あの、あり得ないニュースからもうすぐ49日。どうやらあれはシャレでもイタズラでもないらしい。でも今でもふわふわとした夢の中にいるような気分。情報はみんなマスコミからのものだし、葬儀だって青山rock'n roll showとかで、紅白の幕の奥で清志郎が笑っていただけだった。
だから、これが本当のことかどうか
ついでにこれからどうしたらいいか
聞きに行った。
6月12日(金)、仲井戸麗市with梅津和時ライブ。この二人なら本当のことを言ってくれるだろうと思って。
とはいっても、kさんが、5月2日の夜にとってくれたチケット。
2泊3日の移動教室をようやく終えて、朦朧としながら開場の18時半前に南青山MANDARAへ。さすがに青山だけあって、ステージもバーもおしゃれな雰囲気。猥雑な吉祥寺とは一味違う感じ。
ほぼ予定通り、19時半過ぎに、CHABOが登場。
1曲目は「ねぇ HISAKO」。6月にだけ歌うんだそうだ。
2曲目、世界で一番かっこいいスキンヘッドだと常々思っている梅津和時が拍手と共にステージへ。MANDARAでの連続ライブの課題曲だという「BLUE MOON」。
”ああ月がとっても青いってただそれだけで、遠回りして帰るなんて~ちょっとステキ”
とってもCHABOらしい曲。梅津さんのサックスが炸裂。そこにCHABOのギターがついて行く。す、すげえ早弾き。ユニゾンだから全くごまかしがきかない。こっちが緊張した。
後ろにセットしたピアノにたつのすけが座って、3人のライブに。そこから先はよく覚えていない。しかし、他の人たちのブログを見て思い出したところでは・・・
Beatlesの「Honey Pie」
フライングキッズの浜崎貴司と演ったという「All My Loving」。
それから、Curtis Mayfieldのカバーで「Um, Um, Um, Um, Um, Um」。
アイリッシュな「Fiesta」。
Kinksの「Alcohol」。
この夜は、いろいろな人のカバーをやっていた。
そしてポエトリーリーディング。
CHABOのそれはいつも絶品で、そこにうめっちゃんのサックスが絡むから今日のは超絶だ。「これで全国回ろうか」とCHABOが言ったのも頷ける。
1つめ。こんな内容だった。
「空に穴が開いた。君がちょうど通れるくらいの穴。君の好きな人が、僕らの好きな人が、君のことを見ている。・・・涙を拭いて」
なんという詩だろう。どう聞いても、清志郎のことを歌っているとしか思えない。空に空いた穴の向こうでこっちを見ている清志郎の顔が見えた。
その後の詩にも、なんだか清志郎を思い起こさせるフレーズが耳について、そこばかり引っかかってしまう。
「世間知らずの・・」「よそ者」「・・・悲しみをぶっ飛ばせ」
「64年型タイプライター」だけ、タイトルがわかった。
そして、再びCHABOがギターを持つ。
「アルバムのためにもう一曲つくろうと言うことになって、清志郎とミラクルズをまねして一晩で作った曲です。」と紹介して「ハイウエイのお月様」・・・
清志郎のコーラスが脳内で勝手に再生されてしまう。
そして、「とっても気持ちがいいんで、やります」みたいな(とにかくこの日は頭が朦朧として他ので、MCの正確さは期待しないでください)ことを叫んで、一気に「キモチE」。
この日は、梅津さんが達者なピアノを弾いたり、なんとボーカルをとったり(さすがサックスだけ合って、張りのある言い声だった)、いろいろ楽しませてくれた。
そして本編の終わりに「この曲は、どうしようかとおもったけど・・・・」と言いながら「ガルシアの風」。
”ガルシアの風に吹かれて 僕らは丘をわたってく
君は自由の服に着替えて 冷たい川の水に足を浸す
ああ、どうにもならぬことなど なにもなかったのです
ああ、どうしようもないことなど なにひとつなかったのです”
そう、その頃にはどうにもならぬことなどなにもなかったんだろう。
すべては未来につながっていた。
いまは、どうしようもないこともある、とわかる。
一度メンバーが退場。
アンコールというか、第2部というか、とにかくそれが始まった。
たしか「働き蜂」。
その後にRCメドレー。
「いいことばかりはありゃしない」
元々好きな曲だが、完全復活祭での伸ちゃんとCHABOの演奏でますます好きになった。そして、今、CHABOが、僕の目の前3mで歌ってる。清志郎の姿が見える気がする。
そういえば”最終電車で国立に着いた”が、CDでは”この街に着いた”になってるよな。新宿・吉祥寺と固有地名が続くのに、なぜ国立だけ避けたんだろう? ファンには常識?
