私は、燃え尽きてしまうタイプ。自覚がある。
任務を完璧に遂行しようと頑張ってしまいやすかった。
今も気を緩めたら、完璧に頑張ってしまいやすい。
私の場合、与えられた役割に忠実であろうとしすぎて、
自分を必要以上に無意識に追い込んでる。
誰かから期待されたら、余計にオーバーヒートする。
期待に応えようと無茶苦茶やってしまう。
体が休憩を求めていても、完全無視する。
だから体も何も言わなくなったんじゃないかな。
役割に縛られてしまうのと、
役割を臨機応変にこなしていくのは違うな、と思うんだ。
優しいね、って言われたら完璧に優しい人を演じて、
頼りになるから嬉しいって言われたら、完璧に頼りがいのあるように振る舞う私。
これは最近はまだ改善されてきたんだけど、
昔の私はホント生真面目に演じてきた(笑)
相手が悪いんじゃない、
私の中の恐怖心がそうさせたと思うのです。
誰かを裏切る恐怖。
(裏切りたくて裏切った訳じゃなかったけど)
『思ってた人と違う』って言われて、すごいショックを受けたことがあった。
それから。
怖くて演じ続けてしまうようになったのは。
初対面の人なら大丈夫なんだけど、いくらか親しくなってきた人に対して恐怖を感じるんだ。
また、思ってた人と違うって言われるんじゃないかって。
私が、私をさらけ出せないのが原因だと思うんだ。
他にもあると思うけどね。
役割が与えられてるときは安心なんだ。
求められたように振る舞っていれば、少なくとも誤解は少ないから。
でもそれだと、
役割って言う隠れ蓑がなくなった時に困る(笑)。
慌てる(笑)
他にも困ってること。
パニックになってる(笑)
『ご近所の奥様』という役割。
前に結婚していた頃の『ご近所の奥様』という役割は困らないことが多かった。
和気あいあいとお隣りさんとも仲良くしてた。
作りすぎたおかずを分けてもらったり、
雨が降ったら洗濯物を取り込んであげたりしてた。
でもいま嫁に来た地域は、今まで暮らしてきた地域と全く文化が違った。
今までのやり方が根本的に否定された。
『地域の人を理解しなきゃ、一からやり直しだな、さぁ頑張るぞ♪』
そう思った頃にひどいいじめを受けた。
恐怖が復活してしまった。
実家にいたときはご近所付き合いは親が中心でやっていた。
私は怒り依存の症状が噴火(笑)して、親に怒鳴り付けていたことがあったから、ご近所さんから嫌われたんだ。
実は親が悪いなんて知らないと思うし。
でも誤解の解き方なんか知らなかった。
奥様という役割をもらって、最初の時はよかった。
本当にいい人に恵まれてた…元の夫を除いては(笑)。
今は文化も価値観もよく分からない土地に来た。
誰かが一緒にいてくれたら、その人に決定権を預けてなんとか過ごすこともある。
でもそのやり方は、一緒にいる人が増えれば増えるほど混乱するんだよね。
一人の人が『あれがいい』と言えばそれにあわせる、それは一緒にいる人が一人ならいい。
でも、決定権を持ってる人が一人また一人と増えると、誰に合わせていいか判らなくなって混乱する。
この土地の文化やこの土地の人たちの人柄を知ることからやり直し、はつらいことだった。
誰を基本にすればいいかわからなかったからだ。
私は、どんな土地であってもやっていけると過信してたんだよね。
ほんと無知でバカだったよ。
特に、
この地域の『ご近所の奥様』という役割、それが無理だと気がつかなかった。
誰も知らない土地、いきなり出来るわけない!
