硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

八重櫻いまだし

2007年04月20日 | 

 

 

 

 

八重櫻いまだし

 

 

 

八重櫻は漸く満開の季節であろうか

櫻茶にする普現象や関山など 濃いピンクの花や

一葉と言って 雌蕊のところに葉が一枚あるように見える櫻や

御衣黄や鬱金などのように 緑色の櫻が ひと騒ぎ終わった祭の後を

大いに楽しませてくれる 既に今年は

大阪・造幣局の通り抜けは終わったようだ

 

http://www.mint.go.jp/sakura/index.html 大阪・造幣局の通り抜け

 

だがまだまだ多くの地域では八重櫻が咲き 櫻の季節は終わっていない

最も大型の花片である純白の太白(たいはく)や口絵の写真のような

鬱金(うこん)の八重櫻が大好きで 特にこの花は咲き始めは緑色だが

散り際には淡いピンク色に染まり 花の色移りにけりなとでも

申し上げたいところでしょうか 兎に角美しい櫻である

 

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!5170.entry?_c=BlogPart

櫻灯路より『花の色移りにけりな 鬱金花』

 

ここに掲載させて戴いた鬱金の花は 伊勢の神宮・内宮にある鬱金です

 

驚くことに よく眠ったものである 二十時間は眠っただろうか

ボーダー・ラインだらけの冷たい都会生活でも我が家はいいものである

余程疲れていたものと思えるが 我が業は止むことはない 業だからである

もう少し休養したら 再び北へ櫻行脚の旅に出ようと思う

 


名櫻・瀧櫻満開と三春の櫻たち

2007年04月18日 | 

 

 

 

 

名櫻・瀧櫻満開と三春の櫻たち

 

 

 

寒の戻りと穀雨そぼ降る雨の中を 朝早く東京に到着する

櫻忌の時は開花したてだった櫻が もう跡形もなく すっかり初夏の装い

躑躅が咲き そろそろ藤の花まで開花しそうな勢いではないか

今ウラシマの心境で ひと風呂浴びてから 会社に出た

未だお休み中ではないですかと 優しく声を掛けられ 少々照れ臭い

久し振りの会社はいいもので 皆生き生きと働いていた

今季これから何処に行こうか 疲れているものの 直ぐに思う浅ましさ

これだから 我ながら業の深さをつくづくと感じる

 

先ず逸早くお知らせしておかなければならない櫻がある

福島県三春町の『瀧櫻』のことである

今月11日に開花し 漸く現在満開となっているようだ

 

http://www.town.miharu.fukushima.jp/03kanko/index.htm 櫻の三春・観光ガイド

 

こちらを開き 最新開花情報をクリックすると 現在の瀧櫻の状況が

手に取るように分かる 人口僅か三万人の町に 実に一万本の櫻が咲き

然もその二割は 瀧櫻の子孫で 瀧櫻がある公園とは別途に

さくらの公園があり そこだけでも全体の三割以上の櫻が植栽されている

伊達政宗公出身の土地柄らしく 古き佳き城下町で 品格ある町である

 

今度の週末にはちょうどいいかも知れない

どうぞ皆様 三春の瀧櫻を御覧になられ 樹齢千年のパワーを戴いて下さい

きっと大きなパワーを戴ける筈で 駐車場も完備され快適に御覧になれる

 

どの地域でも 名木がある各地では

 役場から 三春のように 情報発信されると有難いのだが 

観光客の多くは 処構わず入り込み 近くの田畑まで

荒らす理由があるから 一切しないと公言する自治体も多い

特に幹廻りに隆起する櫻の根を 観光客は遠慮なしに傷めつける

地元の方々の常日頃の丹精と愛情を受け止めて観櫻したいものだ

 

瀧櫻では早くから立ち入り禁止エリアの杭を立て対策を立てて来た

瀧櫻の子孫も多く 町全体が櫻の町であり 充分それらも考慮されている

車の方は 船引・三春ICから行けるが 朝八時を過ぎると

ICから目的地まで大渋滞する 其の点巡廻バスの方が便利でいい 

従ってお車の場合 その時間までに到着するようにして行かれたらいい

角々に 瀧櫻までの道順が書かれた看板があるから迷うこともない

東京からハイウェイで たった三時間で行ける

 

