夜長姫と耳男

忌野清志郎を愛し、路上生活者支援NPO・TENOHASIの事務局長Sの日記

baby#1

2010年03月29日 | Weblog
3月に入って、池袋で長く野宿生活をされていた方たちが何人か、立て続けに亡くなった。長い冬で弱った高齢の体に、最近の激しい寒暖の差がこたえただろうか。
去年も、仲良かったWさんが、この時期に路上死してしまった。
何が起ころうと決して自分の責任とは思わない、と決めているけれど、さすがにこたえる。

月曜日に休暇を取ったので、日曜の夜から明け方に書けて、久しぶりに「1人夜回り」をした。
池袋駅構内と周辺を歩き回って、誰が、どのように暮らしているかを確認しよう。
どんな支援をしたらいいか、考えよう。

23時。いけふくろう前。
前から気になっている人がいて、もし会えたらコーヒーでも飲みながら話をしようと思って、そこで待った。よくここで見かけるので。たくさんの路上生活者がその前を通り過ぎていたが・・・

1時。その人は現れないまま、駅のシャッターが閉まった。
ぼくと同じようにずっといけふくろうで立った若い女の子がいたので、思い切って声をかけてみた。この深夜に泣きそうな顔をしていたので。でも、バイトの歓送迎会に出ている彼氏が「後で抜け出すから」と言っていたのにいつまでも迎えに来ないので切なくて頭に来て泣いていただけだったので一安心。予想通り、娘と同じ歳だった。教員志望だというその女の子としばらく特別支援学校や路上生活者についての話をして(!)、近くのネットカフェを紹介した。

2時。駅を出された何人もの人たちが、寒風に震えながら歩いている。
あまり見たことがない人と目があったので、声をかけてみた。
でも、言葉がたどたどしく、明らかに知的な障害があるようだ。
どう考えても福祉が責任を持って支援すべき人が、どうしてこんな夜中に路上生活をしているんだろう?
とりあえずマックで暖かいものを飲んでもらう。
でも、会話が成り立たない。
マックは、駅が開くまで暖をとる人たちで一杯だ。
とりあえず今夜は事務所で寝てもらい、明日支援策を相談しようと思ってお連れする。
その人は布団を喜んでくれて、すやすやと寝てくれたが、明け方、いつの間にか姿を消してしまった。

4時。駅のシャッターが開く時間。
何人もの人が、パチンコ屋の開店みたいに駅のシャッターが開くのをまっている。
そのなかに、旧知のオジサンがいた。
「おう、めずらしいな。どうしたんだ」というので、「うーん、ちょっと散歩」
「そうか、いいことだ。タバコあるぞ。いるかい」今日はシケモクではないらしい。
でも、あいにくタバコをやめて10年以上になる。謝辞して、駅の構内へ。
この時間を待ち望んでいた人たちが、疲れた体を引きずって、段ボールや毛布を敷き、
つかの間の睡眠に落ちる。

5時。駅周辺のマックを巡礼。
マックと言えば24時間だと思っていたが、今は掃除だとかなんだかんだと理由を付けて深夜に1~2時間、客席が使えない時間帯を設けていることを初めて知った。
駅が閉まる1時から4時まで連続でいられる店は、回った5軒中1軒しかなかった。
これではマック難民にもなれない。
世間はどんどん「ホームレス」の休息の場所を奪っている。これで、ネットカフェの規制が強まったら、みんなどこで体を休めたらいいんだ?

寒さと飢えと蔑視に耐えてこの冬を生き抜いた人たち。あらためて、すごいと思う。

タイトルは、前回に続いて清志郎のニューアルバム!から
ものすごくゴキゲンな曲。
長男・たっぺい君が生まれた喜びを歌った曲だと解釈されているけど、彼女へラブソングと考えもすごくステキな、No,1の曲。

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KI・MA・GU・RE

2010年03月13日 | Weblog
先日、某有名大学の学生さんの社会学実習で、「ホームレス問題に関わる支援者」へのインタビューを受けて、そのまとめと分析結果が送られてきた。

「あなたにとってこの活動は?」と聞かれたので「レジャーです」と、いつもの答えを返してその理由も説明した。
それに対して学生さんたちは「D氏は、自分の生活は変えたくないという姿勢を見せている」という意味の分析をしていた。

うーーん、全然違うんだな。
やっぱり、相手に共感するベースがないと、いくら説明しても伝わらないんだな。

子供の頃から不思議に思っていた。
60年代の末、日本中の学生が「革命」「造反」とか叫んでいて、その世代がやがて社会の中心になったのに、どうしてこの国は変わらないんだろう?

自分が学生になって、いろいろな活動家に出会った。
自分たちだけが正しく、自分たちだけが真の革命のために献身しているのだ、と主張する、ナルシシズムとエリート意識がぷんぷんにおうタイプがたくさんいた。
「ホームレス」問題に関わるようになったときも、「自分だけが苦しんでいる人たちの理解者で、寝食を削って献身しているんだ」と声高に言う人がいた。

そういう人はだいたい長続きしないんだな。
世界を変えるつもりで始めたが、やがて疲れ果てて燃え尽き、
「こんなに頑張っているのに、愚かな大衆は理解しない。報われない」と恨んで、どこかに転向してしまう。

自己満足のためにやっていたのに、自分がその活動に依存していたのに、それに気がつかず、誰かのためにやっているのだと思いこんでいる愚かさ。

そうはなりたくない。
だから、「この活動は自分の楽しみのためにやるレジャーです」と言っている。
それは、動機が自己満足であることを確認し、そこに依存しないように、燃え尽きないようにするための仕掛けだ。
言い換えると、長期的に持続可能な活動を行うための心理的な装置。
自分の生活の中に、きちんと活動を位置づけること。
成功も失敗もきちんと楽しむこと。
おかげさまで、TENOHASI事務局長も5年目になりました。

学生さんにはそういう話をしたつもりだったが、冗談交じりだったのが悪かったのかも知れない。相手に伝える技術がたりないな。

さて、清志郎の新譜が出た!!!!!!
”Baby#1"
21年前に録音されていたんだと!
すごくいい!!!!

