硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

   「さくらの日」に寄せて

2012年03月28日 | 

 

陸前高田の一本櫻 (震災の翌月に半分だけ花咲けり)

 

 

「さくらの日」に寄せて

 

 

3月27日は「さくらの日」です。

100年前の3月27日に、タフト大統領夫人のヘレンさんが

ポトマック河畔に、日本から贈られた櫻の第一樹を植樹なされ、

財団法人日本さくらの会では、それを記念し「さくらの日」としました。

本ブログでも櫻灯路でも何度も、それを仲介したエリザ・シドモア女史の、

その功績を称えました。又NYのハドソン河畔については高嶺譲吉博士を。

 

ただワシントンに植えられた当時の櫻は既に100近くしかなく、

全部で3,800本あるポトマック河畔の櫻の殆どは米国生まれです。

当時も有力な植物学者がおられて、メリーランド州ケンウッド町には

一軒に必ず一本ずつ櫻が植樹され、今も研究されている成果です。

 

ミシェル大統領夫人による櫻の植樹式(右 藤崎駐米大使夫人)

 

アメリカの「さくらの日」(日本時間は本日)には

オバマ大統領夫人のミシャルさんが

新しい櫻の植樹式に参加され、タフト大統領夫人のお話の後、

「100年後の大統領夫人も植樹して」と。

 

陸前高田の一本櫻(岸から1キロ)に巻きついた養殖牡蠣のイカダ

 

陸前高田を中心に津波の到達点に、

櫻を植えようと頑張っておられる方々がいらっしゃいます。

櫻ライン311」と命名され、私たちも心からご賛同し参加しています。

山櫻か江戸彼岸を提供して行こうと思っています。

但し私たちは陸前高田だけではなく、全長500キロにわたって!

 

櫻ライン311チームの方々の櫻植樹

 

 

この一本櫻が大雷神さまと言われているのは、

この樹の所有者である方のご先祖さまがお山で

雷から助けられてもらってから、ここに感謝し櫻が植えられた。

樹齢200年あまりの美しい江戸彼岸櫻だが、津波により半壊。

樹元の重い板碑が200mも流されてしまい、今も残り1枚不明。

ただ樹の半分に花芽が見える。今年4月半ばに咲いてくれるだろうか。

往時の、見事な姿の櫻が復活し、

再び「種蒔き櫻」になって蘇ってくれることを祈りたいものである。

7万本あった高田松原で一本だけ残った松は残酷にも無理らしい。

せめてこの樹だけは助かってと切に祈りたい。

 

※福島県富岡町に1,500本の櫻並木がある。ここも去年同様咲くだろうが、

花見をするのは生き延びられた動物だけでしかない。原発から5キロだから

 


草木国土悉皆成佛 (あなたは優しくなれましたか)

2012年03月16日 | 季節の移ろいの中で

 

 福島市 渡利地区の花見山公園(阿部家個人所有 無料開放)

 

 

 草木国土悉皆成佛

  ~あなたは優しくなれましたか~

 

 

 あれから、まる一年。あなたは3:11以前と比べ、優しくなれましたか。以前より増して一層勉強に精を出す子もいるようです。親子や友人や様々なつながりを改めて思いを致し、絆を深くご認識された方々も大勢いらっしゃいます。そうしてどこかで何かが変わっていいはずなのに、この私心の空虚さは何でしょう。何かが前へ進んでいるのでしょうか。あの日から一歩も前へ進んでいないような、あの日のままで放置されているような、中途半端なままで時間だけが過ぎて行くようでなりません。私の中では時は止まったままの状態であり、あの衝撃から未だに脱することが出来ていません。寧ろ時が経つにつれ、失ったモノの大きさを思えてならないのです。大震災と原発事故で、何かが必ず変わらなければならないのに、納得の行くような変容が殆ど見られないからでしょうか。

 大震災から一年余。この追悼式典で、一つの区切りをつけて、前へ歩みだそうとしている方々も大勢いらっしゃいます。ただ残念ながら瓦礫の焼却処分はたった5%であり、「絆」などと言いながら、イザ瓦礫の処分をお願いするとなると、全く応じない自治体も多いようです。否、住民感情でしょうか。誇り高き日本人として恥かしくないのでしょうか。横須賀には三本の深い活断層があり、いつ我が事になるか分からないとご存知のはずです。一方ボランティアは激減し、遠慮深い被災地の方々は、ここまでよくしてもらったのだからと、声をあげようとしません。まだまだやることだらけなのに。実際汗をかく作業の継続こそ大事なことではないでしょうか。

