Pieces~私の独り言(HN緑茶猫)

※メンヘラブログにて閲覧注意

ときどき
いろんな気持ちを
勝手に書いてます

寝起きに気付いたこと

2011-05-30 06:16:26 | 独り言
以前、母に聞いた。どうして私の心に配慮してくれなかったのかと。
そうしたら母は「だって!!今ほど心の事、知らなかったもんっ!!いまみたいに心の事、(研究が)進んでなかったんだもんっ!!」
逆ギレされた。笑えた。

親子愛は教科書で教わるものじゃないのに勘違いも甚だしい(笑)母はまるで駄々っ子だ。時々どちらが親なのか分からなくなる。

前にも書いたことだが、私のような子供時代を送り激しい症状に見舞われるのは、日本人口に於いてどうやら少数派らしい。
私が助けを求めて友人知人に話を聞いてもらった時、大抵の人が信じてくれなかったことを思えば。
もし少数派だとしたなら、冷静に考えてみて、私の母のような母親も少数派なのだろうと思えた。

もしこういう母親が多数派なら、日本は激しい症状に見舞われる子供が当たり前で、大人になるにつれ苦しみに絶叫し仕事さえ出来ない人が大半で、口を開けば互いに「うちもそうだったよ」「あなたもそうだったんだね」という『分かち合い』が出来るだろう。
しかし激しい症状を呈するのは少数派のようだから、だから信じてもらえなかったり否定されたりこちらがおかしいと笑われるのだろう。

ここで、ふと気がついた。
なぜ加害者は自分が加害していることを知らないのだろう、自覚がないのだろう。
これは、調べれば本の何処かに書いてあると思う。確かアダルトチルドレン関係の本にも書いてあったと思う。親が幼い頃、自分の親からされた事を知らないうちに自分の子供にやってしまうとか、書いてあったと思う。そうして親の親の親の……と続いてきたものである場合が多いらしい。

(もし私の育った家庭が)少数派なのだとしたら、大半の他の家庭では子供が子供らしく生きられるような環境が整っているのかもしれない。
子供も親が自分を大切にしてくれていることが分かる家庭、子供が危険にさらされたら親は身を挺して子供を守る家庭、そんな家庭が大半なのだろうか。それも親の親の親の親の親の………ずっと昔から。

だとしたら。
今、核家族化が叫ばれて久しいけれど、私の親の親の親の……と続く系譜の人々はまるで核家族のようだったのだろうか。
家族に秘密があったり、他人を寄せ付けない体質の人々の集まりなら、他の家庭の人たちと接する機会が少ない。接する機会が少ないと、見て良いものを吸収する機会が自然と減ってしまうだろう。

もし機会があったなら、他の家庭の人たちが子供を叱るのを見るチャンスも昔だからたくさんあっただろう。
そうすると自然と「他人の振り見て我が振り直せ」ができる機会になるのだろうが、なぜ私の親や祖父母は違ったのだろう。もし他の人から『見て』学ぶ機会があったなら、自分の行動に良いものが増えただろうに。

頭ごなしに「○○はダメ」と言われてもなかなか人は変われない。しかし実際に自分のしている事を他人様がやっているのを見たら、感じるところがあったなら、無理せず自然と行動が変わりやすい。
自分の心でも自ら『ヤバい!変わろう!』と決意して自分から行動が変わることも多い。
「現代は人間関係が稀薄だからどうのこうの」と学者が言っているのを踏まえてみれば、昔なら人間関係が稀薄ではないはずなのに、すなわち他人様から学ぶ機会が多いはずなのに、なぜ私の親や祖父母は学べなかったのだろう。

ひとつ、思い当たること。
何かに怯えながら生きていたのだとしたら。

怯えながら生きていると、耐えること顔色を伺うことに必死にならなければならなくなる。そんな時、他に良きものが周りにあっても入っていかない。
また、怯えと顔色を伺うことと毎日の耐えることに必死にならなければならないとき、エネルギーを使い果たしているし監視されているかもしれないから、自分から誰かと交流を持てなくなる。
誰かが交流をしてきてくれても、恐怖の魔王の顔が離れない。恐怖の魔王の前には良きものが吹き飛ばされる。

これがもし、私の親や祖父母もそうだったとしたら。
だとしたら。何に怯えていたのだろう。


「何歳からでも遅くない。気付いたなら求めていい」と誰かが言っていた。もし残念ながら良きものを受け取れなかった人生でも、気付いたならば他の人から良きものを吸収できると知った。
失われたあの時代を取り返すことは出来なくても、あの時代があったからこそ他の人よりも良きものが強く吸収されるのではないかと思う。

