「私は日本軍の奴隷だった」=元慰安婦2人が証言集会―大阪(時事通信) - goo ニュース
「自称」元従軍慰安婦、金福童さん(87)。
「工場に行くと言われたのは14歳。しかし、連れて行かれたのは遠く暑い国。日本軍の奴隷となった」
要するに、14歳の時に慰安婦として連れて行かれたって話やね。
今87歳ってコトは、14歳だと西暦1940年ごろか…。
1941年12月に太平洋戦争が始まり、日本が東南アジア方面を占領下に置いたのが1942年…。
太平洋戦争開戦のきっかけともなった対日石油禁輸の根本とも言える日本軍の南部仏印進駐の頃だとしても1941年7月以降…。
あれれ?この人が連れて行かれた遠く暑い国ってどこなんでしょうかね?
ちなみにこの人、22歳まで慰安婦だったらしいけど、22歳と言えば1948年。
太平洋戦争が終結したのが1945年。
ほほう…。
敗戦により日本軍が居なくなってもまだ慰安婦として働いてたワケだ。
そりゃ御苦労さんなこって。
日本軍の奴隷となった?
当時慰安婦にはキッチリと給与が支給されていた。
それも相当な額が。
今の貨幣価値に換算すると月130万円程度だったとか。(これはいろいろ説がありますがね)
ちなみに当時(昭和15年ごろ)の公務員初任給は月75円(約20万円)だったようです。
少なくとも、キチンと給与が支払われていたのは間違いないのですよ。
随分待遇の良い奴隷だったようで。
「陸軍将校が身体検査し、(慰安婦が)何人入るのか知っていた。民間人がどうやって軍人相手の慰安所をつくることができるのか」と疑問を呈した。
今も昔もそうやけど、利権あるところに人が集まる。
当時の兵隊と言えば20代の血気盛んな若者。
祖国から遠く離れた異国の地。
何の娯楽も無けりゃそりゃ性の捌け口を求めるのは必然やろ。
当然そこに目をつけ、今で言う風俗を斡旋する業者も当然現れる。
そこで軍と民間業者との利害関係が一致する。
あれ?普通に民間人が軍人相手の慰安所を作れると思いますが…。
でも、怖いのがいわゆる性病。
部隊内に蔓延しようもんなら今後の作戦行動にも影響する。
となると、当然慰安婦(風俗嬢)の身体検査も必要になるわな…。
身体検査を行うには当然名簿的なもののあるワケで。
この理由以外に軍が身体検査し、慰安婦が何人入るのかを知ってる理由が見当たりませんけども?
つーわけで、ここで改めてオレが認識してる範囲での慰安婦なるものを書いておく。
慰安婦(給与をキチンと支払われるいわゆる風俗嬢)は存在したけれど、「従軍慰安婦」なるものは存在しない。
なぜなら、慰安婦募集に関与したのは軍では無く民間業者だったから。
むしろ、慰安婦斡旋に関し軍は怪しい業者を取り締まるよう指示を出してたくらい。
仮に「強制」があったとすれば、それは怪しい業者の回し者だと思われる。
「工場に行くと言われたのは…」のように、中には本人が知らなかったケースもあろう。
でも、それも怪しい業者に騙されたか、あるいは親は知ってたけども貧しい生活の為に娘を業者に売ったか…。
14歳の少女が親も知らない間に連行されてしまうなんてのは別な犯罪でもあるので、時代背景も考えると後者の方だと考えるのが妥当かと…。
いずれにせよ、日本人を恨むのは筋違いなのである。
結局何が言いたいのかと言うと、今回来日している「自称」元慰安婦の二人。
少なくともこの二人に関しては「何か怪しい」と言わざるを得ないのである。
そして個人的に非常に残念なのが、こういうちょっと考えただけで「ん?」と言わざるを得ない証言を鵜呑みにして、「日本がすべて悪いんだ!」と思いこんでいる日本人が居ることだ。
別に愛国心を求めてるワケじゃ無いけども、どうして自分たちの国を悪者にしたがるのか理解できんのです。
ましてや、日本を仮想敵国かのごとく反日教育を行っている隣国の人間の証言のみを信じるのかが。
そういう人たちは一度「ライダイハン」という言葉をインターネットで検索してみて下さい。
ちなみに、これに関しての隣国の見解は、
①過去の事は忘れてこれからは未来志向で行きましょう。
②戦争中の事なのだから、謝罪も賠償も必要無い。
…です。
もし、オレの認識が誤っていると言うのなら是非ともいわゆる「正しい歴史認識」なるものをご教授いただきたいものである。
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「自称」元従軍慰安婦、金福童さん(87)。
「工場に行くと言われたのは14歳。しかし、連れて行かれたのは遠く暑い国。日本軍の奴隷となった」
要するに、14歳の時に慰安婦として連れて行かれたって話やね。
今87歳ってコトは、14歳だと西暦1940年ごろか…。
1941年12月に太平洋戦争が始まり、日本が東南アジア方面を占領下に置いたのが1942年…。
太平洋戦争開戦のきっかけともなった対日石油禁輸の根本とも言える日本軍の南部仏印進駐の頃だとしても1941年7月以降…。
あれれ?この人が連れて行かれた遠く暑い国ってどこなんでしょうかね?
