硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

     硯水亭歳時記 ゆく年くる年 

2014年12月31日 | 季節の移ろいの中で

マララさん イギリス・バーミンガムにて お母さんと

 

 

 

     硯水亭歳時記 ゆく年くる年

    

 猛烈な繁忙につき、ブログの更新を大幅に遅れたりさぼったりしておりました。発信することの大切さを、皆さまと同様に充分に分かっていながら、甚だ情けないことです。現在は、28日のお餅搗きから始まって、お正月に数多く訪れる方々のために、聊か発奮し「お節料理」づくりに精進している最中でありますが、本年の締め括りにどうしても書かせて戴こうと、合間をぬってで恐縮でございますが、手身近にツラツラ書きあげ、皆さまへ申し上げたき感謝の意とさせて戴きたく存じます。

 先ず申し上げたいのは、今年このブログに、一番変わらぬ激励を戴いた木村草弥先生に、深く御礼申し上げます。いたらぬ私に、先生は直接メールをくださり、克己奮励するように何度も御励ましを戴きました。先生のブログ「K-SOHYA POEM BLOG」は、70歳をゆうに超えていらっしゃる方とは思えない若々しさに溢れ、日々更新されておられます。「木村草弥の詩と旅日記のページ」では先生の活動の全貌が御覧になれますが、先生の老いの若さには変な棘がなく、明るく智的な世界であり、金属片に似た鋭さと、ヘタな情念に流されまいとする潔さがあり、心地よく読ませて戴く私には、常に、別個にして大切な世界にお導き戴いております。またご長兄さまは、太宰治の「パンドラの函」のモデルとされた木村庄助氏であり、あの著名な美術史家である木村重信氏はご次兄で、ご本人さまは六人兄弟の四番目として、何とご家業の跡継ぎをなされ、宇治茶・丸京山城園製茶場(城陽市奈島)のご発展に、長年寄与されてこられました。その後ご引退され、大好きな文筆の道をヒタヒタと歩いていらっしゃられます。私も、先生の歌集「嘉木」・「嬬恋」・「茶の四季」、詩集「愛の寓意」・昭和」(いずれも角川書店刊行)など、数冊の優れた歌詠み本を当然購入させて戴き、常に手許にて愛読させて戴いておりますが、お茶に対する真摯な愛情と、京都という独特な風土と、高い教養に裏付けられた精神性には、いつも感動させられます。亡き奥さまへの深い哀惜の念など、ことさら、お愛おしいものです。先生!本当に有難う御座いました。更に、私にとり、最も古いブログ友人であるHayakawa(早川茉莉)さまは、「カフェと本なしでは一日もいられない。」という京都・北白川発信の素敵なBlogが御座いますが、実は、彼女女性らしい繊細さと、あっと言わされるような斬新な切り口により、以前大手出版社の優秀な編集者であったことを雄弁に物語る数多くの著作が御座います。第一は「森茉莉かぶれ」で、彼女のお陰で、森茉莉ブームが圧倒的に今でも続いているようです。「卵 ほわほわ」、「京都で寺カフェ」、「白湯のような話(岩本素白)」、「つらい時、いつも古典に救われた(清川妙)」、「修道院のお菓子と手仕事」、「すみれノオトー松田 瓊子コレクション」、「エッセンズ・オブ・久坂葉子」、「なんたってドーナツ」、「貧乏サヴァラン」、「マリアのうぬぼれ鏡」、「また杏色のくつをはこう(城夏子)」、「吉沢久子の旬を味わう献立帖」など多彩であり(Amazon 早川茉莉著作記事)、社会的に埋もれていた女流作家の発掘や、早川さんのお得意技である編集による様々な嗜好やチャーミングな新しい伝説づくりなど、数々のご労作は彼女の魅力に溢れています。熊井明子さんや片山廣子さんや、ベニシアさんに至るまで沢山な女性を教えて戴きましたし、今年も更に多くのことを学ばせて戴きました。心から感謝申し上げます。それと今年の我が塾の忘年会を企画したのですが、あまりの多人数ゆえ断念した「あうる京北」にお勤めの藤野満さん。Uターンで故郷・南丹市に帰られ、「北山・京の都の里・田舎暮らし」という素晴らしいBlogがあるのですが、ここ最近更新されておられません。よくよく見ると、どうやら簡便に出来るTwitter中心のようですが、基層文化中心の真摯な記事にはいつも感心させられました。今年も本当に有難う御座いました。