 私たち櫻塾グループは今年の作業を3月7日に終え、5班に分かれて被災地の各地に入りました。無論テント暮らしです。一時避難所になっていた施設をなんぼお借りしたかったことでしょう。でも私たちの「自立・自助の精神」を曲げるわけにはいきません。私たちは三陸沿岸を中心に、仮役場に聴いたり、雪降る中を仕事を探したりしながら、一周年の記念日をじっと待ちました。そして11日、各地で催された式典にひっそりと参加させて戴き、手作り祭壇に花を手向け、心から皆さまのご冥福をお祈り申し上げ、一昨日帰京致した次第です。被災者の中にはそこそこにふっきれた表情も多数見られ少しばかり安堵しましたが、我が娘や孫の顔を思い出すから外へ出たくないと言う独居老人も数少なくありません。闘いは始まったばかりです。

 

天皇陛下が追悼文をお読みになられるワン・シーン

 

 天皇・皇后両陛下のご臨席をあおぎ行なわれた国立劇場での一周年。陛下は直近に心臓の手術を受けられ、短時間のご臨席ではありましたが、あの真摯なお言葉の全文を聞けば慈悲に溢れ感動せざるを得ません。その両陛下ご登場の折やご退場の折に、何故出席者一同全員でご起立をされなかったのか、海外での生活が長かった私には全く理解不能でした。確かに現法律では天皇陛下は国家元首ではありませんが、他国の国家元首とほぼ同等の激務にあたっていらっしゃって、その辺が不可思議でなりません。何とこの日が術後初めてのご公務であったとか。人の痛みが分からないような、いつそのような無分別な国家になったのでしょう。戦後の高度経済成長期あたりから、日本人は可笑しくなったのでしょうか。日本人の矜持を忘れた昨今に酷く寒気を覚えます。更に、最も早く最も多額の支援金を集め、それを日本へ送った台湾国家及び国民、私は大変尊敬しておりますが、その台湾代表の方を、一般団体のある二階席に追い遣り、しかも献花さえ許さなかった日本国政府は本当に品格のある国家なのでしょうか。感謝を表現するために多数の新聞広告を他国へ出しておきながら、台湾には全く出さず菅内閣はまことに非情でした。極めて困難な問題がないわけではありませんが、それとこれは別です。私は改めて本ブログを通じ、恥を失った我が国家の一国民として憮然たる思いを持って怒りを禁じ得ず、台湾の国民皆さまには心から心から非礼をお詫び申し上げたいと存じます。

 

NYの櫻満開の報道 (読売新聞 3月2日夕刊より)

 

 上記の写真はNYタイムズスクエアで、3月1日大型スクリーン12枚に櫻の花が一斉に映し出された時のものらしいです。観光庁が中心としてジャパン・ウィーク(1日~11日)が企画され、震災で失われた観光客を呼ぼうとしたもので、同時にアメリカの支援に感謝し、「日本は再び花を咲かせます」との文字も映し出された模様です。今年ワシントンの櫻も既に満開(2月26日頃)。両方の櫻とも日本から寄贈されて、今年でちょうど100年目の節目にあたります。お目出度いことですが、今年の北米の暖冬は不思議なぐらいです。欧州の大寒波や豪州の大水害も変です。三週間も遅れて、東伊豆の河津櫻が漸く昨日満開になりました。気候のどこかが変ですネ。でも3月末までは気温の上昇が一気に進み、染井吉野の開花は平年と比べ、多分一週間ほど遅れることになるでしょう。

 日本はどのような大災害にあっても必ず復興を遂げる民族だと信じています。この大災害により、改めて根本精神から立ち直って戴きたいと念願しましたが、どうやら怒涛のような根底からの復興は無理なようで、情けない思いがしてなりません。それでは少なくとも私たちグループだけでも前へ進まなくてはと存じました。危機に瀕した櫻の寿命の時期にあたり、全国の櫻の公園に、染井吉野ではなく、山櫻を植栽したい強い希望と、今再びの日本人の矜持をもって生きることが喫緊の私たちの課題です。新渡戸稲造が言う儒教精神から来た武士道か、本居宣長が言う「やまとごころ もののあはれ」か、佛教伝来以前の何かか、それはまだ分かりませんが、最低でもグループで取り上げて来た家訓の勉強会を通して、私たちなりの精神的基盤を作ることから始めましょう。

 巻頭写真で取り上げた福島市にある花見山は阿部一郎(92歳)さんがほぼ一人で60年以上掛けて創り上げた25㌶の観光花見園です。好きで創った山だからと言って、一切入場料は受け取りません。福島駅からタクシーでたった15分。昨年は原発事故の影響で、遠方からのお客はなく、市としても期待しているものを、今年は一部非公開にするそうです。踏まれて痛んだ場所があるからと言うのが表向きの理由ですが、風評被害で苦しんだ昨年に、阿部さんはきっと大いなる憤怒があったことでしょう。三春の瀧櫻さえも風評被害を受けました。私たちの櫻山は残念ながら、阿部さんの意図した山にはなりません。広葉樹と針葉樹も多く混在し、小鳥や虫や獣が来る自然に近い山にするつもりです。農業を含めて一次産業の復興と復活に私たちは賭けています。一部始まっておりますが、いずれ近々本ブログで公開致したく!