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中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

中国での想い出(1) 旅の良さとは

2009-05-11 09:53:28 | 中国のこと
 私は遠距離の飛行機が苦手だし、ふとしたことから中国に惹かれるようになったので、これまで近い中国にばかり行ってきた。私はどうも気儘なところがあって、忙しくあちこちを回る旅行社のパックツアーは性に合わないので、ほとんどの場合は独りか卒業生と一緒の旅である。そうして何度か出かけているうちに、いったい旅の良さとは何だろうかということを考え、それは現地の人達との交流だという結論になった。これは湖南省西部の鳳凰と言う明清時代の旧い町での体験である。

 街をぶらついていたら、若いお母さんがヨチヨチ歩きの男の子の手を引いて来るのに出会った。あまり可愛いので写真を撮ると、お母さんがその子に何か言った。するとその子は私を見上げて小さな指を唇に当てては離すしぐさを2、3回した。そばにいたガイドの馮さんが、「お爺ちゃんにキスしてあげなさいと言ったんですよ」と教えてくれた。投げキッスをしてくれたのだ。何とも可愛く嬉しかった。「謝謝シェシェ」と言ってからお母さんと笑顔を交わして別れたが、そのほのぼのとした瞬間はとても心地好いものだった。

 夜、商店街をガイドと運転手と一緒に散歩した。途中で豚の塩漬け燻製肉の店に入ったのだが、2人が商品を物色している時に、店の主人が私に「日本人か」と尋ねた。「そうだ」と答えると、急に両手を顔の前で組んで軽く上下させる拱手(昔の中国で目上の者に対してする、あの礼である)をしたので思わず笑ってしまった。彼も笑顔で名刺をくれた。それだけのことだったのだが、何かとても親しみを感じさせられた。


 この町の中を流れる沱江と言う川のほとりで、1人の40歳前後の苗(ミャオ)族の女性が、花帯と言う苗族の伝統的なシンボル模様の、細く美しい帯を簡単な織機で織って売っていた。ガイドを通じて彼女に「龍玉門さんですね」と声をかけ、「私は前に日本のインターネットであなたについての記事を読んだので是非会いたかった」と伝えたらとても喜んでくれて、一緒に写真を撮り、帰国してから送った。初めてなのに異郷で知己に出会ったような嬉しさだった。


 このように私の現地での交流と言っても決して大げさなことではない。ささやかな出会いがあり、笑顔を交わすことだった。私の中国語などお粗末きわまるものだから、それは笑顔で補っている。笑顔は万国共通の言葉ではないだろうか。どんなにささやかなものであっても、現地の人との出会い、笑顔での交流がなかったら旅の良さ、楽しさは半減すると思っている。帰ってから思い出すのはもちろん見てきたいろいろな風景、風俗だが、人との交流は何かしみじみとした気持ちで思い返すことができる。



歯の治療

2009-05-10 10:27:06 | 身辺雑記
 久しぶりに歯の治療に行った。去年の7月以来通院を中断していたから、ほぼ10か月ぶりだ。それまでは昔の教え子の歯科医のK君の指示に従ってこまめに通院し、腕のいい彼を信頼して任せていた。彼の医院が入っているビルが建て替えをするので立退いて近くに仮移転し、その間は休診になったので、つい足が遠のいていた。

 10ヶ月間、歯が痛むこともぐらつくこともなかったが、診てもらうとさすがにかなり歯石が溜まっていると言われた。前に応急に処置した部分もしっかりしていて、そこを手入れし、歯石を一部取ってもらい、残りは後日ということにして終わった。

 歯の治療は嫌だ、怖いと言う人は少なくないようだ。虫歯を研削するときの音と感触に身が縮むということも聞いたが、私はまったく平気だ。ただ歯茎に麻酔薬の注射針を刺すのは嫌いだ。たいした痛みではないが身を硬くしてしまう。それよりも歯を治療すると後がすっきりし、爽やかで清潔な感じになるのが気持ちよくて好きだ。

 私は歯が良いほうだと言われる。K君に尋ねたら、上が12本、下は16本残っているようだ。親知らずを合わせて基本の32本ある歯のうちの28本が残っているのだから、この年齢としては上出来なのだろう。兵庫県国民健康保険団体連合会などの調査によると、自分の歯が20本以上残っている70歳以上の人は、4本以下と比べ、身体の病気で費やす医療費が1か月、平均約9000円も少ないことが分かったそうだ。残存歯数が多いほど、神経や循環器などの病気で通院する日数が少なく、歯と身体の健康の密接なかかわりが明らかになったと言う。これは私自身については確かに言えることだと思う。何よりも胃腸が丈夫なのが有難い。先日血液検査をしたら、悪玉コレステロールの数値がやや高いだけで、後はまったく正常範囲内、「ほぼ満点」と言われた。

