硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 櫻と私と

2007年04月07日 | 

 

 

 

櫻と私と

 

 

櫻好きになったのは 当然或る方の多大な影響であるが

東京から車で疾駆して 各地の名木を訪れる場面が多かった

そんな時 秋の紅葉の時季に日光いろは坂を上る場面と同じように

朝テレテレして出発するのではなかった 必ず真夜中に出る

そしてうっすらと明かりがさして来た頃に観櫻する これが鉄則

殆どの名木は 朝の八時を過ぎると ぞろぞろと幾重も人が集まり出し

観櫻どころではなくなるからだ 然も朝の色彩の早い変化が素敵で

何処へでもランドクルーザーで出掛けたものだった

 

誰もいないうちに 櫻を抱きすくめる そこでご挨拶をする

すると不思議に花片たちがこちらを全員で観てくれているようで嬉しかった

古い樹には大抵祠がついている そこにもお参りすることは当然の事で

地元の方々が抱く櫻への愛着や彼らへの敬意も忘れてはならなかった

 

今では殆どの名木に囲いが施されている 当然と言えば当然だが

昨今カメラを持つ人が圧倒的に多く 三脚を持ち出し

櫻の根元を傷つけ 挙句の果ては枝を折る人までいるから驚きだ

櫻切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿の譬え通り 櫻は切ってはならないが

最も多い櫻の病のテング病は人間の介在が 圧倒的に多い

傷つけられた根元には 膨大な数のシロアリが取り憑き厄介な病気である

或いは傷口から沁みて来る様々な疫病が 櫻を途方もなく痛めつける

従って地元の熱心な方々が 最低の防護するのが当たり前だろうと思う

 

私達観光で出掛け観るだけなら無責任極まりないのであり

地元で どんな思いをして古木・名木を守って来たか計り知れない訳で

櫻から問い掛けて来る問答を ちゃんと受ける為にも 静かに鑑賞し

人の生涯より遥かに永く生きる櫻への崇敬の念を 決して忘れてはならない

 

今年の淡墨櫻は 日本有数の断層地帯の中で暗く悲鳴を上げている風だった

花の時だけ来るけれど 葉櫻になり 真夏に来年の花芽をつけ

年がら年中 見事な花をつける為に努力し生息しているのである

真冬 私の主人は必ず櫻の許に行って スケッチをすることが多かったが

大雪が降って 枝や幹の形体が不本意に変わる事を始終心配ばかりしていた

東京にいる時だって どうかご無事にと地震の時や雪害が出そうな時なども

お仏壇や神棚に向かって一心に祈り続けることが結構多かった

 

そうして厳しい冬を経て 春爛漫の花片をつける時

お互いに愛し合っていた恋人同士の 運命の再会のように 

静かで豊穣な対話の時間がたゆたゆと流れた

私は花祭りの日に生まれ 櫻馬鹿で 花と散った彼を誇りに思う

花が儚いのではない 人間が儚いのだと繰り返し教えてくれた事を

今しみじみと深く感謝している 有難う櫻たちよ そしてあなたへ

 

雪月花さまがあなたへ追悼文を書いて下さいました

あなたの大好きな山櫻の絵とともに書いてくれましたよ

雪月花さまには 心から感謝申し上げます

http://blog.goo.ne.jp/setsugekka_2/ 雪月花 季節を感じて

 

今日は市内の大混雑が予想された為 花背に逃れ 山櫻の開花を歓び

一日中嬉々として山歩きをした 春の野山は生命の歓喜で満ち溢れていた

猩々袴や野蒜や芹や蒲公英や 鶯の鳴き声にうっとりとしていた

櫻守の故笹部新太郎翁が 手当てをしていた小さな苗場も見れた

旅館で朝準備してくれた塩お結びが どんなに美味しかったことだろう

あなたの櫻への夢が どうやら私の人生を

大きく左右するような生き方にしてしまったようだ

有難う 心の底から感謝しています

 

 

 

今日の写真は大垣から出ている樽見鉄道の淡墨櫻の観櫻号である

この電車は実はタイヤの電車で単線だが 谷汲寺の辺りで上下線が交差する

大垣特産の柿畑をぬって 最終目的地の終点樽見駅へ到着し 

駅から淡墨櫻まで徒歩15分くらい 今回はこれを利用しなかったが