硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

     水無月の大祓い

2013年06月28日 | 歳時記

我が家の大書院 戦災時や大震災時は近所からの被災者でいっぱいであった

 

 

          水無月の大祓い

 

 塾生が30人ずつ二手に分かれてアラスカに行っていたが、無事全員帰国して、喜ばしい。シアトル経由で韓国経由にはしなかったが、何と生のキングサーモンが塩漬けのまま届き、解体して家族で食べた。トロリ感は本マグロの大トロ以上で堪らない美味である。1尾66ポンド(約30キロ)もある大物なので、方々へ小分けにして差し上げた。無論イクラ漬けを作り置いた。しばらくは楽しめそう。白夜を初めて体験した子が多かったが、みな睡眠充分で元気いっぱいの様子。自慢げにたくさんの写真を見せてくれた。実はホッとしているのである。全世界偏西風と寒気の変な位置のお陰で、世界中どこでも異常気象。日本では梅雨前線が一定の位置に居座り、九州とは限らず、ゲリラ豪雨の真っ最中。先日のお昼は渋谷は何でもなかったのに、新宿では激しい土砂降りであった。カラ梅雨は逆に危ないもので、一昨年のような真夏の猛暑も当然想定される。インド山間部の大洪水も大変に心配な事態である。

 今年の櫻行脚が終わって帰ると、私の文机に妻が、ナルコユリを活けていてくれ、地味な花だけに心がユルッと解けてくるのを覚えた。十日前、今度は私が妻の文机に、薄紫のホタルブクロを飾っておいたが、何と野の花なのに長持ちするらしく、最後の蕾まで花をつけてくれ、妻は大いに喜んでいた。上の杏には橙色のオールドローズ。下の大風には咲きたてのラヴェンダー。但しこっちは本人たちが喜んだかどうか不明である。

 

鞍馬苔

 

 花の名前と言えば、先月読書会で読んだ中里恒子の「花筐」にやや古風な花の名前が出ていて、調べながら読むことに快感があった。古瀬戸にこの花、信楽に高野箒とか、その場面場面に効果的に使われていて、中里恒子の美意識が顕著に表現されている。ほたるぶくろ、南蛮ぎせる、牡丹、萩の花など身辺近くにある花は無論のこと、酔蝶花、雲雀龍、叡山苔、鞍馬苔、艶麗草、舞鶴草、台湾薄、油貼草とか、普段使いしない花々がたくさん出てくる。中でも最も効果的だったのは貴船菊だったかと思う。九つの短編小説の中で、「終身」には周山周辺のことが詳しく描かれ、貴船菊がまるで主人公であるかのような役目を果たしている。貴船菊とは「シュウメイギク」のことである。更に次のような美しい一文が、「夢の木」に出ているからご紹介しよう。

 「櫻と言っても櫻だけではなく、あの頃は、あとさきに何かあった。心を揺する何かがあった。なにもかも手を触れれば、生温かく、手の届くような場所にあったものが、さういふあとさきが消え失せて、ただ、花だけを見てゐるやうだ。~~~純粋の花だけの、侘びしい脆さ、阿伊の心の底の残影のなかで、ひらひらと花が散ってゐる。」

 この名文の中に、中里恒子の名作「時雨の記」の本質が隠されているような思いがした。花という名の愛欲の表現は全くなく、男女の深淵な愛のあとさきが淡々と描かれていると思ったからである。然も文章は存外スピード感に溢れている。つまりこの短編集の第一、「花筐」に出てくる男女もまた、花のあとさきの表現に違いない。古瀬戸や信楽や備前が道理で小道具として出てくるわけで、その表現は主人公と見紛うばかりのスポットの当たり方であり、美しい表現とは、こうした表現なのであろう。能にも花筐がある。越後へ流人時代に愛した少女、後の照日の前。継体天皇はその後都に帰り即位するが、自分の行列の前に照日の前と言う狂女が現れる。聞けば、その女は確かに自分が渡した花形見を持っていた。継体天皇はその後、その女人を宮中に昇殿させる物語であるが、これは純愛物語などではない。当時天皇は未だ天皇と呼ばれておらず、大君(オオキミ)と呼ばれ、多くの豪族に囲まれていた。そこで、この女人をヒメミコ、つまり祈祷する女として昇殿させたに過ぎないのではなかったか。その距離感が微妙な、でも美しい曲である。中里恒子の「花筐」に、鳥羽とやすという男女が出てくるが、鳥羽が亡くなってからのしみじみとした情感が描かれ、まるで散華か、はたまた能の花筐を観ている風情であったのが印象的で不思議である。

 

中里恒子作 短編集「花筐」

 

円覚寺奥にある中里恒子の墓石 一人娘の圭さん これを建つ

「終身」には お墓探しの場面が濃厚に出てくる

 

 中年女性を対象とした私主宰の読書会に、最高齢80歳を超えられた御夫人がおられる。四月の清川妙さんの時も、五月の澤村貞子さんの時も、六月の中里恒子さんの時も、指示された一冊だけではなく、他の著書も必ず五冊は読んでこられる。まだ寡婦ではない。でも残りの少ない時間のすべてを自分用にしたいと言っておられた。これまで読書を積極的に出来なかった後悔があるらしいが、それでもこの方の感性は充分若々しく、積極的で具体的な目標づくりに心打たれている。彼女の多くの皺は女人の勲章であり、感性の表現か、間違いなく魅力に溢れていることは確かである。私も心して出席せねばなるまい。七月は武田百合子の「富士日記」。彼女はきっと「富士日記」の上中下巻だけではなく、「日々雑感」や「ことばの食卓」は勿論、「犬が星見た~ロシア紀行」を必ずお読みになられて出席されるだろう。

