以前、母に聞いた。どうして私の心に配慮してくれなかったのかと。
そうしたら母は「だって!!今ほど心の事、知らなかったもんっ!!いまみたいに心の事、(研究が)進んでなかったんだもんっ!!」
逆ギレされた。笑えた。
親子愛は教科書で教わるものじゃないのに勘違いも甚だしい(笑)母はまるで駄々っ子だ。時々どちらが親なのか分からなくなる。
前にも書いたことだが、私のような子供時代を送り激しい症状に見舞われるのは、日本人口に於いてどうやら少数派らしい。
私が助けを求めて友人知人に話を聞いてもらった時、大抵の人が信じてくれなかったことを思えば。
もし少数派だとしたなら、冷静に考えてみて、私の母のような母親も少数派なのだろうと思えた。
もしこういう母親が多数派なら、日本は激しい症状に見舞われる子供が当たり前で、大人になるにつれ苦しみに絶叫し仕事さえ出来ない人が大半で、口を開けば互いに「うちもそうだったよ」「あなたもそうだったんだね」という『分かち合い』が出来るだろう。
しかし激しい症状を呈するのは少数派のようだから、だから信じてもらえなかったり否定されたりこちらがおかしいと笑われるのだろう。
ここで、ふと気がついた。
なぜ加害者は自分が加害していることを知らないのだろう、自覚がないのだろう。
これは、調べれば本の何処かに書いてあると思う。確かアダルトチルドレン関係の本にも書いてあったと思う。親が幼い頃、自分の親からされた事を知らないうちに自分の子供にやってしまうとか、書いてあったと思う。そうして親の親の親の……と続いてきたものである場合が多いらしい。
(もし私の育った家庭が)少数派なのだとしたら、大半の他の家庭では子供が子供らしく生きられるような環境が整っているのかもしれない。
子供も親が自分を大切にしてくれていることが分かる家庭、子供が危険にさらされたら親は身を挺して子供を守る家庭、そんな家庭が大半なのだろうか。それも親の親の親の親の親の………ずっと昔から。
だとしたら。
今、核家族化が叫ばれて久しいけれど、私の親の親の親の……と続く系譜の人々はまるで核家族のようだったのだろうか。
家族に秘密があったり、他人を寄せ付けない体質の人々の集まりなら、他の家庭の人たちと接する機会が少ない。接する機会が少ないと、見て良いものを吸収する機会が自然と減ってしまうだろう。
もし機会があったなら、他の家庭の人たちが子供を叱るのを見るチャンスも昔だからたくさんあっただろう。
そうすると自然と「他人の振り見て我が振り直せ」ができる機会になるのだろうが、なぜ私の親や祖父母は違ったのだろう。もし他の人から『見て』学ぶ機会があったなら、自分の行動に良いものが増えただろうに。
頭ごなしに「○○はダメ」と言われてもなかなか人は変われない。しかし実際に自分のしている事を他人様がやっているのを見たら、感じるところがあったなら、無理せず自然と行動が変わりやすい。
自分の心でも自ら『ヤバい!変わろう!』と決意して自分から行動が変わることも多い。
「現代は人間関係が稀薄だからどうのこうの」と学者が言っているのを踏まえてみれば、昔なら人間関係が稀薄ではないはずなのに、すなわち他人様から学ぶ機会が多いはずなのに、なぜ私の親や祖父母は学べなかったのだろう。
ひとつ、思い当たること。
何かに怯えながら生きていたのだとしたら。
怯えながら生きていると、耐えること顔色を伺うことに必死にならなければならなくなる。そんな時、他に良きものが周りにあっても入っていかない。
また、怯えと顔色を伺うことと毎日の耐えることに必死にならなければならないとき、エネルギーを使い果たしているし監視されているかもしれないから、自分から誰かと交流を持てなくなる。
誰かが交流をしてきてくれても、恐怖の魔王の顔が離れない。恐怖の魔王の前には良きものが吹き飛ばされる。
これがもし、私の親や祖父母もそうだったとしたら。
だとしたら。何に怯えていたのだろう。
「何歳からでも遅くない。気付いたなら求めていい」と誰かが言っていた。もし残念ながら良きものを受け取れなかった人生でも、気付いたならば他の人から良きものを吸収できると知った。
失われたあの時代を取り返すことは出来なくても、あの時代があったからこそ他の人よりも良きものが強く吸収されるのではないかと思う。
もちろん、失われたあの時代をきちんと正視して、安全な場所で悲しみには泣いて怒りなら安全な場所で怒って感情を受け止め、そうして進みながら段々に良きものを吸収していけば良いのだと。
少し寝ぼけて書いたから文章めちゃくちゃ。