誰も櫻の話題など出さなくなった頃からが本当の本番で 

ゆっくりと北国の華麗な櫻を満喫したい

三春から会津に行かれて 石部櫻を筆頭に会津五木

喜多方街道を そのまま新道を抜け米沢へ 

山形県南には名木が多くあり 静かに待っていてくれる

 

天童市にある酒造元・出羽櫻では『櫻の美展』があり 

これも毎年開催され 出羽櫻先代社長の個人コレクションだが凄いのである

http://www.dewazakura.co.jp/ 出羽櫻美術館 (櫻の美展をクリック)

 

又地方の行けば行くほど 種蒔き櫻としての意味合いが強くなるから

農作業などの邪魔にならないようにして鑑櫻したいものである

 

更に 角館から弘前へ 海を渡って北海道 松前静内が待っている

風に吹かれながら さぁ愈々これからが本番の観櫻時季であろう

 

 

 

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!5522.entry

櫻灯路より 『日本の誇れる名櫻・三春の瀧櫻』

尚本日の口絵は 亡き主人のパソコン画で 逆方向の山の上から描いている

 

 


 櫻紋

2007年04月17日 | 

 

 

 

櫻紋

 

 

「雨は恋人」と言い放った人を思う

彼の精神的スタミナは 私には些かなさそうである

精神的に この旅に疲れが出ているようで 見っともない

 

ましてや 日本海沿いや太平洋沿いに 

南へ北へと移動するのは容易だが

ド真ん中の山中を 北へと移動するのは困難を極める

 

高山から 南アルプス越えをして 飯田線に乗り 

中央線に乗り ジグザクに旅をし 漸く小淵沢・神田櫻へ

江戸彼岸系の枝垂れた見事な糸櫻まで辿り着く

 

バスも 何度乗り継いだことだろうか

幸いにも 山間の新芽や櫻が 我が心身を癒してくれている

五月半ばになると 殆ど同じような緑になるのが

樹によって様々な光彩を放ち パステル調に音楽を奏でている

ひと雨ごとに 緑色は変化して来るのが鋭敏に分かる

 

昨日から誰とも話しをせず 殆ど車中の人であったが

2~3日前からの天候不順が 私の心をしたたか打った

「雨は恋人」と言い放ちながら 櫻の旅を続けた人をしみじみと思う

昨日 主人の友人であった河島英五の忌日であったようだ

 

夢の中に 櫻の紋を見た

どの櫻の紋にするかと言う夢であった 

主人と二人で話し合って なかなか決まらない

決まらない方がいいよと 私は最後に言い張る 

決まると 全国の櫻に逢いに行けなくなるから

すると笑い転げる主人 気がつくと駅構内でハッとして目覚めた

何故笑われたのか 私の精神的スタミナを笑われたのだろうか

 

櫻色が灰色になるような気がして とても怖い

染井吉野が散ってからは 誰もが櫻を話さなくなるらしい

 

雨の降り頻る山中の山櫻の傍で 

明日は一旦東京に帰る決意をした

今夜は この鄙びた居酒屋で 飲み明かすとするか

何かを振り捨てるかのようにして

 


 山の端の新緑の中に

2007年04月15日 | 

 

 

 

山の端の新緑の中に

 

 

からくり人形を追っ掛けして ずっと観ていた

人生はからくり人形より 未だ未だ軽く はしたない

それでも人は 自分自身で 命賭けのタッチで生きている

 

荘川櫻は未だであったが それはそれで充分であった

山の端に見える様々な緑 

利休鼠 若葉色 苗色 萌黄色 浅緑 木賊色 裏端色 黄緑

その中に山櫻 豆櫻 

泣きたくなるような美しさと生命の躍動感

 

それと呼応したかのような古色蒼然とした祭の華やぎ

何度泣こうとしたか かの君が言っていた風景はこれであったと

然し旅をするには 実にいい季節である

真綿色した山麓の景色 実に美しい

 

今日まで主役の櫻ばかり追い掛けて来たが

明日からは 人知れず咲く山の端の櫻を観よう

一層のパワーをくれるのだから

 

 

 

 

漸く亡き主人のことが分かって来たようだ

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!5328.entry?_c=BlogPart

櫻灯路より 『櫻待ち 櫻酔い 櫻追う』

 


 高山山王祭

2007年04月14日 | 

 

 

 

高山・山王祭

 

 

