硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

雪 演能

2010年10月28日 | 能・狂言


                        能衣装 唐織(からおり)




    金剛流 「雪」 いとおしい演能


 能には五流あるが、「雪」という演能は金剛流だけに残されている極めて古雅な能で、雪の精が現れ、そして消えて行く、ただそれだけの極めて単純な能なのだが、この単純さと、明快で古めいた能の持つ力が何とも言い難い美しさを保っている。お話が単純なだけに演能者の力量が問われることになるだろう。考えてみれば、金剛流は唯一東京に宗家が出ていない流派で、小書き(特殊演出)が最も多い流派なのである。現在の宗家は京都在住で、私は金剛巌師の演能が大好きであった。

 聞くと北海道には雪がゴッソリと降ったらしい。雪の季節は、寧ろ私が大好きな季節であるのが、今季時雨の記憶はなく、既に雪の季節になったのか、いと可笑しい。思えばCOP10では生物多様性が問われているが、何だか新興国と先進国の間に、資源による利益の分配のみの話が多く、どう評価したらいいか、私には分からない。せめて雪が多い年の稲作は豊穣な年が多いというが、果たしてそうなのだろうか。環太平洋経済連携協定(TPP)はまさしく民主党を分裂しかねない重要課題として浮上してきたが、関税をすべて撤廃することが日本の農政にとっていいのか悪いのか、菅総理はそれに踏み切りたいらしいが、民主党で反対している勢力は小澤一派であるというから、何とも皮肉で頗る不愉快である。

 どこ国家でも農業が国家の基本である。農家を護れなくて、農業にみならず、日本文化そのものを破壊するのではないか。でも開かれた国家でなければ、韓国や他の新興国に負けるのが必定で、大いに悩ましいところである。農業に対する規制が多過ぎるのが最も悩ましい事実である。私たちが稲作をやるには相当なハードルを越えなければならない。調整区域は専業者でなければ購入することも出来ない。日本固有の稲作文化を守ろうにも守れない。どうしたら解決出きるのか、「やまとごころ」の文化の領域の手助けにて是非とも解決したいものである。『雪』の小書き・「雪踏之拍子」という場面での序の舞が格別にいとおしい。やまとごころこそ、すべての世界の矛盾などに立ち往生してくれるに相違ない。日本人は今こそ自信を持つべきときである。






 金剛流 雪 仕舞 京都宗家にて


杏(アン)の独り遊び

2010年10月24日 | 季節の移ろいの中で




                  ハイビスカスの実と高柳佐知子先生の本と






     杏の独り遊び



 
 

 我が家の長女・杏は独り遊びの名人で、長男の大風はまだヨチヨチ歩き。どうも長女と長男の仲がよろしくない。それは長男のせいだろうか。弟は頭の回転が速く、次々に無理強いするせいでしょうか。或いは弟が自分の犬を可愛がらないせいだろうか。姉の杏は自分のトイプードルを手下のように従え、毎日庭で元気にお散歩をし、愛犬をいたく可愛がっています。そして日々目新しい秋の野の草や紅葉した葉っぱや木の実などを取ってきては得意顔になってテーブルの上に飾り楽しんでいます。そこへ行くと長男は何かと、父の妹である叔母やお手伝いさんを日々煩わせている状態です。長女は妻似で、背が高くなりそうで、まだ満二歳を過ぎたばかりなのに、身長は既に三歳児を大きく上回っています。無論どちらとも好きですが、杏の独り遊びには時折感心させられることが多いんです。

 従兄妹からヴァイオリンの手解きを受けてから、あっと言う間にシューベルトの「鱒」の、主旋律をほぼ弾けるようになりました。これには家族中でも従兄妹もびっくりで、来年から家庭教師をつけ、本格的にヴァイオリンを教えようかとも考えています(←親馬鹿チャンリン)。オモチャのピアノや、私がやっている能管や小鼓などにはそれほど興味がなく、買い与えてみようと漫然と、小さなヴァイオリンを購入し、杏に手渡したのが切っ掛けでした。最初ギコギコやっていましたが、それも毎日触っているし、ハイビジョンでヴァイオリン演奏の放送などを観るときは眼を皿のようにして観ています。無論才能があるのかどうかは全く分からないのですが、でもプロのヴァイオリン奏者である従兄妹に来て貰って、一度正式な弾き方を見せてから、忽ち上手に首の根元に掲げ、何となくそれらしくなっているから可笑しいものです。無論音符が読めるわけがありませんが、どうも音感は良さそうで何とも頼もしいとまたまた親馬鹿チャンリンぶりであります。別に自慢するわけでは決してありませぬ。

