サイコロの一点物日記、真央さんと共に!

美しい真央さん、元気な真央さん、どんな真央さんも応援します。良かったらご一緒に!

悪夢の平成23年3月11日。福島県の復興には、まだまだ皆さんのお力を貸してください。

平成23年3月11日14時46分18秒東日本大震災発生。 頑張れ!東北。頑張れ!福島。放射能の被害の甚大な福島県をず~っと応援します。◆ふくしま復興ステーション

■震災にまつわる怪談話のご紹介/世界ジュニア選手権 女子SPの結果と演技/ロシアNOW情報

2015年03月06日 00時04分00秒 | 日記と女性アスリート応援
世界ジュニア選手権の女子シングルSP結果は?

世界ジュニアフィギュアスケート選手権
20150305 世界ジュニア選手権(女子SP)/14歳が好発進

◆女子シングル
★SP1位 ロシア代表 エブゲニア・メドヴェージェワ選手 68.48
楽曲:ミシェル・ルグラン 映画「シェルブールの雨傘」より
https://www.youtube.com/watch?v=xgcOvkuFSfA

★SP2位 ロシア代表 セラフィマ・シャハノビッチ選手 63.09
楽曲:エフゲニー・ドガ 「ワルツ」
https://www.youtube.com/watch?v=ogUOHgCGHuU

★SP3位 日本代表 樋口新葉選手 61.27
楽曲:古澤巌 「愛しみのチャルダッシュ」
https://www.youtube.com/watch?v=4jTVkcvw3bA

★SP4位 日本代表 坂本花織選手 58.72
楽曲:ロシア民謡「黒い瞳」
https://www.youtube.com/watch?v=eO-DR3rAlAM

★SP5位 スロバキア代表 ニコル・ラジコワ選手 57.15
楽曲:ニーノ・ロータ 映画『ロミオとジュリエット』より「愛のテーマ」
https://www.youtube.com/watch?v=8VY-cPcpUW0

★SP6位 日本代表 永井優香選手 56.93
楽曲:リー・ホルドリッジ テレビドラマ「エデンの東」より
https://www.youtube.com/watch?v=lwaYLqZA63o

女子シングル SPプロトコルhttp://www.isuresults.com/results/wjc2015/wjc2015_JuniorLadies_SP_Scores.pdf




◆ペア
★ペアSP 6位 日本代表 古賀亜美選手&フランシス ブードロ・オデ選手組 48.45
楽曲:プッチーニ 歌劇『蝶々夫人』より「ある晴れた日に」
https://www.youtube.com/watch?v=cyCzmydvfaw

ペア SPプロトコル http://www.isuresults.com/results/wjc2015/wjc2015_JuniorPairs_SP_Scores.pdf



ちょうど、このブログを書いている時間は、アイスダンスSDが行われているのと同時に男子シングル滑走順の抽選会が行われているところです。

◆エストニアのタリンで開催される世界ジュニア選手権スケジュール、日本との時差は-7時間です。
日本時間表記です。
3月5日(木) 20:45~00:54・・・アイスダンスSD
3月5日(木) 23:00~・・・・・・・・・・男子SP滑走順抽選
3月6日(金) 02:00~04:25・・・ペアFS
3月6日(金) ・・・・・・・・・・・・・・・・・ペア表彰式
3月6日(金) 17:45~23:55・・・男子SP
3月7日(土) 01:00~04:45・・・女子FS
3月7日(土) ・・・・・・・・・・・・・・・・女子表彰式
3月7日(土) 20:30~23:40・・・アイスダンスFD
3月7日(土) ・・・・・・・・・・・・・・・・・アイスダンス表彰式
3月8日(日) 01:00~04:55・・・男子FS
3月8日(日) ・・・・・・・・・・・・・・・・・男子表彰式
3月8日(日) 22:00~00:00・・・EX
▼日本代表エントリー選手
* ジュニア男子シングル 宇野昌磨選手、佐藤 紘彰(ひろあき)選手、山本草太選手