”何も変わっちゃいないことに気がついて 坂の途中で立ち止まる”
先週訪れた多摩蘭坂の景色が目に浮かんだ。
続いて、なんと「国立市中区3‐1(返事をおくれよ)」
この住所は、CHABOの母校だとこの前多摩蘭坂の管理人さんに聞いたばかりだ。国立シリーズか?
その一節、
”僕の手紙の漢字の間違いなど 気にすることはないさ 読めるだろう”
フライデーの最新号に、高校時代の彼女の話が載っていた。交換日記の漢字の間違いをたしなめた彼女に、清志郎は「でも、航海先に立たず、ですね」とわざと誤字を使って反撃したそうだ。
そして、その次に「こんな、半端な、ボーカリストでもないのに歌うのはどうかと思うけど、今日は梅津がいるんで、やらせてもらいます」と言って、あのピアノのイントロが流れた。国立シリーズ第三弾。
「スローバラード」
素晴らしすぎてコメントできません・・・
清志郎が憑依したようなCHABOのボーカル。
でもそれ以上に圧巻だったのが、梅津さんのサックス。
こんなに力強く切なく悲しいサックスは聞いたことがないと思った。
これは梅津さんの、追悼曲だったとおもう。
終わった後、あのいつもしれっとして人を食ったような梅津さんが、目をはらして目頭を押さえていた。
たくさんの観客が、同じ仕草をしていた。
鳴りやまぬ拍手。
そして、「嵐が去った後に」
”君に会いたい・・・
話があるんだ・・・”
これが、CHABOの追悼。
最後に、梅津さんとの共作「祈り」
終わって、CHABOが、共演してくれた仲間やスタッフを紹介しながら拍手。
まず、梅津さんに。
そして、たつのすけさんに。
そして、最後に、ああ、あろうことか、天を差して、拍手・・・・。
「清志郎、ありがとう。今夜も聞いてくれたかい?
わかってる、歌い続けること、だよな。
しっかりやるぜ。」
そう言っている声が聞こえた気がした。
清志郎はあそこにいる、とCHABOが教えてくれた。
今日は泣かないつもりでいたのに、勝手に目から水分が出てくる。
この夜は、CHABOの覚悟の程を示した夜だったと思う。
「CHABOもまだ苦しいだろうけど、無理してでも明るく元気に振る舞ってた」とは、ライブが終わった後にようやく合流できたKさんの感想。
眠たかった頭がすっかり活性化してしまい、
感想を語り合いながら吉祥寺で飲んで、
ゲロは吐かず、
井の頭公園のボート池の畔で夜明けを迎えるまで話して、
始発で帰って
ちょっと仮眠して
そのまま炊き出しに出て、
夜のTENOHASI総会を仕切って
翌日は爆睡した。
だから、これが本当のことかどうか
ついでにこれからどうしたらいいか
聞きに行った。
6月12日(金)、仲井戸麗市with梅津和時ライブ。この二人なら本当のことを言ってくれるだろうと思って。
とはいっても、kさんが、5月2日の夜にとってくれたチケット。
2泊3日の移動教室をようやく終えて、朦朧としながら開場の18時半前に南青山MANDARAへ。さすがに青山だけあって、ステージもバーもおしゃれな雰囲気。猥雑な吉祥寺とは一味違う感じ。
ほぼ予定通り、19時半過ぎに、CHABOが登場。
1曲目は「ねぇ HISAKO」。6月にだけ歌うんだそうだ。
2曲目、世界で一番かっこいいスキンヘッドだと常々思っている梅津和時が拍手と共にステージへ。MANDARAでの連続ライブの課題曲だという「BLUE MOON」。
”ああ月がとっても青いってただそれだけで、遠回りして帰るなんて~ちょっとステキ”
とってもCHABOらしい曲。梅津さんのサックスが炸裂。そこにCHABOのギターがついて行く。す、すげえ早弾き。ユニゾンだから全くごまかしがきかない。こっちが緊張した。
後ろにセットしたピアノにたつのすけが座って、3人のライブに。そこから先はよく覚えていない。しかし、他の人たちのブログを見て思い出したところでは・・・
Beatlesの「Honey Pie」
フライングキッズの浜崎貴司と演ったという「All My Loving」。
それから、Curtis Mayfieldのカバーで「Um, Um, Um, Um, Um, Um」。
アイリッシュな「Fiesta」。
Kinksの「Alcohol」。
この夜は、いろいろな人のカバーをやっていた。
そしてポエトリーリーディング。
CHABOのそれはいつも絶品で、そこにうめっちゃんのサックスが絡むから今日のは超絶だ。「これで全国回ろうか」とCHABOが言ったのも頷ける。
1つめ。こんな内容だった。
「空に穴が開いた。君がちょうど通れるくらいの穴。君の好きな人が、僕らの好きな人が、君のことを見ている。・・・涙を拭いて」