中でも、この”KI・MA・GU・RE”はジュリーに提供した曲だそうで、初めて知った。
”気まぐれ Yeah
 笑わせないでよ、ママ
 くすぐらないでネ
 眠れないよ ママ
 まさぐらないでね”

清志郎の毒全開。
CHABOのギターがうねり、金子マリのコーラスがからみつく。
カッコイイゾ=
 



コメント (3)
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雪どけ

2010年03月09日 | Weblog
早池峰山の麓・タイマグラにある開拓農家の宿・フィールドノートに5回目の宿泊。

今回は、味噌踏みツアー。
映画「タイマグラばあちゃん」で見て以来、ずっと体験してみたかったことの一つ。

ばあちゃんの味噌作りは、
①畑で取れた大豆をじっくり茹でて、親指と小指だけでつぶせるほどの柔らかさにする。
②大きな桶に入れ、熱いうちに足で踏んでつぶす。
③冷めないうちに高さ18センチくらいの台形にする。これが味噌玉。
④一晩おいて固まったら、藁でくくり、家の中につるす。
⑤家の麹菌が中で繁殖した1ヶ月後、バラバラに崩して塩や麹を入れ、樽で2年寝かす。
ばあちゃんのてきぱきした仕事ぶり・丁寧に作る充実感が、豊かさという言葉の意味を教えてくれるような印象的なシーンだった。

さて、今回の味噌踏みツアーに参加したのは僕を含めて3人。東京のtさんは若い女性だが、畑作りと鳥への情熱は半端ではない。最近の若い人は、フィールドノートの3人兄弟も含めて、すごいなあとおもう。
仙台のcさんは、3回目のタイマグラ。いい人なんだが、1回目は途中で崖崩れ・2回目は峠で雪にはまって車中でビバークという、ステキな体験の持ち主。たぶん、よほど方角が悪いんだろう。今回は無事に到着したが、車を降りてから滑ったそうだ。

フィールドノートの三兄弟のうち、長男君と三男君が清志郎にはまっているそうだ。すばらしい。ますます理想郷である。

1日目。
朝からことことと煮込んだ大豆を何度もつぶして柔らかさを確認。美味しいのでついつい何度も確認作業をしてしまう。
そして16時過ぎ、ようやくゴーサイン。よく水を切った大豆を大きな桶に入れて、味噌踏み専用長靴でぐちゃ・ぐちゃっと踏んでいく。冷めると固まらなくなってしまうので熱いうちに手早くやらなくてはならないのは餅つきと同じで興味深い。
どんどん踏んでいくと、ぬかるみ状になって踏むのが難しくなってくる。そうなったころに桶から出して、味噌玉作りへ。両手でつぶれた大豆を掬って、トントンと落としながら、マヤ文明の頂上が平らになっているピラミッドのような形というか、分銅みたいな台形にしていった。映画にでていたばあちゃんのように手早くは行かないが、慣れてくるとそこそこにきれいな形にできるのが楽しい。
cさんが、最後に残った大豆でちいさな台形を作ったら、子供たちがはまって、遊びに来た監督の息子さんが7段だか8段だかに積み上げていた。

2日目
一晩おいて乾かした味噌玉を、家の中でつるす作業に入る。まず奥畑さんが雪の中に埋けてしめらせた稲藁を砧で叩いて柔らかくした。次はみんなで縄ないの練習。藁から縄を作れないとその先に行けないのだ。
何回かやったことがあるが、これが難しい。親指の付け根と人差し指&中指で2本の藁束を同時に撚らなくてはならない。角度・力加減が本当に微妙だ。何本か縄を作ってみて、ようやく縄を作れる自信が付いたところで、味噌玉つるしに挑戦する。味噌玉を藁で十文字にくくり、味噌玉の上で1本の縄にしていく。思いの他うまくできて気持ちがいい。途中から三男君の選曲で清志郎メドレーがかかったので、ますます快調。こんなに無心に作業するというのは最近ないなあ。
 部屋の中にずらりと味噌玉が吊されて作業終了。あとは家の中にいる麹菌が味噌玉の中で繁殖するのを待って、1ヶ月後にばらして樽に仕込む。そして2年寝かせてできあがり。手間のかかる仕事だけど、すごく充実感があった。
「味噌は生きてると思うよ。味噌と話したわけではねえけど」というばあちゃんの言葉を思い出しながら、今日の10倍もの大豆を自分で作り、自ら味噌に仕込んでいたばあちゃんの暮らしの豊かさを改めて思う。

帰路、盛岡でバスを降りて、ぶらぶらカフェ巡り。cartaと機屋は両方とも行く価値のあるステキな店だった。盛岡はモダンでハイカラな街だ。岩手山がきれい。

タイトルは、これまた清志郎の名曲。
「雪がとけ始めると、つい口ずさみますね」とタイマグラの陽子さんも言っていた。
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