 食べ物の種類、年齢を問わず、人間が噛む為には最低20本の歯が必要とされるらしいが、現実は80歳での平均残存歯数は7本で、「8020(はちまるにいまる)運動」、80歳で20本の歯を残そうということが提唱されている。私の父は40代の後半で歯槽膿漏のため歯をほとんど失い晩年は総入れ歯だった。歯槽膿漏はずいぶん痛いものらしく、父は泣いていたと母は言っていた。その母は7人の子を母乳で育てたためか、カルシュームを失ったもろい歯だった。幸い私は今のところ歯は良いから、これからもいっそう手入れに心掛けようと思う。



中国に少し触れて

2009-05-09 08:24:54 | 中国のこと
 先日、隣の市のある公民館の活動推進委員をしている旧い教え子に頼まれて、その公民館の市民対象の講座で、『中国の少数民族』という題で話をした。その折に配った資料の1つである。以前にあるところに投稿したものに少し手を加えた。


 2000年にある教え子に誘われて、初めて中国に旅して以来、病みつきになってしまい、これまでに42回訪れました。「通になったでしょう」などと言われることもあるのですが、とてもそんなものではありません。中国を理解するには、①国土は広大、②人民は多数、③歴史は悠久、ということを心得ておかなければならないと言われますが、実際に訪れて見ますと、そのことがよく分かります。ちょっとやそっとでは分からないのが中国という国だと思います。最近は反中国的な論を唱える人が多くなりましたが、いったいどれだけ中国のことを分かって言っているのだろうと思うことがありますね。所詮は「蟹は己の甲羅に似せて穴を掘る」の類なのかも知れません。

 私の浅い経験だけでも、中国について何か話すとなると、何から話したらいいのかと迷います。それで、ここでは取り敢えず中国に住む少数民族について触れてみましょう。中国の人口は13億人ですが、その90パーセント以上を占める漢族以外に55の少数民族がいます。日本人が中国人としてイメージしているのは、普通は漢族でしょう。ですから、例えば西の端の新疆ウィグル自治区に行きますと、そのようなイメージからは程遠いウィグル族が多く、これが中国かと思ってしまうほどです。また新疆の東の青海省にはチベット族が多く、ここでもまた「異国」を感じたりしたものです。それでも皆「中国人」なのです。

 私が出会った少数民族は、壮(チュワン)、苗(ミャオ)、回(フェイ)、ウィグル、カザフなど16民族に過ぎません。それでも青海省に行った時には、西安から私に同行した若い友人が漢族と回族、現地のガイドが蒙古族、ドライバーは満州族で、いかにも「中国的」でした。他にも壮族や土家(トゥチャ)族の友人もいます。それぞれ自分は何族ということをはっきり言いますし、壮族の友人のように、壮族であることに非常な誇りを持っていて、その文化を研究している者もいます。少数民族は独自の言語や、中には文字も持ち、民族独自の風俗・文化を強固に保持していることが多いのです。貴州省東南部の苗族の村を訪れた時などは、それが非常に強いことを実感し、とても印象的でした。

 このように「中国」と言いましても、簡単にひとつに括れないのが中国の姿だと思います。広大な国土にさまざまな人達が多様な暮らしをしている実態はなかなか理解できるものではありませんが、それでもごく局地的ではあっても実際に訪れて触れてみると、その一端が理解できてとても魅力的で、また来て見たいと思わされるのです。






中学生

2009-05-08 08:00:00 | 身辺雑記
 たまたまつけたテレビの画面がNHKで、長崎県五島列島のある島の町立中学校の生徒達を昨年1年間記録した番組が始まるところだった。初めは何となく見たという感じだったが、番組が進むにつれて引き込まれてしまった。

 この生徒達は3年生で、3年生は1クラスしかない。番組は音楽を選択している3年生の女子生徒達に、女子の音楽担当の先生がNHKの合唱コンクールの課題曲を配るところから始まっていた。課題曲はアンジェラ・アキのヒット曲の『手紙』。この学校には合唱部はないが、音楽選択の生徒達が前年度の長崎県大会で銀賞を獲得した実績がある。

