいいんだな。

RCのアルバムの中でも、パワーを感じる1枚。
ちなみに発売当初のジャケットは、棒人間の股間に切れ込みがあって、ち○ち○が突き出たり引っ込めたりできるようになっていた。なるほど、こりゃあすげえと思った記憶がある。

ということで、昨日とは股間つながり。

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テクノクイーン

2006年10月25日 | Weblog
10月25日 水

21時半 おにぎりと夜回り

今夜も、池袋東口でおにぎりを配り、二手に分かれて駅ナカへ。
メトロポリタンの先で、yさんに会う。またやせていた。
もう半年以上「早く病院に行こうよ」といっても拒否してる人。
日ハムが日本リーグを制したら病院に行くといっていた。
日ハム、早く決めてくれ!!

解散が23時。
就寝1時半。

タイトルは、アルバム”ラフィータフィー”より。
アルバムの1曲目なんだが、いきなり「テクノ♀17号」という謎の女性ボーカルがボーカル。

”私はテクノ・クイーン あなたを夢中にさせる
 ohテクノ・クイーン
 あなたがうなだれてたら 私が立たせてあげる
 ohテクノ・クイーン”

という、いやらしくばかばかしい歌詞を、少し鼻にかかった声で歌う。

ライブでもみたが、テクノ♀17号って誰だったんだろう?

さて、この歌を、清志郎デビュー30周年武道館ライブ"RESPECT! 清志郎"
で、あのハイロウズが歌った。
で、まあ、ありがちなことだが、
あやしいメロディーに合わせて甲本ヒロトが
歌いながらベルトを抜き、チャックを下ろし・・・・
ついに、1万人の前で露出!!
おいおい、どうすんだよ、思ったが、別に制止もされず、
腰をあやしく振りながら、とうとう歌いきって、何もなかったよう去っていった。

ちなみに、このとき、歌詞は「テクノ・クイーン」だったが、曲は「タブー」だった。

あとでライブビデオが出たが、ハイロウズはそもそも出演してなかったことになっていた。
そりゃ出せねえよなと思っていたが、そうではないらしい。

その経緯を清志郎が郡山のライブで語っていたらしい。
聞いた話によると・・・

清志郎サイドはハイロウズを出すつもりだった。
しかし、ハイロウズから「あの演奏は音に問題があるので出さないでくれ」という申し出があったという。

「音を問題にするようなバンドかよ!!」と清志郎は言ってたとか。

ということで、甲本ファンのt君、残念ながらRESPECTのビデオにヒロトは登場しません。ごめんね。
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ギビツミ

2006年10月24日 | Weblog
考えたことがたくさんあるが、ここには書けないのが残念。

帰宅22時。就寝24時。

タイトルはまたまた”Rainbow cafe”より

”待っては見たのさ 我慢もしてた
 暗い夜だよ 君の笑顔 
 もう一度 Give it to me 僕におくれよ

 Woh woh 僕らは与えあって
 Woh woh 夜毎にふるえてた”

うーん、この曲は詞よりもメロディー+ギターの効果が勝ってるな。
一度聞くと忘れられない。

君にもう一度会いたい。

震える気持ちがストレートに伝わってくる。








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サン・トワ・マ・ミー

2006年10月23日 | Weblog
家に帰ったら、珍しく子供が二人とも帰っていた。
なのに、自分の当番ではないと思って何も作っていない。
はいはい、今日はお鍋だよ。生協の野菜が残ってるから。
生協の鶏肉を解凍し、特製のだし汁に白菜・水菜・ネギ・豆腐を入れて特製水炊きじゃ。
娘は「今日はお鍋だけの」と文句を言っていたが、食べ始めたらもう言わなくなった。
どうじゃ、うまいだろ。
それとも、あきらめただけなのか?

タイトルはRCの名盤”カバーズ”より。
清志郎のカバー曲では、”上を向いて歩こう””デイドリームビリーバー”と並ぶ名曲だと思う。

カラオケでもたまに歌ったりした。でもこの歌だと
”旅に出れば 女が誘い
 ただ意味なく ぶち込むけれど”
の部分が刺激的で、たいていあとでひんしゅくを買っていた。
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ラクに行こうぜ

2006年10月22日 | Weblog
今日は片付け日

9時過ぎに起きる。
今日こそは世界遺産の新シリーズの原稿に取りかかるぞ・・・と思っていたが・・・
資料を入れておく場所を確保するために、本棚の整理を始めたら、出るわ出るわ昔の資料。
教科書執筆資料・資料集執筆資料・ガーナに行ったときの資料・etc
半日かけて、もう使わないと思われる資料を処分。
どうしても捨てられないものが何点か。

たとえば、暮らしの手帖の「戦争の暮らしの記録(1968年)」

僕はなぜかこの本にひかれて、小学校高学年から中学校2年ぐらいにかけて何度もくりかえし読んでいた。
戦争中の人々の暮らしを具体的につづったこの本に親しんだことで、あとで歴史を勉強するときに頭でっかちにならなくて済んだと思う。

14時半、片付けを途中で切り上げて、白子川源流祭りへ。
祭りはもう押し詰まり、小学生の発表も終盤にさしかかっていた。
jさん製作の展示パネルを読み終わり、メダカを捕まえようと試みる子供達をぼーっと見ていたら、k木・o本夫妻とあう。夫婦二人だけだと会話の8割は思い出話だと明るく嘆いていた。
やがて・・・e藤さんとh山さん。s木さん。t内さん。MONちゃん。保育園仲間がだんだん集まってきた。
吹き寄せられた落ち葉みたいといったら「もう濡れ落ち葉だから」とk木さん。おいおい、そこまでは言ってません。

家に帰って、片付けを続ける。
夜中までかかって、ようやくリビングがすっきりした。
とても気持ちがいい。

なんやかんやで就寝2時。

タイトルはマキシシングル「JUMP」収録。
「グロンサン」のCM曲。

”幸せになりたいけど 頑張りたくない”
たしかに。

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