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中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

てふてふ

2009-05-22 08:54:52 | 身辺雑記
 あるレストランで昼食をとっていた時、大きなガラス窓越しに外に植えてあるいろいろな植物を眺めていると、カモミールのような白い花に1匹の白い蝶が来て止まり、翅を開いたり閉じたりしているのが見えた。それを見ていると、ふと「てふてふが1匹韃靼海峡を渡って行った」という詩を思い出した。これは安西冬衛の「春」というよく知られている1行詩だ。

 「てふてふ」は旧仮名遣いで、「ちょうちょう」と読む。旧仮名遣いは歴史的仮名遣いとも言われ、私のような戦中生れのものはこれで教育された。旧仮名遣いは第2次大戦後の国語国字改革で国語表記が「現代かなづかい」に改められるまで続いた。私は小学6年生で戦争の終結を迎えたから、中学時代に現代仮名遣いに接したことになるが、過渡期のことについての記憶はない。新しい仮名遣いは一部を除いて表音主義に拠っているから頭の切り替えは比較的簡単だったように思う。子どもにとっては旧仮名遣いはやはり難しい面があったようで、今ではごく一部を除いて旧仮名遣いで書くことはできなくなった。しかし読むことにはまったく差し支えないから、今でも明治・大正期の作品や丸谷才一氏などの旧仮名遣いの文章は違和感を覚えることもなく読むことができる。

 「てふてふ」は、おそらくよく口ずさんだ唱歌の『蝶々』の「てふてふ てふてふ 菜の葉にとまれ・・・」で知ったのだろうが、今も何の抵抗もなく「ちょうちょう」と読める。しかし、いかに旧仮名遣いであってもなぜ「てふ」を「ちょう」と読めるのか。子ども心にも奇異に感じたのか、旧仮名遣いではもっとも読みにくいものだったように思う。改めて「てふ」を「ちょう」と読むに至ったのかを調べてみると、なかなか面白い。要約すると、

 ①平仮名ができた平安時代初期には、文字通り「てふ」は「テフ」と発音されていたと言う。

 ②11世紀ごろになると、「ハ行転呼」(はぎょうてんこ)という現象が一般化して、「テフ」は「テウ」と発音されるようになった。「は行転呼」とは、文節の頭以外に位置するハ行音がワ行音に発音される現象なのだそうだ。日本語の[wu]は母音の[u]とほとんど同じでだから、「テウ」は[teu]のように二重母音「エウ」を含むことになるという。このあたりはいささか難しい。

 ③鎌倉・室町時代には、二重母音が融合して長音化するという現象が一般化する。そこで「エウ」も長音化して「ヨー」となるから「テウ」は「チョー」となる。いろは歌の中の「うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山今日越えて)」の「けふ」が「きょー」となるのと同じである。

 これでだいたいは分かったが、なるほど旧仮名遣いは歴史的仮名遣いとも言われるだけあって、「てふ」1つ見てもその歴史は深い。

 次に、ではなぜ「蝶」が「てふ」なのかということなのだが、「言語学漢・鈴木健次のホームページ」によると、「てふ」は「手符」で、掌で作った符号が左右に各一個、つまり手符が2つで「てふてふ」すなわち「ちょうちょう」なのだそうだが、手符とは何かと言うことがよく分からない。手の符号ということなのだろうが、何を表わしているのか。
            

 このホームページはなかなか内容が深く、「てふ」に関して次のようなことも書いている。

 「蝶」を「てふ」と書くがゆえに、「飛ぶ蝶」を「いてふ」と書く。この絵は「銀杏の葉」を横から見たものだ。これからそのシーズンに入るが、木に付いた状態で見ていただきたい。これを「行てふ」と書けば意味がはっきりする。ここで日本語「い」は「行動」という概念を表わす言葉である。
           

 なかなか面白い。昼食時に白い蝶をたまたま見かけ、そこから「てふてふが1匹・・・」を思い出し、それからなぜ「てふ」が「ちょう」なのかを勉強した。たまにはこんな勉強も頭の体操になるからいい。