硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 白神と新緑と山櫻と

2007年04月30日 | 

 

 

 

 

白神と新緑と山櫻と

 

 

 

弘前の あのじょんがら節の三味の音と櫻から 逃れるように早朝

岩木川沿いをひた走る 西目屋村を通り ダムを右に見て 更に進む

漸く深い山の中にわけ入って 気がついて見ると 暗門の瀧の入り口

 

とうとう憧れの白神山地入り口に辿り着く 車から降りると むっとする木々の香り

これが森林浴かと 改めて驚きと 自然への畏敬の念がバァッと広がる

素直にいいなぁ このブナの木たちはと 大好きなブナと 所々に見える山櫻の美

イワナが住んでいそうな清流の音 まさかクマゲラの樹を叩く音か鳥たちの声

大きく息を吸い込むと 骨の髄まで 新しくイノチが注入されるようで

生きていることへの深い感謝と 生かされていることへの有難さ 何と言う美しさ

 

ブナの新葉は皆上を向いている 雨を受け そのまま樹木の表皮に流す

すると何メートルにも積もっているフカフカの腐葉土に 

たった一滴の雨も残さず吸い込まれ 

いつしか清澄な伏流水となって 数十年後に 

我々の目の前に湧き出る あああ何と幽妙なイノチの輝きか

 

真冬 寒風に強か打たれ じっと我慢をし こうして春の瞬間を迎えたブナたち

この美しさに全く言葉が出て来ない これが世界遺産とは驚愕し賛嘆したい

樹齢数百年も経っているようなブナの樹だらけで 凄い

 

一日中山歩きしたい イワウチワ・片栗・蕨・薇などが誘惑をするが

午後遅くなって 日本海側に出ようと 営林署管轄の道路のゲートを

バンガロー経営の方から開けて戴いて クネクネと曲がりが続く悪路を走る

彼が言う日本海に落ちる夕日は 深浦が一番と ジュッと落ちるのだと

何とか夕日を見られる時間に深浦に到着し 海辺の旅館に投宿

海水が入って来そうな海辺の露天風呂で足を投げ出し 夕日を眺める 

するとなるほど一日の役目を終えた大きな日輪が 凄い速さで落ち 

ジュッと音を立てながら沈んで行くようで 可笑しかった

地元の方が話すその表現の妙 

旅の疲れが ユルユルと取れてきそう

夢の中に ブナと山櫻が出て来るだろう

 


 お岩木山は偉い!

2007年04月29日 | 

 

 

 

 

お岩木山は偉い!

 

 

 

弘前城址の下に岩木川が流れている

その岸辺に 様々な櫻があり 何とあの鬱金さえある

木造町 田舎館町 ちょいと足を伸ばしてみても あのお岩木山が

何処からでも見えて それがね 可笑しいことに どこの地域に行っても

「おらほうから見えるお岩木山が一番だ」と決して譲らない

そこが可笑しい それだけに地元の方々にとっては偉大な山なのであろう

 

今 岩木神社の最大のお祭りである『御山参詣』の篠笛を聴いている

哀調たっぷり帯びているのは 嫁っ子の所為だろうか 精霊の所為か

酒を飲み 櫻にあたり 涙を零し 馬鹿じゃないのってからかわれ

美しい篠笛の音 まいったなぁ ネブタよりやや長めの笛で 

どこからか搾り出すような 泣き声のような 悲哀に満ちた篠笛が鳴る

津軽じょんがらも凄い 地元の名人が弾いてくれたが 腸から感動した

 

櫻とともに 地元の皆さんの歓びの爆発 

こんな櫻花もあるのかと感心すること頻り

 

私は常にインサイダーでありたい

アウトサイダーになっているより どんなに傷ついても

インサイダーでありたいと 何かふとそう思えた

 

櫻は まだまだ私の魂を掻き毟ってくれている

 

 

 

 

http://www.geocities.jp/syoki_tsugaru/siryo.htm 聞くべし 御山参詣のお囃子

 


 弘前城址の櫻に息を呑む

2007年04月28日 | 

 

 

 

弘前城址の櫻に息を呑む

 

 

 

今回の旅で 様々なことを学ばせて戴いた

秘めた櫻への思いと壮大稀有な櫻山計画は 

私の亡き主人の業以外の何物でもないのではないかと

根深い疑問が続き 正直痛く煩悶することが多かったように思う

 

