しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「豆の上で眠る」  湊かなえ 

2018年11月15日 | 読書
「豆の上で眠る」  湊かなえ     新潮文庫    

大学生の安西結衣子は母親の見舞いの為、新幹線の新神戸駅から実家のある三豊駅へ向かう。
その時間の中でいつも思い出す童話がある。
アンデルセンの『えんどうまめの上にねたおひめさま』だ。
これは2歳上の姉、万佑子がよく読んでくれた童話だった。
三豊駅でバスを待ってコーヒーショップにいた時、姉と連れの女性、遥を見かける。
手を振り、向うも気が付いたようだが、姉はコーヒーショップには来なかった。
わずかな時間だったが、結衣子は連れの女性の目尻にある傷跡に気が付く。
それは万佑子にあったはずの傷跡だった。
結衣子が小学1年生の時、一緒に遊んでいて先に帰った万佑子が行方不明になる。
それから2年後、万佑子は戻って来るが、結衣子は別人に思えた。
その違和感は今も続いていた。








まず、
『えんどうまめの上にねたおひめさま』がマイナーな話だとは知らなかった。
自分には馴染の童話。
これをミステリとして考えると、ザワザワ・ゾワゾワするような感じかと思ったが、ちょっとタイトルとは違う感覚だった。
2年間行方不明になって戻って来た姉。
直ぐに違う人だと分かった妹の結衣子だが、それを言うと怒る母親。
姉が本物なのかと、探りを入れる結衣子。
同じ様に疑っていた祖父母だったが、やがてその事を言わなくなる。
自分だけがいつまでも違和感を抱え、それが苛立ちになり、大学生になると同時に家を離れる。
それが現在で、物語の大半は子どもが行方不明になった当時の安西家。
母親は狂気の様相を見せるが、それが分かっていても、言えない結衣子。
万佑子が戻って来ているのは分かるので、どんな展開になるのか、先が気になって読み進められる。
事の真相が分かってから、思うことが色々出て来た。
とても重い話なのだが、あっさりと語られるので、今一つ分からない心情。
特に万佑子は不思議。
そんなものだろうか、と。
安西家の間違いは、「子どもには分からない」と結衣子に本当の事を知らせなかった事だろう。
万佑子が自分はどうしたいのか、決断した小学3年生にその時の結衣子はなっていたのだから。
本当のことを打ち明けて相談したら、全く違う人生をそれぞれが歩めたはず。
子どもは、言葉に出来なくてもほぼ大人とおなじように考えられると思う。
結衣子と遥、2人とも可哀想だった。


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