硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 関寺小町 花の色は移りにけりないたずらに

2011年06月10日 | 能・狂言

 

葛野流(かどのりゅう)大鼓方 亀井忠雄師 (人間国宝)

 

 

関寺小町  花の色は移りにけりないたずらに

 

 

忙しい日程の中、うっかりして大切なことを忘れていた。

7月1日、能楽の囃子方で、大鼓(普通おおつづみとは言わない おおかわという)

を打つ人間国宝の亀井忠雄師が、自らの古希を記念する重要な舞台があったことを。

渋谷の松涛にある観世会館で、実力者揃いで、披露される能の会。前売りチケット完売で、

当日売りがたった10枚だけ、朝早くから並ぼうと思うが会館に電話したら、

住宅街なので、早朝に並ぶのを遠慮して下さいと仰らした。さもありなん。でも行く。

当日売りチケットは13,000円で、椅子席だと18,000円になる。

この豪華な顔ぶれに、誰が高いというのだろう。然も一世一代の能が演じられるのだ。

 

観世流第二十六世・宗家の観世清和は、能の中でも秘曲中の秘曲・「関寺小町」を演じる。

この曲は他流では比較的演じられるが、観世宗家では七代も演じられていない。

宗家は忠雄師から、その話を伺った時、最初はお断りになられたという。

忠雄師は、「直ぐに飛びついたら、それは天狗というもの。迷うのが本当だ」と庇う。

他に能「石橋(しゃっきょう)」があり、シテ・観世喜正、片山九郎右衛門。

野村萬斎は、軽やかな「三番叟」を演じる。これだけでも豪華だが、

更に梅若玄祥や、ワキ宝生の名人・宝生閑、観世流の片山幽雪などが出るというから凄い。

清和の父親・左近は、亀井忠雄師演奏の目の前の能で倒れられ、その後亡くなっている。

従って観世流宗家の清和師も、きっと命がけで出演する覚悟だろう。

 

亀井忠雄師の大鼓は裂帛の気合に満ち満ちていて、その気迫に圧倒される。

曲ごとに、死ぬ気で裂帛の掛け声を発し、舞台で演能する方と真剣勝負に挑む。

私も若い時分、ウィリー・フリント(デンマーク)、ジャック・パラン(フランス)、

アーミンズ・ニコフスキス(アメリカ)などを始め、海外から日本にやってきた、

多くの外人能楽志望者と一緒に稽古に打ち込んでものだが、

この秘曲を謡うことさえ、師匠は決して許さなかったのである。

秘曲とは「姨捨」・「桧垣」、そしてこの「関寺小町」の三曲だけ。

謡い方の抑揚や、囃子方との微妙なズレや、幽妙な地頭に率いられた地謡との駆け引き。

後年、何故秘曲で、若年の私たちに許されなかったか、年を経て漸く分かった次第。

 

小町用老女面 今回使用される観世流の老女面ではない

夢幻能ではなく 現在能の面であるだけに 際立って美しい面である

 

小野小町は約9世紀登場の人だが、生没年月日も、誕生地も定かではない。

系図集「尊卑分脈」によると、小野篁の息子に当る出羽郡司・小野良真の娘とされている。

出自・出身地・生誕地・墓地など、諸説紛々としていて、如何にも小町伝説らしく賑々しいが、

間違いなく三十六歌仙の一人であり、多くの優れた歌を残している。

私は後宮である、「町」という字があてられているので、

後宮に仕える女性だったのではと考えている。

同年代の人物に「三条町(紀静子)」「三国町(仁明天皇皇子貞登の母)」が存在し、

前述の小町姉が実在するという前提でモノを言えば、

姉妹揃って宮仕えする際に、姉は「小野町」と名付けられたのに対し、

妹である小町は「年若い方の町」という意味で「小野小町」と名付けられたと考えられる。

故にこそ、いうまでもなく絶世の美女であったのだろう。

 