お遍路旅での櫻 吉野の櫻 京都の櫻 岐阜・高山の櫻 千鳥が淵の櫻

福島・三春の瀧櫻 会津五櫻 山形・置賜や村山の櫻 秋田・角館の櫻 

更に道沿いに見えた数百箇所に及ぶ名もなき山櫻や江戸彼岸の花達

そして津軽平野に ドカンと突っ立っているお岩木山を背景に

弘前城址公園の 色っぽく鮮やかに咲く櫻の海

 

私の心の裡に 鱗が一枚一枚剥がされて行くように 

次第に変化がおきているのかも知れない

業ではない 業であってもいい なれば業をトコトン肯定してやろうじゃないか

櫻とは天然自然の理法そのものなのだと 

主人が抱いた確信が強くなって来ている

櫻と稲作は切っても切れない関係にあり 更に腐葉土を生み 

再生の道へ それが櫻の正体であり 櫻は決して儚いものではない 

鳥の糞で運ばれた種子は 何千年もの間多くの樹々を育て繰り返されて咲く

櫻もあの戦争の犠牲であったが 櫻こそ我が民族の真の誇りであり続けるだろう

 

海外に飛び立つ時 成田上空から見た千葉県内のゴルフ場の多さ

殆どの山が禿山になり 多くの除草剤が 周辺にまで悲劇を生んでいる

世界における古代文明の跡は すべてが砂漠化し ただの望楼に過ぎない 

そっちの業の方が余程酷いじゃないかと 声を叫びたい心境だ

イラクやソマリアでの内乱を思う時 人間は懲りない代物かも知れず

地球環境などと暢気なことを言うなと お叱りを受ける恐怖があるが

 

W・フォークナーのように人類は決して滅びないと 

でもその確信がまるで持てないことばかりで 或る意味で虚無的になり

刹那的で暴虐で 若い子たちの無気力や無軌道ぶりに歯止めが掛からない

多くの夢や希望を 我々大人たちが平気で奪って来たのではないだろうか

子供叱るな来た道だと 化野念仏寺に書かれてあった

我々が通って来た過程で 自信を持って子供たちを叱れるだろうか

 

我々は断固たる確信を持つ必要あると同時に大いなる義務がある 

将来を背負う子供たちの為に そして僅かに残された我々自身の人生の為に

日本文化の実像として 櫻を永遠に伝え残していかねばならない

それが子供達へ残せる自信と誇りに繋がると信じて疑わない

 

ただ歩き廻って櫻を見物するだけなので この辺で下手な屁理屈は止める

弘前の櫻は 未だ完全な満開ではないが 咽返るような充分な櫻の海であり 

濠面に鮮やかに映る櫻の花翳は 「お前 頑張れよ」と ただそれだけ

午後から津軽じょんがらの三味も出るだろう 大勢の人々がこの日を待っていた

爛漫と咲く櫻は ちょいと来た旅人の私には勿体無いぐらいであり 

地元の方々と 太棹の三味に合わせて 歌っこの一つも歌いたいものである

 

 

雪月花さまから教えて戴いた『できるブログ goo改訂版』は

京都の河原町・四条で購入して ずっと持っているが

この本をパラパラ捲っただけで読んでいない 写真は一枚しか出せないでいる

このブログを使いこなせていない 実のところ何枚も写真を出したいが

このまま旅を続けるのに精一杯だ 今回の口絵の写真は 朝の弘前城と櫻

 


  ネブタ小屋とさくらばな

2007年04月28日 | 

 

 

 

 

ネブタ小屋とさくらばな

 

 

 

夕刻になってしまったが アスパムに漸く着いた

巨大な小屋が長屋のように並んでいて 海からの残照で光って見えた

ひと部屋ごとに作家が違う 出来上がるまで 出し物は皆秘密主義だから

小屋の正面は不透明なビニール・シートで覆われている 覗くものもいない

やっと作龍の小屋を発見し 中を覗いたら 

弟子達と捻り鉢巻で 必死になって木組みの準備をやっていた

 

 

九月~十二月まで 来期の下絵つくり(スポンサー探し)

一月~三月まで 組ネブタの詳細な部分の骨組み

四月~五月 組ネブタの木組み 及び番線張り

六月 和紙貼り 蝋線(下絵)描き

七月 彩色 完成したら 発電機が載っている台車に台あげ

八月三日~七日 本番 及び連日修理などの張替

七日夜 入賞したネブタ師の組ネブタだけ(約八組)