岐阜の名木は ここ飛騨・高山中心に多い

思い立って高山に来てみると 何と本日と明日 春の高山・山王祭であった

秋の八幡祭と春の日枝神社の山王祭と二つ合わせて高山祭と総称する

それぞれの氏神に対する信仰が 煌びやかな十二台の山車を出し

神と人との神人饗応をする為に お旅所と神社の間を行き来し

神と人とを繋ぐからくり人形が大活躍をする

 

飛騨の染井は未だ三分咲き 早咲きの櫻が満開

合わせて 美しい屋台にしばしうっとりとす

運良く市内の旅館に泊まる ここは宴会場で広く たった独り

明日はお旅所から 日枝神社に神が還る日だ

 

臥龍櫻 西光寺の枝垂れ櫻 城山公園や江名子川沿いの櫻を観に行こう

何だかフーテンの寅さんになったような 今宵の宿もそう悪くはない

お銚子三本 未だ櫻を観たい よっぽど私は業が深いような気がする

 

そう言えば W大学の理工学部において 飛騨のこのからくり人形で

博士になられた御仁がいたように記憶している

そのぐらいここのからくり人形は精巧で素晴らしい

是非一度はここ高山で からくり人形を御覧あれ

 

ところで荘川櫻も近いのだが 花は遅いような情報があり

些か気が気ではない 荘川櫻こそ櫻守の貴重な証拠の櫻なのだから

 

 

 

 

 http://www.hida.jp/matsuri/harumatsuri.html 春の高山祭

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!5309.entry?_c=BlogPart 

荘川櫻について櫻灯路より 『日本一の櫻守と日本一の櫻馬鹿』

 


 祇園の夜

2007年04月14日 | 

 

 

 

祇園の夜

 

 

去年の夏のアノことをご報告しなければならない方がいた

あの哀しい知らせを 何処から漏れたか 弔電を戴いた御礼もあった

その祇園・甲部にあるさるお茶屋さんに出向いた 

独りだと何かと心細い オフィスの女性陣を三人ほど同行願って 

予約を入れると 慌ただしい最中 漸くひと部屋を用意して戴いた

 

三人の女性達は皆生粋の京都人ばかりだが 

お茶屋遊びの経験がまったくないと言う

男性陣は今後何時でも行けるからと言い訳し 

今夜は女性陣だけを連れて行くと宣言し オフィスを出た

 

日本一美しい常照皇寺の九重櫻が満開で 

御室のお多福櫻も漸く花時であったから 

私は今日一日は上気しっ放しで 頗る上機嫌であったかも知れない

京都の春を満喫させて戴いた心地よさ 堪らなかった

 

嘗て主人と共に何度もお邪魔しているお茶屋さんだが

私とのお付き合いは 私から新たに始まるわけで 畏まっていた

芸妓さんが来られる前に ひと通り女将にご挨拶申し上げた

「私一代で 大切な親子のお客様を 二人共に亡くした喪失感」と

女将がポツリと洩らす 

 

櫻行脚も一応の区切りをつけたいので 今夜は騒ぎましょうと

敢えて申し上げ 芸妓さん三人 舞妓さん一人 地方さん二人が来て

連れて行った女性達は 何の遠慮もなくキャ~キャ~と騒いでいる

失敗したかなと思われた瞬間 芸妓さん達も次第に盛り上がって来て

私はほっとして静かに 女将の進められるまま酒をあおり見ていた

 

こんな風にして女の子達を大勢連れて来て済みませんと言ったら

言え言え 逆に芸妓の子達もいい息抜き出来てますねんと仰る

私は内心 主人には追いつけないなぁと実感しながら

それでも実に楽しいひと時を過ごせた

 

帰りがけ ふと床の間を見ると 

亡き主人が大好きだった鬱金(うこん)の櫻花が

さりげなく備前の花器に ひと枝挿してあった

 

 

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!4236.entry  

櫻灯路より 『京都のお茶屋さんで』

 


 パリ郊外ヴァンサンヌの櫻

2007年04月12日 | 

 

 

 

パリ郊外ヴァンサンヌの櫻

 

 

パリ郊外ヴァンサンヌ在住のMiyokoさんから 

美しい櫻の写真のメールが届いた

パリの中でも 特にレアールは中心街でパリ1区には櫻が多い

昔は築地市場のような やっちゃ場の場所であったが解体され 

今や一大商業スペースとして 驚異的な発展をしている

そのほぼド真ん中にポンピドー公園があって 

幾多の櫻が咲いている 八重もあれば種類が多く 花期も長い

色々と品種改良されたであろう櫻も数多くある 

更に今回 ソー公園の櫻の花の写真も送られて来ていたが

こちらのヴァンサンヌの櫻の方を選び ここに掲載することにした

更に驚くことに 色んな通りに並木として櫻が植えられていて

そんなパリの香りを戴きながら 櫻の写真を観るのも嬉しいものだ

日本より北国のパリ中心街にも漸く春が訪れたのであろう

いつか再びパリまで櫻行脚をしようと思う

 