もちろん、失われたあの時代をきちんと正視して、安全な場所で悲しみには泣いて怒りなら安全な場所で怒って感情を受け止め、そうして進みながら段々に良きものを吸収していけば良いのだと。


少し寝ぼけて書いたから文章めちゃくちゃ。
とりあえず忘れないようにメモ。

誉められること

2011-05-27 15:51:06 | 独り言
私にとって誉められることは命をつないでいく大事なアイテムだった訳だけど、
やっと気がついたんだけど、
他の人が誉められるのとはニュアンスがかなり違うと思うんだよね。

誉められても嬉しくないんだ。
なんで誉められて嬉しくないのかも、偉そうだの分解と同じくずっと考えてる。

たぶん。
自分が感じたことに対して共感してもらえたら嬉しいのかもしれないし、
自分がうまくなりたくて頑張ったことがあって、それを誉められたら嬉しいのかもしれない。

でも私の場合、恐怖に叩き込まれないために必死に親の顔色(親と祖父母の4人の顔色)を伺ってたでしょ。
恐怖に叩き込まれないために「敵が喜ぶことをやってやってる」訳だよね。
恐怖に叩き込まれないため以外にも、妹という人質を敵から護るため頑張ってたんだよね、子供だから幼稚なやり方しか思い付かなかったんだけどね。

つまり。
自分がうまくなりたくて頑張ったんじゃない、相手の言いなりになって相手の欲望を満たしていただけ。
だから敵から誉められたって嬉しくない訳だよね。

しかも敵も「誉める」を利用しているつもりだったんだ。
小学4年の時、母が読んでる教育書(たしか5冊くらい)を読破した。そこに「子供を誉めてあげましょう」と書いてあった。著者は子供の味方だったみたいだけど母は間違えて受け取ってしまったんだよね。

母は怖い存在の祖父母からどやされないために立派なお母さんにならなきゃなんなかったみたいで、だからそのために子供を利用していたんだ。たぶん、ね。

以前6才の事件の、当日の日記が出てきたでしょ。それを読んでよく考えたんだ。
母から子供への共感はなかったし、「あたしがこの子を守る!」という母性愛がなかったね。もしあったなら、あの忌まわしい6才の事件の時に体を張って私を守ってくれたはずだし、魂の抜け殻になった私に優しい言葉をかけてくれたりするんじゃないかな。

利用されて誉められたら、大人ならどうする?
私なら腹が立つなぁ。


そうそう。大問題。
子供の心に寄り添うって、具体的には何をすればいいと思う?
私の母はそれを知らなかったんじゃないかな。してもらったことがないから知らなかったんじゃないかな。

ひとつはね、質問だよ。

泣きそうな顔をしてる子供がいたら、どうする?
「痛いの?」と質問する。
「どうしたの?」と質問する。

これ、質問するって書いたけど、自分にとって分かりやすくするために質問って書いたんだ。
ちまたではこれを「声を掛ける」というらしい。

これ、私も知らなかったんだ(苦笑)。
たまたま私の場合は自然と身に付いていたらしいから気がつかなかったかも。
それでもいつも口にできる訳じゃない。いつも声を掛けれる訳じゃない。ブレーキが掛かっちゃうんだ。
『私なんかが相手を心配する権利があるのかな』って。対人関係の自信のなさかも。


そう。質問だよ。
質問って、相手に興味を持ってなかったら出来ない。
相手に興味を持つってさ、相手に関心があるんだよね。
いい意味で関心を持ってもらえること、思いや感じたことに関心を持ってもらえること、嬉しい。
そんな、いい意味で関心を持ってくれてる人から誉められたら、嬉しくなるんじゃないかな。

私は「私を利用する人」から誉められる人生ばかりで、私という存在に目を向けてくれる人がいなかったから、だから誉められると頭に来るようになったんだと思うよ。

また、相手が言った言葉がリップサービスか本心からかを見抜けるようにも鍛えられてしまった。
リップサービスで誤魔化されると、これまた腹が立っちゃうんだ。
それだけ散々利用されて来てしまったんだね。

なんだか自分が可哀想で笑えてきたよ(笑)。

たった1人だけ、信頼関係を持てた人がいた。
それが18才の時の彼。
あの人には幸せになって欲しいな。

体調

2011-05-27 14:01:15 | スポーツ・健康関係の独り言
そう、今週は頭から風邪を引いて熱を出して、水曜日からはすごい腹痛でトイレに駆け込んでる。

フラフラ(笑)
なんとか眠ったら夢ばかり見る。

長い長い夢。夢の中で何ヵ月も経ったりしてる。
今日は目の前でオジサンが頭をピストルで撃たれて死んだ夢を見た。
殺されるとか殺された夢は吉夢らしいからいいけど、でも疲れるよ(笑)。