青森湾内にて海上運航され 花火も上がって 

海面が色とりどりの色彩に揺らめき 弥が上にも幻想的な光景になる

 

 

ネブタ師は 兎に角年がら年中ネブタのことばかり考えているし 忙しい

今晩いっぱい飲るかと そんな声が掛かけて戴いて 二人で繁華街へ

青森特産の帆立や山菜の各種 美味しい田酒 

珍しい藤壺の焼き物(貝の蓋に穴を開けてストローで汁を飲む)

デロデロに酔っ払い始めたネブタ師が 突如シャンとして吹くネブタ囃子の音

お店の若い方が鳴らす鉦の賑やかな音 マスターが叩く俄か太鼓の音

思わず「ラッセ~ラッセ~ラッセイラァ~~」と掛け声る私

ふと戸外の見える窓辺に 染井吉野が鮮やかな夜櫻にて どアップ

かくして華やかな花見になってしまったが 

正調ネブタ囃子の所為で 賑やかな花見も悪くはないなぁと思えた

 

 

ホテルに帰ってから 今年の接待客の予約をし直して

久し振りにベッドにつくが なかなか寝付けない

あのネブタのお囃子の音が 遠く近くで聞こえて少しも消え去らないでいる

横になった身体が何かの拍子に あのリズムに勝手に反応してしまうからだった

 

 

 

 

小社では毎年青森ネブタに 家族連れの顧客を三百組以上の招待をする 前年に予約をするが

この時季に 改めて今年の分を若干の修正をしなければならない 夜の接待やゴルフの接待より

遥かに好評を得ているし 安上がりで 当社としても大変有難いことなのである ホテルにあぶれると

ラッセランドにテントを建てて そこでくそ熱い夜を過ごさなければならない お客様にはご法度だ

 

口絵の写真はラッセランド(アスパム=青森物産館脇)にあるネブタ小屋

これは正面のシートを取った状態の写真で まだ本格的に稼動していない

殆ど材料の搬入とか 大枠の木組みの準備をしている状況で 

作業が本格化すると シートは常時張られて 他の作家には秘密となる 

 

 http://www.nebuta.or.jp/ 青森ネブタの公式サイト(お囃子が聴ける)

 


 道成寺 鐘供養

2007年04月27日 | 祭り・民俗芸能・民間信仰

 

 

 

道成寺 鐘供養

 

 

 

和歌山県川辺町で 紀州一の古刹・道成寺がある

『今昔物語』(巻11)を下地にして 

日本の芸能に多大な影響を与えた道成寺の物語があって

本日は 道成寺において鐘供養の日で 厳かに厳修されている

 

安珍・清姫の恋物語であるが 様々な異説があったり

実に面白いことに 各種の芸能に存在していること

古くは山伏神楽の座舞の中に 『鐘巻(かねまき)』と言う古曲があって

そこに 既に安珍・清姫の伝説が演じられている

 

更に下って 能楽にも『道成寺』があり 蛇(=清姫)の鐘入りがあり

申楽(さるがく)や田楽(でんがく)や風流(ふりゅう)の題材にもなって 

男女の普遍のテーマとなっているのであろう

 

歌舞伎の世界になってからは凄惨さより 一層煌びやかな舞台となり

藤本斗文作の『京鹿子娘道成寺』が出現して 

粗今日の娘道成寺のイメージが定着したように思う

 

実は川辺町にある御寺は 実在ではあるが 

鐘は有為翩々し 現在では京都の妙満寺にある

近年その鐘は里帰りもしたようだが 蛇になった清姫を追って 安珍も蛇になり

ここ道成寺の御坊さまの功徳ある読経によって 二人が結ばれ

兜卒天(とそつてん)で 人間となってハッピーエンドと終わるものである

 

男性がちょいと軽く 熊野詣の帰りには 添い遂げようと言ったひと言は

女性にとっては計り知れない重い言葉であって サラリと忘れ去ることは出来ない

清姫が恋から怨念へ凄惨を極める 安珍のひと言が魑魅魍魎の世界へ

今にでも通じることなのかも知れない

連休前の今頃 道成寺では住職が面白おかしく

法話の一環として爽やかな弁舌を振るっていることであろう

 

更に比較演劇学として 各分野の道成寺を 詳細に検証することも面白かろう

その時代時代が鮮明に見えて来るかも知れぬ

 

さて現在の道成寺にある鐘は 近年歌舞伎の舞台で使われた鐘であるが

古来から 安珍・清姫の供養をして 佛徳を説いた御寺として存在し続けている

 