 生徒達は県大会で金賞獲得を目指して、自分達が編み出したトレーニング法を取り入れて練習に励む。音楽担当の若い女性の先生も島の出身で、東京の音楽大学を卒業してからこの中学校の音楽担当教諭として赴任した。3年生のクラスの担任でもある。

 練習が進むにつれて2年生の女子も参加し人数が増えたところへ、3年生の男子も参加してきた。これまでは女声でやってきたが混声でやるのかということから、悩みや葛藤が起こり、リーダーの部長も先生も悩む。男子も初めのうちはリーダーに反発していたが、しだいにやる気が出てきて、自分達でパート練習をするなどしてまとまっていく。その間の生徒達の真剣な表情がいい。

 長崎県大会は諫早市で行われた。中学校の部の最初に舞台に上がった生徒達は練習の成果を発表するが、一人ひとりの真剣な表情が実に良かった。とりわけ3年生になって急遽参加した男子生徒の一人ひとりの顔が良い。県大会が開かれたのは7月だから、僅か3ヶ月でここまでになるのかと感心した。選考の結果は残念ながら銀賞に終わるが、終わった後で生徒達がリーダーや先生に、涙ながらに感謝の言葉を述べる場面も感動的だった。

 卒業式には3年生全員でコンクールの課題曲を歌い、式の後では教室で、自分達の未来の抱負を黒板に記し、短いコメントを述べる。その黒板を背にして話す先生の生徒達へのはなむけの言葉は、生徒への愛情と教師としての喜びに溢れているようなものだった。最後は密かに練習した歌を先生にプレゼントする。涙しながら聴く先生と生徒達の間には歌で結ばれた強い信頼感があるように思えた。

 番組の中の中学生達は女の子も男の子も、みな本当に良い顔をしていて、この年齢にふさわしい清潔さやひたむきさがあり、ああ可愛いなと何度も思い、こんなに素晴らしい子ども達もいるのだなあと何かほのぼのした気分になることができた。近頃は中学生も含めて未成年に関する暗い話は少なくない。街でも何か活気がない姿も見かける。そのたびに貴重な若い時代の清潔さと明るさを失ってどうするのだろうかと心を痛め、もったいないと思う。テレビで見た離島の中学生達の姿に久しぶりに清々しい気持ちになり満足した。この子達の未来がそれぞれ素晴らしいものであるようにと願う。

芝桜

2009-05-07 09:44:02 | 身辺雑記
 長谷の牡丹を観た後で、隣接する三田市にある永沢寺の芝桜を観に行った。

 永沢寺は本来は「ようたくじ」と言うようだが、普通にはちょっと読めない。入場券としてもらった絵葉書の地名には「えいたくじ」と振り仮名を打っている。寺の名前は「ようたくじ」で、市としての地名は「えいたくじ」なのだろう。この寺は以前から敷地内に芝桜を敷き詰めるように植えて、「花のじゅうたん」と命名して宣伝し、しだいに人気が出て、今では三田市の観光スポットになっている。最近は牡丹園や菖蒲園も造り、蕎麦打ち体験もやっていてなかなかの商売上手である。


 芝桜は北米原産のハナシノブ科の多年草で、4~5月頃にサクラに似た形の花を咲かせる。淡紅色、白色、薄紫色、紅色などさまざまな色がある。葉は1センチ程度の針形で硬く、芝のようによく枝分かれし地面を覆い尽くすように密生するので芝桜と言う。










 永沢寺では少し盛りを過ぎていたようだったが、それでもよい香りが漂っていたし、じゅうたんのような様子は見事だった。インタネットで見ると北海道大空町や滝上町、埼玉県秩父市など全国には芝桜で有名な所がかなりあり、写真を見ると見事で規模も大きく、残念ながら永沢寺のものは少々こじんまりしているようだ。















 今は新緑の季節で、往復の車内から見る山の木々の緑が美しい。その所どころに野生の山藤が高い木に絡み付いて花を着けている眺めはなかなかよいものだった。山藤の香りは、園芸品種のものよりは良いらしい。




牡丹

2009-05-06 09:33:53 | 身辺雑記
 私が住む宝塚市の北部は山が多く、高原もあって鄙びているが、そこに長谷(ながたに)という地区があり、そこの牡丹園で「牡丹祭り」が開かれた。またまたHg君夫妻とK君と一緒に観に行った。

