雪が舞い散る今朝の占冠駅です。
千葉県習志野市の家族がいる家には二匹猫がいます。満16歳の雄猫「ケン」ちゃんが体調が悪く元気がないため、今日様子を見にきました。
デブ猫で7㎏あったんですが、少し痩せてしまい歩き方もへんです。動物病院でレントゲンを撮ったら脊柱管狭窄症状があるようで、腎結石もあるようです。高齢でもあり寿命かもしれません。
北海道のわが町の方は雪景色ですが、こちらはまだ木に紅葉した葉が残っています。このイチョウの木は習志野市新栄幼稚園のイチョウです。
やはりこちらは暖かいですね。
携帯で写しました。
八幡神社
明治45年の創始。
この年、岡春部(おかしゅんべ)地帯の移住者のあいだに氏神建立に声が昂まり、鹿野忠兵衛さんが発起人となり、中央丘陵地を選んで本殿(一坪)を建てそうです。
祭神には入地者の大半が仙台衆であったところから、宮城県玉造郡西大崎の故郷八幡神社の神体を分遷、八幡神社と呼称した。現在の建物は建てなおししたものですが、大きさや場所の位置は同じようです。
すぐ傍には旧富岡小学校があり、傍には岡春部川が流れています。
この岡春部川は乗田釣り掘り近くの上流橋から写しました。河原には大きな石がごろごろ埋まっていました。
今日の写真です。
今月まだ雪が数回ちらついた程度です。今年の冬の雪の量はどうでしょうか、昨年ほどはいりませんが、スキー場が運営できるくらいは降ってほしいものです。
<お願い>
私のブログ開いてくれた時は、「ちさか山の家便り」も開いてみてくださいね。
昭和52年に発行されたした「日高町史」です。
発刊にあたって・・・日高町長 渡辺 巌
本町の開基70周年(昭和50年)を記念する諸事業の一環として本史を発刊し後世に伝えることができますことは、まことに喜びに堪えない次第であります。
70年の歴史と言えば、道内他の市町村と比べまして決して古いほうではありません。
しかしながらそれゆえに入地することをかたくなに拒み続けてきた地理的悪条件、さらには沙流川奥地次第に開拓の進むにつれ、行政区域が分轄されてきたというところに、当町70年の歴史が持つ意味があります。・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冒頭の部分のみ抜粋
日高町史編さん委員18名が満4年を費やし発行に至ったようです。第7編からなる1,075ページもある本でかなり読みごたえがあります。
実家に一冊置いてありました。しっかりとまとまっている本でわが町の「宝物」です。
<お知らせ>ちさか山の家のブログも更新されてますので開いて見てくださいね。
主に北海道で販売されてる季刊誌スロウにわが町の事が載っています。
年4回発行されていて、10月号のVOL.25です。(880円)
二人はチロロの巨石に座っているんですよ。(三井鉱山で働いていた佐藤さんと高橋さん)
日高町の地域活性化事業に力を注いでくれている高橋さんは、埼玉県の方で、平成6年からこの日高町に住んでいます。
日高の自然や山に魅せられこの地に根をおろしてくれたようです。
三井鉱山火薬庫(かつてクロムの採掘が行われていた)、竜神さん(不動明王の御神体)、ちろろルピガーデン、チロロの巨石、千栄神社の写真が載っています。
旧千栄小学校、伊澤釣り掘、千栄食べよう試食会の写真が載っています。
腕を組んでいる方が、これからの日高町日高地域に明るい日差をと、頑張ってくれている高橋健(たけし)さんです。
<雑誌についての問い合わせ先>
0155-38-4188
<雑誌の注文>
FAX 0155-34-1287
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/c0/8db2637c3b32e3a4778c0b79e8dd1fb1.jpg)
芦別岳
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/72/2f545b9f02bc5ce88ebd4f6e2e1134f9.jpg)
用事があり富良野まで行ってきました。
あいにく天気は良くなかったのですが途中、山に虹がかかったり富良野から見える山々は雪をかぶり寒そうですが、癒されて帰って来ました。
時間があったので、富良野ワイン工場の傍に今年出来た六花亭のお店に寄ってみました。
お店から富良野の街が一望出来、また十勝岳連峰も見えますし、周りはブドウ畑やお花畑があり、素敵な場所です。