3月11日と言えば、あの忌まわしい東日本大震災があった日です。あれから4年。
多くの犠牲者のみなさんのタブーとされていた話がありましたので、福島県人としては、少しでも犠牲者の皆さんの無念さを分かって頂ければと思って紹介させて頂きます。

言い訳は致しません、単なる興味本位と言われればそうかも知れませんが、何故か、避けて通れない気がしました。
お付き合いください。(微笑)

被災地でいまだ囁かれる心霊現象、本当にあった震災の怖い話

山形市在住の怪談作家・黒木あるじ氏は、被災地で怪体験をした人に直接話を聞いて、「震災怪談」なる怪談実話を手がけている。ここに記した話はすべて、黒木氏が取材したノンフィクションである。
【震災怪談1 電話番号】

被災地にある、割合、大きな町の役場で聞いた話である。
震災後、とある部署に設置されている電話が、決まった時間に鳴るようになったのだという。しかし、その電話を取ろうとする者は誰もいない。
その部署の電話機には、発信先を知らせる液晶のディスプレーがついている。そして、定刻に電話が鳴った際には、必ず「ある場所の電話番号」が表示されているらしい。
番号は、この町にある公共施設のものである。もっとも、その施設は津波にのまれて全壊しており、現在は更地になっている。つまり、電話線はおろか建物自体がないのである。
ならば、一体、誰がどこから電話をかけているというのか。そして、もしも受話器を取ってしまったならば、一体、何が聞こえるというのか。
気にはなるものの、とても確かめる気にはなれない。そんなわけで、職員は誰も電話を取らなかったのだそうだ。
震災から1年ほどが過ぎても「定刻の電話」はやむ気配を見せなかった。
そんなある日、いよいよしびれをきらした職員のひとりが、いつもの時刻に電話が鳴るや、おもむろに受話器をつかむと耳元に当てた。
「あっ」
10秒もたたぬうち、職員は無言で受話器を下ろすと「何も聞くな」と言わんばかりに首を大きく振って、自分の机へ戻っていった。後に、他の職員が酒の席で「あの時、何を聞いたんだ」としつこく尋ねたところ、電話を取った職員は「ごぼごぼごぼって……たくさんの水があふれるような音が……」とだけ呟(つぶや)き、あとはもう何も話そうとはしなかったそうだ。
ちなみに、私は話者から「電話の鳴る時刻が何時か」を聞いた。時間は決まって午後3時過ぎ。ちょうど津波の来た時刻であるという。

【震災怪談2 急かす店】
正確な場所は伏す。三陸沿いにある町の話とだけ、お知らせするにとどめたい。
その町に震災後、一軒のコンビニができたのだという。ところが、開店の予定日になってもオープンする気配がない。近隣住民がどうしたのか尋ねると、店員は困り顔で「夜勤がいないんです」と言った。オープンを控え、店ではアルバイトの研修を1週間ほど行なっていたのだが、夜になると奇妙な現象が立て続けに起こったのだという。
自動ドアが勝手に開閉する。レジが触れてもいないのに開く。監視カメラが誤作動で動かなくなる、などなど。あまりにその手の出来事が続き、ついにアルバイトはオープン前に全員辞めてしまった。そのため人員確保が必要になり開店が延びたのだそうだ。
「そういうことは珍しくない。ここは津波でやられた地区だもの」。私にこの話を聞かせてくれた男性は、静かにそう呟いた。
オープン後、常連客のひとりが「押されるんだけど」と訴えてきた。発言の真意を理解できぬまま「はあ」とうなずく店員に、常連客は詳細を説明し始める。買い物を終えて店を出ようとすると、背後から膝の辺りをグイグイ押されるのだという。まるで退出を急(せ)かされているような気持ちになって不愉快だ…訴えはそのようなものであった。
「送風が強いとか床が傾いてるとか、店になんか欠陥があるんでないの」。常連客はそう言ったが、新設して間もない店であるから、欠陥など考えにくい。一体、原因はなんなのかとしばらく考え込んでいた店員が突如、「あ」と声を上げた。
「膝から下って……それ、この辺りに来た波の高さじゃないですか」
その言葉に常連客は驚きつつも「そうかもなあ」と、納得したそうである。