 男性陣へは「古事記」を原文で読む会をしている。こちらも盛況で、私は確かな手ごたえを感じている。本居宣長の「古事記伝」を併せて参照しながらで、結構アナログ的な、こんな会が受けているのだろうか。30日は夏越の大祓いの日。この日、白いヒトガタを貰い受け、家人全員の厄をつけ、神社にお頼みする予定。茅で作った茅の輪くぐりを、子供たちも妻も共にしようと思うが、亡き主人が逝った愛宕神社の男坂にはそろそろ行きたくない。時間が経てば経つほど、特別に恋しくなる御仁だからである。30日の朝茶には手作りの「水無月」(葛使用)を出そう。

 

 厄除けのヒトガタ 夏越の大祓いの日に神社に出してお祓いを受ける

 

今日は和菓子「蛇の目」で 濃茶を一服

 


      Istanbul on Edge

2013年06月20日 | 時事問題

一方的に容赦なく催涙ガスを女子大生に吹き掛ける警官たち 

(今回の騒動の象徴的写真である)

 

 

 

       Istanbul on Edge

 

 トルコ共和国が危機的状態にある。エルドアン首相の独裁的政治手法に、多くの国民の怒りが沸点に達したからである。禁酒・女性のお化粧制限・女性に被り物の着用強制など、極端なイスラーム化への反発が背景にありそうだが、最初はタクセィム広場の再開発が問題であったようだ。その広場っていうか公園は日本でいうなら渋谷の道玄坂のような場所であるが、Istanbulでは数少ない緑地であり、平和の象徴的な場所なのである。そこを潰して巨大ショッピングモールを作ろうという政府の方針であったから俄かに騒々しくなったのだ。私は以前その近くのホテルに泊まったことがあり、大変馴染み深い。1982年に現憲法が制定され、三権分立、中でも政教分離がうたわれていて、極めて民主的な憲法が成立したのであるが、成立当初からイスラム原理派と世俗派の対立があったのも事実である。まぁ都市では如何にも欧州連合に入れそうな街並みであるが、地方へ行けば極端なイスラム国家であり、欧州というより、東洋的な匂いが極めて強いが、曾てオスマン帝国時代はあらゆる民族や宗教が緩やかに大同団結し、一つの国家になっていたのである。現在トルコ軍はNATOに加盟しているが、ここ10年の経済発展があったにも関わらず、ユーロへの加盟は許されなかった。国家を持たない民族であるクルド人問題やキプロス問題やアルメニア人虐殺問題に、トルコ共和国は決着つけていないからで、その苦悩の一端が窺えるというものだ。つい最近開かれた2020年オリッピク開催地への立候補(二度目のプレゼンテーション)で、デモのことは一切触れられず、素敵なプレゼンをしていたから、余計に心配なのである。Istanbulのタクセィム広場の奥にあるゲジ公園では今もデモ隊が占拠しているが、彼らは武器を持っていない。平和的なデモであるはずだが、イスラーム強硬派とも、今や言えそうなエルドアン首相に対する不信感が徹底して根強い。ともかく官憲による強制排除ではなく、話し合いをし、我慢強く双方が解決の道を歩まれることを心から念じている。トルコ共和国は大変な親日国家であり、下馬評通り、最も五輪開催に近い国家であって欲しい。東京開催のライバルはどこまでもそのままライバルであってほしいものである。

 アラブの春の総仕上げとしてシリアのアサド政権に対するデモから内戦になって、早二年が経つ。いわゆるシリア騒乱であるが、たったそれだけの期間で9万人の死者が出たというから恐ろしい。去年8月20日に、戦場ジャーナリストで写真家の山本美香さんがシリア政府軍の銃撃によって亡くなられた記憶も新しい。常々美香さんは海外特派員がいることは戦争の楯となって、いい方向に行くと言い、戦士の取材ではなく、戦争によって虐げられた一般庶民や女性や子供たちを取材対象にしていた。政権側にロシア政府がつき、反体制派にはアメリカ・NATO・イスラエルが応援し、ヨルダンを拠点としたヒズボラは政府軍に味方し、愈々複雑化し、事態は更に深刻になってきている。大国のG8が北アイルランドのロックアローンに集結しても何の足しになるのだろうか。傍観するしかないのか。今年1月に起きたアルジェリア人質拘束事件によって、民間の日本人が10名も虐殺された記憶もまだまだ生々しい。今朝FIFA・コンフェデレーションズカップにおいて、日本チームはイタリア代表チームに大接戦し惜敗したが、ブラジルではWカップやオリンピックに対する国民的不満が根強く、連日デモが起きている。大会開催による箱ものばかりに資金が投入され、国民の福祉や教育が等閑にされていることへの不満である。開催は大丈夫だろうか。あれやこれや世界の報道CNNBBCを見ると心痛に耐えない出来事ばっかりで世情騒乱というところである。確かにここ数年で世界の平和度が極端に下がっていることが残念でならない。トルコだけではない。更に欧州各国を流れるドナウ川やエルベ川の氾濫も見逃せない。今年の櫻で最も哀しい櫻を観た。ボストンマラソン爆発事件である。アメリカで最も安全な都市ボストンでテロがあったが、犯人が潜んでいたボートのある家など周辺で、今は盛りの美しく、哀しい櫻満開を観た。オクラホマでの猛烈な竜巻やコロラド州での山火事など恐ろしく、時々刻々、今そこにある様々なことが、on Edgeなのである。