 また近年、まともな本が売れなくなっている傾向が強いようです。爆発的に販売可能な出版物中心の業界のようですが、哀しいことです。若者の活字離れが深刻さを増しているからでしょう。過半数の若者はひと月に一冊の本も読んでいないんだそうです。本の感想文を読んで、それだけで本を読んだ気になっているのでしょうか。お寒い話です。でも今や現実なのでしょうか。実際本を手にした時の歓びは考えられないのでしょうか。大事な部分に赤線したり附箋をしたり、何度も本の装丁や手触り感などを楽しんだり、それが丸きりないなんて、私には全く想像出来ません。それと少部数発行の本は今やすべて希少本扱いとなり、どうにかこうにか元がとれるものが最低限なのでしょうか。民俗学の我が師匠・本田安次は、処女出版を、仙台の斉藤報恩会から、「山伏神楽・番楽」を、記念賞受賞として上程され出版されました。残念ながら戦時下で、殆どを焼失したそうですが、その後山手線・大塚駅近くにあった古書店である明善堂書店から、「翁そのほか」(1958年刊)を出版致しました。膨大な著作は初め、内神田の木耳社から刊行されていましたが、現在は早稲田鶴巻町の錦正社から、本田安次著作集として刊行されているようです。幾ら希少本と言っても、刊行されて然るべきものはあるのだと、私は強く信じています。笑い話ですが、明善堂の井上ご老人は古書店らしく、刊行後数年を経て、価値が高まり高額な本になる内容しか出版しなかったとか、師匠から伺ったことがあります。当時「へぇ、そんなものか」と聞きながら驚いた次第でした。更に山本書店は御存知でしょうか。山本七平さんが社長の、たった独りの出版社でした。「日本人とユダヤ人」を自社で出版し、大ベストセラーになった神話があります。「花子とアン」に出てくる村岡印刷もそうですが、バックにキリスト教があって、聖書やその関連本を出版していたので、継続して行けたのでしょうが、山本書店はその代表格でしょう。コツコツ一人で出版し、後世の人のために書き残す行為は非常に尊い行為だと信じてやみません。SNSが圧倒する世の中になり、読書という難行苦行は疎まれ、場合によっては排除されているのかも知れません。でも幾ら限定本とはいえ、必ずや弱小でありながら、その種の出版社は、どなたか必ず存在し、刊行続けてくれるものと信じています。古いヤツでしょうか。

 

「Ⅰam MALAL」が並ぶNYの書店にて

 

 今回のノーベル平和賞に、パキスタンのマララ・ユスフザイさんと、インドのカイラシュ・サティアルティさんのお二人が選ばれました。方や熱心なイスラム教徒で、方や敬虔なヒンドゥー教徒のお二人でも、パキスタンとインドとの間で、カシミール地方の国境紛争があり、その意味で、両国和平への期待を象徴するかのような素晴らしい同時受賞となったものです。無論日本人として、青色発光ダイオード(LED)を発見し、低価格へと進化させた赤崎勇・天野浩・中村修二3氏の日本人に贈られたノーベル物理学賞も大変嬉しいものでしたが、私は中でも、赤崎教授の長い時間がかかった基礎研究がなければ、今日の栄誉はなかったはずで、特別な敬意を表したいと存じます。

 さてノーベル平和賞とは奇怪なもので、時々驚かされます。過去あのヒットラーにさえ受賞させようとしました。これ以上、独裁にならないように願ってのことだったでしょう。五億ドルで平和賞を買った韓国の金大中元大統領は、受賞後北朝鮮の金正日に、違法にそんなに巨額資金を献金したことがばれました。佐藤栄作の受賞も日本人なら多くの方々がアレッと思われた筈です。オスロ宣言で核廃絶を訴え、世界を感動させたオバマ大統領の受賞記念講演は、逆にガッカリさせられた方も多かったのではないでしょうか。スウェーデンで行われるのが通常のノーベル賞ですが、五部門のうち、ノーベル平和賞だけはノルウェイの独立機関であるノルウェイ・ノーベル委員会が推奨し、平和賞で選出され、オスロで表彰されています。如何にも政治的なショーの要素がないわけではありません。時々批判の眼が向けられることもあるようです。