【震災怪談3 視点】
宮城県の沿岸にある道路での話である。
地元に暮らす男性が真夜中、この道路を車で走行していたのだという。と、突然、目の前に道路を横断する人の姿が浮かび上がった。このままでは轢(ひ)いてしまう、慌てて男性はブレーキを踏んだ。
車はすんでのところで止まったようで、車体に衝撃はない。ほっとしたところで、今度は怒りが込み上げてきた。ヘッドライトは見えていたはずなのに、どうしてあんな危ないタイミングで渡ろうとしたのか。文句のひとつでも言ってやろうと憤りつつ車から降りた途端、男性はその場に立ち尽くした。
誰もいない。人の気配さえない。ふいに男性は気がつく。あの人影は、海岸から町へ道路を渡ろうとしていた。こんな真夜中に泳ぐ人間などいるはずがないではないか。「帰ってきたんだな」。そう呟くと、男性はその場でしばらく合掌したそうだ。
こんな話もある。
関西から来た建設作業員が、作業を終えて滞在先の民宿まで徒歩で帰っていた。と、数メートル先を歩く人影が目に入った。同僚かと思い「おおい」と声をかけたが、人影は応えることなく道路を横断し、半壊した建物が並ぶ路地へと消えていった。その姿を見送りながら、人影は海から上がってきたことに建設作業員は気づく。遊泳の季節ではない。第一、津波でやられてから遊泳は禁止されているはずだ。
「帰ってきたんだな」。彼はにわかに寒けを覚え、慌てて逃げ帰ったという。
さて、このふたつの話の舞台は、まったく同じ場所である。海から町へと道路を渡る人影という現象も一致している。しかし前者は畏(おそ)れ、後者は恐れているのだ。この話にこそ、震災怪談の特性が如実に表れていると思うのだが、いかがだろうか。

【震災怪談4 整頓】
震災翌年の3月11日、K子さんは菩提寺主催の合同慰霊祭へ出席するため、出かける支度を進めていた。津波で命を落とした母親の、一周忌法要にあたる慰霊祭だったそうだ。
ところが仮設住宅を出る直前、東京の知人から電話がかかってきたため、彼女は出発が大幅に遅れてしまった。知人の電話はたわいないもので、今日が震災の日で、この後、慰霊祭に行くのだと伝えても「ああ、あの頃は私も大変だったのよ」などと、のんきな返事しか返ってこない。あまりに腹が立って、彼女は会話の途中で電話を切った。
被災地以外の人にとっては、すっかり過去の話なのかな。虚しさに駆られながら、玄関であたふたと靴を履いて飛び出す。結局、式典には15分遅れで到着した。
帰り道、彼女の足取りは重かった。ようやく迎えた1年目の法要に、最初から参加できなかったことが悔やまれてならなかったのだという。
こんなんじゃお母さんに申し訳ない。もしかしたら、向こうで怒っているかもしれないな。沈んだ気持ちのまま仮設住宅に戻ってきた彼女は、玄関の扉を開けるなり息をのんだ。
出がけの騒ぎで乱暴に脱ぎ捨てたままの衣服が、きれいに畳まれて部屋の隅に置かれている。ひっくり返っていたはずの靴も、きっちりとそろえられていた。
ああ、そうだよね。お母さん、整理整頓にうるさかったものね。
来てくれたんだ。
K子さんはその場に立ち尽くしてしばらく泣いた後、市内にある花屋へ向かうと母親が大好きだったカスミソウを買い求め、部屋に飾ったそうである。
「あんまり心配かけても悪いでしょ、だから毎年の震災の日の朝には衣類を整頓しているんです」
K子さんは最後にそう言って、静かに笑った。
(文/黒木あるじ)

単なる作り話と思うのも、真実だと思うのも皆さんの勝手です。
でも、生きたかった事だけは紛れも無い事実だと思います。
商売が絡んでいない限り、私は信じてみます。そして、合掌しておきます。
転載先URL:http://news.livedoor.com/article/detail/9852370/



