エゾリスくるみちゃん便り

ふるさと紹介

  北海道沙流郡日高町 (旧日高町)

郷土資料館 その2 (国鉄富内線)

2022年11月13日 20時36分54秒 | 愛はかなしみとともに

資料館では、昔の日高町の映像を見ることが出来ます。

国鉄「富内線」の映像を見てきました。

 

終点駅のわが町「日高町駅」です。

昭和61年に廃線となりました。

私の3歳年上の亡き姉(道子)は富内線の列車で穂別高校3年間通っていました。

現在その跡地には 

字が読みずらいですが「国鉄富内線の跡」と大きな石に刻み、置かれているだけで、線路はどこだったのかも分かりません。

富内線は鵡川まで82.5㎞を走っていました。

もう、遠い昔の話となってしまいました。

 

 

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銀んのしずく(作詞・作曲 石塚耕一)

2022年08月17日 20時28分29秒 | 愛はかなしみとともに

穂別高等学校創立創立記念賛歌 「銀のしずく」

15日の姉の命日に、「ひだかくるみちゃんハウス」に宿泊されたお客様は日高町富岡地区出身で、穂別高校を卒業された方が泊まってくれました。

一緒に、このCDを聴きました♪ ♬ 

その方は、姉の詩にも曲をつけて、ギターを弾きながら歌ってくれました

この町の地域活性化のことを、いろいろ考えてくれていました。

また、この町出身でお盆で墓参りで帰省されていた方が、私のブログをみて、素焼きの鉢を実家にあったのをもって来てくれました。

いろんな人との出会いに感謝です。

 

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北海道穂別高等学校は25年度に募集停止の記事が・・

2022年08月16日 17時10分48秒 | 愛はかなしみとともに

昨日の朝刊に25年度に、穂別高校の募集停止の記事が載っていました。

3歳年上の私の姉の母校です。

国鉄、富内線の終点はわが町「日高町」で、姉は始発列車で穂別高校に通っていました。

私はその高校には行きませんでしたが、姉の本を再販するにあたり高校を訪ねたことがあります。 左側の写真は私が写した写真です。

昨日8月15日は道子姉の命日でもありました。その日に偶然穂別高校の記事が載るとは・・

募集停止となった学校が再募集の可能性は低く、残念なことであります。

 

 

 

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厳冬の美・三好さんの写真

2020年02月20日 09時18分27秒 | 愛はかなしみとともに

平取町振内町の三好さんの写真が北海道新聞に載っていました。

いい写真ですね。

2009年に三好さんの「幌尻岳と沙流川」の写真を姉の本の表紙に、使わせてもらいました。

現在も車の修理などでお世話になっている方です。

知り合いの方が活躍され、新聞に載ると嬉しいですね。

 

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恩師の葬儀が今日行われました

2020年01月28日 19時32分56秒 | 愛はかなしみとともに

淨教寺のご住職、舘行環さんは私の日高中学3年の時の担任でした。(昭和44年卒業)

今月22日に亡くなられ、今日は告別式でした。

私が中学を卒業したその年の夏、私の3才年上の姉が他界しました。

その後、姉が書き続けていた日記を手に、担任だった舘先生に本にして残したいと相談に行ったのが出版のきっかけでした。

姉の本「愛は悲しみとともに」を出版することができたのは舘先生の力添えがあったからです。

 

この写真は大和書房の方が、日高を訪ねて来てくれた時の写真で父が富内線の日高町駅で写したものです。

中央が舘行環先生です。(昭和44年冬)もう50年も前のことです。

  淨教寺に来ていたエゾリスさん

私のブログのプロフィールのところに、このエゾリスさんの写真を使わせてもらっています。

姉の本は字も小さく、数冊しか残っていなかったため、この町にU-タンをきっかけに本を再販しました。

 

本の最後の部分に舘先生が書いてくださった一部です。

再販した本は北海道の各高校と日高町の図書館等に寄贈させてもらいました。

先生はわが町のお店のシャッターが閉まることや、衰退していく日高町日高地区のことを心配されていました。

日高の移り変わりをずーっと見守られてきました。これからもこの町の空の上から見守ってくれることでしょう。

 

 

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嬉しいお手紙

2019年11月05日 22時10分15秒 | 愛はかなしみとともに

先週、長野県にお住まいの女性の方からお手紙をいただきました。

私の姉の本「愛は悲しみとともに」と出会い40年を過ぎ、その本が傷んでいて再販した本を譲ってほしいとの内容でした。

この本に出会い、わが町日高町や振内、幌尻岳、沙流川はどんな所かと思い馳せて、いたそうです。

メールで持っている本の写真も送ってくれました。

この本がその方の心の拠所となっていて、宝物として大事にされていたことを知り大変嬉しいです。

本にしたことを姉はどう思っているのだろうか? 本にせず、そっとしてほしかったのではないかと・・

今でも時々思い出しては、心が痛んでおりましたが、お手紙いただき心が楽になりました。

姉もこのお手紙をきっと喜んでくれていると思います。

 