 と、言うのも、つい最近イスラム過激派から抑圧されている少女からの証言に、酷く驚かされました。15歳の少女の証言、「13歳で結婚させられ、14歳で出産し、15の私には未だ恋を知らないの」と。この現代に、こんなことがあるんだろうかって言う驚きと、その苛烈さと、少女たちに対する男社会への絶望でしかない仕打ちの証言なのです。確かコーランには男性は女性を保護する役目がありますが、その優しさの教義が、ことイスラム過激派になると、身体全体を黒づくめの衣装ブルガを着る義務を背負わせ、然も女性は教育を受けるなといい、病院では男性医師から看てもらえない等々、こと女性にはたくさんの差別と制約があるようです。同じイスラム圏内でもお国柄色々違うようですが、パキスタン・ターリバーン運動(TTP)は最も過激であり、イラク・シリアに展開するイスラム国はそれに完全に連動し、残忍で、拉致した女性は戦闘員と強制結婚(例え既婚者であっても)させられるか、奴隷とする宣言されてしまうようです。従って識字率も極めて低く、明らかに、女性に対して、それ以上の侮蔑や屈辱はないでしょう。或いは戦闘員も識字率が低いかと思いきや、西洋の異文化圏から賛同し、共に戦闘する若者が増えたことは、今までのテロとは明かに違います。イスラム国は既に建国を宣言し、略奪した製油所から得た豊富な資金で、貨幣を発行し、インフラ整備を整え、世界中からやって来た若者たちに賃金を支払い、危ういのだけれど、国境を確定しないまま、国家として成立しているのです。だから一層恐怖なのです。

 マララさんが国連で、「一人の子ども、一人の教師、一冊の本、そして一本のペン。これが世界を変えるのです!」と力強く演説し、世界に教育の重要性を発信しました。如何なる機会にも、彼女はパワフルに発言し続けています。勇気ある弱冠17歳の少女です。マララさんが攻撃された直ぐ傍のペシャワールでは、学校がテロリストの襲撃に合い、140人以上の子供たちが落命致しました。この不条理に対し、何とかならないものでしょうか。日本人も無縁ではありません。愚かにも日本人もイスラム国へ戦闘員として参加したようです。あのアルジェリア製油所襲撃事件で、数多くの日本人が殺害されたにも関わらずなのです。ナイジェリアのイスラム過激派であるボコ・ハラムは、連続して少女たちの誘拐を行っています。また一説には既に一万人以上を殺害しているとか、恐ろしい限りです。私にはイスラム教信者の友人が多数おりますが、イスラム教の教義は他者に優しく、寄り添うものなのに、過激派においては異文化圏へ歴史的に許せない何か巨大な塊があるのでしょう。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、旧約聖書は殆ど同じものなのに、聖典(ユダヤ教トキリスト教)が、啓典(イスラム教)であるだけで三者とも兄弟ではないかと、残念ながら素人ですから、そんな程度で、充分理解出来ていません。そしてマララさんは最初教師になりたいと言っていたのが、医者になりたいと変化し、今は学校を作るために政治家を目指したいとお考えのようです。夢と現実のギャップは相当なもので、過酷です。でも私たちは、この苦境を乗り越え、マララさんの夢を実現して戴くため、あらゆる応援を惜しむべきではありません。と、同時にどうテロとの闘いをなすべきか、森永卓郎と言う馬鹿な評論家が日本人は竹槍で反撃すべきで、これ以上の軍備を増強してはならないと力説していましたが、これって真面目な議論なのでしょうか。戦後カサブタのように蔓延った左翼思想と言う良心がそう言わせたのでしょうか。

 そもそも8月5日発行の朝日新聞における従軍慰安婦記事に対して、誤報と言いながら、全く謝罪はありませんでした。そもそも吉田清治と言う怪しげな人物の書いたものに、実証することなく、32年間も放置した罪悪は大きいと言わざるを得ません。済州島の現地新聞が当初から否定していたではありませんか。これが「吉田証言」問題です。更に福島原発の事故処理に関して、でたらめな記事をでっちあげました。これは「吉田調書」というものです。朝日新聞の戦前の記事の殆どは軍部の御用新聞でもあったことからの反省でしょうが、幾らなんでも戦後ころりと翻り、左翼的なイデオロギーが先行し強すぎませんか。実証よりイデオロギーが先行するなんて、全面社説のようなものじゃないのでしょうか。珊瑚事件とか古墳土器事件とか、朝日は何度も懲りずによくやってくれました。いわゆる従軍慰安婦問題では、大新聞としての、しっかりした謝罪と今後への対応や覚悟を確かめたいと存じます。どの新聞にも言えることですが、事実誤認は最悪です。実証主義こそが当然でしょう。これでは活字離れどころか、新聞離れも大いに起きかねません。各社ともに猛省を促したいと存じます。

 

 高倉健主演 鉄道員(ぽっぽや)から

 