 宝塚市の花卉植木産業は約1000年の歴史があり、埼玉県安行、福岡県久留米市とともに日本3大植木産地として知られている。牡丹の歴史も江戸時代に遡るようで、明治33年にはパリで開かれた万国博覧会にも50種250株が出展されたと言う。市は全国の牡丹に縁のある地から提供を受けてこの長谷の地に牡丹園を開いた。約100種2500株が植えられていると言う。

 園内には色とりどりの牡丹が花の盛りを迎えていて、あたりにかぐわしい香りを漂わせていた。




































 牡丹は「立てば芍薬、座れば牡丹」と美人の形容に使われるが、単なる美人と言うよりも、気品のある貴婦人という趣があり、華やかだが俗に堕していない。中国洛陽の牡丹園で見た牡丹には楊貴妃という品種があったし、三国志演義に出てくる呉の美人姉妹である大喬と小喬の名をとった品種もあった。中国の国花は牡丹か梅かということで意見が分かれ、まだ定まっていない。


              

耳順

2009-05-05 07:26:29 | 身辺雑記
 姫路市内を走行中の路線バスの中で、60歳の男が突然隣に座っていた64歳の男性の頭をハンマーで殴り、全治10日間の怪我をさせて逮捕された。男は被害者とは面識はなく、「たばこを吸いたかった。ムシャクシャしていた」などと供述しているようだ。ハンマーを持っていた理由は話していないと言う。

 たばこを吸いたくてむしゃくしゃしただけで、このような乱暴な行為に及ぶとはむちゃくちゃで、ちょっと理解が出来ない。バスに乗って喫煙できなかったくらいで人を殴ったりするものだろうか。この事件は朝の出来事だが、起きた時からずっと喫煙していなかったのか。よほどのヘビースモーカーなのか。これまでに乗り物に乗ったときにはどうだったのか。分からないことは多い。

 この男の60歳は還暦に当たるし、いわゆる耳順の年だ。論語の「為政」の有名な「子曰、吾十有五而志於学」で始まる一節の中の「六十而耳順」から由来していて、耳順は60歳の異称だ。六十にして耳順(したが)うは、60歳になって「修養がますます進み、聞くところが理にかなえば何の障害もなく理解できる」とか「何を聞いても素直に受け入れることができるようになった」とか解釈されている。孔子にしてこの境地に達するのに60年かかったということだから、我々凡人はちょっと及びつかない感じだが、それにしても人間60にもなれば、それなりの安定した心境になるのが望ましいことだろう。

 この事件を報じたのは1社だけだったし、報じた社も続報を出していないので詳細は分からないが、この男はあるいは精神に障害があるのかも知れない。どう考えてもちょっと正常とは思えないのだが、もし普通の人間であるとしたら、近頃多い若者の凶悪な事件と本質的には変わりはない。この事件以外でも、還暦に達しても今時の老人はまだ若いということなのかと思えてくるような、数々の事件を老人が引き起こしていることはよく耳にするようになった。今の世の中は老人に安らいだ心境を与えることが難しくなっているのだろうか。




母子草 

2009-05-04 09:45:25 | 身辺雑記
 春の日差しを浴びて咲く母子草は好きだ。薄い緑色の柔らかそうな茎葉と、小さい珠が集まったような黄色の花を見ていると春だなあと思えてくる。




 葉と茎には短い柔毛が一面に生えていて触ると柔らかく、その感触が快い。




 キク科の植物だから花は頭状花で、花茎の先端に小さな花が集まり、1つの花のように見える。

 
 もう5月だから花期も終わりに近づいている。茎の下部に着いているものから花が終わり、種子が出来ているようだ。






 母子草は正式にはホウコグサというのが正しいことを近頃知った(『柳宗民の雑草ノオト』ちくま学芸文庫)。この草の古名はホウコあるいはオギョウ。オギョウは御形で、春の七草のひとつとして知られているが、これもずっとゴギョウと発音していた。正しくはオギョウ。だからこの母子草については2重に俗称を覚えていたことになる。古くは餅に搗き入れていたそうで、母と子を搗いてはいけないということで蓬に代わったという説があるが、古名はホウコだからこの説は疑問視されるようだ。ホウコは「這う子」で、春先に生え出した時に地面にへばり付いている様子に由来するとも言われるが定かではない。

