子供がいると、朝のテレビは教育テレビが定番になるものです。
私も小さい頃、見ていたはずの教育テレビの子ども番組ですが、今となってはウロ覚え。
かろうじて覚えているのは、『おかあさんといっしょ』の中の着ぐるみ人形劇で、じゃじゃまる・ぴっころ・ぽろりというキャラクターが登場する「にこにこぷん」くらいでしょうか。
さて、龍くんが生まれたことで、二十数年ぶりに教育テレビにチャンネルを合わせたのですが…初めて見たときは、なかなかのシュールっぷりに驚きました。
今では本当に子供向け番組かと疑いたくなるような言い回しに、大人の私がウケてます。
龍くんのお気に入りは、この3番組。
『みいつけた!』
『いないいないばあ』
『ピタゴラスイッチ』
このうち、『みいつけた!』と『ピタゴラスイッチ』は、鼻で笑ってしまうようなシュールな展開に、私も手を止めて見入っています。
『いないいないばあ』も、キャラクターがこぼす独り言が、大人の愚痴のような呟きで、子供向け番組でありながら、一緒に母親をも取り込む仕掛けが施されているようにも感じられます。
そんな中、私の気を最も引いたのは、『ピタゴラスイッチ』の中で流れていた曲。
≪おとうさんのうた≫ (実際はひらがなの歌詞ですが、読みやすく漢字変換しました)
お父さん お父さん ボクのお父さん
会社へ行くと 会社員
仕事をするとき 課長さん
食堂入ると お客さん
お父さん お父さん ボクのお父さん
歯医者に行くと 患者さん
歩いていると 通行人
お父さん お父さん ボクのお父さん
学校に行けば 生徒さん
電車に乗ると 通勤客
お父さん お父さん うちに帰ると
ボクのお父さん
皆さんは、この歌詞を読んで何を思われたでしょうか?
私は「これこそ【空】【無我】【無自性】だ!」と興奮しました。
以前、龍くんのために作った段ボールのおもちゃを紹介した際に、仏教の空思想について書いたことがありました。
【空】も【無我】も、「何もない」「からっぽ」と受け取られがちですが、そういうことではありません。
存在としては「ある」けれど、永遠不変の絶対的なものは存在し「ない」ということです。
段ボール箱は、遊ばれればオモチャだけれど、遊ばれなければ、ただの段ボール箱。
椅子だって、誰かが座れば椅子だけど、誰かが座面を使って勉強し始めたら机になる。
振り回せば凶器になって、壊れたら座れないから椅子の機能は失われる。
そして、机に腰掛ければ、それが椅子になる。
オモチャは、オモチャとして遊ばれている瞬間にのみ存在する。
椅子は、誰かが座っている瞬間にのみ存在する。
名前とは、その状況に即した瞬間、仮に名づけられたものでしかない。
そして、その名称通りの機能と物体が、永遠不変かつ絶対的に存在するということは有り得ない。
それが【空】であり、【無我】である。
ということを端的に歌っているのが、この≪おとうさんのうた≫というわけなのですが…。
この感動を分け合えるママ友募集中(笑)