私の大好きなドキュメンタリー映画「タイマグラばあちゃん」。岩手県は早池峰山の麓にあるタイマグラの冬は零下10~20度に達し、雪に閉ざされる厳しい季節だ。しかし主人公・マサヨばあちゃんはニコニコしながら「いよいよ寒さが来て、ばあちゃんに仕事させっかな」と真冬の到来を心待ちにしていた。真冬が来ると、ばあちゃんは普通なら捨てるような小さなジャガイモたちを針金で結んで外の寒さにさらす。そうするとジャガイモは芯まで凍り、それが昼の暖かさで解け、それを繰り返していくと水分が完全に抜けて、何年も保存できるフリーズドライのジャガイモ=凍みホドができる。凍みホドはタイマグラの大切な保存食で、それで作った団子汁は本当にうまそうだった。
ということで、映画を見たときから、ジャガイモを芯まで凍らす強烈な寒さを体験したいとおもっていた。ばあちゃんたちどんな冬を過ごしていたのか、体で感じてみたい。その夢が叶ったのが今年の2月21日。タイマグラの山岳民宿「フィールドノート」を再訪した。
前夜に岩手入りして盛岡に一泊。思ったほど寒くはなかったが、しんしんと雪が降っていた。午前中は盛岡城跡を見学。最高で5階建てビルくらいある雄大な石垣に圧倒される。駅前にいた路上生活のおじさんに盛岡の路上生活事情を聞いた。炊き出しも行政の支援もないが、食べ物をくれる人などもいてどうにか生活している。真冬の盛岡でもビルの排気口の下は暖かいのでそこで生活している。前は10人くらい仲間がいたが、みんな生活保護をとったりしていなくなって、今は自分一人だ。福祉事務所に行っても、生活保護はもらえないと思う。そのかわり他の地域に移動する切符代をくれる。上野や八戸までの片道切符。やっかい払いしようと言うことだろう・・・支援者がいれば生活保護もとれそうに思えるが、本人はその気はないらしい。
山田線の快適な列車でタイマグラへ。雪景色にワクワク。駅では民宿「フィールドノート」の奥さん・山代さんと三男君が出迎えてくれた。5ヶ月ぶりのタイマグラ。今年は岩手も暖冬だそうで、思ったほど寒くはない。ちと残念・・・。
宿に荷物を下ろして、雪原を散歩した。積もった雪に足を取られながら、ばあちゃんが耕していた畑まで上がらせてもらい、黄昏時の畑にたたずむ。はるか上から、ゴーゴーというジェット機のような風の音。つむじ風が雪を巻き上げて雪煙が立つ。薄く空を染める夕日。向こうから、ばあちゃんが、えっほえっほと歩いてきそうだった。しばらく風に吹かれていた。
僕も芯まで凍ったので、宿のお風呂が気持ちがいい。木の風呂桶ってどうしてこんなに暖まるんだろうか?うちもリフォームして木の風呂桶にしよう!・・・と決心しかけるが、年をとると縁が高い風呂桶は危ないかな。
フィールドノートも「オーナーの弟が作った木の風呂に入れます」と宣伝すればもっと客が増えるんではないだろうか。あ、でも、宣伝の前にもう少し風呂場を片付けた方がいいかも。
そして夕食。わかめやイカ・ワケギの前菜・鱈の刺身が絶品。鱈汁の肝もすばらしい。困ったことに酒が進んでしまう。特製のスペシャルドリンクも最高だ。
フィールドノートの中で暖房があるのは薪ストーブのある狭い居間だけで、家族とお客みんながそこに集まっている。理系が得意な中学生の長男君は150種類の電気実験ができるキットで組み立てた光センサーの回路を見せてくれた。小学校高学年の次男君は野鳥の観察に夢中で、驚くほど詳細な観察記録を書き、BIRDERという鳥専門誌(かなり昔のバックナンバー)をむさぼり読んでいる。小学校低学年の三男君は、6冊しかないドラえもんの単行本を繰り返し読んでいて、ネームのほとんど暗記している。家にはテレビがなくてラジオだけ、ネットはあるがむやみに子どもには使わせない。そんな親子の間で果てることなく続く学校の先生や友達や近所の話。不便さから生まれる濃密なコミュニケーション。かつて子どもたちはこうやってコミュニケーション能力豊かに育っていったのだろう。