偉そうだ、の分解

2011-05-27 09:29:43 | 独り言
ああ、そっか。

えらそうな人というのは、高い目標を失った人(持っていない人)のことを言うのかもしれない。
高い目標を失った人っていうだけじゃなくて、同時に「私は今までこれだけやってきました、凄いねと誉めてください」と心の何処かで無意識にも思っている人のことかもしれない。

私自身が「おまえは偉そうだ」と言われ続けてきて考えてる。
なんでそう思われて傷ついてきたのかもずっと考えてる。誰も偉そうだなんて言われたくないから。

目標を持つ、それは怯えながら生きている大人にも子供にも、かなり難しいこと。
日々怯えながら耐えているのに、他に目を向けるなんてキツい。
だから一番目の条件の「目標を失った人」に当てはまるんじゃないかな。
仕方ないよね、よく考えたら。

それから、

親から言われたことを必死にこなして、まるで交換条件のように親から誉められ命をつないでいる状態、という過酷な日々を送って体に叩き込まれて来たなら、
誉めてくれないのが当たり前の環境になった時に怯えが復活するのかもしれない。
それは、誉めてもらないことがイコール恐怖体験につながるから。

誉めてもらえない時ってどんな時?それは怒鳴られ罵声を浴びせられ逃げ場を断たれて恐怖に叩き込まれてしまう時。
それをイヤというほど子供時代に叩き込まれたものだから、大きくなった時でも本心は望んでいないのに、誰かから本気で誉めてもらったり本気で認めてもらったりしないと自分が保てなくなってしまうんだよね。

だから。
だから「誉められて命をつなぐ」を無意識にやってしまうから
…誉めてくださいと、無意識の中からまるで懇願するような切望と、怒りに満ちた「なんで誉めてくれないの!」という自分でも自覚できない思いが隠されていて、
それを周りの人は無意識にも感じとるから、だから「おまえ偉そうだ」になるんじゃないかな。

言葉にするのは難しいねぇ(笑)

そう。
会社で指示する立場に無いのに威張っている人と、石川遼を比べてみてふとひらめいた。
上をいつまでも研究して「まだまだっ!」って練磨してく……目標を自分から作り出して突撃していくなら偉そうには見えないのかもしれない。

目標を作り出す力、誉められなくても怯えないでいられる状態。

目標を作り出す力は、前提として「自分は幸せになってもいい」と分かっていなくては無理だね。
目標、それは自分が作ってはいけない世界に住んでいた私。誰かが強制的にテーマを与えてくる、出来ない無理だよと口にしようものならひどい目に遭う。
無理だよと口に出来ない性格になって全部断れない性格になって、しまいには無理だと思った自分を見つけると自分が嫌いになっちゃう。

自分の希望は罪なんだと信じ込まされて、だからいざ自分から「自分の純粋な希望で」目標を持つのが必要な場面になった時に、「自分の希望は汚い欲なんだ」ときっと無意識に思ってしまうような私が出来上がってたのかもしれない。
こうだから、誰かの肯定的意見がないと動けなくて固まったままなんじゃないかな。

「誰かの肯定的意見がないと動けない」この部分だけいうなら、大半の女性はこういった傾向があるんじゃないかな。答えが出ていることであっても背中を押してもらわないと前に踏み出せない人がたくさんいる。これは日本女性に多いんじゃないかな。
私は「自分の個人的な思いですが、いいと思いますよ」と本心から伝えるようにしてる。これってもしかしたら支え合いなのかな。

……と、まぁ、

目標を作り出す力というのは、やっぱり子供時代から培うものだと思うん。
子供にそういった力を持たせるのも奪うのも大人の裁量だね。ほんと思うよ。
時々強い子もいるのかもしれないけど、でも一握りじゃないかな。


夢を見た N君と明治の富豪篇

2011-05-26 12:18:09 | 見た夢記録
夢を見た

※これは実際に寝ているときに見た夢のメモです。
もちろんフィクションです。念のため。


場面は昼間
私は街にいた
街を歩いていた
街と言ってもそこは整然と区画された田んぼがどこまでも続く街だった
その外れにコンクリートで出来た街並みがある

私は歩いていった
そこには大きなお屋敷があった
どうやらそこは私の家のようだった

家にはたくさんの人がいた
地震で家を失った人に避難場所として使ってもらっているからだった

避難場所としてだけではなく
国の偉い人たちや地域の有力者たちにも使ってもらっているようだ
彼らは今の保身に走るようや輩ではなく
毎日毎日 どうしたら民が安寧に暮らせるかを考えているような人たちだった