 








  このブログは雪◎花の久美子さんという方から僕たち夫婦のことで、盲目的だの何やかやと色々言われたのを切っ掛けに永らく中断しておりました。彼女は結婚離婚を繰り返している方でしたから、尚更腹がたったのです。僕たちはピカピカの初婚です。でもこうして三年の月日が経ち、僕たちは当初の通りその直後結婚し、間もなく二人の子供に恵まれ、予想以上に、僕たち自身の幸福を勝ち得てから、腹を立てるのもいい加減にしたらいいと自ら言い聞かせるようになりました。そうしてこのブログが再開されたのです。父親として、僕は割りと厳しいほうのようです。昔、我が厳父からされた論語の音読の強要はどんなに嫌だったことでしょう。でも気付いてみると、何とまぁ、僕の身体中にそれが充満し体得していたので、自らが驚きました。父の時代には「修身」というのがあったらしいのですが、僕たちには一切ありませぬ。徴兵制もなければ、日本が持つべき国境意識にも酷く乏しく、何時の間にか際限なく日本人は彷徨って落ち込んでいます。僕は、そんな日本を心底から愁いています。ただ単位は一家族から、私塾や財団に広がり、そして少なくとも将来のことまで考えるようになりました。僕たち夫婦は、僕が櫻で、妻は書誌学で、しかと足元をみつめて生きて行く決意です。どうか今後ともよろしくご指導を御願い申し上げます。同時に皆さまのご健勝を、心からお祈り申し上げます。






杏の独り遊びで蒐集した我が家の、小さな秋


皇后と栗名月と

2010年10月20日 | 季節の移ろいの中で




 美智子皇后陛下 76歳のお誕生日に (宮内庁提供)





 皇后と栗名月と



  今日20日は美智子皇后陛下のお誕生日で、満76歳におなりになられる。天皇陛下とともに日々お忙しいのに、咳喘息の可能性や結膜下出血などがあられ、ご公務のご多忙にして、一国民として心底からご心配せざるを得ない。

 ご加齢による現象があられるようで、率直に近況を宮内庁のご文書で綴られていたが、宮内庁の公式行事などを見るにつけ、二年先までご公務がびっしりで、観るだけで涙があふれてくる。本来ならご隠居される御時なのに、どうしてこうもご公務が激しいのだろうと胸が酷く痛くて堪らない。


  今夜は十三夜、栗名月の宵である。静かに天皇陛下とお過ごしになられてはと思う。だが今日一日のご予定に、祝賀行事がびっしりと並んでおいでで、多分十三夜をお静かに眺められるのは深夜になってからではなかろうか。未だに愛子内親王さまは雅子皇太子妃殿下のお付き添いで通学されていらっしゃるようで、美智子皇后におかれましても、片時もお心休まるお時間がないのではなかろうか。

 どうかお健やかにお過ごしになられ、当家の五葉松のように幾久しくお元気で、いらっしゃられることを心から望んでおります。




硯水亭歳時記







かくも永き不在に!

2010年10月12日 | エッセイ




(欅の紅葉とキンエノコロ)





 三年以上も、かくも永き不在にも関わらず、

数多くのお方様がこのブログを続けて読んでくださいました。

何と申し上げたらよいのでしょう。心から心から感謝申し上げます。

その間ほとんどMSNのブログで多くの記事を書かせて頂きましたが、

今般あちらさまのリニューアルが根源から変貌するものであり、

個人としてデザインなど、自由に利用することが適わず、

次第にGooブログが懐かしくなってきた次第でした。

元よりこのブログを止める気はなかったのですが、

我が愛する妻のことや、結婚や、二人の子供に恵まれたことなぞ、

実家に帰ったこと、以前の会社を辞し、新たに社団法人にて、

活動の場を広げさせて戴いたこと、様々なことが御座いまして、

まさに今でも駆け足の最中です。

ふつつかな者ですが、どうかご理解を賜り、

今後ともよろしくご指導のほどを御願い申し上げます。



硯水亭歳時記 主人