 ユーロ紙幣に描かれている凱旋門の図柄は、実は実在していない凱旋門であり、如何にもユーロを象徴しているようで興味深いでしょう。主たる産業は観光と海運しかなく、四人に一人は公務員であるギリシャの債務超過は半端ではない。ポルトガルやスペインも同様の悩みがあり、財政健全化には程遠い。かくいう我が国家も然りであるから、やや事情が違うものの他人事ではない。アベノミクスによって、韓国のウオンが極端に値下がりし、日本に協力を求めるより、中国との関係に比重を置くほうが韓国内右派の間にも聞こえがいい筈。竹島問題を従軍慰安婦問題にすり替えた朴槿恵新大統領は米国議会でもオバマ大統領にも、日本叩きの大連呼。そんなにいうなら、この7月3日に切れる日韓スワップ協定の延期、或いは新規締結を止めたらいいでしょう。いえいえこれは決して大袈裟な話ではありませんし、いわゆるヘイトスピーチでもないのです。クネノミクスってあるらしいが、問題を静思していない証拠で、韓国財閥も呆れ顔をしているらしい。第一性奴隷の話をしておきながら、朴槿恵新大統領の訪米中に、側近の報道官がアメリカ(米国籍コーリャン女子大生に)のホテルでセクハラを起こしたのだから、どうしようもない。アメリカ官憲に捕まる前に、新政府あげて彼を韓国に逃亡させてしまったのである。芸能人への性接待強要疑惑が多数付きまとう韓国国内事情を、もう少し自浄能力を発揮してから、他国へモノ申すべきである。売春輸出大国としての認識の甘さが露呈したと言われても仕方がない。日本は、このような韓国版田〇真紀子のような方には、ヘタに近づかないほうがよろしいだろう。但し新大久保のコーリャンタウンに出没する熱狂的な右翼はヘイトスピーチそのものであり、批判ではなく明らかな差別である。新大久保界隈は一頃の賑わいを完全に失っているのが残念でならない。引っ越しの出来ない隣国同士、アメリカ頼みで従軍慰安婦問題を発展させるのは間違っている。ロビー活動も大概にしたらどうだろう。

 中国は蟻族とか鼠族とか、徹底的に差別された多種多様な人種を生んでいる。農村部の戸籍が都市部へ動かせないのが最大の懸案だが、農村部の鬱積は相当なものらしい。「貧乏でも等しく同じ同胞」であった毛沢東の原点へ回帰するデモが起きている。日本の老人より遥かに多い働かない老人たちに、毛主席に懐かしさを覚え回帰する運動が密かに横行し賛同されているようである。毛主席回帰デモや汚職役人に対するデモが地方で頻発し、昨年一年間で20万件の、その種のデモがあったというから気が重い。天安門事件は完全に封殺され、文化大革命当時の酷かった紅衛兵運動では何万人の方々が虐殺されたのだろうか、全く不明のままである。一人っ子政策から毀れ、生まれ落ちた無戸籍の子供を黒孩子(ヘイハイズ)というが、中央政府のいう数字はアテになろうはずがない。一説には数万人だという説もあるぐらいである。極端な差別は共産主義と言えるのか、曖昧なまま習近平氏はアメリカと対等で、広い太平洋を二国で支配していると豪語した。汚職官僚が不正蓄財し、海外逃亡を図るのは一万人や二万人ではないし、中国銀行発表で一兆円に達する金額が流出し止められず、イギリスの金融機関発表ではその程度の金額ではないらしい。将来の逃亡を見据え、妻子を先に海外に行かせ、何食わぬ顔をして働く官僚を「裸官」というらしいが、何とその数は100万人以上というから驚き以外にない。然も愛人を逃亡させ、ロサンゼルス郊外の高級別荘地帯に、その愛人を住まわせているようだ。そうしたヴィレッジを堂々と「妾村」と呼ばれているようで情けない。ロスだけではなく、最近バンクーバーにも多く存在し、彼女たちが住み、その名目は別荘管理というから呆れる。逃亡を目指し、身一つで単身貧乏を装い、人民に奉仕するような手合いが実際は凄まじい人数ではなかろうか。すべての問題は貧富の差から来ている。現在の政権では七人のうち、四人が江沢民派であるから、反日感情がなくなることは全く考えにくい。江沢民が政権への不満を集約させるために始めたのが愛国教育であり、言わずもがな徹底した反日教育である。更に江沢民時代、「3つの代表」理論は「マルクス・レーニン主義」・「毛沢東思想」・「小平理論」とともに国家理念として憲法前文に追加された。その縛りがあるために、習近平氏は彼が思った通りの政治は期待出来ないものである。永遠に反日教育で、全国民をはぐらかせると思うことが稚拙な間違いで、のっぴきならない事態にならないといいが、品格のある常任理事国になってほしいと願うばかりである。