最近の大会では、ロシア女子の皆さんに翻弄されていますよね?
完全に女子に限ってはロシアの1強時代到来の兆し、ジュニア選手もロシア勢が強いようです。

つまり、選手からお金を巻き上がる日本のやり方では、限界があると言うより、糞連についていける選手は限られます。
付いていける選手が実力を備えて居れば、それで良いのですが、お金があってもスキルは低いとなれば、単に糞連の食い物になるだけ。
今まで安藤美姫さん、高橋大輔さん、そして浅田真央さんが稼いだお金は何処に消えたのでしょうか?
選手の育成のために使われるべきお金だったのではないでしょうか?
糞連の理事連中のファーストクラスでの移動のためのお金でないことは無かなのに、現実には、理事が贅沢するための資金になっているのが現実ではないのか?
その点、明らかにロシアの場合は、国が選手を育てている気がします。
つまり、素質があれば、国が応援する方法。
日本でもサッカーや野球は、そう言った形式を取っているのではないでしょうか?

そんなロシアから発信されて情報です。
【少女をメダリストに育てるまで】2015年2月27日 イリヤ・デシャテリク, ロシアNOWへの特別寄稿
フィギュアスケート女子シングルで、ロシアの若き選手たちが世界のトップに躍り出るようになった。アデリナ・ソトニコワは17歳でソチ五輪個人戦の金メダリストに、ユリヤ・リプニツカヤは15歳でソチ五輪団体戦の金メダリストになった。若いスターをいかに育てるのか。ロシアNOWが探る。



 ソトニコワも、リプニツカヤも、現在は“主役の座”から退いている。ロシア選手権では他の若き選手が代わりに表彰台にあがり、スウェーデンで行われたヨーロッパ選手権では若きロシア勢が表彰台を独占した。銀メダルのエレーナ・ラジオノワと銅メダルのアンナ・ポゴリラヤは、16歳でこの快挙をなしとげた。金メダルのエリザヴェータ・トゥクタムィシェワは少し年上の18歳。だがシニアのロシア選手権で初めてメダルを手にした時はまだ12歳だった。

親の情熱
 成熟した選手との違いとして、若い選手はより柔軟で、恐怖心が少なく、過去の勝利が重く肩にのしかかっておらず、無我夢中になれるところが記録更新に寄与すると、コーチは考える。しかしながら、他の強豪国アメリカや日本では、女子フィギュアスケートの「若返り」がロシアほど顕著ではない。ロシアの大きな特徴は親の情熱である。

 1994年リレハンメル五輪の金メダリストで、現在コーチを務めるアレクセイ・ウルマノフ氏はこう話す。「ロシアの親は、多くの場合、メダルを獲得させるために自分の子どもをフィギュアスケートに入れる。もちろん、アメリカでもヨーロッパでも、子どものスポーツ選抜はある。しかしながら、ロシアのような雰囲気は欧米にはない。ロシアでは子どものレベルですでに、競争が世界の他の国とは比にならないぐらい激しい」

 ソトニコワがモスクワのスケート場「ユジュヌイ」に母親に連れてこられたのは、わずか4歳の時。その3年後には、「CSKA」の有名なスタニスラフ・ジュク・コーチのシステムに入っていた。ソチで金メダルを獲得した後、ソトニコワは引退して、演劇大学に入学しようとも考えた。しかしながら、ソトニコワには病気の妹がおり、引き続き高額な治療費を稼がねばならなかった。

 トゥクタムィシェワは、5歳でウドムルト共和国グラゾフ市のスケート場に通い始めた。5年間にわたり、1600キロメートル離れたサンクトペテルブルクの、アレクセイ・ミシン・コーチのもとに連れてこられた。ミシン・コーチは五輪金メダリストのエフゲニー・プルシェンコのコーチでもある。これを受けて、トゥクタムィシェワの親は自分たちの生活を変え、サンクトペテルブルクに引っ越すことを決意した。

