サラリーマンのよもやま話

50代独身サラリーマンが思いのすべてをぶちまける!…ってほどの大袈裟なものではなく、ただの日記です。

運動会の歌を知っていますか!? ~16年越しの真実到達編~

2023年09月16日 08時06分12秒 | 独り言

毎年この時期になるとオレのブログの人気記事ランキングに何度が上位に入る記事がある。

まあ人気言うてもこのブログはほぼ誰も読んでないので一人か二人くらいがたまたま見てくれたってだけだと思うんやけど。

それが以下の記事。

 

「驚愕の事実!運動会の歌を知っていますか!?」(2007年2月4日)

 

この時期と言えば間もなく運動会。

その関係でどこかのどなたかが運動会の歌を検索してんでしょうね。

で、その結果もう今から16年半ほど前に書いたオレの記事が未だにヒットしてんでしょう。

ま、たまたまヒットした記事を読んでくれるだけでもありがたや~。

ちなみにこの記事の内容を軽くおさらいすると、オレが知ってる小学校の時の運動会の時に当たり前のように歌っていた、当然日本全国の小学校で歌われているであろう「運動会の歌」が実は和歌山ローカルだったって事。

 

で、2014年10月13日にその運動会の歌の記事の続きを書いた。(その記事はこちら

まあ続きっつーか、この歌を作った人と全国?に広がった経緯を書いた。

軽くおさらいをすると和歌山市が公募して昭和31年に作詞:伊藤孝文さん、作曲:秦野和夫さんで作成。完成した歌は和歌山県音楽教育連盟が冊子にして各地に配ったって話。

 

そして今回。

その記事からさらに約9年経過した今、また続きを書く。

オレが知ってる「運動会の歌」はもともとは和歌山市が公募した小学校の運動会で歌うためだけにわざわざ作られた歌であり、和歌山県音楽教育連盟が冊子にして各地に配ったことで和歌山県下はもちろん他府県の一部でも歌われるようになったのだが、そもそも何で「運動会専用」の歌を作ることになったのか?

…あ、その答えを最近見つけたので今日暇なので記事にしてみようって思ったワケよ。

で、その答え。

きっかけは、1953年7月に起こった紀州大水害でした。前線による豪雨が県内を襲い、24時間で500㍉と記録的な雨で、熊野川や日高川がはん濫し、死者、行方不明者は1000人を超えました。

この水害からの復興が進んでいた56年、被害の少なかった同市の教委が、子どもたちに元気や希望を届けたいと『運動会の歌』を募集。当時、小学校教員だった故・伊藤孝文さんの歌詞と、中学校教員だった故・秦野和夫さんの曲が選ばれました。すると、運動会にこの歌を歌う小学校が県内に広がりました。

ニュース和歌山 2019年9月21日の記事より抜粋)

 

なんと水害からの復興を願って作られた歌だったとはね。

そして、1番の歌詞にもあるように「明日の日本を背負うのだ」と。

要は「若い君たちが水害で大きい被害を受けた故郷の復興のみならず、日本をもっと素晴らしい国に発展させてくれよ」と、作詞者が願って歌詞に入れたのかな?

まあいずれにしても小学生に背負わせるには重すぎる事には違いないけどな

 

ちなみに約40年ほど前に毎年の運動会でこの歌を歌っていたオレ。

51歳となった今…日本を背負うどころか、背負うべき家族すら持てずに独身街道をまっすぐひた走っておりますが何か?

 

【参考資料】

実際の歌はこんな感じです↓

学び舎のうた ✿ 復興を願う想いから 和歌山・運動会の歌 【歌詞・伴奏・on vocal by VY1】

運動会の歌 1番(開会式) 【和歌山限定】

 

歌詞(文字で)

1番(開会式バージョン)
緑の風に 朝を呼ぶ
仰ぐ青空 心は躍る
ああ夢湧く日 楽しく集い
花と開く運動会
いざ友よ 希望を明るく手を組んで
明日の日本を背負うのだ


2番(閉会式バージョン)
燃える大空 明日を呼ぶ
輝く雲に 心は円
ああ夢湧く日 楽しく過ぎて
憧れ結ぶ運動会
諸共に 伸びる我等に幸あれと
若い希望は 微笑むよ

コメント (2)
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