 どこまで信頼していいのか分からないことだが、イギリスのエコノミスト紙が色んな指標を駆使し、世界平和度指数なるものが作成してある。日本は常時上位だが、韓国・北朝鮮・中国から土地買収などで、果たして日本本土は平和と言えるのだろうか。又かの国家の人々は分譲マンションにも手を出していることが最近異常なカタチで判明している。欧州各国と日本は比較的安心に生活出来る国家として名を連ねているが、そこで満足すべきではない。真実は無政府状態で、極端な貧困に喘ぐソマリアや、愈々アメリカが撤退するアフガンやイラクなど各国とともに平和が実現出来るよう、日本国家は大いに尽力すべきで、小賢しい悪知恵のある国家と談合すべきではない。この指標作成により、最も興味深いことは、アフリカ各国が目覚め、中国への信頼度が10ポイント減ったということだ。理由は簡単で、自国のためにただ資源を持ち帰るだけが中国だと信じられている。その点日本は社会的インフラ整備や教育や医療や通信や、先ず必要不可欠なものを整備するから信頼出来るのだという。泥棒的野心を排除するところからしか信頼は生まれないものだ。無論東アジアの平和にむけ、朝鮮半島や中国ともいずれ話し合いしなければならないだろう。ただ都合がいい時だけ大国だと言い、都合が悪ければ発展途上国と言い張る中国政府とは、小澤シェンシェイのように、小澤チルドレエンを大勢連れて行って国家主席と記念写真を撮ってもらうだけでは何とも言いようがない。中国との冷え切った関係を増長する日本人が如何に多いか、この際しかと認識すべきでもある。正しい現状認識が何よりも重要である。胡錦濤元総書記と立ち話したその二日後に、普通急いで国有化するか。民主党の置き土産の一つである。石原前東京都知事からケツに火をつけられ慌ててやったとしたら大失態である。地方の首長と国家の内閣は違うわけで、何よりもメンツを重んじる国家になすべき手順では、少なくともなかったと断ぜざるを得ない。韓国は河野談話を知っているわけで、村山談話の後、アジア女性基金が作られたが、民間の出資がおかしいとのことで、2007年に終結している。そこで唯一成功例としてオランダ方式もあり、2001年から始まったドイツの「記憶・責任・未来」財団の例もあるにはある。橋本徹大阪市長の発言が大問題となったが、軽々しい彼の言動は相手があることでもあり、まして記者団とのぶら下がりで発言する内容であっただろうか。

 ここでジャーナリストの櫻井よしこさんのブログ記事を公開しておきたい。

 

 櫻井よしこ

  日本を貶め続ける「河野談話」という悪霊

  強制連行を認めた河野氏

 九三年八月四日、宮澤喜一内閣総辞職の前日に、河野洋平官房長官が発表した談話が悪霊のように日本にとり憑いている。中国や韓国、さらに欧米諸国で"高く"評価されるに至った河野談話は「慰安婦の 募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合 も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と明記して、「官憲」が「強圧」によって慰安婦を生み出したと、公に認める内容だ った。また、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営された」「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは問接にこれに関与した」「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」として、軍による強制の意思が働いていたことを強く示唆する内容だった。また、河野氏は、直後の記者会見で次のように、より明確に強制連行を認めてい る。

 (官邸記者)今回の調査結果は、強制連行の事実があったという認識でよろしいわ けでしょうか。「そういう事実があったと。結構です」。氏は明快に答えたが、これだけはっきり言うからには根拠があるはずだ。その点 を別の官邸詰めの記者が質問した。強制連行については公文書は見つからず、それで聞きとり調査をしたと理解してい ますが、客観的資料は見つかったのですか。この問いに河野氏は次のように答えた。「強制には、物理的な強制もあるし、精神的な強制もあるんです。精神的な強制は官憲側の記憶に残るというものではない。しかし関係者、被害者の証言、それ から加害者側の話を聞いております。いずれにしても、ご本人の意思に反した事例が数多くあるのは、はっきりしておりますから」。要は、質問に出てきた客観的資料はなかったのだ。しかし、「証拠はないという 事実」に反して、河野氏は「強制」があったと断じ、それが一人歩きし始めた。政府は、当時十六人の元韓国人慰安婦の証言を聴いており、彼女らの証言が「強 制」の決め手になったとされた。だが、その証言内容も、証言者の姓名も、今日 に圭るまで、一切明らかにされていない。

  公表できない調査内容

 私が実際にこの問題について当事者らの取材を始めたのはそれから四年近くがす ぎてからだった。九七年四月から慰安婦問題が中学の歴史教科書に掲載されるこ とになり、事実はどうなのかという疑問が再ぴ私の中で頭をもたげてきたのだ。宮澤内閣の力を結集して集めた歴史資料は膨大な量にのぼり、その中には、日本軍による強制を示す資料はただの一片もなかったとされている。にもかかわらず 、なぜ、政府は強制を認めたのか、私は考え得る当事者たち全員に取材を申し込 んだ。そして取材を一旦受けながら、直前に断ってきた宮澤首相を除き、河野氏、河野氏の前に官房長官を務めた加藤紘一氏、官房副長官の石原信雄氏、外務審議室長 の谷野作太郎氏、武藤嘉文外相、駐日韓国大使の孔魯明氏、駐韓日本大使の後藤利雄氏らの話を聞いた。その結果確認出来たのは、河野談話には根拠となる事実は、全く、存在せず、日韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃 く反映されていたことだった。氏の歴史観、戦争に関する極めて、否定的な想いは、宮澤氏のそれと多くの共通項を有してもいた。河野談話に至る過程で重要な役割を果たしたのが、前述のように、十六名の女性 たちの"証言"だった。十六人は韓国政府によって選ばれ、日本側から外政審議室の田中耕太郎審議官ら四名が韓国に派遣され、一人平均二時間半をかけて聞き取 りをした。報告書を読んだ谷野外政審議室長は次のように語った。「凄まじい内容でした。宮澤さんにお見せしたら目を背けました。読みたくないと仰った。余程公表しようと思いましたが、出してもいうことをきかない人はき かない。余りにもオドロオドロしいので出しませんでした」。一方、石原氏は、「最後まで迷いました。第三者でなく本人の話ですから不利な事は言わない、自分に有利なように言う可能性もあるわけです。それを(旧日本 軍及び政府による強制連行有無の)判断材料として採用するしかないというのは …」と□ごもった。氏が□ごもったのは、女性たちへの聞き取りが尋常なものではなかったからであ る。第一に、日本側から女性たちへの反問も検証も許されなかった。加えて、韓国政府の強い要望で実現した聞き取り調査は、日本政府が、女性たちは生活やお金のために慰安婦になったのではなく、強制連行されたのだと認め、謝罪するこ とにつながるべきだと、韓国政府が要求していたことである。事実、聞き取り調査の始まる前の七月十四日、孔大使は日本記者クラブで会見し、元慰安婦の名誉回復のため、強制連行だったと日本政府が認めることが第一条件だと述べている。女性たちの証言は日本政府が聞き取りをすると決めた瞬間か ら旧日本軍による強制連行の"証拠"となるべき運命だったと言える。

