夜長姫と耳男

忌野清志郎を愛し、路上生活者支援NPO・TENOHASIの事務局長Sの日記

夢を見た

2008年11月30日 | Weblog
13年間一緒に暮らした黒猫・クロが旅立ってから7ヶ月。
今も思い出すたびに涙が出てしまう。
あのかわいくない「みゃあ」のだみ声。
布団に入ってきて、僕の腕枕ですやすや寝たこと。
今でもはっきり感触を覚えているのに
今生では、もう会えないのかと思うと
愛しくて悲しくて
目頭が熱くなって・・・

何でだろう。
人間なら思い出して悲しくなっても
その度に泣いたりしないのに。

それを知ってか知らずか
娘が、「パパ、いいのみつけたよ」と、
吉祥寺の「猫の譲渡会」のポスターの写メを見せてくれた。

飼い主のいない猫を保護している「むさしの地域猫の会」が
飼い主(里親)を捜すイベントらしい。

ありがとう、とは言ったが
行けるかどうかは半々だった。
そのときに自分がどんな気持ちになるかわからなかったから。

でも連れ合いは、そのまえから息子と新しい猫を飼う話をしていたので
うじうじしている僕に「行くでしょ」と背中を押してくれて

モンゴリアンブルーの青空の下
吉祥寺まで二人で自転車を漕いだ。

会場は井の頭公園入口にある喫茶店の店頭。
10数匹の猫が待っていた。
一番手前側のゲージにこんな張り紙。
「2番 8歳 メス 
 首輪をしたまま公園にいるのを見つけ、
 ポスターを作って飼い主を捜しましたが見つかりませんでした。
 家族にしてあげてください。
 でれでれの甘えん坊です」
クロより少し小さいキジ猫がいた。
顔は普通。というよりあんまりかわいくないぞ。
最初はちゃんと飼われていたんだろうけど
途中から家族をなくして路上生活経験猫。
苦難の道を歩いてきた小さな猫。

あ、もうダメ。
今書いていても泣けてくる。
慌ててその場を離れティッシュを買いに行った。

どうにか泣き顔を抑えて会場に戻って他の猫も見た。
小さな子猫たち。
綺麗な長毛の猫。
黒猫。
どれも本当にかわいい。
君たちはきっと飼い主が見つかるよ。

だから、
2番の猫を貰うことにした。
うちにおいで。

名前はグーにしよう。
クロのことはいつも”クー”と呼んでた。
その次に来た子だからグー。
映画「グーグーだって猫である」の舞台・吉祥寺で貰ったからグー
エドはるみがやってるみたいに、GOODのグー

「この子を貰ってくれるんですか」
「保護したときは衰弱してたんで、しばらく飼って、
 今回初めて里親捜しに出したんですよ」
愛情を注いでくれたスタッフの人も喜んでくれた。
この子は武蔵関公園で見つけたそうだ。

来週引き取りに行く予定。
うちに来て、しばらくして慣れてくれたら
武蔵関公園に遊びに行こう。

タイトルは、RCのアルバム”FEEL SO BAD”より。

”君のことを 夢に見たのさ
 目が覚めて僕は悲しい

 夢の中には涙はなかったさ
 目が覚めて僕は悲しい・・

 鏡の前で君を呼んでも
 泣き出しそうな僕がいるだけ・・”

クーや、クーや
グーを飼うことにしたよ。
次に会えるときまで
虹の橋のたもとで待ってておくれ。

写真は、帰り道。晩秋の石神井。
コメント (7)
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Good Night Sleep Tight

