しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「あやかし草子 三島屋変調百物語 伍之続」 宮部みゆき

2019年07月30日 | 読書
「あやかし草子 三島屋変調百物語 伍之続」 宮部みゆき  角川書店   

江戸神田三島町にある袋物屋、三島屋。
主人伊兵衛の姪おちかが黒白の間で聴く不思議話の第五弾。
前回の途中から、三島屋の次男、富次郎(小旦那)が聴き手に加わる。
そして富次郎は聞いた話を1枚の絵にする。
それは、話の中に出て来た邪気や禍を祓う力があると、お勝も推奨する。

「開けずの間」
黒白の間の客は平吉と言う30半ばの〈どんぶり屋〉の主人。
平吉が語ったのは、平吉が10歳の時から家族次々と亡くなった忌まわしい話だった。
三好屋と言う金物屋で、両親と姉と兄が3人ずついて平吉は末っ子だった。
ことの始まりは19歳で嫁に行った長女のおゆうが24歳で離縁され戻って来た、その2年後の事。
おゆうは残して来た子どもの太郎に会いたと思い詰め、誰にも知られず塩絶ちしていた。
ある日、平吉はおゆうが誰かを招き入れるのを見た、と思ったが誰もいなかった。
ただ、鼻が曲がりそうな嫌な臭いがした。
それから半月後、平吉はおねしょをして尚且つ憎まれ口を聞いて、怒った父親に納戸に入れられてしまう。
その中で、平吉は女の声を聞く。「望みを叶えて上げるから代わりに何かちょうだいな」と。
そして納戸から出た時、あの嫌な臭いがした。
納戸にいたのは『行き逢い神』だった。

「だんまり姫」
お客は52歳の〈もんも声〉を持つおせい。
〈もんも〉とはおせいの国では化け物のことで、おせいの声はそのもんもを呼び覚ましてしまうと言う。
年を取って今はその力が弱っているが、子どもの頃から大声や囁き声を出してはいけないと言われていた。
無用のおしゃべりは慎み、用のある時だけきりきりとやり取りするようにと。
漁村の娘だったおせいだが、その暮らし方からやがてお城に仕えることになる。
お城には口を利かない幼い姫君がいた。
その理由を〈もんも声〉で会話する男の子が知っていると言う。
男の子は一国様と呼ばれて、お国様の子どもだったが10歳の時に亡くなっていた。

「面の家」
三島屋の百物語の噂を聞いて、突然話をしたいと押し掛けた小娘、お種。
住み込みの女中奉公に行ったが、その先で怖い目に合い、その事はしゃべれば障りがあると口止めされていた。
話をすれば厄払いが出来ると思っていたらしい。
そういう事にはならないと分かると帰って行くが、怯えた様子でちかは気の毒に思った。
翌日、お種は長屋の差配と一緒に訪ねて来る。
差配は訳を知っているようで、もうその障りは済んだので、最後まで話すようにと連れて来たと言う。
お種が語ったのは、面の形をした、この世に悪事や災いをもたらす魑魅(すだま)のことだった。

「あやかし草子」
富次郎が描いた絵を、お勝は瓢箪古堂の薄い書物を入れる箱に収めていた。
それを「あやかし草子」と名付ける。
そんな絵の話をしている中、瓢箪古堂の若旦那、勘一が書物に関する不思議な話を語る。
それは勘一がまだ子どもの頃、父親の勘太郎が懇意にしていた浪人の栫井十兵衛に起きた話だった。
写本を請け負っていた十兵衛は丁寧な仕事をする、ある時相談を持ち掛ける。
それは井泉堂から頼まれた写本についてだった。井泉堂は大名家との取引が主な本屋だった。
井泉堂は、薄い冊子の写本に百両出すと言う。
ただ、その冊子の内容を読んではいけない。
字を見て写すだけで、文を解してはいけない、と。
勘太郎は、十兵衛の人柄なら約束を守れるだろうと仕事を引き受けるように勧める。
しかし、その写本が十兵衛の人生を変える事になる

「金目の猫」 
おちかの百物語の聞き手の後を継いだ富次郎。
兄、伊一郎が来た時、富次郎のお稽古にと、おちかが配慮し黒白の間で伊一郎が語る。
2人が子どもの頃、今の三島屋に引っ越して来た時の猫の話。
ずっと気にしていたと言う伊一郎だが、富次郎は覚えていなかった。
それは、忘れようと蓋をした思いだった。
真っ白な毛並みで金目で尻尾の長い猫。まゆ。
それは生霊だった。






毎回、色々な不思議話が面白い。
今回は禍々しい物が多く、不穏な空気感が。
特に「開けずの間」は、そこまでもと言うくらい悪い事が重なって行く。
死者を蘇らせるのは悪魔との契約と同じ。
頼む人間は本来の姿を想像するが、悪魔はそう捉えない。
ある物語では、死んだ子どもに会いたいと願ったら、地面から抜け出して来た骸骨が戻って来たと言う話もあった。
「願い」とは、自分の中で解決するものなのかも知れない。。
そんな中、おちかの縁談と言う喜ばしいこともあるのだが、何だか手放しでは祝えないような。
そして、三島屋の百物語も聞き手が代替わり。
新たな展開がありそうだ。

この世界では死んだら、その人の意識が残ると言うのが前提。
実際はどうなのだろう。誰も分からないが。
亡者と話が出来るのは、生きている人がそう望むからではないだろうか。
死んだらそこで、すっぱりと無くなってしまう方がいい。
この世に思いを残しても辛いばかりになりそう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ゴーストライター」  キ... | トップ | 「熊と踊れ」  アンデシュ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事