  韓国人でも証言に疑問

 ただ、石原氏も谷野氏も、温度差はあれ、証言内容に疑問を抱いてはいた。「彼女たちの体験を売春だったと開き直れる世界ではありません」と述べた谷野氏で さえ、女性たちの証言を「そのまま信ずるかと言われれば疑問はあります」と答えたのだ。女性たちの証言を信じ難いとする評価は日本人だけのものではない。韓国においても同様の見方がある。九三年、二月に出版された『強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち証言集1』(韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編)は、四十余人を対象に調査を実施した。調査に参加した安秉直・ソウル大学教授はこう 書いている。「調査を検討するにあたってとても難しかった点は、証言者の陳述が理論的に前と後ろが合わない場合がめずらしくなかったことだ」。「調査者たちをたいへん困難にさせたのは、証言者が意図的に事実を、歪曲していると感じられるケースだ 。我々はこのような場合に備えて、調査者一人一人が証言者に人間的に密接にな ることによってそのような困難を克服しようと努力し、大部分の場合に意図した通りの成果を上げはしたが、ある場合には調査を中断せざるを得ないケースもあ った」(西岡力氏『闇に挑む!』徳間書店)。韓国の人々の目にも疑問が残った女性たちの証言を前にして石原氏が懸念したこ とのひとつは、日本が強制を認めた場合、それが後々、新たな補償問題につながっていく可能性だった。だが、韓国政府は日本政府より一枚上手だった。彼らは日本側の懸念を見通し、日本政府が強制を認め易くするために、日本には金銭的補償は求めない、補償の必要があれば、韓国政府の責任において行うと明言したのだ。こうして、懸念が取り除かれた日本政府は強制連行を認めるべく、背中を押されていった。

  十三歳の少女まで?

 だが日本が強制を認めて四年後、状況はまたもや微妙に変化した。九七年春、韓国の柳宗夏外相が、日本政府は慰安婦問題に対して補償し責任を認めるべきだと述べたのだ。日本政府による個人補償の必要性に韓国政府がはじめて言及した瞬 間だった。石原氏は「女性たちの名誉が回復されるということで強制性を認めたのであり、 国家賠償の前提としての話だったなら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めていたはずだ」と語る。河野談話はそうではないという前提で、"善意"で"日韓関係に配慮して"認めたというのだ。もう一歩踏み込んで言えば、あの時点で日本政府が強制性を認めれば、韓国側は もはやこの間題を問わないという、阿吽の呼吸とでも呼びたくなる"共通の理解" があったと、氏は述懐する。河野官房長官の強い意思とそれを支える宮澤首相の決意によって生まれた談話は 、いま、国際社会で日本軍による強制連行の動かぬ証拠とされ、日本非難の支柱 となった。それにしても、米国下院での状況は、検証のプロセスが欠落している点で、日本での聞き取りと酷似する。米下院本会議に、「旧日本軍が若い女性を強制的に性的奴隷にしたことに対して、日本政府の公式な謝罪を要求する」という内容の決議案が日系三世のホンダ議員によって提出されたのは、今年一月三十一日だった。米国下院の決議案には、「日本帝国陸軍が直接的及び間接的に」「若い女性の隷 属」「誘拐を組織することを許可した」「慰安婦の奴隷化は、日本国政府によっ て公式に委任及び組織化され、輸姦、強制的中絶、性的暴行、人身売買を伴って いた」と記述されている。慰安婦の中には、十二歳の少女もいたとされ、彼女らは、「自宅から拉致され」 「二十万人もの女性が奴隷化され」「多くの慰安婦は、最終的には殺害されたり、交戦状態が終了した際には自殺に追い込まれた」、その結果、「(女性たち)の内僅かしか今日まで生存していない」とある。こうした対日非難の"証拠"となったのが、またもや、検証されざる女性たちの証 言である。たとえば二月十五日の米下院公聴会で証言した韓国人女性は昭和十九年、十六歳のとき、友人に誘われて未明に家出し、国民服の日本人の男について いったそうだ。汽車と船を乗りついで台湾に到着、男が慰安所の所有者だったと知った。男は彼女を電気ショックで拷問し、電話線を引き抜いて縛り上げ、電話機で殴ったという。彼女は売春を強制されたが、「ただの一度も支払いを受けなかった」とも語っている。