私の価値観がしっかり確立されていれば、
合うか合わないかって判断できたと思うし、
無理だ(合わない)と思えば相方に訴えることも出来たと思う。
でも、私は、
枠に自らハマりに行ってしまう癖みたいな物があるから、
合うか合わないかを二の次にしてしまう癖があるから、
合わないと判るのがめちゃめちゃ遅い(笑)
合わないとしても『合わないけど頑張るぞ』って自分が自分の自発的な意思で思って越えるなら頑張れると思うけど、
合うか合わないかの判断を二の次にしてると
つまり、自分がどう感じたかを二の次にしてると
いつか頑張りが効かなくなる時が来るような気がするんだ。
自分はこう思った、
だけどやり抜くぞ、
この土地に住むのは大変だ、
文化も価値観が全然違うけど
せっかく来たんだ、やり抜くぞ、
そんな感じで
自分の自発的な意思でないと
最後までやり抜けないんじゃないかなと思った。
自分で感じる、
そして自分が自分の行動を決める。
自分の行動が他の人に理解をしてもらえないなら、言葉を尽くして説明する。
誤解や行き違いがあれば、それも解いて。エトセトラ。
こんな風に出来るようになれば。
分かってても、まだやれてない私(笑)
言いなり人生は、変えなくちゃね。
我が「強すぎる」のは問題だけど、何でも言いなりなのもちょっと、ね(笑)。
強迫観念と恐怖をなんとかしなきゃ(笑)
任務を完璧に遂行しようと頑張ってしまいやすかった。
今も気を緩めたら、完璧に頑張ってしまいやすい。
私の場合、与えられた役割に忠実であろうとしすぎて、
自分を必要以上に無意識に追い込んでる。
誰かから期待されたら、余計にオーバーヒートする。
期待に応えようと無茶苦茶やってしまう。
体が休憩を求めていても、完全無視する。
だから体も何も言わなくなったんじゃないかな。
役割に縛られてしまうのと、
役割を臨機応変にこなしていくのは違うな、と思うんだ。
優しいね、って言われたら完璧に優しい人を演じて、
頼りになるから嬉しいって言われたら、完璧に頼りがいのあるように振る舞う私。
これは最近はまだ改善されてきたんだけど、
昔の私はホント生真面目に演じてきた(笑)
相手が悪いんじゃない、
私の中の恐怖心がそうさせたと思うのです。
誰かを裏切る恐怖。
(裏切りたくて裏切った訳じゃなかったけど)
『思ってた人と違う』って言われて、すごいショックを受けたことがあった。
それから。
怖くて演じ続けてしまうようになったのは。
初対面の人なら大丈夫なんだけど、いくらか親しくなってきた人に対して恐怖を感じるんだ。
また、思ってた人と違うって言われるんじゃないかって。
私が、私をさらけ出せないのが原因だと思うんだ。
他にもあると思うけどね。
役割が与えられてるときは安心なんだ。
求められたように振る舞っていれば、少なくとも誤解は少ないから。
でもそれだと、
役割って言う隠れ蓑がなくなった時に困る(笑)。
慌てる(笑)
他にも困ってること。
パニックになってる(笑)
『ご近所の奥様』という役割。
前に結婚していた頃の『ご近所の奥様』という役割は困らないことが多かった。
和気あいあいとお隣りさんとも仲良くしてた。
作りすぎたおかずを分けてもらったり、
雨が降ったら洗濯物を取り込んであげたりしてた。
でもいま嫁に来た地域は、今まで暮らしてきた地域と全く文化が違った。
今までのやり方が根本的に否定された。
『地域の人を理解しなきゃ、一からやり直しだな、さぁ頑張るぞ♪』
そう思った頃にひどいいじめを受けた。
恐怖が復活してしまった。
実家にいたときはご近所付き合いは親が中心でやっていた。
私は怒り依存の症状が噴火(笑)して、親に怒鳴り付けていたことがあったから、ご近所さんから嫌われたんだ。
実は親が悪いなんて知らないと思うし。
でも誤解の解き方なんか知らなかった。
奥様という役割をもらって、最初の時はよかった。
本当にいい人に恵まれてた…元の夫を除いては(笑)。
今は文化も価値観もよく分からない土地に来た。
誰かが一緒にいてくれたら、その人に決定権を預けてなんとか過ごすこともある。
でもそのやり方は、一緒にいる人が増えれば増えるほど混乱するんだよね。
一人の人が『あれがいい』と言えばそれにあわせる、それは一緒にいる人が一人ならいい。
でも、決定権を持ってる人が一人また一人と増えると、誰に合わせていいか判らなくなって混乱する。
この土地の文化やこの土地の人たちの人柄を知ることからやり直し、はつらいことだった。
誰を基本にすればいいかわからなかったからだ。
私は、どんな土地であってもやっていけると過信してたんだよね。
ほんと無知でバカだったよ。
特に、
この地域の『ご近所の奥様』という役割、それが無理だと気がつかなかった。
誰も知らない土地、いきなり出来るわけない!
私の価値観がしっかり確立されていれば、
合うか合わないかって判断できたと思うし、
無理だ(合わない)と思えば相方に訴えることも出来たと思う。
でも、私は、
枠に自らハマりに行ってしまう癖みたいな物があるから、
合うか合わないかを二の次にしてしまう癖があるから、
合わないと判るのがめちゃめちゃ遅い(笑)
合わないとしても『合わないけど頑張るぞ』って自分が自分の自発的な意思で思って越えるなら頑張れると思うけど、
合うか合わないかの判断を二の次にしてると
つまり、自分がどう感じたかを二の次にしてると
いつか頑張りが効かなくなる時が来るような気がするんだ。
自分はこう思った、
だけどやり抜くぞ、
この土地に住むのは大変だ、
文化も価値観が全然違うけど
せっかく来たんだ、やり抜くぞ、
そんな感じで
自分の自発的な意思でないと
最後までやり抜けないんじゃないかなと思った。
自分で感じる、
そして自分が自分の行動を決める。
自分の行動が他の人に理解をしてもらえないなら、言葉を尽くして説明する。
誤解や行き違いがあれば、それも解いて。エトセトラ。
こんな風に出来るようになれば。
分かってても、まだやれてない私(笑)
言いなり人生は、変えなくちゃね。
我が「強すぎる」のは問題だけど、何でも言いなりなのもちょっと、ね(笑)。
強迫観念と恐怖をなんとかしなきゃ(笑)