 フィギュアスケート・ロシア代表のメンバーを見る限り、選手を国際レベルに育成するのは、主にモスクワのCSKAと「サンボ70」、サンクトペテルブルクの高等運動技巧学校「ディナモ」の3校である。
 この2都市にすべてが集中している。フィギュアスケート専門のスケート場、一流トレーナー、選抜システム、競争構造、国内指折りの才能豊かな子どもたち、自分の子どもをフィギュアスケーターに育て上げるというアイデアの熱狂的支持者である親たち。
 これらの条件の組み合わせによって、高い技術を持つ若手女子スケーターを国内で事実上”量産”できるようになる。女子フィギュアはもしかしたら、新体操がたどった道を進むかもしれない。新体操では、20歳でベテランとされる。

若いスケーターへの高い関心
 ウルマノフ氏によると、若い女子スケーターの見ごたえのある戦いに、テレビは関心を持つという。

 エレーナ・ブヤノワ(当時の姓はヴォドレゾワ)は、1976年インスブルック五輪にわずか12歳で出場した。ソトニコワはブヤノワ氏の教え子だ。「それぞれの年齢に独自の魅力がある。ソトニコワとトゥクタムィシェワは、この世界に入ってすぐに、フィギュアスケートを盛り上げた。複雑なエレメントをこなせることを示したため、ジュニアなのにロシアのコーチはそれらを取り入れるようになった」

 トゥクタムィシェワのヨーロッパ選手権での成功は、13歳にして難しいジャンプを飛んでいたからでもある。他のヨーロッパ選手権のメダリストも同じ道を進んでいる。「子供時代にマスターした基本が難しいほど、その選手は大きく成長できる余地を持つ。ただ、シニアになって高いレベルに居続ける選手は少ない」とブヤノワ・コーチ。

練習と学校の勉強
 ソトニコワとトゥクタムィシェワの例を参考にする限り、ロシアでスポーツの成功を考えるのであれば、遅くとも4~5歳でフィギュアスケートを始めさせなければならない。

 7~10歳で才能のある少女は、先にあげた学校のコーチの目に留まる可能性がある。全国大会のレベルに進むと、若い女子選手は1日6~8時間ないしはそれ以上の時間をスポーツに費やす。

 2度のジュニア世界チャンピオンで、今年のシニアのヨーロッパ選手権で銀メダルを獲得したエレーナ・ラジオノワは、マスコミの取材に対し、学校に定期的に通ったのは低学年のみで、その後は校外生制度を利用しながら、練習のために基本的な教科のみを学んだと話した。

 リプニツカヤは9年生の時点で国家卒業試験の準備を行いながら、それぞれの教科の特別プログラムに沿った準備を1週間ごとに割り当て、多くを家庭教師から学んだ。

良い意味でのハングリー精神と言うのでしょうか?
スポーツだけは、じっくり本人に有った競技を模索しながらと行かない所がジレンマですが、親の自己満足もあるかも知れませんね。
でも、少なくても、自分の子供の能力を信じて疑らないのは良い事だと思います。
やはり、一番はやる気ですからね。(微笑)
今の日本のように異常なまでの甘やかし方には、賛成できない面が多々あります。
もっと、伸び伸びと育てる事が望ましいのですが・・・・(苦笑)
転載先URL:http://jp.rbth.com/arts/sport/2015/02/27/52139.html



動画のご紹介です。動画主様、感謝申し上げます。
何度でも紹介させて頂きますので、何度でもご覧くださいね。(微笑)

★真央さんが伸び伸びとそしてゆったりと演技していますね。
Mao ASADA - 2003 Japanese Nationals LP


★Takahiko Kozuka / 小塚崇彦 ~ THE ICE 特別版


連続再生でもお楽しみ頂けます。
★Opening / オープニング ~ THE ICE 完全版


★Woman's Group Program / 女子グループ ~ THE ICE 完全版


★Collaboration Program - Let it go / リクエスト コラボレーション ~ THE ICE 完全版



目黒界隈を散歩しました。2015年2月27日撮影 その6















◆浅田真央さんオフィシャルWEBサイト|真央ブログ

◆浅田舞さんオフィシャルWEBサイト|舞ブログ


“サイコロのブログ”番組表を扱っています。参照してください。
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