硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 櫻繚乱 檜木内川

2007年04月26日 | 

 

 

 

櫻繚乱 檜木内川

 

 

 

どうして そんなに櫻が好きなのと 

同じように櫻行脚をする女の子に聞かれた

 

櫻が僕を好きなのと応えた

顔を見合わせ 思わず大笑い

 

私もそうかもよと 彼女が応える

繚乱たる櫻舞う角館の川辺にて

 

躑躅が咲き 藤の花も咲き出したことだろうか

北の櫻はこれからが本番であるから嬉しい

明日は和歌山の川辺で 道成寺の鐘供養があると言うのに

櫻行脚の旅は 未だ二週間も残っている 幸せなことである

 

 

 

口絵の写真は 角館・檜木内川の櫻並木

 

 



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2 コメント

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桜前線よ北へ。 (道草)
2007-04-27 06:34:05
「生きる上で裏方をつとめているのが、人間以外の動植物。その動植物がおるから、人間も生きていける。今では人間は自然とのつながりを忘れてしまって、スイッチさえ入れておけば、生きていられると思っている」、とは佐野禱右衛門の言です。硯水亭さんは、まさに自然の生きた知恵を学ぶ体験をされたわけですが如何でしたか。
昔は「種蒔桜」の咲く頃に苗代の籾種を蒔いたのが、今は早期栽培で京都の丹波などでは、収獲までが1カ月も早く進行してしまっています。科学や技術の進歩と云ってしまえばそれまてで、自然の摂理に叛いてばかりいると取り返しのつかない事態に至ることは目に見えるようです。種蒔桜は全国各地にもあるのでしょうが、山形で「たぐひなき思ひいではの桜かな薄紅の花のにほひは」と西行が詠んだのは、今から800年以上も前のことです。今から800年後には、「櫻計画」が見事に花開いていることを祈るのみです。来週は桜前線を追って北海道でしょうか。
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櫻を追い続けて (硯水亭)
2007-04-27 08:12:53
     道草先生

 おはよう御座います。今回の農家での体験は皆新鮮で楽しいものでした。結構疲れましたが、農家も昔と比較にならないくらい近代化されているのでしょう。若夫婦は漸くお嫁さんを貰った次第でしたが、国内の方ではありませんでした。中国・昆明から来られた方で、羨ましいほどの仲の良さでした。

 高村光太郎が戦後花巻の在郷・山口に住んで、ジャガ芋とかささやかな農業の真似事を七年間やりましたが、憧れだったのでしょう。若かりし時分も一度北海道に渡って農業をしたようです。でも晩年の疎開は、戦中の発言などが主な原因だったのでしょうか。智恵子が死んで後も、あれ程の愛惜を示し、独りきりの生活に、死んだ智恵子がちゃんとお付き合いをしたのでしょう。智恵子の東京には空がないと言った発言の本当の意味を知ったのでしょうか。智恵さんをそこまでして、もっと知りたかったのでしょうか。或いは農業を我々生きる上での基本と考えたのでしょうか。

 全く至らぬ手伝いでしたが、素直に答えると、皆さんが随分喜んでくれたようで、節々の痛みも何のその、何とか頑張れたように思われます。神嘗祭がある通り、神代の時代から農業は大事です。頭ではわかっていても、実際に手を下して見ると様々な発見があるものです。本当に勉強になりました。お陰で、青森・木造町の友人に、林檎の剪定の仕方を是非教えて貰いたいと思っています。櫻の延命を勉強したいからです。ただ見るのではなく、何かをして櫻とのかかわりを深めて行きたいと望んでいます。

 一旦山形や福島に下ろうかと思ったのですが、やはりこのまま私のランドローバーで北上しようと存じます。北海道では主に2箇所。憧れの松前と静内に参ります。根室のチシマザクラまで行けるかどうか、それだけは怪しいのですが、頑張りたいと思います。

 今日はこれから青森に参ります。弘前の櫻は少々早そうですから、一旦青森市のネブタ小屋に立ち寄り、友人のネブタ作家・千葉作龍を尋ねる予定です。

 今日は和歌山・川辺で道成寺の鐘休養があり、歳時記と銘打った以上そうした記事を書きたいのは山々ですが、もうしばらく櫻にお付き合い戴ければ幸いです。簡単に櫻山とは申しましても、実現するのは苦難の道があるでしょう。何が何でもやらなければなりません。どうかどうか暖かくお見守り戴きたいと懇願してやみませぬ。
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