2008年11月27日 | Weblog
いくつになっても仕事の悩みはつきないもんだ。
いい年こいても繰り返す失敗や、
頭にくる同僚や上司や・・・

あんまり頭に来た晩、チモールに行った。開店時間30分後に行ったのにマスターは遅刻でまだ真っ暗。相変わらずだ。

 ようやく来たマスター相手に飲みながら、愚痴る。
 でもいつまでも愚痴っていてもつまらないので、最近入ったという、2000年・新宿クラブハイツのキャバレーライブの映像を見せてもらう。このライブ、確か2回あって2回とも行ったなあ。キャバレーのボックス席に座りながら聞くというおもしろいライブで、清志郎なのにスタンディング禁止なんだ。
 このころはラフィータフィー。当時はあんまりよく思わなかったのだが、今聞くと実にいいなあ。
 そのライブのあと、初めて握手会を体験した。でもそのとき僕には清志郎が新人歌手みたいに握手会をするなんて抵抗があった。・・・・あのころはだんだん売れなくなってきていてクリスマスの武道館もなくなったし・・・ でもそれを逆手にとるみたいに「マジカデミルスターツアー」で小さなライブハウス巡りを始めるなんて、そこが清志郎のすごいところだと思う・・・そんなことをぼそぼそしゃべっていたら、マスターが「清志郎は新しいことにしか興味がないみたいですよ」と教えてくれた。え、それどういうこと? 「2・3’sの時は、初めてバンドを組んだときのあの気分を再現したくて若手ばっかり集めたそうです。このラフィータフィーは、スリーピースでどんなことが出来るか試そうとしたそうで・・・」(うら覚えです。違ったらごめん)
 そうか、清志郎は大スターのプライドとかそういうことをしたら周りがどう思うかとか、そんなくだらないことはどうでもよくて、「いま自分がやりたこと」だけを追いかけているんのか。
 だからあんな大胆なことを次から次に出来たんだ。
 だからデビュー30周年の記念ライブ”RESPECT”でもRCメドレーを期待する1万人の観客の前で、新曲しかやらないという離れ業ができたんだ。
 年齢や実績にとらわれている自分が馬鹿みたい。

暗雲が切れて光が差してきたような気分で店をあとにした。

行きつけにすべきはこんなマスターのいるバーである。

清志郎がMG’Sのライブに飛び入りして歌ったことを記念して
明日でも祝杯を挙げに行こうか。

タイトルはラフィータフィーのアルバム”秋の十字架”最後の曲。
これもライブ映像で見るとすごくいいです。
コメント (3)
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LIKE A DREAM

2008年11月07日 | Weblog
今日の授業は修学旅行の事前学習。
反省点はたくさんあるけど、いい出来だった。
ひさしぶりの充実感。
3日間、悩んで悩んで、
昨日はほぼ徹夜して準備した甲斐があった。

中学校で社会科教師をやっているときは
どんどん脱線しながら、さまざまな仕掛けをちりばめて
最後は目指す認識のところにグーッと持って行くのが得意だった。
授業が終わって、生徒が「ああ、おもしろかった。よかった」と
満足した笑顔になったとき
ものすごい充実感を感じてきた。
これが楽しくて、19年間中学教師をやってきたようなモンだ。

自分から望んで知的障害の養護学校に移動して3年目。
実技系の教科が多い養護学校にあっては
社会科教師は「役立たず」とほぼ同義語で
自分がメインになって授業をすることなど数えるほどしかなく、
中学生相手にやってきたさまざまな知的な仕掛けは
知的障害のある生徒たちを前に、その効力を失ってしまった。
何をどうやって教えたらいいのか、
自分の存在意義はここにあるのか?

最近は職場の人間関係にも悩んで
落ち込むことも多かった。

そういうときには、清志郎の武道館完全復活ライブの音源を聞いて
復活を期してきたのだが・・・
やっと、今の生徒たちを笑顔にする方法が少し見えてきた気がする。
ああ気持ちがいい。

そんな夜に沁みるのが、
武道館最後の曲”LIKE A DREAM”

”君の小さなその夢をそっと my honey oh信じて
 君の小さなその夢をずっと my honey あきらめないで
 夢のようなことと笑われても きっと my honey oh信じて
 夢のようなことを ずっと そっと my honey そう信じて・・・
 その夢を・・・・・”

きみの夢を信じて、と優しく歌う。
清志郎の"Imagine"だね、これは。
そしてその背景には、人生そのものが夢(LIKE A DREAM)
という優しい世界観がある。
”夢のような人生なんだから、
自分の小さな夢を、そっと信じていいんだよ”
と清志郎が歌ってくれている。

そうだね、僕も信じよう。
今よりも少しまともで優しい社会に
路上の人や、障害のある人や、心に闇をかかえた人が
少しでも生きやすい社会にするという
小さな夢を。

今も闘病中の清志郎に感謝しながら。


 
 




コメント (8)
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