手紙の右側の本が、私がこの町に戻った時に再販した本です。

表紙の写真は、振内在住のアマチュア写真家の三好さんです。

冬には表紙のような景色になるのですね。冬の沙流川と幌尻岳が写っています。




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お盆

2018年08月15日 05時58分05秒 | 愛はかなしみとともに

今日は8月15日、私の姉(道子)の命日です。あれから50年、半世紀になるのですね。

 

この本は、わが町のお寺「淨教寺」のご住職の力添えで昭和45年に出版することができたのです。

左の本は1970年12月20日発行、右は2009年12月20日 私がUターンした年の発行です。

現在、私の両親と姉のお墓は苫小牧の高丘第二霊園にあります。

2年前に兄が苫小牧に住んでいるので、そちらに引っ越ししました。

13日にお墓参りをしてきました。

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穂別高校創立50周年の時に・・・

2017年11月28日 20時51分50秒 | 愛はかなしみとともに

2002年、当時の教頭先生の石塚耕一さんが大和書房から出版の「愛は悲しみとともに」を題材に「銀のしずく」という曲を作ってくれました。

その曲を穂別高校創立50周年記念式典(2002、10月)で歌ってくれたそうです。

そのことを知ったのは2008年頃で、この故郷で第二の人生をと決心していた頃でした。

2009年3月末にUターン、その年に石塚先生の協力も得て、2009年12月に本を再販することができました。

今日、姉の高校時代のお友だちのお話をきいて、姉がみんなの心の中で生きていてくれていることを感じ嬉しく思いました。

また姉が生きていた証をこうして本に出来たこと、皆様のご協力に改めて感謝です。

この冬の季節になると、姉の詩を思い出し、15歳の頃の私に戻ってしまいます。

 

 


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北海道穂別高等学校は今・・・

2017年11月28日 16時15分25秒 | 愛はかなしみとともに

私の三つ年上の道子姉は穂別高校を卒業しました。

今日、姉の高校時代の友人が訪ねてきてくれることになっていました。昨日丁度、穂別で「農村ツーリズム出前講座」があり、会場から近かったので

穂別高校まで行ってきました。

現在、生徒数が減少していて全校生徒3学年合わせて58名だそうです。

今日の午後、同級だった友人が札幌から来てくれました。

姉の文章が載っている文集や姉が出した手紙を見せてくれました。

約50年近く前の頃を思い出し、涙が出てしまいました。

ひだかくるみちゃんハウスは私の実家です。

姉のみっちゃんが住んでいた家です。高校時代のお友人がきてくれて喜んでくれていることでしょう。

 

昭和44年(1969年) 卒業間近の文集です。

校舎の形は昨日の写真とあまり変わっていませんね。右側の木は表紙に描かれているのと同じ木でしょうか?

穂別高校までは我が家から48㎞離れています。当時、国鉄富内線があって列車で通学していました。

姉の卒業アルバムを見ると44年に卒業した生徒数は144名でした。

右の松の木さんは、ずーと学校や生徒さんのことを見守ってきたのですね。

あれから約半世紀、変わらないのは山並みだけかな?山並みも少しは変わっているのでしょうね。



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日高山脈の山並み(振内橋の近くにて)

2017年11月28日 09時09分01秒 | 愛はかなしみとともに

:00 外気温 -1℃ 今日日中はプラス5℃まで上がる予報です。

昨日の午後、穂別まで行ってきました。

振内の国道から白く連なる日高山脈の山並みがくっきりと見えました。

川は沙流川、遠くに橋が見えますが振内橋です。右の高い山が幌尻岳です。

14:08

登ってみたかった山ですが数年前に腰を痛めてから足腰に自信がなくなり、眺めるだけの山になってしまいました。

山頂は真冬ですね。 毎年、くっきりと見える冬にこの場所から写真を撮っています。

今年は根雪が早いようで、数日前から少しずつ降った雪が残っていますよ。

 

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思いがけない訪問者

2015年11月24日 20時18分50秒 | 愛はかなしみとともに

亡き姉の母校「穂別高校」の同じ卒業生で姉の通学姿を覚えていて、22歳の時に東京の本屋さんで、「愛は悲しみとともに」という姉の本を手にしたという千栄地区出身の田中さんが、我が家を訪ねてきました。思いがけないない訪問者です。