 そして大好きだった高倉健さんの死亡通知もショックでした。寡黙な印象がありますが、彼の著作ではかなり饒舌で、明るいお人柄で、思い遣りのある素晴らしい方だったと直ぐ分ります。遺作となった「あなたへ」は最初、ああ健さんはここまでかとがっかりしたものでしたが、追悼番組で何度か拝見しますと、随所に健さんがおりました。セリフとセリフのあいだの間がいいです。ドスンと相手に伝わるのですから。私は、彼の死が、大好きだった森繁さんと森光子さんと同じ日に逝っただなんて、或る意味では幸運だったのではないでしょうか。今頃三人お揃いで、映画の話をしているのかも知れません。実は私、しばらく下記の本を胸のポケットにしまってベェベェ泣いておりましたが、漸く最近健さんの死を受け入れました。厳しいお母さんにただ褒められたくて、健さんは精一杯頑張ったと思っています。ご冥福をお祈り致します。

 

 高倉健著「あなたに褒められたくて」 1993年8月25日 初版本 あなたとは健さんのお母さんのこと

 

 それと、一つだけ訂正しておきたいことがあります。私の韓国に対する発言です。悪漢論や呆韓論や痴韓論など、花盛りで、私は殆ど読んでおりますが、実際の私は韓国を嫌いではありません。戦前日本統治下時代の最後の五年間は大いに反省すべきことですが、少なくとも日本は韓国の近代化に果たした役割は大きいと思っています。同じように台湾を統治した時も、インフラ整備など、多くの近代化を果たしました。台湾の方々は現在でも、その貢献に感謝しているのに、韓国では全く評価致しません。韓国の古老の方々が日本統治下時代はよかったなどとウッカリ発言すれば、事実、反日教育を受けた若者から殴り殺されるのですから、ソラ恐ろしいことです。日本が統治して、何か日本の祖国へもたらしたものがあったのでしょうか。あったら、それは植民地主義ですが、日本は韓国統治が赤字続きであっても、教育改革やインフラ整備を徹底して進めたではありませんか。日韓基本条約では当時の韓国の国家予算の三倍もの多額の資金を拠出し、それを元に、あなた達は「漢江の奇跡」を起こしたではありませんか。でもそれは国民に知らされることがなかったとか、「女性のためのアジア平和国民基金」を創設し、それによって、一部の慰安婦の方々に慰労金として支払われたではありませんか。更に河野談話や村山談話を告知し謝罪申し上げたではありませんか。結論から申し上げると、日本がどんな謝罪をしても、韓国国民が一方的に納得しなければ断固受け入れないものとなっています。それって国家同士の遣り取りに該当するのでしょうか。あんまりにも一方的過ぎるのではないのでしょうか。確かに慰安婦はおりましたし、お世話になったことも事実ですが、軍部の強制性は限りなく低いものです。事実は、韓国国民の国民性というサガが一切を遮断しているのでしょうか。どうか胸襟を開いてください。日本人はどんな告げ口外交にも耐えてみせます。それが日本人の矜持ですから。

 

花子役の吉高由里子さんと柳沢白蓮役の仲間由紀江さん 打ち上げで

 

 更にもう一つ謝罪したいことがあります。「花子とアン」の連続テレビ小説の一件で、私は作者の中園ミホさんへ、痛烈な批判を致しました。何故最も大切な片山廣子が出て来ないのかという点でしたが、遂最近、テレビ討論で、中園ミホさんが片山廣子を出したかったぁと盛んに釈明されておりました。その一言で、私の溜飲がすっかり下がり、寧ろ自らを反省したところです。今を時めく名脚本家の中園さんをご批判申し上げたことを、心から反省しております。同時にドキュメンタリーではない、創作だと、拙い私をメールで諭して下さったのは、他でもなく木村草弥先生でした。事実毎日あんなに楽しんで観ておりましたし、最近の朝ドラの中では秀逸な作品ではなかろうかと、心より謝意を申し上げます。「花子とアン」の総集編やダイジェスト版や、想像上の人物・朝市が主人公のスピン・オフ・スペシャルまで全部観てしまいました。総集編などでは美輪明宏さんの「ご機嫌よう」が聞かれませんでした。どのナレーションも美輪さんの思いの丈が籠められておりました。尚朝市としたのは、朝の放映後始まる「あさイチ」から取ったとか、想像もここまで来ると面白いものですね。いずれにせよ、心から「花子とアン」の一ファンであったことを、今はとても誇りに思っています。中園ミホさん、有難う御座いました。

 三日掛かりで書かせて戴いたこの記事のお陰で、四日掛かりで、漸くお節料理も出来上がったようです。皆さまにおかれましては、どうぞ佳いお年をお迎え下さりませ!ご機嫌よう。

 


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