更に小町が主題や能の題名に使われた能は、「小町物」と総称され、

「草紙洗小町」、「通小町」、「鸚鵡小町」、「関寺小町」、「卒都婆小町」などがあり、

これらは和歌の名手として小野小町を讃えるもの、

深草少将百夜通いをモチーフにするもの、

年老いて乞食となった小野小町に題材をとるものなどに大別される。

後者は能作者らによって徐々に形作られて行き、

「衰老落魄説話」として中世社会には幅広く流布したものであった。

この関寺小町も、老い近江に庵居す小野小町は、

関寺の僧の訪問をうける。寺の七夕祭案内され、稚児の舞にひかれて

遂に往時の夢を追って、老い無残思い知らされる、ストーリーとして単純だが、

高い品性を問われる難曲中の難曲なのである。謡いも少ないし、舞うのも少しだが、

気品と、一層の緊迫感が求められ、或る程度の年齢に達しないと難しい曲である。

ここに、囃子方と地謡座とワキとの、決死の覚悟の真剣勝負がついてまわるからである。

 

 「関寺小町」のことを中心にしてしまったが、

この会は亀井忠雄師の古希記念公演のことである。

「老害はいけない。大鼓を打てなくなったら、舞台を去る」と仰り、

芸の世界で、演者と演者の間で、生きるか死ぬかの瀬戸際の闘いが能舞台というもので、

是非一度、亀井師の裂帛の気合を堪能して戴きたいものである。

  

小野小町の絵画 作者は明治期の菊池容斎 (ウィキペディアより)

 



孫次郎

2010年11月27日 | 能・狂言

 

伝 孫次郎 (三井美術館蔵)

 

 

孫次郎

 

 女性を表現する能面に「孫次郎(まごじろう)」というのがある。能の「金剛流」という流儀の四代目大夫久次(役者で、後に孫次郎に改称)の一人であった、金剛孫次郎という人物が、自ら能面を打って舞台に用いた面だ。16世紀半ばのことで、世は五度目の川中島の戦があった時代に創られた。特に、この「孫次郎」については逸話があり、金剛孫次郎が亡き妻の面影を偲び、彼女に似せて打ったと言われ、「ヲモカゲ」の愛称で親しまれている。

 最初に打たれた一面だけで、金剛流はもとより、他の流儀も含めて、全ての能の舞台をまかなうことは出来ないので、優れた能面が打たれた場合、複数の能面打ちが、その面を模倣して、全く同じか酷似した、またはそれに似せた面を打つ。面を創作する過程を「打つ」と言い、面を顔に付けることを、「面を掛ける」と言う。更に能楽に使われる面を能面と言われる。そうして模倣されて打たれた面を「写シ」といい、原作として打たれた面は「本面(ほんめん)」といって、区別しているが、金剛孫次郎が「ヲモカゲ」として打った面はおそらく一面だけで(多分三井家の所蔵となっていると上記の能面だと思う)、金剛孫次郎自身が、その後も何面か、同じ趣向で打った面があるとも考えられ、そういうものから、多分高い確率で金剛孫次郎本人が打ったと思われる「孫次郎」に、「伝孫次郎作」という銘が与えられているのだろう。

 能面の名称として、能面作者の名前がそのまま冠せられることは別に珍しいことではなく、「増(ぞう)」または「増女(ぞうおんな・ぞうのおんな)」という女神などの役柄を表す面は「増阿弥(ぞうあみ)」という能面作家の創作面で、女の嫉妬や怒りを表した面として有名な「般若(はんにゃ)」も、「般若坊(はんにゃぼう)」という作者の創作面である。金剛流の代表的な若い女性を表現している能面の、この金剛右京久次(金剛座の太夫 後に改名して孫次郎)が亡くなった妻に似せて作ったところから、この作者の名が付いているが、本面には「ヲモカゲ」の銘がわざわざ付けられている。頬の肉付きや毛描きなど、小面よりやや年老いているが、決して中年の女性ではない。毛描きの本数が増え、少しずつ乱れると、年齢を経た女性になることは能の世界では約束事になっているが、小面よりやや年齢を重ねているこの能面で演ぜられる演目は井筒・浮舟・采女・賀茂物狂・祇王・源氏供養・墨染櫻・住吉詣・千手・草紙洗小町・玉蔓・東北・野宮・半蔀(はじとみ)・花筐(はながたみ)・二人静・仏原・六浦・夕顔などがあり、二年前だったか、三井記念美術館で行われた「旧金剛宗家伝来能面」54面の重要文化財新指定記念 寿(ことほ)ぎと幽玄の美―国宝雪松図と能面―」展に出ていたが、以前は金剛宗家に伝来した本面であると確認出来た。