ちなみにこの人、22歳まで慰安婦だったらしいけど、22歳と言えば1948年。
太平洋戦争が終結したのが1945年。
ほほう…。
敗戦により日本軍が居なくなってもまだ慰安婦として働いてたワケだ。
そりゃ御苦労さんなこって。
日本軍の奴隷となった?
当時慰安婦にはキッチリと給与が支給されていた。
それも相当な額が。
今の貨幣価値に換算すると月130万円程度だったとか。(これはいろいろ説がありますがね)
ちなみに当時(昭和15年ごろ)の公務員初任給は月75円(約20万円)だったようです。
少なくとも、キチンと給与が支払われていたのは間違いないのですよ。
随分待遇の良い奴隷だったようで。
「陸軍将校が身体検査し、(慰安婦が)何人入るのか知っていた。民間人がどうやって軍人相手の慰安所をつくることができるのか」と疑問を呈した。
今も昔もそうやけど、利権あるところに人が集まる。
当時の兵隊と言えば20代の血気盛んな若者。
祖国から遠く離れた異国の地。
何の娯楽も無けりゃそりゃ性の捌け口を求めるのは必然やろ。
当然そこに目をつけ、今で言う風俗を斡旋する業者も当然現れる。
そこで軍と民間業者との利害関係が一致する。
あれ?普通に民間人が軍人相手の慰安所を作れると思いますが…。
でも、怖いのがいわゆる性病。
部隊内に蔓延しようもんなら今後の作戦行動にも影響する。
となると、当然慰安婦(風俗嬢)の身体検査も必要になるわな…。
身体検査を行うには当然名簿的なもののあるワケで。
この理由以外に軍が身体検査し、慰安婦が何人入るのかを知ってる理由が見当たりませんけども?
つーわけで、ここで改めてオレが認識してる範囲での慰安婦なるものを書いておく。
慰安婦(給与をキチンと支払われるいわゆる風俗嬢)は存在したけれど、「従軍慰安婦」なるものは存在しない。
なぜなら、慰安婦募集に関与したのは軍では無く民間業者だったから。
むしろ、慰安婦斡旋に関し軍は怪しい業者を取り締まるよう指示を出してたくらい。
仮に「強制」があったとすれば、それは怪しい業者の回し者だと思われる。
「工場に行くと言われたのは…」のように、中には本人が知らなかったケースもあろう。
でも、それも怪しい業者に騙されたか、あるいは親は知ってたけども貧しい生活の為に娘を業者に売ったか…。
14歳の少女が親も知らない間に連行されてしまうなんてのは別な犯罪でもあるので、時代背景も考えると後者の方だと考えるのが妥当かと…。
いずれにせよ、日本人を恨むのは筋違いなのである。
結局何が言いたいのかと言うと、今回来日している「自称」元慰安婦の二人。
少なくともこの二人に関しては「何か怪しい」と言わざるを得ないのである。
そして個人的に非常に残念なのが、こういうちょっと考えただけで「ん?」と言わざるを得ない証言を鵜呑みにして、「日本がすべて悪いんだ!」と思いこんでいる日本人が居ることだ。
別に愛国心を求めてるワケじゃ無いけども、どうして自分たちの国を悪者にしたがるのか理解できんのです。
ましてや、日本を仮想敵国かのごとく反日教育を行っている隣国の人間の証言のみを信じるのかが。
そういう人たちは一度「ライダイハン」という言葉をインターネットで検索してみて下さい。
ちなみに、これに関しての隣国の見解は、
①過去の事は忘れてこれからは未来志向で行きましょう。
②戦争中の事なのだから、謝罪も賠償も必要無い。
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