夜長姫と耳男

忌野清志郎を愛し、路上生活者支援NPO・TENOHASIの事務局長Sの日記

障害者と健常者

2008年09月24日 | Weblog
9月21日

元国会議員の山本譲司さんの講演会に行った。
「累犯障害者」を読んでいたから、「他に行き場がなくて、生きるために罪を犯して刑務所に入った障害者が沢山いる」というのは知っていたが、それを遙かに上回る惨状だった。

わかりやすい例を引くと・・・
「中度の知的障害のある40代の男性。車の窓が空いていたのでのぞき込んだら、ダッシュボードに30円があったのでポケットに入れてしまった。車の持ち主が咎めたが、彼はにたにた笑っていた。障害のためになぜ怒られているのかわからなかった。しかし持ち主は、笑いながらぶすっと刺すような異常者ではないかと思って携帯から110番通報。彼は逮捕され、同じような前科があって累犯とされたので、懲役3年の刑になった。彼のような障害者を刑務所で一人抱えると年間500万円かかる。その前後の、逮捕から判決確定までと、出所後のケアの費用を含めると、国は彼のために約2000万円使った。この金で作業所などの受け入れ先を整備すればどれほどの人が助けられるか・・・
 刑法39条心神喪失者無罰規定により、知的や精神的な障害のある人は罪を犯しても罰せられないと思いこんでいる人が多いけど、とんでもない。どう見ても明らかに障害のある人が、無銭飲食(詐欺罪)、子供の頭をたたいた(傷害罪)、子供を抱き上げて親がやめろといってもやめなかった(略取誘拐罪!)位のことで逮捕され、裁判に掛けられて刑務所に放り込まれている。
 こんな軽微な罪で懲役刑になる背景には、ど精神障害者の事件の多発などから厳罰化を求める世論の圧力と、裁判員制度導入をにらんで裁判の迅速化を求める圧力(明らかに障害があっても、精神鑑定を受けてその結果を証拠として採用してもらえなければ障害者として扱われない。金も時間もかかる)があり、昔なら送検以前に警察でつぶしていたような事件もすべて裁判に掛けられるようになったことがあります」
「今や再犯専門の府中刑務所では受刑者の6割以上が知的・身体・精神障害者と後期高齢者で占められています。私が『今や刑務所の一部は福祉の代替施設になっている』と言ったら所長が『それはちがう。【ほとんどが】が、です」といっていました」
「心ある看守は怒っています。この人たちを福祉でどうにかできなかったのか、と」

路上生活の方に、かなりの確率で知的・身体・精神障害がある人がいることはある程度支援活動の経験を重ねるとイヤでもわかることだ。
この人たちが、日本のあまりに脆弱なセーフティーネットの隙間から滑り落ちて、最後に行き着く場が路上なのだと思っていた。
しかし、まだ先があった。刑務所だ。
刑務所を出ても、身元引受人がいなければ、雀の涙ほどの労賃(だいたい10万円以下)だけ与えられて、放り出される。
(出所後に入れる矯正施設もあるけど、期限が来たら出されるそうだ)
そしてかなりの人がホームレスとなり、そして生きるためにまた無銭飲食やわずかな金額の万引きをして、悪質な累犯者として刑務所に戻る・・・

確かに、池袋で夜回りをしていても
「刑務所を出たけど、仕事がなくて野宿してる。何か仕事はないか?」
という人に会ったのは1回や2回ではない。
「仕事、ですか・・・・」
就労については、独自のノウハウもスキルもなく、
都の自立支援プログラム(緊急一時保護センターから自立支援センターへ)を紹介するしか手がない私たちは絶句するしかなかったことを思い出す。
ホームレスと言うだけで仕事がないのに、そこに「前科者」というレッテルが重なれば、企業はどう思うかは容易に想像できたから。

ちなみに、入所者の高齢化は、一般社会を遙かに上回っているそうだ。
他の国なら福祉が面倒を見ているのに、
日本はそれを放置するから、また罪を犯す。
認知症をはじめとする様々な病気や障害を抱えた人が刑務所に送られて
看守は介護に追われる・・・・

