しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「前巷説百物語」 京極夏彦 

2009年07月25日 | 読書
「前巷説百物語」 京極夏彦  角川書店

「寝肥」

「周防の大蟆」

「二口女」

「かみなり」

「山地乳」

「旧鼠」

大損まる損困り損、泣き損死に損遣られ損。
ありとあらゆる憂き世の損を、見合った銭で肩代わり。
銭で埋まらぬ損を買い、仕掛けて補う妖怪からくり。
小股潜りの又市が、初めて見せる御行姿。
明治へ続く巷説が、ここから始まる百物語―。
     <カバー見返し側より>



百物語シリーズの中では、一番昔の物語で、又市はまだ若く御行になっていない。
どうしてそうなったのかが分かる。
馴染みの登場人物も顔を見せるが、なんと山岡百介もワンシーンで登場。
なんだか嬉しくなる出会い。
そして、これは「続」の「狐者異」の祗右衛門に繋がる物語がメインになっている。
きっともう一度、前作を読み返すと、祗右衛門のことだけでなく、新しく気が付くことも多い気がする。

新たな登場人物も登場するが、みんな個性的で楽しい。
しかし、多くの人物が死んでしまう、かなりハードな物語でもある。

長耳の仲蔵さんが作るからくりが面白く好きだ。
「寝肥」は、蝦蟇を部屋いっぱいしたのかと思ったら、そんなことはなかったのだ。
まさか、と言われたことを想像していた自分が可笑しかった。
だって、舞台いっぱいになると言っていたから。
野外で登場させたのなら、部屋いっぱいの大きさくらいにはなるだろうし。
それだけ必要がないと言うことなのか。
「二口女」でも、仲蔵さんのからくりが活躍。
それを見て、馬鹿にしていた又市がそれを使うところも可笑しい。
悲惨な出来事が多い中、この仕掛けは痛快だった。
「旧鼠」の結末は壮絶だし。

そして、「周防の大蟆」の結末を自分も仕方ないことと思ったが、又市は“一人の命も取らずに丸く収める方法はなかったのか”と考える。
それが又市の心の中にいつもあること。
“仕方がない”ではなく“それでも”と考える、人間として前進していくのに大切なことなのだと思う。

そして、完全な悪人もいないということ。
ある人達から見たら悪人だけど、ある人達からみたら善人になる。
それは全く反対の立場とも限らないけれど、反対の立場から見たら大いにありそう。
しかし、凄い悪が登場する物語もある。
何だか、色々と考えさせられる物語でもある。
世の中難しい。
だから考えなくてはいけないのだろう。


このシリーズはこれが最終なのだろうか。
書こうと思えば、まだまだ書けそうだが。
又市が御行になった頃はどんな図面を引いていたのだろうか、知りたい。
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