今日は日高地区のいとこさんの所に泊まるそうです。

「千栄山の家」で2009年に再販した本を見て私を訪ねてきてくれました。姉の卒業アルバムに目を通し高校時代の思い出話をされていました。

前列右側が初版の本です。幌尻岳の写真の表紙の左側が2009に再販した本です。2009年に再販した本は道内の高校に寄贈、わが町の図書館、NPO法人千栄山の家、国立日高青少年の家にも寄贈させてもらいました。

姉は19才で他界しましたが、何人もの人の心の中ではまだ生き続けていることに嬉しく思います。

 

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振内より幌尻岳を望む

2015年10月27日 19時35分10秒 | 愛はかなしみとともに

今日の午後、苫小牧の帰り国道237号線、平取町振内地区より幌尻岳を望む。

日高山脈の最高峰「幌尻岳」(ぽろしりだけ)です。2052mの山です。

この山への夏道コースは、額平川コース、新冠川の2コースがあるが、額平川コースが最短コースである。山小屋の幌尻山荘もあるので、何かと便利であり、かなりハードな登山にもかかわらず夏期は日高でも一番賑わうコースになる。・・・北海道夏山登山ガイドより抜粋

 

手前の川は、今年清流日本一になった沙流川です。奥の雪化粧の山並みは日高山脈です。山の頂上は寒そうですね。

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姉のアルバムより

2015年08月20日 15時44分04秒 | 愛はかなしみとともに

私の三つ年上道子姉の担任だった、佐藤紀彦先生他8名(七飯レクレーション協会の会員)が9月5日に日高に立ち寄られわが町の特別養護老人ホームを慰問されます。

高寿園、誕生会の催し: 9月5日() 午前10時~11:30      

内 容     1.男はつらいよ 2.ご長寿さん・誕生者をお祝いする会 3.手遊びソング(リンゴの唄、ふるさと)

        4.貴女がフラガール 5.股旅人情舞踊 6.健康づくり体操(青い山脈) 7.水戸黄門様登場

        8.日高小唄 全員合唱

昭和41年3月 当時富岡地区、三岩地区の中学校が統合され3クラスあった時代です。

現在淨教寺で住職されている舘先生もお若いですね。

前列中央が佐藤先生です。私が中学に入学の年に日高を出ていかれたので私は習ってはいませんが、お顔は良く覚えています。

あれから何十年・・・

現在、北斗市に在住され七飯レクレーション協会の会員で被災地の福島や老人介護施設などでボランティア活動をされています。

現在日高在住の教え子の方たちも5日、先生にお会いできるといいですね。

    

 

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雪が降る

2011年12月21日 10時28分20秒 | 愛はかなしみとともに

12月18日の午後  亡き姉、道子が詠んだ時のような雪降り。

 道子 (17歳)

  昭和42年11月24日(午後)               

       雪が降る                                                                                       

      もう降り止むことを忘れたかのように 

      しきりに雪が降る 

      大きくてわたのような雪が 

      私の髪の毛にも 

      上衣の上にも 

      首に巻いたマフラーの上にも 

      それもいたわるようにそっとのる 

 

      とても静かな雪降り 

      いつもは近くに見える山も

      今は灰色の空の中に

      とけて見えない

 

       天と地の境は消えた

      天にも地にも雪だけがある

      空を見上げると

      地上をめがけてまいおりてくる

      点々とした雪が

      限りない

 

       家も木々も、この小さな花壇も

      すべては白い雪に埋もれた

      何げなく降りつもる雪が

      かなでるリズムが

      平和の姿を思わせる

 

      この雪が冷たいなんて

      きっと嘘にちがいない

      こんなにやさしく降っているのに

      手袋をはめた手のひらをひろげて             

      雪がのるのを待ってみた

 

       雪はすぐに期待に応えてくれた

      それを近くでじっと見ると

      美しい六角の様々な結晶が     

      不規則に重なりあって

      そこに自然なる美を

      持っていた

 

       ああ(そうか)                                                                         

      雪は冬に咲く小さな花なのね                                    

      すると私のまわりは花園

      むじゃきな空想が

      私を楽しくさせた

      時々寒くて身震いしたけれど

      こうして雪景色の中に

      たたずんでいることに

      とても満足していた

 

       ふと思った

      いつか写真で見たことのある

      どこかの広い雪野原に

      一人たたずんでみたいと

      どこまでも続く白い雪

      深く澄んだ空

      そして遠くに青く連なる山々――

      きっとあまりに美しくて

      雪の中に埋もれて

      眠ってみたくなるかも知れない

 

       それとも

      泣きたくなるかも知れない

      私はそんな世界に

      一人たたずんでみたい

                                                                        

 

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富内線  日高町駅

2010年02月23日 22時05分54秒 | 愛はかなしみとともに

 
一枚目は約30年前の写真で私の兄嫁とその子供達です。
ディーゼル列車は廃線になる昭和61年10月のものです。
両方とも父が写した写真です。
始発の日高町駅です。

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