  検証もせずに批判

 真実とすれば、このひどい取り扱いは心底憎むべきものであり、女性には深い同情を禁じ得ない。だが、疑問も残る。たとえば、右の証言はどこで日本国政府や軍による挾致、強制につながるのかという点だ。白ら語ったように、彼女は友人 と家出した。彼女らを台湾に連れて行ったのは慰安所の所有者だった。彼女の台湾行きに日本軍や日本政府が加担し、強制したのでないのは明らかだ。また同じ公聴会で証言したオランダ人女性は「インドネシアの抑留所にいた一九四四年、日本軍の将校に連行され、慰安所で性行為を強要された」と証言した。 たしかに、インドネシアでは、現地の旧日本軍人がオランダ人捕虜の女性を同意 なく売春婦として働かせたことがあった。しかし、事態を知った軍本部は、この慰安所の閉鎖を命じ、当事者は戦後、戦争犯罪人として死刑に処せられている。彼女の事件は、むしろ日本側が「国家によ る強制はなかった」と説明出来る材料なのだ。にもかかわらず、ホンダ議員らは検証もせずに日本を断罪する。戦後補償問題に取り組むミンディー・コトラー氏も、公聴会で慰安婦問題とユダヤ人虐殺を同列 に並べ、日本に、強制連行を否定することで「日米同盟の名誉を汚すのをやめよ 」と糾弾した。

  河野談話が全ての原因

  かつて日本政府は韓国政府の強い要請を受け入れて、疑問を封じ込めて強制を認 めたが、今や、女性たちの証言は、韓国政府が要請しなくとも、検証なしで、米国議会で受け容れられていく。まさに河野談話によって、強制性は慰安婦問題の大前提として国際社会に認知されたのだ。そのことに気づけば、駐日米大使の三 月の発言も、自ずと理解出来る。トーマス・シーファー大使は米国下院公聴会での女性たちの言葉を「信じる」「 女性たちは売春を強要された」として旧日本軍による強制は「自明の事実」と述 べた。ホンダ議員も、二月二十五日、日本のテレビに生出演して、「強制連行の根拠を示してほしい」と問われ、答えた。「実際に(河野)談話という形でコメントが出ているじゃありませんか。また、強制的でなかったというのなら、どうして日本の首相は心よりお詫びしたのですか」。日本を深く傷つけ、貶め続ける河野談話。だが、米国の反日グループからは、次 のように悪し様に言われている。コトラー氏は公聴会で述べた。「日本政府は公式な謝罪をしたことがない。今までの首相の謝罪は全部個人の意見としての謝罪である」「官房長官は、ホワイトハウスの広報担当者とほぼ同じ。広報担当者のお詫びが 政府のお詫びでないように、河野氏のお詫びも政府のお詫びではない」。さらに「河野氏はレイムダックで、責任を持てない」人物だとし、「この問題は今日だけではなく明日の問題でもある」と強調した。河野談話にもかかわらず、未来永劫日本の非をとがめ、責任を問い続けるという のだ。そして決議案は、日本政府は「歴史的責任を明確に認め、受け人れ」、「この恐ろしい罪について、現在及び未来の世代に対して教育し」、「慰安婦の従属化・奴隷化は行われなかったとするすべての主張に対して、公に、強く、繰り 返し、反論し」、米国下院の主張する慰安婦のための「追加的経済措置」につい て国連やNGOの勧告に耳を傾けよと結論づけている。河野談話が全て、裏目に出ているのである。

  証拠ない、と安倍首相

 安倍首相はこうした動きについて、河野談話を引きつぐとしながらも、重要な点に言及した。三月一日には「(軍の強制連行への直接関与など)強制性を裏づける証拠がなかったのは事実」と発言し、三月十六日には社民党の辻元清美衆院議員 の質問上意書に対して、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆ る強制連行を直接示す記述は見あたらなかった」とする政府答弁を出した。韓国政府もメディアも即反応した。宋畏淳外交通商相は二日、「健全で未来志向 の日韓関係を築く共通の努力の助けにならない」と不快感を表明。有力紙『中央日報』は下院公聴会に関連して「日本は恥ずかしくないのか」との見出しをつけた。河野談話は「女性たちの名誉を守るため」に「善意」で出されたはずだった。それがいま反対に、恥を知れと日本に突きつけられる。にもかかわらず、つい先頃 までの日本政府、外務省の対策は信じ難くもお粗末だ。たとえば、米国下院の対日非難に対し、駐米大使加藤良三氏はこの数か月、何をしてきたか。たしかに氏は、下院宛に書簡を出した。だがそこには、日本が謝っ ていないとするのは正しくない、日本はこれまで謝罪を重ねてきたと書かれてい るのである。事実関係を争う文章は、一行も見当たらない。但し、加藤氏の名誉のためにつけ加えれば、氏は二月の公聴会の直前、「決議案 は事実に基づいていない」とする声明を出した。出さないよりも出した方がよか ったとはいえ、公聴会直前の簡単な声明がいか程の説得力を持つのか。なぜこれまで、下院の動きに対して、事実に基づく抗議も説明もしてこなかったのか。ホンダ議員についても、外務省は調査してこなかった。同議員は後述するように 、中国の反日勢力と深く結びついている。そのことを明らかにしたのは産経をは じめとするメディアである。それはメディアの責任である以上に、大使以下、ワ シントン大使館の外交官の責務であるはずだ。日本の名誉を汚し、国益を損ねる 理由なき外国の主張に、反論もしないのは、責任放棄であり国辱外交である。