とりあえず忘れないようにメモ。
そうしたら母は「だって!!今ほど心の事、知らなかったもんっ!!いまみたいに心の事、(研究が)進んでなかったんだもんっ!!」
逆ギレされた。笑えた。
親子愛は教科書で教わるものじゃないのに勘違いも甚だしい(笑)母はまるで駄々っ子だ。時々どちらが親なのか分からなくなる。
前にも書いたことだが、私のような子供時代を送り激しい症状に見舞われるのは、日本人口に於いてどうやら少数派らしい。
私が助けを求めて友人知人に話を聞いてもらった時、大抵の人が信じてくれなかったことを思えば。
もし少数派だとしたなら、冷静に考えてみて、私の母のような母親も少数派なのだろうと思えた。
もしこういう母親が多数派なら、日本は激しい症状に見舞われる子供が当たり前で、大人になるにつれ苦しみに絶叫し仕事さえ出来ない人が大半で、口を開けば互いに「うちもそうだったよ」「あなたもそうだったんだね」という『分かち合い』が出来るだろう。
しかし激しい症状を呈するのは少数派のようだから、だから信じてもらえなかったり否定されたりこちらがおかしいと笑われるのだろう。
ここで、ふと気がついた。
なぜ加害者は自分が加害していることを知らないのだろう、自覚がないのだろう。
これは、調べれば本の何処かに書いてあると思う。確かアダルトチルドレン関係の本にも書いてあったと思う。親が幼い頃、自分の親からされた事を知らないうちに自分の子供にやってしまうとか、書いてあったと思う。そうして親の親の親の……と続いてきたものである場合が多いらしい。
(もし私の育った家庭が)少数派なのだとしたら、大半の他の家庭では子供が子供らしく生きられるような環境が整っているのかもしれない。
子供も親が自分を大切にしてくれていることが分かる家庭、子供が危険にさらされたら親は身を挺して子供を守る家庭、そんな家庭が大半なのだろうか。それも親の親の親の親の親の………ずっと昔から。
だとしたら。
今、核家族化が叫ばれて久しいけれど、私の親の親の親の……と続く系譜の人々はまるで核家族のようだったのだろうか。
家族に秘密があったり、他人を寄せ付けない体質の人々の集まりなら、他の家庭の人たちと接する機会が少ない。接する機会が少ないと、見て良いものを吸収する機会が自然と減ってしまうだろう。
もし機会があったなら、他の家庭の人たちが子供を叱るのを見るチャンスも昔だからたくさんあっただろう。
そうすると自然と「他人の振り見て我が振り直せ」ができる機会になるのだろうが、なぜ私の親や祖父母は違ったのだろう。もし他の人から『見て』学ぶ機会があったなら、自分の行動に良いものが増えただろうに。
頭ごなしに「○○はダメ」と言われてもなかなか人は変われない。しかし実際に自分のしている事を他人様がやっているのを見たら、感じるところがあったなら、無理せず自然と行動が変わりやすい。
自分の心でも自ら『ヤバい!変わろう!』と決意して自分から行動が変わることも多い。
「現代は人間関係が稀薄だからどうのこうの」と学者が言っているのを踏まえてみれば、昔なら人間関係が稀薄ではないはずなのに、すなわち他人様から学ぶ機会が多いはずなのに、なぜ私の親や祖父母は学べなかったのだろう。
ひとつ、思い当たること。
何かに怯えながら生きていたのだとしたら。
怯えながら生きていると、耐えること顔色を伺うことに必死にならなければならなくなる。そんな時、他に良きものが周りにあっても入っていかない。
また、怯えと顔色を伺うことと毎日の耐えることに必死にならなければならないとき、エネルギーを使い果たしているし監視されているかもしれないから、自分から誰かと交流を持てなくなる。
誰かが交流をしてきてくれても、恐怖の魔王の顔が離れない。恐怖の魔王の前には良きものが吹き飛ばされる。
これがもし、私の親や祖父母もそうだったとしたら。
だとしたら。何に怯えていたのだろう。
「何歳からでも遅くない。気付いたなら求めていい」と誰かが言っていた。もし残念ながら良きものを受け取れなかった人生でも、気付いたならば他の人から良きものを吸収できると知った。
失われたあの時代を取り返すことは出来なくても、あの時代があったからこそ他の人よりも良きものが強く吸収されるのではないかと思う。
もちろん、失われたあの時代をきちんと正視して、安全な場所で悲しみには泣いて怒りなら安全な場所で怒って感情を受け止め、そうして進みながら段々に良きものを吸収していけば良いのだと。
少し寝ぼけて書いたから文章めちゃくちゃ。
とりあえず忘れないようにメモ。