白骨の道 「地を這う虫達の叫び」 ・ メール:kanran@i-next.ne.jp

私の寒蘭栽培と「炭鉱が閉山して崩壊した町」の回顧録
利権に慾る人間の生きざまを赤裸々に綴ります 77歳です

・・・ 寒蘭の花に支柱を立てるのが日課です、11月17日と18日が長崎県北寒蘭会の展示会です・・・

2012-10-12 18:27:56 | 日記

       

昨年は70本の支柱を立てました、今年は50本程度にしたいと思っています。写真左の麦の穂程度では展示会には開花しないのでは、右は早く咲きすぎるようです。昨年は「西海の誉」で総合優勝をしました、尚前会長の登録品である「宝心」が天賞に入り、故人の思い出を語る事が出来て良かったと思います。今年は、田中眞紀子文部科学大臣賞の受賞が出来る事を心に秘めています


・・・昭和35年頃、飯野炭鉱の主要道路と松浦鉱業所事務所付近の風景です・・・

2012-10-12 09:04:29 | 日記

 左後が、炭鉱の事務所(現在の社会福祉協議会の施設が建っています)です、その右隣が石造りの事務所本部(現在の炭鉱歴史民俗資料館)です、その手前が炭鉱の資材置き場です、左の水路の上側が鉄道です。この写真は松浦炭鉱のグランドを出発したメーデーが行進している風景です

正面にボタ山が見えます、駅前から松浦のグランドに続く炭鉱のメイン道路です。左側が鉄道と石炭ポケット等が在り、右側が炭鉱の事務所、資材置き場、火薬庫、炭鉱の娯楽施設、社長宅が集中しており、その背後に佐々川が流れていました

写真左が、旧世知原駅、現在の「躍進の泉公園」です、正面に旧ボタ山が見えます、現在は、ごお・ごお・ごお健康公園になっています、左の道路が旧鉄道、メーデーのメイン道路が盛り土して赤色の歩道になっています、右側の炭鉱住宅の地盤より現在の道路は大分かさ上げしています。右側の炭住跡は新興住宅に変革していますが、右は炭住のまま払い下げされました。