なんという詩だろう。どう聞いても、清志郎のことを歌っているとしか思えない。空に空いた穴の向こうでこっちを見ている清志郎の顔が見えた。
その後の詩にも、なんだか清志郎を思い起こさせるフレーズが耳について、そこばかり引っかかってしまう。
「世間知らずの・・」「よそ者」「・・・悲しみをぶっ飛ばせ」
「64年型タイプライター」だけ、タイトルがわかった。
そして、再びCHABOがギターを持つ。
「アルバムのためにもう一曲つくろうと言うことになって、清志郎とミラクルズをまねして一晩で作った曲です。」と紹介して「ハイウエイのお月様」・・・
清志郎のコーラスが脳内で勝手に再生されてしまう。
そして、「とっても気持ちがいいんで、やります」みたいな(とにかくこの日は頭が朦朧として他ので、MCの正確さは期待しないでください)ことを叫んで、一気に「キモチE」。
この日は、梅津さんが達者なピアノを弾いたり、なんとボーカルをとったり(さすがサックスだけ合って、張りのある言い声だった)、いろいろ楽しませてくれた。
そして本編の終わりに「この曲は、どうしようかとおもったけど・・・・」と言いながら「ガルシアの風」。
”ガルシアの風に吹かれて 僕らは丘をわたってく
君は自由の服に着替えて 冷たい川の水に足を浸す
ああ、どうにもならぬことなど なにもなかったのです
ああ、どうしようもないことなど なにひとつなかったのです”
そう、その頃にはどうにもならぬことなどなにもなかったんだろう。
すべては未来につながっていた。
いまは、どうしようもないこともある、とわかる。
一度メンバーが退場。
アンコールというか、第2部というか、とにかくそれが始まった。
たしか「働き蜂」。
その後にRCメドレー。
「いいことばかりはありゃしない」
元々好きな曲だが、完全復活祭での伸ちゃんとCHABOの演奏でますます好きになった。そして、今、CHABOが、僕の目の前3mで歌ってる。清志郎の姿が見える気がする。
そういえば”最終電車で国立に着いた”が、CDでは”この街に着いた”になってるよな。新宿・吉祥寺と固有地名が続くのに、なぜ国立だけ避けたんだろう? ファンには常識?
”何も変わっちゃいないことに気がついて 坂の途中で立ち止まる”
先週訪れた多摩蘭坂の景色が目に浮かんだ。
続いて、なんと「国立市中区3‐1(返事をおくれよ)」
この住所は、CHABOの母校だとこの前多摩蘭坂の管理人さんに聞いたばかりだ。国立シリーズか?
その一節、
”僕の手紙の漢字の間違いなど 気にすることはないさ 読めるだろう”
フライデーの最新号に、高校時代の彼女の話が載っていた。交換日記の漢字の間違いをたしなめた彼女に、清志郎は「でも、航海先に立たず、ですね」とわざと誤字を使って反撃したそうだ。
そして、その次に「こんな、半端な、ボーカリストでもないのに歌うのはどうかと思うけど、今日は梅津がいるんで、やらせてもらいます」と言って、あのピアノのイントロが流れた。国立シリーズ第三弾。
「スローバラード」
素晴らしすぎてコメントできません・・・
清志郎が憑依したようなCHABOのボーカル。
でもそれ以上に圧巻だったのが、梅津さんのサックス。
こんなに力強く切なく悲しいサックスは聞いたことがないと思った。
これは梅津さんの、追悼曲だったとおもう。
終わった後、あのいつもしれっとして人を食ったような梅津さんが、目をはらして目頭を押さえていた。
たくさんの観客が、同じ仕草をしていた。
鳴りやまぬ拍手。
そして、「嵐が去った後に」
”君に会いたい・・・
話があるんだ・・・”
これが、CHABOの追悼。
最後に、梅津さんとの共作「祈り」
終わって、CHABOが、共演してくれた仲間やスタッフを紹介しながら拍手。
まず、梅津さんに。
そして、たつのすけさんに。
そして、最後に、ああ、あろうことか、天を差して、拍手・・・・。
「清志郎、ありがとう。今夜も聞いてくれたかい?
わかってる、歌い続けること、だよな。
しっかりやるぜ。」
そう言っている声が聞こえた気がした。
清志郎はあそこにいる、とCHABOが教えてくれた。
今日は泣かないつもりでいたのに、勝手に目から水分が出てくる。
この夜は、CHABOの覚悟の程を示した夜だったと思う。
「CHABOもまだ苦しいだろうけど、無理してでも明るく元気に振る舞ってた」とは、ライブが終わった後にようやく合流できたKさんの感想。
眠たかった頭がすっかり活性化してしまい、
感想を語り合いながら吉祥寺で飲んで、
ゲロは吐かず、
井の頭公園のボート池の畔で夜明けを迎えるまで話して、
始発で帰って
ちょっと仮眠して
そのまま炊き出しに出て、
夜のTENOHASI総会を仕切って
翌日は爆睡した。