  反日団体と密なホンダ

 「沈黙して耐えるのがよい」。こういう意見は内外に少なからず存在する。たとえば知日派のマイケル・グリーン前国家安全保障会議アジア上級部長である。氏は「慰安婦問題は、高いレベルで政治介入すればかえって複雑化する。強制性 があろうとなかろうと、被害者の経験は悲劇で、現在の感性では誰もが同情を禁 じ得ない。強制性の有無を解明しても、日本の国際的な評判が良くなるという話ではない」「日本が政治的に勝利することはない」と言う。同様の意見は日本国内ではさらに多い。とりあえず眼前の摩擦を回避し、"火を消 すのが大事"だと考える結果、事実関係については、"歴史家に任せよ"などと言う 。しかし、これまでと同じ小手先の手法が一体どこにつながっていくのか。答を得るためにはホンダ議員が過去に関わった対日賠償請求問題を検証しなければならない。米カリフォルニア州議会で「賠償・第二次大戦、奴隷的な強制労働」という条項 を含む民事訴訟法が成立したのは九九年七月だった。タイトルからはナチス・ド イツ時代のユダヤ人強制労働に対する賠償請求が連想されるが、なんと、それは ナチス政権、その同盟国との表現で日本を訴追の対象に含めた法案だった。同法案成立から一カ月後、同州議会はホンダ議員が提出した第二次世界大戦時の日本軍による戦争犯罪に関する下院共同決議を採択した。それはアイリス・チャ ン氏の『ザ・レイプ・オブ・南京』を全面的に肯定して日本を貶める、おどろお どろしい内容だった。ホンダ議員らは、日本の歴史的責任は現在米国で活動中の日本企業が果たすべき だとして、二〇一〇年まで、対日企業賠償請求訴訟を起こすことが出来ると定めた。日本企業への賠償請求金額は一兆ドル・百二十兆円に上った。ユダヤ人の消滅を国策としたドイツと日本が一緒にされる理由は、断じてない。 公正さも国際法も無視したあの東京裁判においてさえも、連合国は日本を"人道に 対する罪"で裁くことが出来なかった。にもかかわらず、凄まじい偏見と日本を貶めたという意図に立って対日企業賠償訴訟を法制化したのがホンダ議員だ。同じ人物が、今回もまた、深く関っている。ホンダ議員が中国系反日団体、「世界抗日戦争史実維護(保護)連合会」による全面支援を受けていることも、すでに明らかにされた(「読売新聞」、三月十六日 朝刊)。右の連合会には、中国共産党政府の資金が注入されていると考えるべき であり、一連の展開は中国政府の長年の、そして数多くの反日活動の一環だと断 じざるを得ない。

  誇り高く事実を語れ

 読売の記事は、下院外交委員会でただひとり、「日本はすでに謝罪してきた」と して、決議案に反対してきた共和党のダナ・ローラバッカー議員が、地元カリフォルニア州の事務所で韓国系団体の訪問を受け、「決議支援」に転じたとも伝え ている。つまり、私たちは今回の米下院の慰安婦問題に関する動きを日米二国間の関係でのみとらえてはならないのだ。下院の決議案は紛れもなく、中輯両国による反日連合勢力の結実で、その中に米国が取り込まれつつあることを物語る。だからこ そ、彼らの反日の意図、空恐ろしいほどの反日戦略を読みとり対処すべきなのだ。沈黙を守れば消え去り、忘れ去られるような生易しい脅威ではない。日本がこの深刻な事態に対処すべき道はただひとつ、真正面から正論で闘うこと だ。拉致問題で、筋を曲げることなく闘ってきたように、安倍首相は同様の決意で日本の名誉と誇りにかけて、全力で対処しなければならない。国際社会に張り巡らされようとしている反日情報の罠の核心をしっかりと見詰め、長く困難な論争になるのを覚悟して取り組むのだ。挫けず、誇り高く、事実を語り、世界を説得していく心構えをこそ新たにしなければならない。(2008年8月 マンスリーウィル誌 投稿)

 

 如何でしょうか、唯々諾々と読まれた方が多かったことでしょう。櫻井さんは常に正論をいう方として私は認識しているが、戦争を知らない世代の代表として、実は私は多くの事実関係をよく理解出来ていない。だからと言って、それでは済まされまい。よくよく勉強したいものである。ただどこの国家でも、政治家が発する声や文章は重みが違うということであろう。

 

 

 無防備なデモ隊を鎮圧するトルコ警察 自国の国民を大事にしてください


      「森の長城プロジェクト」を応援して

2013年06月08日 | エッセイ

「森の長城プロジェクト」による植林 やがて怒涛のごとく完成へとヒタ走ることだろう

 

 

 

      「森の長城プロジェクト」を応援して

 

 

 我が山林がある岐阜山中に、人工杉林を伐採し、苗場を作り、シラカシやコナラやスダジイやアカガシやクヌギやアラカシやカシワやマテバシイなどの団栗から発芽させ、もう二年にもなる。立派に苗木として成長し、宮脇昭先生率いる「森の長城プロジェクト」にセッセと出荷し、私たちも積極的にボランティアに参加している。岩手から福島まで、300キロに亘る壮大な夢の森だ。震災一か月後に宮脇先生にお逢いした時、既にこの構想に着手され、初めて聞いた時はそんなことってと圧倒されたものだったが、その後細川護煕氏が、先生の考え方に同意され財団を作られてから一変した。海岸線に特区が出来たり、様々な規制があるはずだと危惧していたが、それはほぼ要らぬ心配であった。先生は出来るところから、いとも簡単に行動を起こした。混植と多植の考え方である。根の張り方が浅い針葉樹は植栽しない。私たちはトウカエデやイロハモミジやオオモミジなどの落葉樹も贈った。無論日本固有のヤマザクラやヒガンザクラの苗木もである。それには先生も大喜びであったから嬉しく思う。