彼らの格好は明治の文豪のような出で立ち


私は玄関から広間に向かい
広間では自分の部屋の方に向かって歩き出した
その時「おーい」と私を呼ぶ声がした

聞き覚えのある男性の声
振り返ったらそこには
笑顔で走ってくる学生服姿のN君がいた

N君は熊本からの転校生だった
転校生なのにすぐにクラスの人気者になった子
彼は学ランが似合うなぁといつも思う

N君が私に抱きついた
N君が私を抱き締めた
めんくらった
彼は私がこの家の人だって気がついてない
それもそうだ、私がお嬢様なんだって誰も思わない
知らないもん

N君、周りにいる人もみんな知らない人だと勘違いしてるんだよね
だから抱きついたんだよねきっと

「おまえーーー!無事だったか!いまどうしてる!」
先の大地震ではほんと死んでもおかしくなかった
だから生きて会えて嬉しかったんだね
そっかそっか

N君はいきなり
「俺さ、お前が好きなんだ。ずっと言えなかった。結婚してくれ!」と大きな声で言った

私はマダムだから
冷静に笑顔を作ってN君の腕を離れてN君に言った
「え!ごめん、あたし今結婚してるの。再婚でね、一度離婚もしてるの。」

N君はたいそう驚いて私から離れた
相手のいる人を公衆の面前で抱き締めてしまった申し訳なさが全身に溢れた
それからN君は横を向いてから下を向いた

何かつぶやいてる
「マジかよ、なんで離婚した後に言ってくれなかったんだよ、マジかよ、ずっと好きだったのに…」

私はその場を去った


夜になって一族が集まった
今後の事について話し合った
どうしたら復興できるか話し合った

ひとつの案として
一族の長が所有する土地を開墾して
みんなが住めるように切り開くことになった

話し合いが終わり、部屋に戻ろうと廊下を歩いていた所
ふいにN君が現れた

N君が暗闇の中から私に近づいた
そして「お願い、抱き締めたい」と真面目に言った
それは喜びや怒りではなく
迷って迷って迷った末に出した決断のように感じられた
眼鏡の奥の瞳から真剣さと凄みを感じた

私は「待ってください。ここでは人目につきます。場所を変えましょう。」と言った
そして待ち合わせ場所と待ち合わせ時間を決めてN君と別れた


いきなり場面は変わって
数ヶ月が経過していた

N君は消えている
なぜだか消えている
そう、数ヶ月前のあの日、時間になっても待ち合わせ場所に来なかったN君

場面は大広間
夜の晩餐の時間

一族の長と私の母(夢の中では野際陽子さんだった)が私に同情の目を向けた
何故私に同情の目を?

母が私を呼んで私を椅子に座らせた
机の上には何かがある

母が「あなた。この机の上に何があるがおっしゃってごらんなさい」と言った
私は見えるもの全てを母に伝えた

すると母が涙をこらえながら
しかし毅然とした態度で私に言った
「それだけですか、ほんとうにそれだけですか」
私は正直にお母様に申し上げたことをお伝えした
母の顔が絶望に変わった
しかし母はすぐさま毅然とした態度で臨まれた

そして私に言った
「この眼鏡を掛けて、もう一度見えるものをおっしゃってください!」
私は渡されたスポーツグラスのようなサングラスを掛けた
薄い茶色の色に染めてあるレンズを通して机の上をみたら

私の目の前には
さっきまで机の上になかったはずの白い紙があって
手紙が書いてあって
左には白いレンコンがあった

「○○さん!レンコンが見えましたか!」
私は驚きを隠しながら頷いた

「あなたは白い物が見えなくなる病になってしまったのです」
そう言って母は泣き崩れた
一族の長も一族の主要人物も「なんと言うことだ、まだ若いのに……」と
私を哀れな娘だと同情して下さっている

周囲が泣き崩れる中で私は悟った

N君は白いシャツが似合う好青年
私が白色が見えなくなってたから
だからあの日、待ち合わせ場所にいるN君が見えなくて
N君は来ていたのだろう、しかし
目の前にいても気づかなくて
だからN君はショックを受けて帰ってしまったのではないかと

私は激しいショックを受けて泣いているお母様に
「申し訳ございません」と言った
お母様にこんなにご心配をお掛けする親不孝な娘

白い物が見えなくなる病気というのは不治の病らしく
一族が意気消沈していく

しかし
このサングラスを掛ければかろうじて見える
それだけが希望