来年の花盛りには是非行ってみなければなりません。
六花亭のお店の中にカフェがあり、コーヒーは無料ですよ。お勧めスポットです。
今日職場(特別養護老人ホーム高寿園)に清掃ボランティアで日高高校の生徒さんが来てくれました。
清掃後は在園者と交流したり、歌や踊り、ビンゴなどでお年よりを楽しませてくれました。
若者のエネルギーが在園者に伝わり元気をもらうのでしょう。
午前中食欲なく臥床していた女性のTさん、交流会から参加させると、なんと笑顔と食欲が出たようで、夕食は全量摂取してくれました。
日高高校は産業学習推進制度を取り入れており、産業学習生は専門課程では、アスリートコース、キャリアコース、スタデイコースがあり、昼は大自然で学び、夜は高校で学び3年間で卒業できます。
寮も完備(個室型)食事付きで一月45,000円
産業学習生は今年の一年生(21期生)は16名で道内8名、道外8名で京都や宮崎県から来ている方もいます。
来年23年度の募集人員は15名程度だそうです。
興味のある方は日高高校のホームページを開いてみてください。
http://www.hokkaido-hidaka-hs.jp
「石が生まれ、成長した場所」にコメントくれた「まっこ」さんへ
わが町日高町(北日高)は白亜紀(およそ1億4000万年前頃)クビナガリュウやアンモナイト、モササウルスが暮らす海でした。プレートが衝突しあい1000年万年前に現在の位置に日高山脈が出来たと考えられています。
この周辺は中生代白亜紀の島弧ー海溝系と大洋地域の地質が、その後の日高山脈の形成のおかげで地上でありながら、圧縮されて観察することができる世界でも有数の地質となっています。非常に多種多様の岩石や、鉱物、化石などを見ることができます。・・・日高北部森林管理署発行の資料参考
わが町から近い穂別町には恐竜博物館がありますよ。
日高山脈の地質は貴重ですので、ジオパーク登録してほしいと思っています。
わが町にお越しの祭は是非、日高山脈館と穂別の恐竜博物館を見学して行ってください。
今日 日高山脈館で石の鑑定会(鑑定書付き無料)があり、我が家の庭の隅にあった石を鑑定してもらいました。
鑑定者は川村信人博士(北海道大学院理学研究所)、加藤孝幸博士(アースサイエンス株式会社)です。
藍閃(らんせん)石片岩 こちらが実際の色に近い色です。
藍色がこんなにきれいに出ているのは珍しいそうです。
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私が子供の頃石ブームがあり、父が石を集め紙やすりで石を磨いたりしていました。
これらの石も河原から拾った石かと思われます。
日高ヒスイはクロムを含む単斜輝石のことだそうです。毎年鑑定会を行っているそうです。
今日旭川から鑑定に持ってこられた石は緑色で、割れている部分は水晶のようになっていて、判定出来ず研究所でこれから調べるそうです。その方は犬と散歩してて見つけたそうです。
みなさんも変わった石を拾ったら来年鑑定してもらうといいですよ。
鑑定で、火山島周辺の海底で生まれ堆積し出来た石など、生まれ育った状況が想像できおもしろいです。
ここ日高地区周辺には鉱物、化石、石のお宝が埋まっていそうですよ。
私の三つ上の姉が尊敬していた日高中学校時代の担任の先生が、函館で高齢者向けのボランティア活動をされているとのこと。私の職場に姉の同級生が2名いて新聞のコピーを見せてもらいとても嬉しく思いました。
佐藤紀彦先生は北斗市の老人クラブ連合会の事務局長として各地で講演されているようです。新聞にはアコーディオンを弾く姿が載せられていました。
大学卒業してすぐに日高中学校に赴任されたので、25歳くらいだったのでしょう。私が中学に入学した年に転勤されたので直接はお話したことはありません。
姉の残した日記や写真を見ると先生の存在はかなり大きかったようです。
姉は若くしてこの世を去ってしまいましたが、先生のこの活躍を喜んでいることでしょう。
明日登別温泉でクラス会とのこと、先生は忙しく参加されないそうですが、きっと先生の話で盛り上がることでしょう。
私が勤めている特別養護老人ホーム「高寿園」の作品です。
ちぎり絵は職員、実習生、在園者の共同作品です。
以前、私は習志野市立養護老人ホームに勤務していたことがあります。
在園者と一緒にちぎり絵の作品を作成して、家族交流会で展示した時のことを思い出します。