今、刑務所と拘置所に収容されているのは8万人だそうだ。
公式に発表されている路上生活者の数より遙かに多い。

「皆さんが思うような、本当に悪い奴?というのは入所者の1割くらいしかいません。あとは間違って罪を犯した人がちょぼちょぼ、そして過半数は何らかの障害や病気を抱えた人たちが刑務所で暮らしています。『外に出るのが怖い、ここにいたい』という人も珍しくないのです」

タイトルはメジャーからは決して出せない危ないアルバム
”不死身のタイマーズ”より。

危ない言葉のオンパレードなので
どうしようか迷っていたけど、
この話題ではこの曲をタイトルに使わせていただくしかないでしょう。

”見て見ぬふり 見て見ぬふり~~
 自分だけはカタワじゃないと信じてる
 ことなかれ ことなかれの心
 それこそまさにカタワの中のカタワ”

自分に関係ないと思うその心が
『カタワの中のカタワ」
そう、その通りだ。
ちなみに、このさび部分のメロディーがすばらしいと思う。
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Johnny Blue

2008年09月19日 | Weblog
TENOHASIでサポートする路上生活者の中で、
一番難しいのはアルコール依存などの精神障害がある人だ。
今日はそのアルコール依存や薬物依存の人たちの作業所を運営している女性に会いに行った。
学習会の講師を依頼して、その打ち合わせだったのだが、本当に話が面白くてあっという間に1時間たってしまった。
ものすごく深い世界だ。
まるでパラレルワールド。

ところが、アルコール依存になる原因を聞いていたら
自分に当てはまることがいろいろ出てきてしまった。
飲まない日なんてないし。
休日は「ウチくる?」を見ながら昼間から飲んだりするし。

よし、今日は休肝日としよう。

ところが、飲まないと決めたら
なんだか猛烈に飲みたくなってしまった。
ああ、もうダメかも知れない。
・・やけ食いしてごまかそう。

でも頭の中では
「明日は どの街 どの面さげて唄う 飲んだくれ ジョニー~~~」
がリフレインしていて
CHABOの歯切れのいいギターが脳細胞を切り裂きそうだ。
うううう、困った。
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激しい雨

2008年09月08日 | Weblog

9月6日 土

 清志郎の野音ライブ予定日。かぁこさん主催の清志郎応援イベントに参加するために、清志郎のサインの入った特製”to88Tシャツ”を着て、17時半に野音へ。
 野音の入り口では同じシャツを着た人が20人くらい集まって、清志郎へのメッセージを書いたカードを整理したり、ビデオメッセージを撮ったりしていた。でも作業もほとんど佳境で、手伝うこともなさそうなので、ぶらぶらしながら北海道のライジングサンロックフェスでマーコさんたちが集めた80枚あまりのメッセージカードのアルバムをめくる。山川のりおや藤井裕さんも登場している。すごいなあ。愛を感じる。この人たち、ライブは見られたのだろうか?フジロックに行っても1枚も集めてこなかった俺って?
 18時前、事務所スタッフにアルバムを贈呈し、記念写真。事務所スタッフもファンが集まってくるのはうれしそう。野音の入り口で動画メッセージを撮って貰って、飲み会会場へ。
 貸し切りにしてもらった銀座”PHRASE”に入る。店は色っぽいお姉さんとひげのマスターのコンビ。マスターはこの日のために清志郎のビデオを買ってあとでかけてくれた。おまけに遅れた人のために1時間の延長も。楽器もフルセットあるし、なかなかステキな店だった。
 みんなでDVD”ブルーノートブルース”を見ながらしゃべる。若めのお姉さんと、スローバラードのワンモアタイムバージョンは好きになれない、ライブの最後に雨上がりで盛り上げるのはもうやめた方がいい、というところで意見が一致した。あとはまあ、いつものようにみんなの話をぼーっと聞きながら地味に呑んでいた。 
 21時半になり、さて帰ろうとしたら、誰かが「チモール行きたい」。「sさんに案内して貰えばいいよ」という話になったらしくて大勢集まってきた。おい、これからかい、と思ったが、誰もチモールに行ったことがないらしい。じゃあまあ改めて「チモールのコミュの副管理人をしていますsといいます」と自己紹介したら、「あ」とが言われて、と4人くらいが駆け寄ってきて、握手を求められた!??。
 「え、どうして?」「ブログ読んでます」「なぜ?」「だって清志郎の曲名書いてるじゃないですか。内容は関係ないことが多いけど・・・」そうなのか。さすがにマニアになるとわざわざそこまで調べるのか! 俺よりうわてだ。
 その辺はまだわかるが、しかし「猫ちゃん死んじゃったんですよね」と言われて、完全にショック状態。言葉に詰まってしまった。びっくりしますよ、完全に初対面なのに、そんなことまで知ってるとは。おまけにこの瞬間忘れていたクロのことを思い出させてくれるとは。ちょっと目がにじんでしまった。Eさんが「笑う場面じゃないのにおかしい」と忍び笑いをしてた。

