悪口を言われる、なんてことは、普通なことで、
悪口を言われたくらいで壊れてしまうなんて、なんと弱い人間だと、
政治家だって有名人だって芸能人だって、悪口をさんざん言われても、しぶとく生きていってるじゃないかと、
まぁ確かにそうなんだが、
要するに、
悪口を言われても生きていていい、
そう思うように育ててもらえなかったならば、
どうしたらいいのだ(笑)
良い子というものは
親や目上の言うことをキチンと守る子供であって、
親や目上からしたら「都合のいい人間」というだけだ。
私は
親から捨てられたら死んでしまうのだ、だから言うことをきけ、
経済的にも、お前なんかじゃダメなんだ、
こっちが金をくれてやるから、言うことをきけ、
お前がどう思うかなんかどうだっていい、こちらにとって都合の良い振る舞いをしろ、
そうしたら恵んでやる、
そうしたらお前の欲しいものをくれてやる
そんな風に思ってる親から育てられたんだと感じる。
要するに、経済的パワハラ、とも言える。
たぶん子供の私にとって、
素直に親を愛しているから、ショックだっただろう。
しかし、それでも、片想いしている人に対してするように、愛する相手の笑顔をみたいだろう、だから相手のために純粋に頑張るだろう。
感じとる能力は、子供は大変に優れているものだ。ただ、思考能力が向上途上であるし、言語・語彙・言葉も学び始めた時期でもあるから、思いを言葉に変換することは難しい。
あとから「欲望のために利用されただけ」「愛してもらってなかった」と、理解できたなら、あなたはどう感じるか。
男性なら分かるだろうか、
愛している女性に尽くすだけ尽くしたのに、実は、相手はこちらを都合のよい財布か足にしか思ってなかったら、
相当ショックを受けるし、怒りも感じるだろう。
良い子というのも同様に、親にとって都合のよい振る舞いをしろ、と要求されていても、
それを疑いもせずに「愛してもらっていて嬉しいなぁ」と勘違いしながら、純粋に尽くして愛を伝えている。相思相愛なんだと頭から信じている。
それが実は、都合のよい存在とだけ扱われていたことがバレてしまったら、どうだろうか。
裏切られた怒りを感じても、親を愛しているなら、怒りを切り捨てるかもしれないし、逆上して怒りを表現するかもしれない。
これは、人として、自然なことだと、まっとうな人生を過ごしてきた人にも理解できるだろう。
さて、悪口を言われても生きていていい、と思うために、どうしたらいいか、ということだが、
まず、
悪口を言われてしまうことは、いきる価値がない、
そう、激しく死の恐怖を感じるようになってしまった背景を考えてみる。
人だけでなく、生物が生きるためにまず必要だと思われる大事なもの。
水、空気。
水がなくなれば死ぬ。
また、空気すなわち酸素を取り込めなかったら死ぬ。
悪口を言われたら死ぬんだ、という強迫観念は
嫌われたら死ぬんだ、というものがコアに存在したことは自覚した。
そしてこれは、親に嫌われたら死ぬんだ、というものがコアのさらに奥に存在した。
親に嫌われたら死ぬ、
これを生き物で例えて言うなら、親に嫌われたら水と酸素を絶たれてしまう、という感覚だ。
そうなれば生きていけない、だから死ぬ。
嫌われたら死ぬ、の強迫観念の奥に、それがあったことは自覚した。
そうなると、自然に起こることは「嫌われていないかを気にする」というものだろう。
これは、まっとうな人生を過ごしてきた人にも確認される考えだ。
ただ、良い子として脅迫されて育てられた人間が感じるそれは、命懸けなレベルである。
続く
悪口を言われたくらいで壊れてしまうなんて、なんと弱い人間だと、
政治家だって有名人だって芸能人だって、悪口をさんざん言われても、しぶとく生きていってるじゃないかと、
まぁ確かにそうなんだが、
要するに、
悪口を言われても生きていていい、
そう思うように育ててもらえなかったならば、
どうしたらいいのだ(笑)
良い子というものは
親や目上の言うことをキチンと守る子供であって、
親や目上からしたら「都合のいい人間」というだけだ。
私は
親から捨てられたら死んでしまうのだ、だから言うことをきけ、
経済的にも、お前なんかじゃダメなんだ、
こっちが金をくれてやるから、言うことをきけ、
お前がどう思うかなんかどうだっていい、こちらにとって都合の良い振る舞いをしろ、
そうしたら恵んでやる、
そうしたらお前の欲しいものをくれてやる
そんな風に思ってる親から育てられたんだと感じる。
要するに、経済的パワハラ、とも言える。
たぶん子供の私にとって、
素直に親を愛しているから、ショックだっただろう。
しかし、それでも、片想いしている人に対してするように、愛する相手の笑顔をみたいだろう、だから相手のために純粋に頑張るだろう。
感じとる能力は、子供は大変に優れているものだ。ただ、思考能力が向上途上であるし、言語・語彙・言葉も学び始めた時期でもあるから、思いを言葉に変換することは難しい。
あとから「欲望のために利用されただけ」「愛してもらってなかった」と、理解できたなら、あなたはどう感じるか。
男性なら分かるだろうか、
愛している女性に尽くすだけ尽くしたのに、実は、相手はこちらを都合のよい財布か足にしか思ってなかったら、
相当ショックを受けるし、怒りも感じるだろう。
良い子というのも同様に、親にとって都合のよい振る舞いをしろ、と要求されていても、
それを疑いもせずに「愛してもらっていて嬉しいなぁ」と勘違いしながら、純粋に尽くして愛を伝えている。相思相愛なんだと頭から信じている。
それが実は、都合のよい存在とだけ扱われていたことがバレてしまったら、どうだろうか。
裏切られた怒りを感じても、親を愛しているなら、怒りを切り捨てるかもしれないし、逆上して怒りを表現するかもしれない。
これは、人として、自然なことだと、まっとうな人生を過ごしてきた人にも理解できるだろう。
さて、悪口を言われても生きていていい、と思うために、どうしたらいいか、ということだが、
まず、
悪口を言われてしまうことは、いきる価値がない、
そう、激しく死の恐怖を感じるようになってしまった背景を考えてみる。
人だけでなく、生物が生きるためにまず必要だと思われる大事なもの。
水、空気。
水がなくなれば死ぬ。
また、空気すなわち酸素を取り込めなかったら死ぬ。
悪口を言われたら死ぬんだ、という強迫観念は
嫌われたら死ぬんだ、というものがコアに存在したことは自覚した。
そしてこれは、親に嫌われたら死ぬんだ、というものがコアのさらに奥に存在した。
親に嫌われたら死ぬ、
これを生き物で例えて言うなら、親に嫌われたら水と酸素を絶たれてしまう、という感覚だ。
そうなれば生きていけない、だから死ぬ。
嫌われたら死ぬ、の強迫観念の奥に、それがあったことは自覚した。
そうなると、自然に起こることは「嫌われていないかを気にする」というものだろう。
これは、まっとうな人生を過ごしてきた人にも確認される考えだ。
ただ、良い子として脅迫されて育てられた人間が感じるそれは、命懸けなレベルである。
続く