 


 ワシントンD.C.の櫻とエリザの物語

2007年04月12日 | 

 

 

 

ワシントンD.C.の櫻とエリザの物語

 

 

花は盛りの伊勢の神宮を巡って 漸く京都に帰って来た

外から京都を思う時 愛憎蠢く爛熟の様を否応なく想像するが

こうして再び京都に足を踏み入れると ほっとしている我がいる

京都の櫻は今が盛りで 場所によっては散り始めているようである

 

駅頭に立って直ぐ 国道一号線をタクシーで一気に南下 

久世群久御山の川沿いに櫻のアーケードがあるからと

そんな噂を聞いて 社員を誘って一緒に観に行って来た

両岸に零れるような花片が満ち溢れ 春爛漫そのものであった

 

今夜は泊まれる宿がない 社員の一人が どうか泊まって下さいと

ここ吉田中大路町に連れて来られ 温情に甘えるところである

確か近くには吉田神社があるのだろう 閑静な町で直ぐ好きになった

 

櫻のことを ああでもないこうでもないと考えていると

皆様にどうしても伝えておかなければならないことがある

ましてや前記事では 国家の品格の話題を出したから余計にそうで

毎年櫻祭で 世界のポトマック・リヴァーになっているワシントンの

櫻物語には エリザと言うアメリカ人女性の存在なくしては

一つも語れない 日本を愛し櫻を愛し アメリカに持ち込んだ

最大の功労者エリザのことは実に感動的だが 殆ど知られていない

是非 櫻灯路『ワシントンD.C.櫻物語』をお読み戴きたいのである

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!5261.entry?_c=BlogPart

エリザから 今改めて国家の品格を学ぶ時ではなかろうか

 

鎮花祭は 今まさにあちこちの神社で行われている

上記写真の狭井神社縁起に書かれてあるのは 

狭井神社の鎮花祭のことだが 割引しても凄いことが書かれてある

何と国家の行事であると断じているのである ここでの鎮花祭は四月十八日

 

明日十三日は 嵯峨野の法輪寺で 十三参りがある 

生まれて初めてやって来る干支に これから大人へと成長するのを

智恵の御仏さまである虚空蔵さまに 

数えになった歳にお願いするお祭りである

再び櫻灯路の『十三参り』の記事です

http://outouro-hananoen.spaces.live.com/blog/cns!BA05963D8EB5CC5!7136.entry

 

明日もう一度オフィスに出て それから道草さまとお逢いしたいのだが

大先輩の方だから 不用意に御酒の席にお誘いしたら 失礼に当るだろうか

文学について 殆ど門外漢の私にとって 色々と優しくお教え下さり

何時も感謝申し上げている次第で どんなに感謝の言葉を申し述べたいか

 

明日は 今年の京都の櫻 最後の櫻になるだろうか

仁和寺も常照皇寺の九重櫻も気になって仕方がないのだが・・・・

 


 本居宣長・奥墓(オクツキ)の山櫻

2007年04月12日 | 

 

 

 

本居宣長・奥墓(オクツキ)の山櫻

 

 

最近『国家の品格』と題する本が出て評判になった

日本人のアイデンティテーを何処に求めるかであろう

凡そ武士道に求めたように思われたが 

もう一つ大倭心があるのではないかと思われ 

急に思い立つように 松坂に向かう

 

吉野から山を降りて 室生・長谷寺の櫻も巡った

だが 伊勢・松坂へ 心ははやにどうしても行かなければと

本居宣長 山室山に眠る宣長の奥墓に立つ山櫻へ

山の下にある妙楽寺から 更に山室山へ登り 立派な奥墓があった

見ると背後に確かに山櫻が咲いていたが 何と周辺には殆ど山櫻の植栽

多分後から植えられた山櫻であろうか 美しく咲いていた

晴れた日なぞは ここから富士の高嶺も見えると言う

 