自然保護の会議から戻ってきたダンナの奥畑さんと飲みながら話す。山代さんは朝食用のパン作り。3000円のキャプテンスタッグのダッチオーブンでちゃんとパンが焼ける。
飲み疲れて24時。今夜、客は私一人だけ。こんな寒いときにわざわざ来る酔狂はあまりいないらしい。6畳間に一つだけ敷いてくれた布団に潜り込んだが、これが信じられないくらい寒い。しっかりした布団を何枚もかけてもらったのだが・・・室内の気温は零下だろう。「このまま寝たら凍死するかも・・・生きて明日の朝を迎えられるだろうか・・・」とバカなことを考えつつ湯たんぽを抱きしめているうちに寝てしまった。暖まればなかなか快適で、凍死はしなかった。
翌朝、9時に起きて朝食。昨日焼いたパンに蜂蜜。コリアンダー入りサラダ。ハム。サンマのカレーとコーヒー。
次男君は、桐の木を奥畑さんに切ってもらって、フクロウのデコイを作り始めた。雑誌にある型紙を写すのに、プリンタのコピー機能を使えばいいだろうと提案したら、「そんなもの使わんでいい」と奥畑さん。次男君、苦労して白い紙にトレースしていた。たしかに、自分でトレースすると形が理解できていい。不便さが産むものというのは確かにある。
奥畑さんと次男君・三男君といっしょに雪原を散歩。手製のかんじきはなかなか楽しい。梢にはウソやコゲラ・アカゲラなどがいた。リスやネズミ・狐の足跡も。途中で子どもたちのかんじきが脱げても、奥畑さんは手伝わず自分で履かせようとする。なんでも自分でやらせようというのが徹底している。
戻って昼食。ネギと干しエビの入った平焼きをいただく。二日酔い気味だから食べないつもりだったが結構入ってしまった。
13時にフィールドノートを出て、川井のバス停で別れる。そのあと、次男君と三男君は奥畑さんと一緒に念願の図書館だ。いい本やビデオが見つかったろうか? 今度いくときは子どもたちにみやげを買おう。
清志郎の冬の歌と言えば思い出すのがタイトルの曲。
”雪どけの道では 何度も 何度も 足を取られ・・
僕の毎日を ユーモアに ユーモアに しておくれ・・”
僕には 言えない とても 言い表せは しない・・・
名盤”Memphis”の2曲目。ちょっと溶けかけた雪原を歩いているとき、頭の中でリフレインしていた。
ということで、映画を見たときから、ジャガイモを芯まで凍らす強烈な寒さを体験したいとおもっていた。ばあちゃんたちどんな冬を過ごしていたのか、体で感じてみたい。その夢が叶ったのが今年の2月21日。タイマグラの山岳民宿「フィールドノート」を再訪した。
前夜に岩手入りして盛岡に一泊。思ったほど寒くはなかったが、しんしんと雪が降っていた。午前中は盛岡城跡を見学。最高で5階建てビルくらいある雄大な石垣に圧倒される。駅前にいた路上生活のおじさんに盛岡の路上生活事情を聞いた。炊き出しも行政の支援もないが、食べ物をくれる人などもいてどうにか生活している。真冬の盛岡でもビルの排気口の下は暖かいのでそこで生活している。前は10人くらい仲間がいたが、みんな生活保護をとったりしていなくなって、今は自分一人だ。福祉事務所に行っても、生活保護はもらえないと思う。そのかわり他の地域に移動する切符代をくれる。上野や八戸までの片道切符。やっかい払いしようと言うことだろう・・・支援者がいれば生活保護もとれそうに思えるが、本人はその気はないらしい。
山田線の快適な列車でタイマグラへ。雪景色にワクワク。駅では民宿「フィールドノート」の奥さん・山代さんと三男君が出迎えてくれた。5ヶ月ぶりのタイマグラ。今年は岩手も暖冬だそうで、思ったほど寒くはない。ちと残念・・・。
宿に荷物を下ろして、雪原を散歩した。積もった雪に足を取られながら、ばあちゃんが耕していた畑まで上がらせてもらい、黄昏時の畑にたたずむ。はるか上から、ゴーゴーというジェット機のような風の音。つむじ風が雪を巻き上げて雪煙が立つ。薄く空を染める夕日。向こうから、ばあちゃんが、えっほえっほと歩いてきそうだった。しばらく風に吹かれていた。
