夜長姫と耳男

忌野清志郎を愛し、路上生活者支援NPO・TENOHASIの事務局長Sの日記

忙しすぎたから

2009年09月30日 | Weblog
26日、新しい公園での炊き出しをどうにか実施することができた。
長い長い夏がやっと終わった気がする。

清志郎が旅立ったショックもまださめやらぬ6月17日。
豊島区から「炊き出しに地元からの苦情が多いので、南池袋公園閉鎖後は炊き出しのための公園占用を認めない」と通告された。
ダブルショック。

もちろん「ハイそうですか」と言うわけに行かないので、炊き出し存続運動を展開していくわけだが・・・・
今までの流れからして、自分が中心にならざるを得ない。自分の舵取りいかんでは、TENOHASIの炊き出しはなくなってしまうかも知れないのだ。池袋の路上で命をつないでいる人たちにも、また全国の支援運動に与える影響も計り知れない。すごいプレッシャー。
おまけに地元住民からすさまじい苦情が来ていると聞かされて、かなり落ち込んだ。つくづく打たれ弱いヤツだと思った。
清志郎さえ生きててくれれば、もう少し強くなれたんだが。

フジロックから帰った7月26日、ようやく豊島区長への申入書ができた。7月28日、区に申し入れ。その後、各方面へ広報と応援要請・テレビや新聞などマスコミ対応・地元回り・区議会回り・・・。
そのさなかに、TENOHASIの夏祭りと慰霊祭・・・・この冬に池袋駅で倒れて旅立ったナベさんを思い出して、涙が止まらなかった。

8月12日、区から、「代替場所なし」の回答。
それを読んで、たくさんの人が「予想通りだ。こんなもんだ」と言っていた。
でも、この未曾有の不景気のさなかに、行政が平然と「代替場所として近隣のご理解を得るのは難しいと思われます」と言い放って事を済ませる感覚が信じられなかった。
「難しいのはわかってる、でも多くの生活困窮者が生存の危機に瀕しているのも『わかっている』はずで、その両方が成り立つようにするのが政治だ」と考えていた僕は相当な甘ちゃんだったのだろう・・・8月16日、快晴の仙丈ヶ岳に登りながらそんなことを考えていた。

それならば、方法を変えて、公園の占用にならない形でやろう、と決まったのはいつのことだったか。
それからトラックを準備した。駐車場を借りた。調理をさせてくれる場所を探した。南池袋公園に別れを告げた。新たに必要になる機材を用意した。まな板は1枚177円・丸イス1つ990円・汁を暖かいまま運ぶ保温ボックスは1つ6000円・etc。
たくさんの会議。各方面との折衝。 

そして、9月26日、ついに新しい公園で炊き出しを行った。
調理も配食も新しい場所だったので、ギリギリまでバタバタ。
でも、驚くほど多くのボランティアが集まってくれた。
その人たちを見事に仕切った頼りになるスタッフ。
並んだ人たちも驚くほど整然と並び、静かに食べ、静かに帰って行った。

サンシャインビルから何人もの警備員が監視していたが、知らない人は炊き出しをしていたことにも気付かなかっただろう。

よかった。
これで存続できるだろう。
皆さんのおかげです。
・・まだ先のことはわからないけど。

タイトルは、RC2作目のアルバム「楽しい夕べ」より。
ケンチがボーカルをとったオリジナルも好きだけど、
”GLAD ALL OVER”で、CHABOが「俺のおふくろも大好きな曲」と紹介したバージョンは、CHABOのボーカルの突き抜け方・清志郎のコーラス・その叙情で、クラクラするくらい絶品。

”楽しい夕べに僕の友達は
 ゴキブリと一緒に昼寝をするのさ

 夏が攻めてきて蒸し暑い毎日でも
 夕方になれば とても涼しい。

 手紙の返事を書くのが忙しくて
 封筒を買いに 行く暇もない

 この頃は誰も口をきいてくれないから
 僕はさびしくて 気が狂いそう

 aaaaaaa・・・

 夏が終わって ゴキブリが死んだら
 もっといい友達に 会えるかも知れない。”


忙しすぎた夏がおわった。

そして9月28日(月)、48歳になった。
今年だけは自分を祝ってやりたい気分。

3ヶ月前には、この日が無事に来るとは思えなかった。
 
ところが!!!
朝起きても、家族は何もいわない。忘れてる。
友人からのお祝いメールは24時まで待っても一通も来ない。

なんだよ~~~~

シルバーウイークと次の土日が終わった翌日だから、みんな仕事が忙しくて、mixiから誕生日お知らせメールが来ても知らん顔なのか!
48のオヤジの誕生日なんて別に祝わなくてもいいだろう、とタカをくくっているのか!

こんなことでへこんだりおこったりする自分が可笑しい。あはは。 
コメント (9)
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