以前この奥墓の横には 宣長を御祭神とする山室山神社があった

神に祀られた宣長はその後有為翩々としながら 手厚く庇護され

明治政府・取分け明治天皇から 金一封を受けられたこともあって

現在は松坂町殿町に移転し 従四位から従三位へ格上げになり

『本居宣長ノ宮』と改称されたのは平成七年であり 記憶に新しい

 

古事記を丹念に調べ 『古事記伝』を著し 『玉勝間』など多数

更に驚くべきことは 詠んだ歌が一万首を超えている

大和心とは何であるかを只管追求した稀有の人生であった

 

我が死の葬送の方法を 

そしてそこに山櫻を植えよと言った遺言を事細かに指示し

「秋津彦瑞櫻根大人(アキヅヒコミヅサクラネノウシ)」として

霊牌を作り 祭祀を行うようにとの詳細があった

何故斯くの如くして逝かれた根拠は何だったのか

憶測に過ぎないが 魂の在処への拘りだったような気がしてならない

我が魂は 皆と共にあると

 

弟子・平田篤胤は言う

「師の翁も、ふと誤りてこそ、魂(タマ)の往方(ユクヘ)は、

彼処(カシコ=黄泉の国)ぞといはれつれど、老翁(オヂ)の御魂(ミタマ)も、

黄泉国(ヨオツノクニ)には往坐(イデマ)さず、

その坐(マ)す処(トコロ)は、篤胤(アツタネ)たしかにとめ置きつ、

しづけく泰然(ユタカ)に坐まして、先だてる学兄達(マナビノイロセタチ)を

御前に侍(サモ)らはせ、歌を詠(ヨ)み文(フミ)など作(カ)き、

前(サキ)に考(カンガ)へもらし、解誤(トキアヤマ)れることもあるを、

新(アラタ)に考へ出(イデ)つ。こは何某(ナニガシ)が、

道にこゝろの篤(アツ)かれば、渠(カレ)に幸(チハ )ひて悟らせてむなど、

神議々(カムハカリハカリ)まして、

現に見るが如く更に疑ふべくもあらぬ をや」

 

又このようにも言う

「然在(シカラ)ば、老翁(ヲヂ)の御魂(ミタマ)の座(オハ)する処

(トコロ)は、何処(イヅコ)ぞと云ふに、

山室山(ヤマムロヤマ)に鎮座(シヅマリマ)すなり。さるは、

人の霊魂(タマ)の、黄泉(ヨミ)に帰(ユク)てふ混説(マギレコト)をば、

いやしみ坐(マ)せる事の多(サハ)なりし故(カラ)に、

ふと正(タダ)しあへ給はざりしかど、然(シカ)すがに、

上古(イニシヘ)より墓処(ハカドコロ)は、

魂を鎮留(シヅメトド)むる料(タメ)に、かまふる物なることを、

思はれしかば、その墓所を、かねて造(ツク)りおかして、

 

詠(ヨ)ませる歌(ウタ)に、

 
  山室に ちとせの春の 宿(ヤド)しめて


          風にしられぬ 花をこそ見め


また、


  今よりは 墓無(ハカナ)き身とは 嘆かじよ


          千世の住処(スミカ)を 求め得つれば



と詠(ヨマ)れたる、此は凡て神霊(タマ)はこゝぞ住処(スミカ)と、

まだき定めたる処に鎮居(シヅマリヲ)るものなる事を、悟(サト)らしゝ

趣なるを、まして彼山は、老翁(ヲヂ)の世に坐(マシ)し程(ホド)、

此処(ココ)ぞ吾が常磐(トコトハ)に、鎮坐(シヅマリヲ)るべきうまし山と、

定置(サダメオ)き給へれば、彼処(カシコ)に坐(マ)すこと何か

疑(ウタガ)はむ。その御心(ミココロ)の清々(スガスガ)しきことは、



  師木島(シキシマ)の 大倭心(ヤマトゴコロ)を 人とはゞ


          朝日(アサヒ)に匂(ニホ)ふ 山さくら花



その花なす、御心の翁(オキナ)なるを、いかでかも、

かの穢(キタ)き黄泉国(ヨミノクニ)には往(イデ)ますべき」



 