 女面は際立って美しいものが多い。女面で若い順から言えば小面(こおもて)、小姫(こひめ)は可憐な娘面で十代の女性かもしれない。その上が万眉(まんび)、孫次郎(まごじろう)、若女(わかおんな)と続き、小面より若干年上で二十代前半から中盤だろうか。そして美しい極みの女面が多い増(ぞう)、増女(ぞうおんな)、節木増(ふしきぞう)、増髪(十寸神ともますかみとも言う)は極めて清澄な神女であるに相違いない。これらの女面は三十代に差し掛かった女面だろう。更に中年の女性になると、理知的で都会風の女性である深井(ふかい)と、情感的で田舎風の曲見(しゃくみ)がある。老女もまた美しい。姥(うば)。シテが尉をつけるとき、ツレが使う事が多い。痩女(やせおんな)、老女(ろうじょ)、霊女(りょうのおんな)、檜垣女(ひがきおんな)などすべて気品に満ち、幽玄の極致のような面となる。「姥捨」で、月光の下で姥が佛恩を嘆じ、法悦の舞をヒラヒラと舞う姿は美しい極みである。

 又女面の大きな特徴として鬼女の系統も見逃せない。「葵上」などに使われる泥眼(でいがん)は眼に金泥がつかわれ、金泥が使われた面はこの世のモノではないと言う能の約束事になっている。泥眼は品がよく身分の高い美女が嫉妬に狂う有様に演じられる。鉄輪女(かなわおんな)や、橋姫(はしひめ)などの女面は更に深い嫉妬を表現したものである。般若(はんにゃ)は嫉妬の度が極めて強く、鬼のような形相になった女性のことで、最も美しい女性を想像しなければ打てない面である。良く見ると女性的な眉が描いてある。また蛇(じゃ)や真蛇(しんじゃ)は般若より更に鬼度が増したものであり、「もはや聞く耳を持たない」という意味なのか、耳がないのが特徴で、蛇は道成寺の専用面である。

 女性の人生を投影したようなこれらの女面は、それぞれの年齢の美しさと幽玄さを表現している。高村光太郎が妻智恵子が晩年狂乱して行くにつれ、「をんながだんだん付属品を棄てると どうしてこんなにきれいになるのか」と智恵子抄の一篇・「あなたはだんだんきれいになる」を思い起こすのである。能に描かれた女性はどの女性も余計な説明が削ぎ取られた美しさに満ちている。

 従って孫次郎を模倣し、孫次郎亡き後もこの魅力的な女面が創られた。桃山時代から江戸初期に掛けて活躍した面打ちの河内や是閑など、そうして現代の面打ちにさえ模倣され、数多くの孫次郎が存在する。小面や若女より、やや人間的に見えるのは、孫次郎が亡き妻に寄せる思いが強い共感を呼ぶせいであろう。伝孫次郎は至極の美の孫次郎である。孫次郎は孫次郎でしかないカンナメ(鉋や鑿あと=筆致の特徴と同じこと)があり、何よりも本面としての証拠である。例えば「天下一是閑」と焼印が押されてあってもサインなどが書かれてあっても、面裏に刻んであるカンナメの判定で、息子・友閑の創作面であったりする。書き文字は他人が幾ら真似ようとしても土台本物でないと分かるように、カンナメは真似ることは困難だからである。孫次郎の美しい能面は孫次郎の思いを現代にしっかりと伝えて余りある。

 

 「面を掛ける」 面を持つ時は面紐の部分しか触ってはならない 彩色が落剥するため

 


雪 演能

2010年10月28日 | 能・狂言


                        能衣装 唐織(からおり)




    金剛流 「雪」 いとおしい演能


 能には五流あるが、「雪」という演能は金剛流だけに残されている極めて古雅な能で、雪の精が現れ、そして消えて行く、ただそれだけの極めて単純な能なのだが、この単純さと、明快で古めいた能の持つ力が何とも言い難い美しさを保っている。お話が単純なだけに演能者の力量が問われることになるだろう。考えてみれば、金剛流は唯一東京に宗家が出ていない流派で、小書き(特殊演出)が最も多い流派なのである。現在の宗家は京都在住で、私は金剛巌師の演能が大好きであった。