新型インフルエンザ

2009-05-03 08:49:28 | 身辺雑記
 メキシコ発の新型インフルエンザはしだいに世界各国に広がっている。当初は豚から人へと感染して「豚インフルエンザ」と呼ばれていたものが、人から人へと感染するようになったからだ。鳥インフルエンザのときにも、人から人へと感染するようになると非常な脅威になると言われていたが、幸いそのようなことは起こらなかった。今回の新型インフルエンザもそれが心配されている。

 世界保健機構(WHO)は、この新型インフルエンザの呼称を「豚インフルエンザ」から「インフルエンザA(H1N1)」に改めることにしたようだ。各国の養豚業者などから「豚」という言葉を使わないようにとの申し入れがあったからだと言う。やはり風評被害を心配してのことだろう。例によってこのインフルエンザがニュースになると、すぐさま厚生労働省などに、豚肉を食べても大丈夫かという問い合わせが相次いだり、あるスーパーでは当店ではメキシコ産の豚肉は扱っていませんと表示したり、ある肉丼などを扱うチェーン店では定番の豚カツ定食の販売を中止したりと、加熱して適当な調理すれば豚肉には何の問題もないのに、相変わらずの浮き足立った反応だ。

 テレビを見ていたら、東京のあるメキシコ料理店は、普段はいつも満席状態だったのに、報道された途端に客は激減して、店主は風評被害だと嘆き、メキシコ人の奥さんは客にメキシコの肉料理を勧めると逃げてしまうと言っていた。私は少々危機感が乏しいのか、このような反応をすることがどうしても理解できない。私たち日本人は風評に弱い国民性なのかと思ったりもする。十分に警戒し、注意することは必要だが、過剰な反応はかえって不安を引き起こすだけだ。

 マスコミにも冷静であることを望みたい。これもテレビのニュースで見たことだが、ある新聞、スポーツ紙らしかったが、そこには「既にパンデミック」と大きな文字の見出しが映し出されていた。パンデミック、すなわち世界的な規模の大流行は、感染症流行の状態を示す指標の最高段階の「フェーズ6」というものだ。どのような内容の記事なのかは分からないが、WHOのような国際的な専門機関が世界各地の状況を慎重に検討して決めるようなことを、このような1新聞が訳知り顔で専門用語を使って軽々に書くことではない。社会の不安を掻き立てるだけだ。多くのマスメディアは慎重な報道姿勢をとるだろうが、それでも知らぬうちに不安を感じさせる伝え方になっていないか絶えず自戒するべきだと思う。

 幸いわが国にはまだ感染者は発生していない。感染を疑われた高校生も女性も検査の結果、感染していないことが分かった。空の交通が格段に発達している時代だからこれからのことは予測できないし油断は出来ないが、徒に不安に駆られて浮足立たないようにしたい。

信楽(2)

2009-05-02 10:32:00 | 身辺雑記
 信楽は付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄で、瀬戸、常滑、越前、丹波立杭、備前と並んで、中世から生産活動が続いている日本六古窯のひとつに数えられている。今も陶器の町として有名で、とりわけ信楽焼の狸の置物は知られていて、商店や料理屋の店先などに置いてあるのをよく見かける。東京にいる上海人の敏敏も「ああ、知ってる」と言った。西安の明明を岐阜の郡上八幡に連れて行った時に、店先においてある信楽焼の狸を見て「あれ、なんですか。狼ですか」と不思議そうに尋ねたことがあった。

 ある窯元で。大小の狸の大軍団は壮観。






 なぜ狸なのかと思っていたが、インタネットで調べてみると、「信楽焼の狸の置物の歴史は比較的浅く、明治時代に陶芸家の藤原銕造氏が作ったものが最初と言われている。1951年(昭和26年)、昭和天皇が信楽町行幸の際、たくさんの狸たちに歓迎されたことに感銘して歌を詠んだ逸話によって、全国に名が知られるようになった」(Wikipedia)とある。タヌキが「他を抜く」に通じることから商売繁盛、招福、開運の縁起物となっている。編み笠を被り、首をかしげて右手に徳利、左手に通い帳を持っている「酒買い小僧」型が定番になっているが、今ではいろいろなバリエーションがある。 いろいろな姿態、表情があって、どれも可愛く、見飽きない。 
 



 野球選手と女の子
 
 
これは旧いタイプのようだ。


 甲賀だけあって、武者や忍者のものもある。