更に

 
「さて、此身死(マガ)りたらむ後に、わが魂(タマ)の往方(ユクヘ)は、

疾(ト)く定(サダ)めおけり、そは何処(イヅコ)にといふに、



   なきがらは 何処の土に なりぬとも


          魂(タマ)は翁の もとに往(ユ)かなむ



今年先(コトシサキ)だてる妻(イモ)をも供(イザナ)ひ

【かくいふを、あやしむ人の、有るべかむめれど、あはれ此女よ、

予が道の学びを、助成せる功の、こゝらありて、

その労より病発りて死ぬれば、如此は云ふなり、

それは別に記せるものあり】


直(タダチ)に翔(カケ)りものして、翁の御前(ミマヘ)に

侍居(サモラヒヲ)り、世(ヨ)に居(ヲ)る程(ホド)は

おこたらむ歌のをしへを承賜(ウケタマ)はり、

春は翁の植置(ウヱヲ)かしゝ、花をともども見たのしみ、

夏は青山(アヲヤマ)、秋は黄葉(モミヂ)も月も見む、

冬は雪(ユキ)見て徐然(ノドヤカ)に、

いや常磐(トコトハ)にはべらなむ」

 

平田篤胤説に依れば 宣長が死して後 黄泉の国に行くと言っていたのは

誤りで 私がはっきりと聞いている

亡骸は 千代の棲家とした山室山にあるけれど

霊魂は それぞれの弟子や心ある者たちと一緒になり

今までの学説の誤りや新しい学説の後人との議論を待っていると

 

そして同じ歳に亡くなった妻は永年学問の犠牲になったので

それまで歌詠みなどを出来なかったが 今度は妻と二人で出来るようになる

予め造っておいた墓所で 櫻を植えて貰い

その春の花を愛で 夏の青山を見 秋には紅葉や月を楽しみ 

そして冬は雪を観て 泰然自若としていると

 

私は思ったのである 国家の品格とは武士道にだけあるものではなく

厳粛に己が人生をすべてヤマトゴコロに捧げた人があったではないかと

 

神道の極意は 教義もなく 何なのか

それは祓いであり 清めであるに違いなく 鎮魂と魂振である

清浄なる世界への祈りが神道であったと

但しあの軍部独走から 何たる恥辱を受け続けたのだろうか

 

明治のご維新の際 戊辰戦争などで亡くなった薩長同盟の戦死者だけを葬り

事後国家神社としてなせる靖国神社の在り方は 何処か偏屈であり

ましてや戦地で死ぬこともなく 自決も出来ず 戦犯として亡くなった方を

果たして本当に 他の戦死者と同列に置いていいものか 

私には甚だ疑問に思えてならない 一遺族として憮然たる思いが残る

 

戦犯で亡くなったご遺族は 自らの手で それぞれの御霊の霊牌を作り

それぞれの神社を作って祀ったらよかろうと思うが極論ではない筈である

善通寺市にある四国76番札所・金倉寺に「妻返しの松」があった

逢いに来た妻を帰した処にある松で 明治人の気骨溢れる逸話であったが

我が敬愛する乃木稀典のように ご自身の社を堂々と作ったらいい

 

私は周辺諸国に阿っているつもりは一切さらさらない

本居宣長のすべての学問に照らし合わせ そう断じたいだけである

 

今日は 伊勢の神宮を参詣してから 再び京都に入ろう

 


 

 

巻頭写真は 山室山山麓の御寺・妙楽寺にある宣長の絵馬

宣長の奥墓は妙楽寺から領地を分けて貰い 本人が建てたものであった

 


 御所櫻と斎王櫻

2007年04月10日 | 

 

 

 

御所櫻と斎王櫻

 

 

こうして旅をしていても 先日訪れた大好きな上賀茂神社の

あの二本の櫻木が気になって 後ろ髪を引かれて仕方がない

御所櫻は満開であったが 

斎王櫻はまだ咲き始めたばかりであった

御所櫻はやや白っぽく気品に満ちた櫻で

斎王櫻は 平安神宮の紅枝垂れ櫻と同様に

紅い小粒な花が爛漫と咲く

 

小生は もし仕事の合間や多少の無理を承知の時間があったならば 

『斎王』の起源と歴史を徹底して調べたいと日頃から思っている

取り分け気掛かりである訳だが 

当然今頃は花が満ちて来ている頃だろうか

 

先ず伊勢の神宮の斎王を調べている

実に面白いのである 女官とは言え 

斎王とは神々の愛する御方であった

神聖で 且つ清新な匂いが大いに隠されているようで面白い

先ず書誌学的に押さえたいと思っている

いずれ斎王の話をする機会もあろう

 

男女の仲を何か超越した領域があるのかも知れない

 

 

 

写真は上賀茂神社の御所櫻である