 ということで、合計8人でチモールへ。途中、ものすごい激しい雨になったが、高円寺に着いたときにはやんでいた。
 マスターのツトム君も心得ていて、来たら早速、70年代からつい最近までの、さらに卒園ライブなど、他では見られない超レアな映像を次々にかけてくれた。若い頃のやせ方がすごいとか、この顔は完全にラリってるとかわいわい言いながら見る。

 遠くの人は徹夜覚悟なので、ぼくも朝までつきあう。しかし歳はごまかせず、おじさんは途中で寝てしまった。女性陣は元気だ。
 4時半に出て高円寺までみんなを送り、タクシーで中村橋で出て電車で帰宅。前夜の集中豪雨あけで、空気がさわやかだった。
 みなさんありがとう。
 徹夜で呑んだなんて何年ぶりでしょう。激しくも楽しい夜。

 清志郎は元気だそうです。
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僕はタオル

2008年09月08日 | Weblog
この前実家に電話したら、オヤジが
「最近ブログも更新してないけど元気か?」と言ってた。
お父さんすいません。
そういう読み方をしている人もいたんですね。
とりあえず元気です。

夏休みは、ライブと掃除と登山で終わりました。

ライブ4本 
 ギターパンダ+夕凪+マーガレットズロース(ギターパンダ、意外とまじめ)
 フジロック最終日(これは最高)
 マーガレットズロース+フラワーカンパニーズ(いい兄ちゃんたちだった)
 一青窈 音霊ライブ(一青窈はサービス精神旺盛)
  
 暑すぎて細かいことはあんまり覚えてないのが残念。

大掃除 
 小さなゴキブリ大繁殖に対抗して、大汗かきながらキッチンとその周辺を大掃除。エアコンを掛けずにだらだら汗をかきながら雑巾がけするのは快感。
 ついでにぼんしいくのお姉さんに貰ったプロ用ゴキブリ薬を家中にばらまく。
 おかげでゴキがだいぶ減った。家事は楽しい。

登山
 日本第2位の山、北岳へ
 天気予報では晴れだったのに、途中から雨になり、稜線では吹き飛ばされそうな暴風雨に。死ぬかと思った。単独行はこれだから怖い。いつも一緒に登ってくれたmは先にいっちまったし、これからどうしよう。

ということで、夏は噴き出す汗をぬぐっていた記憶ばかり。
 
タイトルは、RCのアルバム”PLEASE”より。
”ぼくはタオル 汗を拭かれる
 冷や汗 油汗 ドロドロの・・・・

 ぼくはスメル
 そういう臭い
 今にも吐きそうだ・・・”

この吐き出すようなリズムと歌詞。
くそ暑いときに歌うと元気が出る。

9月6日のことなどはまたこの次に
 
コメント (2)
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