ルカによる福音書21章25~36節。キリストの再臨は救いの完成をもたらすと同時に、裁きの座の前に立たされるときである。ふさわしい状態でそのときに備えることが必要なのである。信仰によって義とされた者が改めて裁かれねばならないというのは、聖書が明確に述べていることである(Ⅱコリント5:10)。もちろん、その人の行いしだいで救いか滅びかが決まるという意味ではない。救いに招かれた者にふさわしい信仰と生活が問われるという意味にほかならない。聖書によると、主の再臨の日は「罠」とか「盗人」にたとえられる。それらは予測不可能な点で共通している。いつ主がおいでになっても慌ていることのない姿勢でその日に備えたい。 . . . 本文を読む