僕も芯まで凍ったので、宿のお風呂が気持ちがいい。木の風呂桶ってどうしてこんなに暖まるんだろうか?うちもリフォームして木の風呂桶にしよう!・・・と決心しかけるが、年をとると縁が高い風呂桶は危ないかな。
フィールドノートも「オーナーの弟が作った木の風呂に入れます」と宣伝すればもっと客が増えるんではないだろうか。あ、でも、宣伝の前にもう少し風呂場を片付けた方がいいかも。
そして夕食。わかめやイカ・ワケギの前菜・鱈の刺身が絶品。鱈汁の肝もすばらしい。困ったことに酒が進んでしまう。特製のスペシャルドリンクも最高だ。
フィールドノートの中で暖房があるのは薪ストーブのある狭い居間だけで、家族とお客みんながそこに集まっている。理系が得意な中学生の長男君は150種類の電気実験ができるキットで組み立てた光センサーの回路を見せてくれた。小学校高学年の次男君は野鳥の観察に夢中で、驚くほど詳細な観察記録を書き、BIRDERという鳥専門誌(かなり昔のバックナンバー)をむさぼり読んでいる。小学校低学年の三男君は、6冊しかないドラえもんの単行本を繰り返し読んでいて、ネームのほとんど暗記している。家にはテレビがなくてラジオだけ、ネットはあるがむやみに子どもには使わせない。そんな親子の間で果てることなく続く学校の先生や友達や近所の話。不便さから生まれる濃密なコミュニケーション。かつて子どもたちはこうやってコミュニケーション能力豊かに育っていったのだろう。
自然保護の会議から戻ってきたダンナの奥畑さんと飲みながら話す。山代さんは朝食用のパン作り。3000円のキャプテンスタッグのダッチオーブンでちゃんとパンが焼ける。
飲み疲れて24時。今夜、客は私一人だけ。こんな寒いときにわざわざ来る酔狂はあまりいないらしい。6畳間に一つだけ敷いてくれた布団に潜り込んだが、これが信じられないくらい寒い。しっかりした布団を何枚もかけてもらったのだが・・・室内の気温は零下だろう。「このまま寝たら凍死するかも・・・生きて明日の朝を迎えられるだろうか・・・」とバカなことを考えつつ湯たんぽを抱きしめているうちに寝てしまった。暖まればなかなか快適で、凍死はしなかった。
翌朝、9時に起きて朝食。昨日焼いたパンに蜂蜜。コリアンダー入りサラダ。ハム。サンマのカレーとコーヒー。
次男君は、桐の木を奥畑さんに切ってもらって、フクロウのデコイを作り始めた。雑誌にある型紙を写すのに、プリンタのコピー機能を使えばいいだろうと提案したら、「そんなもの使わんでいい」と奥畑さん。次男君、苦労して白い紙にトレースしていた。たしかに、自分でトレースすると形が理解できていい。不便さが産むものというのは確かにある。
奥畑さんと次男君・三男君といっしょに雪原を散歩。手製のかんじきはなかなか楽しい。梢にはウソやコゲラ・アカゲラなどがいた。リスやネズミ・狐の足跡も。途中で子どもたちのかんじきが脱げても、奥畑さんは手伝わず自分で履かせようとする。なんでも自分でやらせようというのが徹底している。
戻って昼食。ネギと干しエビの入った平焼きをいただく。二日酔い気味だから食べないつもりだったが結構入ってしまった。
13時にフィールドノートを出て、川井のバス停で別れる。そのあと、次男君と三男君は奥畑さんと一緒に念願の図書館だ。いい本やビデオが見つかったろうか? 今度いくときは子どもたちにみやげを買おう。
清志郎の冬の歌と言えば思い出すのがタイトルの曲。
”雪どけの道では 何度も 何度も 足を取られ・・
僕の毎日を ユーモアに ユーモアに しておくれ・・”
僕には 言えない とても 言い表せは しない・・・
名盤”Memphis”の2曲目。ちょっと溶けかけた雪原を歩いているとき、頭の中でリフレインしていた。