凡夫の日常(たんたんぴー日記)

たんたんぴー(キジョラン)は綿毛のついた種です。風に吹かれてどこに飛んでいくやら。淡々坦々にも通じる気持ちです。

大寝過ごし、その後奇跡のようなラッキーで集合時間に間に合う

2017-01-28 | 日記
昔から目覚めはよく目覚まし時計の鳴る5分前には目が覚め寝ぼけるようなことはなかった。しかしこの日は違った。目覚ましかけておいたのに全く気づかず2時間も寝過ごし、朝の太陽がまぶしくてふと目が覚め時計を見たら8時5分前だった。目が飛び出さんばかり驚いたね。朝9時に姫路駅集合(仕事です)だ。びっくりするってもんじゃない。一挙に覚醒しアドレナリン噴出だ。

姫路は直線距離で75km、住んでいるところは大阪の千里ニュータウンの桃山台駅(新大阪に行く場合に使う駅)から3キロのところだ。間に合うとすればヘリコプターぐらいだろう。顔なんか洗っている暇はない。大慌てで服を着て鞄を持ち走る。部屋から玄関先まで1分かかるが長い時間だった。たまたまタクシーが客を下し止まっていた。何という幸運天佑神助(大袈裟な)これから車庫入りするというタクシーに半ば強引に乗り込み桃山台に走る。駅に着くと大阪方面に向かう列車がホームに滑り込んできた。切符を買い階段を駆け下りる。とび乗った瞬間ドアが閉まった。数秒遅かったら乗れなかっただろう。新大阪で降り新幹線のホームに着いたのは乗る予定の列車が発車する1分前だった。ようやく安堵した。

目覚めてから姫路まで1時間5分。信じられないことだ。あの時タクシーがいなかったら(独身寮なので朝8時には住人は出払っていてタクシーで来る人間はいない。大変珍しいことだろう。)、地下鉄の列車がドンピシャで駅に来ていなかったら、1分いや何秒かの違いがあったらこんなことは起こらなかっただろう。まことに奇跡としかいいようのない間一髪の連続だった。

40年以上も昔のおはなし。

全く記憶にございません

2017-01-20 | 日記
大学受験は半世紀前、ずいぶん昔のこと。記憶はいい方なのに大学受験も高校受験の状況がどうだったか全く覚えていません。受験というものは不快な経験なので記憶を何度も辿ることがなく半世紀という長い時間でフェードアウトしてしまったようです。合否も新聞に名前が載っていた(当時は合格者名が新聞に掲載される)ので見に行っていません。このいい加減さというか必死さがなかったのはどういうことなのか。いまだ詰めが甘いのは治らない持病なのか。就職も普段めったに出会わない高校の同級生に学内でばったり、国家公務員試験を受けるからお前も受けたらいいよということばに、あっそうか大学3年間の実力試験感覚で受けてみるかというのりで受験準備ゼロで合格。まったく緊張感なし。採用官庁は大学はもちろん、高校、自宅、親父の実家まで調べていった。ここまで身の下検査をするのか。受験を誘ったやつも見事合格。彼は大学に入ったときかそれ以前から中央官庁を目指していたようだ。人生の目的意思が違っていた。わが人生の方向を決めたキーマンであることは間違いない。

天むす発祥の地は津であって名古屋じゃない

2017-01-17 | 日記
一時のブームが去り最近天むすは見かけなくなった。天むすが話題になったのは昭和60年前後だと思う。ネットで調べる起源は古く昭和30年代だそうだ。名古屋の天むす(のれん分け)が有名になったのは鶴瓶だといわれているがタレントの末広真紀子だと思う。彼女が津の天むすを食べこれは商売になると名古屋で開業しTVなどで盛んに宣伝がてらしゃべっていた。これで天むすが地域グルメから東海関西に広まったと思う。彼女の話で天むすを知り、鶴瓶ではない。昭和61年頃津の天むす発祥の店に行って食べてみた。小さなおにぎりなのに満足感があった。その後ときどき作って家族に食べさせてみたがうまいとは言うものの食卓の定番にはならなかった。

阪神淡路大震災の予知

2017-01-17 | 日記
日本は地震国でいつどこで大地震に遭遇するか分からない。東日本大震災では震度5強(1キロ離れたところに気象庁の地震計がある)だった。冷蔵庫は動き棟瓦が落ちた。地震に備えいろいろ対策をしてきたが屋根をスチール製にしなかったのは失敗だった。築年数が新しかったが心配でホームセンターの屋根屋さんに相談し、屋根を見に来てくれたが「まー大丈夫でしょ。」の一言に安心してしまって葺き替えしなかった。耳に心地いい言葉は簡単に信じてしまう。
地震対策としては家具冷蔵庫の転倒防止をしていたので室内は小皿が1枚落ちたくらいで済んだ。ブロック塀に危険レベルの亀裂ができていたので直前の2月に倒壊しないよう軽量フェンスに建て替えた。直後の地震が3.11である。この地震で屋根以外に水道管とガス管が損傷した。地震後5千円くらいのガス代が1万円を超えている。妻は地震直後からガス臭いとか、メーターの赤いランプが点滅しているとか早くから異常を感じていたのに真剣に考えず放置していた自分が??である。水道は検針員さんから指摘された。

阪神淡路大震災については地震の8年ほど前、関西で家を買おうといろいろ調べたら神戸の地震危険性に突き当たった。地震学者はずっと前から危険性を指摘していたそうだが行政や世間は無視していた。バブルであっというまに不動産が5倍になって不動産購入は取りやめとなった。

ぴかぴか輝くスキー場は阿鼻叫喚恐怖のスキー場、恐らく百年に一度あるかないかの椿事だろう

2017-01-14 | 日記
40年近く前の1月半ば(成人の日で連休、土曜は半日の時代)土曜日の昼友人らと札幌からナイトスキーを目指して富良野に向かった。スキー場に近づくに連れてゲレンデが照明に照らされいやに輝いている。着いたらゲレンデがぴかぴかだ。何で光ってる?。リフトで上がって驚いた。何とスキー場が一枚の氷で覆われているのだ。アイスバーンどころではない、もはやスケートリンクだ。エッジはよほど立ててないと利かない。エッジ立てたままでもズリ落ちる。雪はちらちら降っているが風に吹き飛ばされ斜面を流れていく。気温はマイナス20℃で富良野では普通の気温だ。翌日ゲレンデに出ると凍っているのは3段あるリフトの2段目から下で一番上のリフトのところは凍っていない。この日も日中でマイナス20℃くらいだからスキー場はアイスリンク状態のままだ。転んで背中を下にしようものなら反転して立ちあがるのは困難で一番下まで滑り落ちる。あちこちで転倒し猛スピードで滑り落ちていく女性のキャーという恐怖の絶叫がゲレンデに響く。誰かにぶつかればもろともに落ちていくのだった。
この話を上司に話したら、前夜(金曜の晩)富良野を列車で通過したら土砂降りの雨だったということだった。真冬の富良野で土砂降りの雨が降り、すぐさまマイナス20℃になれば氷の山になるのはうなずける。珍しい体験だった。