 

 

口絵の写真は 山伏神楽『鐘巻』の稽古風景である

刀で立てられた紋付は 鐘に見立てられ 女面のものは そこへ鐘入りする

 


 角館・武家屋敷の枝垂れ櫻

2007年04月27日 | 

 

 

 

角館・武家屋敷の枝垂れ櫻

 

 

角館の武家屋敷の枝垂れ櫻は見事な満開で

幽春の霞たなびく早朝の中を歩く

名所の櫻見学は 早朝に限る

 

角館に輿入れした京都の公家の奥様方が齎せたものだ

そう言えば北海道の松前の櫻もそうであったが

櫻の伝播の発端には そうした公家衆の功績が大きいかも知れない

もう武家屋敷の通りは この時間になれば立錐の余地もないのだろう

 


 白か黒か 石割櫻

2007年04月26日 | 

 

 

 

白か黒か 石割櫻

 

 

 

そう言えば 盛岡の裁判所の前に 石割櫻が満開であった

裁判所の直前にある 法廷を出て来る人は 白か黒か

まるで裁判を暗示しているように 見事に割れた石の間に咲いている

 

戦後左翼勢力の影響か 教育の荒廃が極端に進み 

遠慮ばかりの為政者の偽善 家庭にも学校にも地域にもモラルが無くなり

タメ口ばっかりで 若い人の語彙の貧困 現在どうにもならないでいるが

今の混乱は 有史以来 本当の意味での混乱ではないか

逆に言えば 今こそ千載一遇の創造の時であろうと思える

 

和をヒントに 日本の独自性と自信の回復

白か黒か はっきりすべき創造であるべきだ

何処に行ったって こんな豊かな文化を持つ国はない

それが何処かに行き 批判ばかりしてないで 

この創造の絶好のチャンスを生かしたいものである

 

 

口絵は盛岡裁判所前・石割櫻です

 


 櫻繚乱 檜木内川

2007年04月26日 | 

 

 

 

櫻繚乱 檜木内川

 

 

 

どうして そんなに櫻が好きなのと 

同じように櫻行脚をする女の子に聞かれた

 

櫻が僕を好きなのと応えた

顔を見合わせ 思わず大笑い

 

私もそうかもよと 彼女が応える

繚乱たる櫻舞う角館の川辺にて

 

躑躅が咲き 藤の花も咲き出したことだろうか

北の櫻はこれからが本番であるから嬉しい

明日は和歌山の川辺で 道成寺の鐘供養があると言うのに

櫻行脚の旅は 未だ二週間も残っている 幸せなことである

 

 

 

口絵の写真は 角館・檜木内川の櫻並木

 

 


  種蒔櫻と里人の生活

2007年04月26日 | 

 

 

 

 

種蒔櫻と里人の生活

 

 

 

ご無理を承知でお願いして 農家にホームスティ

東北には各地に種蒔櫻と称する櫻が点在する

何処から見てもよく見えるやや高台の地に 悠久の櫻がある

 

角館の武家屋敷の櫻が満開になるまでと 

ちょっとずるい考えがなかったわけではなかったが

種蒔櫻を抱える町外れの農家に飛び込んで交渉し泊まらせて戴き

この時季にする農作業を体験させて戴いた

農機具の点検や苗床作りの体験などである

 

最初テレビの番組と間違えられたが 大笑い

皆さんに 本当によくして戴いた 

夜 秋田の地酒も出て 農業の将来をも語り明かした

 

日本は稲作文化の国であるのに あらゆる農産物を盛んに輸入に頼り

今では自給自足率が20%を切っている現状で 私の泊まったお宅では 

長いモノに巻かれろと ただ指を咥え 傍観している方々ではなかった

確かに農村には若い手がいない だからと言って4ヘクタアール以下の

営農が出来ない今度の農業施策はどうだろうか 思い切りぶつけてみた

帰って来た答えは あんな松岡農林大臣に 丸きり期待していないと

どんな無理難題の施策が打って来られようが 

代々受け継いで来られた営農を簡単に手放さない断固たる決意があり

私は頗る嬉しかった あの減反政策によって田のお祭りが半減し

今度の施策で 日本人の信仰の元さえ失われようとしている

日本は農業立国であり その基本は些かも変わりないものかと

 