 各地に出来た「桜プロジェクト」にも、私たちは積極的に関与している。震災で根ごとスッカリ流されたのは染井吉野が殆ど。ヤマザクラやエドヒガンは強いから、イグネ(屋敷林のこと)の役目を果たし、瓦礫をそこで食い止めた事実。櫻の樹高に、多くの被災物が引っかかっているを見たが、それらの櫻の樹幹はビクリともせず、凛として立っていた。或るブログで、染井吉野を馬鹿にするなんてと、批判がましく小馬鹿にしたような話があったが、私は完全無視。言わせておけばいいだけである。可笑しなことに、伏見に住むそのご老体は、以前「ポケドン運動」なるものをしていた。散歩中、ドングリをポケットに忍ばせ、あちこちに撒き散らして歩く運動のことである。偶々ドングリを植えられたお宅も迷惑なことだったろうが、まぁ彼のブログに登場した多くの女性に支持されたから、尚可笑しい。その後運動はどうなっただろう。ところが宮脇先生の想像力は半分呆けた老人の散歩で出来る話ではない。瓦礫を長城の真下に埋めれば、全部埋めてもたった4,7%で済むと言う主張だった。土中の間隙は広葉樹の根っこには丁度いい隙間であることを熱弁されていた。鉄筋コンクリートなどの構築物は年ごとに劣化して行くが、広葉樹の森は年輪とともに強くなって行くものだと、震災直後に被災地に入られた先生はすぐさま検証し、新たな対策を立てていたのだ。最低でも20㍍の土盛りをして、主に広葉樹を中心に密集して植栽する計画だ。そう言えば和歌山であった集中豪雨による土石流の正体は人工杉が殆どであった記憶を隆起させよう。

 

左からお二人目が宮脇昭・横浜国大名誉教授

 

 私たちの山林は岐阜を中心として、全国5ヶ所に5700haで、主に山林復活と山櫻の普及活動をしている。岐阜山中にある不入山近隣の我が山林で伐採した20~30年モノの杉の木は直径20センチ以上はある立派な木だが、売り捌いてガックリした。一本たったの2000円。間伐の費用さえならない。国内での住宅用木材の輸入先は、カナダ、オーストラリア、ロシア、 アメリカ、マレーシア、欧州などで、これらの木材は、米材(アメリカ、カナダ)、南洋材(インドネシア、マレーシア、その他)、北洋材 (ロシア)、欧州材(ヨーロッパ)、その他(オーストラリア、 チリ、ニュージーランド、中国など)に分類されている。これら輸入材は、私たちの身の回りで実際どのように使われているのか。まず、木造建築の例を見ると、土台や柱には米材の米マツ、米ツガ、米ヒバなどで、床材や壁材としては、欧州材のホワイトウッド、レッドパイン、北洋材のアカマツ、ナラ材、タモ材、メープル、 南洋材のイエローメランチ(合板)など様々な樹種が用いられているようだ。家具はどうか? たとえば、学習机。近年は中国で製造されたものが多く、その多くが北洋材 のナラ材、タモ材で作られているし、これらの木材を産出するのはロシアの極東に位置する沿海地方の豊かな森が対象だが、 ロシアで伐採されたナラ材やタモ材も中国で加工され、学習机として日本輸出されているのが現状である。安価な建売住宅会社では一時アマゾンの流域で伐採された木材もあったと言う。木材を使う会社が安価なものであれば、どこでもいいと言うことだろうか。政府が言っているように、最低でも木材の自給率が50%に届きたいところである。日本の木材は高いが経年劣化することが少ないものと確信している。神社仏閣に使われる檜でさえ台湾産が多いようである。日本の風土に慣れ育った木材はそれなりに劣化しにくいはずだ。日本全土の約七割が山林である我が国土を単なる価格だけで滅ぼしていいものか。

 

 苗場には今日も出荷を待つ広葉樹の苗木たちが

 

  私たちは今まで8万本の苗木を、宮脇先生を中心としたグループや、各地の櫻プロジェクトに無償で提供してきた。無論その1000倍になってもいいと覚悟を決め、苗場ではセッセとその作業が続いている。多分それでも足りなくなるだろう。しかも急ぐのだ。南海トラフなどの防災・減災を考慮に入れると、まだまだ足りないはずである。この美しい日本を滅ぼしてはならない。

 ところで中国人たちは我が領土の買占めに忙しい。北海道の岩内では泊原発のすぐ傍に広大な土地が中国人によって買い占められた。各地の原発の近くにしても同様で、日本各地にある自衛隊の基地近くでも全く同じような現象が起きている。外国人土地法なるものがあるが、あの宇宙人・鳩山由紀夫内閣と、イラ菅総理はこの法律の趣旨を、丸っきり簡単に一蹴し、今に至っている。対馬も韓国人の土地買占めにあっていて、長崎県の帰属が酷く心配である。水源地を巡る中国人の土地買占めも大問題だ。我が山林に、虫食い状態になっている所有者不明の土地があったが、三年掛けてやっと探し出した。実際は中国人名義だが、現法では買占めの事前協議が必要ないばかりか、土地登記ですら後回しでいいことになっている。そこが問題なのである。私たちは一見公道に見える私たちの道路の何ヶ所かに張り紙を出しておいた。その土地に行く場合、あらゆる交通手段はないと。無理にでも行くならば、直ちに不法侵入で訴えると日本語と中国語で書いておいた。諦めて売り払う場合の連絡先も併せて書かせて戴いておる。国会のシェンシェイ方にあれもこれもしっかりしろと言いたくてならない。何でも喧嘩ごしの韓国、拡張主義の中国、平和ボケしている日本人は曾てない危機に直面していることだけは確かなようである。ただ日本人は遥かに大人であり、それ相応の接し方をすべきである。いずれ日本もいつか通ってきた道であるからである。

 

「森の長城プロジェクト」完成予想図