アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

サントリーホールで「フォーレのレクイエム」を歌った時のこと?

2018年07月19日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)

写真は平成3年頃、東京のサントリーホールでの「フォーレのレクイエム」演奏の前夜セレモニーで、共演したパリ室内管弦楽団の皆さんと。
右側が私です(大嘘)

仙台から行った人も含め,私を勧誘した会社の合唱団の一部を除けば,全く知らない人ばかり。
(一部のうちの一部が上の写真で亡霊状態)
それでもまあまあ盛り上がる。
最も自分が理解不能のフランス語を操るパリジャンとの会話は難航が予想されたが「こっちは片言」「あっちは不得意」という英語が何とか通じる(苦笑)

せっかく来てくれた高校からの友人の評価は「バリトンソロの癖がすごい」ということだった。
私らの合唱への言及はなし..

振り返ってみると,いま感じている酒田市民会館・希望ホールの共鳴というか残響というかは,あの時サントリーホールではあまり感じられなかったな。
希望ホールだと,先月の演奏でもそうだったけど,最後にワン,と鳴ると残響がついてきて何倍もワンと鳴る。
音速ジェット機の後から音がついてくるみたいに(理論的には全然違う)

年に何度も宗教系だの会社系だのと,誘われては演奏していたっけ。
特に思うのは,オーケストラとはメサイアなどで年二回くらいは合わせていたことかな。
一般合唱人は「オケ伴」というと雲の上だの滅多にないことだのと思われそうだけれど,当時の環境だと,私が代振りさせられそうな位にチャンスがあった。
合唱の指揮者たちも結構,仙台フィル(当時は宮城フィル)なども振っておられたので,こちら(酒田)とは全く状況が違う。
私が高校生の弦楽を振った時でも奇異に思われていたかもしれない。

話がずれたが,私らが色々なホールに出向いて演奏することは不思議ではないし,体験こそが必要なのかな,と思っている。
と,ブログで書いても,たぶん地元の合唱やオケの諸兄には届かないだろうけれど。

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