ご主人の古着を着て 雨の中でも 汗びっしょりかいて農機具磨き

苗床は田んぼに作るのではなく 何とビニールハウスの中に

奥さんが気を使って何度も何度も声を掛けてくれたが 

何の何の 私はどんなに楽しかっただろうか

身体じゅう筋肉の痛みが走るが 実に心地いいではないか

今朝別れ際に 奥さんもご主人も子供さんも 皆別れを惜しみあった

多分これからもお付き合いが続くことを願いつつ

 

ご主人に 種蒔櫻って どんな感じで何時も観ていらっしゃるんですかと

問い掛けて見たら 櫻こそ五穀豊穣の神であるとはっきり言っておられた

どうやら我が主人とも メソメソした感傷の交流は必要なくなったようだ

 

やっと取れた角館の旅館で 今独りでお酒を飲んでいる

心地いいお酒が身体全体を巡り これからも櫻を未だに追い続けることに 

何一つ言い訳など 決して必要ないのだからと

一献の杯に 花片を一枚ずつ乗せ 香りを楽しみ目でも楽しみ

漸く満開に近い櫻になった武家屋敷を明日は観てから 

愛すべき角館と さよならをしよう

 

 

 

口絵の写真は 先日山形を廻った際 櫻桃の故里・寒河江にあった種蒔櫻の立看板

このような立看板がある東北の櫻は幾らでもあると言ったら言い過ぎだろうか

今回写真に収めたものでも 実に八箇所もカウントされている

 


 富士の櫻から北の櫻へ

2007年04月22日 | 

 

 

 

富士の櫻から北の櫻へ

 

 

 

M氏にメールを送ってから直ぐ 又櫻を観たいと言う強い願望があり

今回はマイカーで 真っ直ぐ御殿場に向かう 箱根周辺の豆櫻を観る為だ

案の定 富士周辺特有の小さな豆櫻がちょうど満開であった

ポーラ美術館に寄り花を特集した展示を観るが 食い足りなく不満が残った

エミール・ガレの特別展示も併設してあったが ピンと来ない

そのまま国道一号線を走り 途中から湯河原へ左折

それにしても何時も思うことだが 一般道と言ってもいいぐらいの道路で

何故340円も取るのかと苦笑いしながら不満を募らせ 山肌を観ると

一面に溢れる色とりどりの新緑 そして豆櫻と山櫻の華やかな競演

初日奥湯河原の『海石榴(つばき)』に宿泊し 春を満喫する

 

http://www.polamuseum.or.jp/index.php ポーラ美術館

http://www.tubaki.net/ 料亭旅館『海石榴』

 

二日目の朝早く宿を出て 小田原~厚木道路から 高速道路に一直線

一路郡山へ 首都高から約350キロ 目指すは船引三春IC

瀧櫻へと急ぐ ICを降りると やはり大混雑であったが

漸く瀧櫻の許へ 今年もまた華麗な美しい姿を見せていた

 

町の中の他の櫻をパスし そそくさと磐越自動車道に入り 会津へ

武家屋敷手前の石部櫻は たわわに花片をつけて 今まさに満開

更に坂下(ばんげ)町に向かい 杉の糸櫻を観る 片栗の花が櫻の真下に

高速を引き返し 喜多方方面に向い 長いトンネルを経て米沢から長井市へ

 

http://www.mogamigawa-sakurakaido.net/index.html 最上川櫻街道

 

真っ直ぐ久保櫻の許へ行く 花はやや盛りを過ぎていたが 充分な風格

更に海棠の花が美しく咲く民家の連なりのわき道をひた走る

置賜地方の種蒔き櫻を数箇所観て 山形市の霞城公園へ

むせ返るような櫻の海の城跡 

天童温泉に宿泊

 

http://www.azumaso.com/ 松伯亭あづま荘

 

そして本日は 塩釜神社の枝垂れ櫻を観に行き

更に北上し 天勝地の櫻並木を歩き 小岩井農場まで

飽くなき櫻への業欲 もう誰も櫻の話題などしないのに

明日は一路弘前へ行くか 角館の武家屋敷に行くか

思案しながら 現在は田沢湖から入った乳頭温泉・鶴の湯

この周辺は未だ冬 辛夷だけが残雪のように咲いていた

 

http://www.tsurunoyu.com/  乳頭温泉『鶴の湯』

 

北の弘前まで走れるだけ走ろう 気が済むまで櫻とともに旅をしよう

本州の北の外れまで行ったら もう一度今度はゆっくり南下する予定

現在までの走行距離2000キロ超

 

 

口絵の写真は小岩井農場の江戸彼岸の櫻