凡夫の日常(たんたんぴー日記)

たんたんぴー(キジョラン)は綿毛のついた種です。風に吹かれてどこに飛んでいくやら。淡々坦々にも通じる気持ちです。

曹洞宗は朝鮮半島で何をした

2019-03-26 | 日記
韓国聯合ニュースによれば
青森県の雲祥寺住職の一戸彰晃氏が25日、韓国南西部、全羅北道群山市の姜任駿(カン・イムジュン)市長から名誉市民証を授与され、名誉市民になった。
 一戸氏は曹洞宗の僧侶。日本が朝鮮半島を侵略する過程で曹洞宗が加担した罪を反省し悔いる意味で、2012年に同市の東国寺に懺謝(仏教用語で許しを請い謝ること)文を刻んだ石碑を建てるのに尽力した。 
 また旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「平和の少女像」を同寺に設置するための費用を集める募金活動を主導したほか、日本で収集した韓国の遺物を群山市に寄贈するなどした。

朝鮮半島で悪事を犯したのなら謝罪すればいい。虚偽の慰安婦像設置プロパガンダに協力し反日行為をするとは。対馬から盗まれた仏像の取返しは無視か。くされ宗教だね。

人生の目的

2019-03-26 | 日記
人生の目的はなにか。人生とは何か、目的とは何か。人生は生まれて死ぬまで。目的とは歩んでいく方向だ。人生の目的とは生きること、生き永らえ子孫をのこすことが最大の目的だ。生き方は自由だ。生き永らえ子孫を残すのは生命体共通の目的だ。人間だけが特殊でない。人間は万物の霊長という生物の中の特別な存在だという思いあがった考えにとらわれると生き方が不自由になる。でも人間は思考する動物でもある。人生考えてくれ。

徳川家康と大黒屋光太夫と山口誓子と杉野兵曹長と勝小吉(海舟の親)

2019-03-24 | 日記
 本能寺の変で堺を脱出した徳川家康は伊賀衆に助けられ命からがら最難関の伊賀越えを果たした。その後どうなったかといえば白子(しろこ、三重県鈴鹿市)の港から三河まで船で伊勢湾を渡り岡崎城まで無事逃げた。それが縁かどうか白子は後々天領となった。
 時代は下がって亀山藩若松(白子の北)の船頭大黒屋光太夫は白子の港から江戸に物資を運ぶ廻船船頭として江戸に向かう途中嵐に遭遇しロシア(カムチャツカ?)まで流され救助された。初めてロシアを見た日本人である。光太夫はラックスマン(著名な博物学者)と出合い知遇を得る。帰国の夢を果たすため首都のペテルブルクまで行きエカテリナ女王に拝謁し帰国を嘆願した。女王は知識能力の高さを認め帰すには惜しい人物と現地に留まるよう慰留したが日本帰国の熱意に帰国を認めた。この辺の話は井上靖の小説を読んでいただきたい。
 家康も光太夫も白子の浜から船出とあるが白子は河口に作られた天然の港である。昔は突堤がなかっただろうから浜といった風情だったかもしれない。接岸できるように石垣はあったとは思う。NHK大河ドラマで家康が白子から船で逃げるシーンがあったがなんと磯浜のシーンだった。適当に作ったのだろうか、映像的に緊迫感を作りたかったのだろう。実際は追っ手もいないのでのんびり出帆したのだが(小学生のころそう聞いた)。伊勢湾の桑名いや熱田から伊勢付近まで100キロメートルのほとんどいや全部が砂浜海岸だ。二見ヶ浦まで行かないと磯浜はない。
 白子隣接の鼓ヶ浦(寺家)は遠浅の海岸で白砂青松の美しい河岸だった。現在日本の白砂青松100選に選定されてるが昔の美しさを知るものとしてがっかりのレベルだ。ここに歌人山口誓子が別荘を持っていたが波打ち際近くの砂浜にあったので伊勢湾台風で破壊された。卒業した中学校の校歌は山口誓子作詞だ。
 鼓ヶ浦の隣が磯山だ。磯がつくが磯浜ではない。ここの出身者で杉野兵曹長は軍国主義の時代の有名人だもっとも彼は日露戦争旅順港封鎖で戦死した広瀬中佐の「杉野、杉野はいづこー」の脇役かも。東京の万世橋駅には広瀬と杉野の像が立っていたが戦後撤去され広瀬中佐と杉野兵曹長の話を知る人は少ない。近鉄線磯山駅から杉野の碑が見えるが誰も気にしない。

 勝小吉は勝海舟の父親である。若いころはヤンキーで喧嘩ばかりしていた。小吉は伊勢参りを思いつき出かけた。お伊勢参りといえば各地で援助してもらえた時代だから身一つの無銭旅行だったんだろう。なんとか伊勢の寺家(白子)あたりに来たら高熱を出し松並木の道端に倒れていたら伊勢街道(往還)から100メートル入ったところのお寺に担ぎ込まれ手当てを受け命拾いしたという。ここで小吉が行倒れしたら日本の歴史は大きく変わっていただろう。この寺はどこか?。白子は寺が多いので往還から100メートル行かなくてもどこかにある。寺家(海岸が鼓ヶ浦)なら3つ該当する。2つは隣接し、もう一つはそこから50メートルほど離れ山門に仁王像がある古刹だ。どこだと言い難い。この話は勝小吉自伝「夢酔独言」に出ており、読んでおきたい本に選定されている。江戸時代の様子や人々の生き様がよくわかる資料だと思います。

偽「ゆめぴりか」掴まされた

2019-03-24 | 日記
先月、ひのひかりが無くなったので大手量販店M・Kの系列のドラッグストアPのチラシにあったゆめぴりかを買った。少し安いと思ったが最近ゆめぴりかは店頭でみない。見た目普通国産米短粒米だが色が白い、白すぎ。胚芽跡が小さく、溝(しわ)がほとんどない。まるで酒造白米のように削り込まれている(推定精米歩合70%、精米技術は高度だ)。写真にみるように短粒米だけでなく中粒米らしき米も混じっている。


炊いてみて驚いた長い、インディカ米かと思った。なんと12mmもある。



食べてみて香り、味が違う。香りは薄く味はもっちりしてはいるが風味がない。冷や飯になるとうまくない。ゆめぴりかじゃない。袋には北海道産米と書いてある。でもユメピリカならあるアイヌ模様のマークがない。ほぼ偽物と断定してもいいだろう。消費者センターや農政局に通報したがのれんに腕押し。Pに行って責任者らしき者にクレームいれたが責任ある反応はなかった。なんだこの無責任。公取に言うしかない。

関東大震災地震は元禄地震の再来そして100年後に関東大震災の

2019-03-23 | 日記
関東大震災(1923年)は元禄地震(1703年)の震源域がほぼ同じで神奈川県ほぼ全域から東京、東京湾、千葉県さらに房総沖までだったという。元禄地震のほうが規模が大きかった。この二つの地震の間隔は200年で相模トラフが動くという。次は2100年代ということか。関東大震災は東京の被害が大きかったが、小田原付近の高台で揺れを目撃した談によれば田んぼが波打っていたという。こんな揺れにはどう対応すればいいのか。三十三間堂は地震の時波打って耐えるそうだ。