夜長姫と耳男

忌野清志郎を愛し、路上生活者支援NPO・TENOHASIの事務局長Sの日記

メルトダウン

2010年08月27日 | Weblog
毎日暑い。太陽が暴力的。
日中、外にいると、冗談抜きで生存の危機を感じる。
空気が変質して液体になり、べっとりと皮膚にからみつく気がする。
肺は熱気をすって呼吸困難にあえぐ。
今日も、午前中プール指導をして、午後は屋内で事務をしただけなのに、40分自転車をこいで帰って来たときは倒れる寸前。
建築や警備など外仕事の人は大変だと思う。
路上生活の人も。何人も倒れているに違いない。

それをどうにかしたいという気持ちはあるのだが、僕もダウンした。
肉体的に・精神的に。

8月14日にやったTENOHASI夏祭りでは、昼にそうめん配布と慰霊祭・スイカ割りを行い、夜は衣類とおみやげ(下着や石鹸など詰め合わせ)配布・カレー配食を行った。

去年までは、全て南池袋公園でやっていたから、夏祭りといってものんびりしたものだった。
しかし、今年は初めて調理する場所と配布する公園が別々になり、しかも猛暑。
みんな疲れてイライラしてトラブル続出。
しかも、今まで公園班を仕切ってくれた事務局次長シロクマ氏は仕事が忙しくなってリタイア中。
そのため僕は朝7時から活動を開始し、調理場所を設営し、トラブルに対処し、トラックを運転し、公園班を仕切り、ケンカの仲裁をして・・・・開始から14時間たって疲れてきたとき、トラックを運転していて赤信号に気がつかず交差点に突っ込んだ。お巡りに捕まって減点と反則金。でも、もしバイクや車が来ていたら、トラックで押しつぶしていただろう。事故にならなかっただけで大ラッキーだった。
これで心が折れた。

いままで、この活動は自分にとってはレジャーだと公言してきて、実際、大変だとか思ったことはほとんどなかった。TENOHASIが小さいときは全ての活動が視野に入っていてコントロールできていたし。
 しかし去年から緊急シェルターが始まり、夏は公園移転問題に追われ、今年は世界の医療団・浦河べてるの家との共同プロジェクトが始まった。活動が広がるにつれて、自分だけではコントロールできなくなってきた。スタッフも、会報誌編集や公園班リーダーがリタイアしたので後任が見つかるまでとりあえずひきうけた。
明らかにキャパを越える仕事が押し寄せていたのに、自分でどうにかできると思っていたのが大間違い。
楽しく活動しているつもりだったが、次々に手を広げているうちにコントロールがきかなくなり、大爆発・・・だった。
原子炉が核分裂を制御できなくなり、暴走してメルトダウンしてしまうような。
急速な事業拡大で大量リコールを出したトヨタ自動車みたいな。
残るのは燃え尽きたオヤジ。「燃え尽きたりしません。遊びだから」と言っていたのに。
流石に今回は疲れ果てて、「夏休み」宣言をさせていただきました。


燃え尽きて分かったこと

今まで、TENOHASIのことを考えるとワクワクした。今は、どーんと重く感じる。

TENOHASIの組織を見直し、新しい体制を作るにはいい機会だと思うのだが、全く頭が回らない。だれか、「持続可能なTENOHASI」のために、アイデアを出してください。スタッフになって下さい。

先日、ある学習会で講師の紹介をすることになったが、頭が回らない。
アレも言わなきゃ、これも言っとかないと・・・と思って迷走してしまい、講師から「巻き」のサインが出た。
よく、当事者講師が不意に質問されると、どぎまぎしてピント外れなことを延々と話すことがあるが、その気持ちが初めてよく分かった。

古い友人と会う機会があったので、グチを聞いてもらおうと思った。相手もそれとなく水を向けてくれたのだが、どこから話していいかも分からず、結局言い出せずじまい。グチを言うにもエネルギーが必要だ。特に男は普段グチを聞いてもらうという習慣がないから、恥を忍んで?グチるためにはより大きなエネルギーが必要だ。男って損だとおもう。

ということで、現在、たれぱんだみたいにべったりと溶けて垂れております。
涼しくなったら復活すると思うので、それまで暖かく見守ってやってください。
そうだな、激励メールも受付中。


"俺の脳がメルトダウン
 大脳も小脳も ダウンダウンダウンダウン
 恐ろしいことが起こってしまった
 もうだめだ 助けられない もう遅い”

 原子力発電所のメルトダウンを歌った曲。”Music from Powerhouse"と”Baby#1”の2テイクがあるが、微妙に歌詞が違う。ここは後者の歌詞。こっちの方が、チェルノブイリから時間が間もないせいか、生々しく聞こえると共に、シュールな音で好き。
コメント (5)
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