 聞くと北海道には雪がゴッソリと降ったらしい。雪の季節は、寧ろ私が大好きな季節であるのが、今季時雨の記憶はなく、既に雪の季節になったのか、いと可笑しい。思えばCOP10では生物多様性が問われているが、何だか新興国と先進国の間に、資源による利益の分配のみの話が多く、どう評価したらいいか、私には分からない。せめて雪が多い年の稲作は豊穣な年が多いというが、果たしてそうなのだろうか。環太平洋経済連携協定(TPP)はまさしく民主党を分裂しかねない重要課題として浮上してきたが、関税をすべて撤廃することが日本の農政にとっていいのか悪いのか、菅総理はそれに踏み切りたいらしいが、民主党で反対している勢力は小澤一派であるというから、何とも皮肉で頗る不愉快である。

 どこ国家でも農業が国家の基本である。農家を護れなくて、農業にみならず、日本文化そのものを破壊するのではないか。でも開かれた国家でなければ、韓国や他の新興国に負けるのが必定で、大いに悩ましいところである。農業に対する規制が多過ぎるのが最も悩ましい事実である。私たちが稲作をやるには相当なハードルを越えなければならない。調整区域は専業者でなければ購入することも出来ない。日本固有の稲作文化を守ろうにも守れない。どうしたら解決出きるのか、「やまとごころ」の文化の領域の手助けにて是非とも解決したいものである。『雪』の小書き・「雪踏之拍子」という場面での序の舞が格別にいとおしい。やまとごころこそ、すべての世界の矛盾などに立ち往生してくれるに相違ない。日本人は今こそ自信を持つべきときである。






 金剛流 雪 仕舞 京都宗家にて


 興福寺薪能

2007年05月11日 | 能・狂言

 

 

 

興福寺薪能

 

 

五月十一、十二日に 奈良市登大路町興福寺南大門跡の前庭で行われる芸能

今では薪能は全国各地で行われているが この興福寺が最も古く格式を保っている

その起源は諸説あって明らかではないが いずれにせよ御寺の行事の一環であった

 

平安時代に興福寺東西金堂における修二会の前行事である薪の宴に

申(猿)楽が付随していたためと言うのが有力な説であろうと思われる

 

薪の宴とは修二会に用いる薪を春日山から伐り囃して来る行事のことで

ここから薪能の名前が起こったとされている

 

能は中世の代表的な舞台芸能で 古来の猿楽を 世阿弥が大成させた

猿楽能は寺社で行われていた神事芸能であり 興福寺と春日大社に付随し

寺の法要や祭事を行っていたのが 現在の観世・宝生・金剛・金春の大和四座で

中でも後年まで興福寺が庇護し結びつきが強かったのが金春流となろう

 

当日は般若の芝の上に敷舞台を置き 四方に篝火を焚き

その明かりの中で能楽が演じられる 特に初日には春日大社・灰ノ屋で

演じられる「咒師走り(しゅしわしり)」と言う能舞が最も重要な厳儀とされる

 

以下今年度 今日と明日の演目である

 

平成十九年度 薪御能仮番組

 

五月十一日


 

咒師走りの儀 春日大社舞殿 十一時~(都合により遅れる場合あります)
金春流能   翁(おきな) 金春穂高(こんぱる ほだか)


南大門の儀   興福寺南大門跡 十七時三十分~
金春流能   田 村(たむら) 金春安明(こんぱる やすあき)


  火 入 れ 興福寺衆徒


大蔵流狂言   口真似(くちまね) 茂山忠三郎(しげやま ちゅうざぶろう)


観世流能   海 士(あま) 観世喜之(かんぜ よしゆき)

 


五月十二日


 

御社上りの儀   春日若宮社 十一時~
金春流能   通小町(かよいこまち) 金春欣三(こんぱる きんぞう)


南大門の儀     興福寺南大門跡 十七時三十分~
金剛流能   半 蔀(はしとみ) 金剛永謹(こんごう ひさのり)


  火 入 れ 興福寺衆徒


大蔵流狂言   柑 子(こうじ) 茂山あきら(しげやま あきら)


宝生流能    野 守(のもり) 辰巳満次郎(たつみ まんじろう)

 

全部観たい魅力的な曲ばかりであるが そろそろ長い休暇からの初出社で

お近くで行かれる羨ましい方々に お譲り申し上げようと思う (硯水亭)