Pieces~私の独り言(HN緑茶猫)

※メンヘラブログにて閲覧注意

ときどき
いろんな気持ちを
勝手に書いてます

すっかり夜が明けた2

2010-06-30 05:52:26 | 独り言
前の記事の続き。



5分くらい気絶した。
気絶して、ふと我にかえって時計を見た。

わ!っと気がついた。
「顔だ!」と呟いていた。

私は独り言はあまり口にしない。
心の中で独り言をすることは多い。
でも、我にかえった時の私は何かが違っていて、
実際に口に出して「顔だ!顔だ!」と呟いていた。

意味はなかった。
でもこれは、他の欠片(かけら)さんが教えてくれたみたいだった。

6才の事件の時のフラッシュバックは、大きな大きな顔が3つ、私を取り囲んで、
私は身動きすらできなくなった姿だ。
たぶんその直後、体から離れて上から見てたんだと。


あの病院の医療関係者、
あの医療関係者の顔、
同じように焼き付いてしまった。

今回、体が激しいショック状態になったのは、あの顔がヒントだと思う。

でもまだショックが強くて防衛機制がかかってる。
せっかくヒントがもらえたのに、解析できない。

消えたブロックもまた出てきた(笑)
悔しいな、なんとかならないかな。


そう。
昨日は手相の書き込みを失敗してたんだ。
さっき気づいた。

他の線は書いたのに、肝心な「あやまりま線」を描いてなかった。
これも敗因だな(苦笑)

さっき描いてから、やっと落ち着いてきたんだ。
私にはこの手相の線は効果があるみたいだ。

くっそー。
それにしても最近は、医療関係者からひどくやられることが多い。
つい先日は、嫁ぎ先の医療関係者からやられて、
これはたまたま間に入ってくれた人がいたから解決して、
さらには医療関係者さんたちも思いもよらず低姿勢になって
万事めでたしになったんだ。

それにしても、なんだかな。
格差社会なのかな。
患者にえらそうに振る舞う人が増えてないかな。

もちろん、私の通ってる病院の方々は全く違うよ。
身を呈して救助に行ってしまいそうな方々ばかりだよ。


そう。
カウンセラーさんにご迷惑がかからないように、と考えて、
30分しないうちに帰ろうと決めて。

「顔だ!顔だ!」と呟いてる自分は自分じゃなくて。
ひとりにならなきゃって思って。

そしてなんとか起き上がり、
最初に来てくださった看護師さんを探した。

看護師さんを見つけて、笑顔でお礼を述べた。
カウンセラーさんにもよろしくお伝えくださいと言った。

あと「今回のトリガーは、たぶん顔だと思いましたとお伝えください」とお願いした。


ロビーの表玄関を出ようとしたその時。
かわいい女性が私に「大丈夫ですか!お大事にしてくださいね!」と声をかけてくださった。

タクシーに乗ってから、その女性が誰だか思い出した。
私が倒れ込んできたことを看護師さんに伝えて下さった、総合窓口にいた医療事務の女性だった。

駆け込んだ時は、ほんきで意識が朦朧としていた時だったから、
言葉にならないほど嬉しかった。


昨日は、
医療関係者の天国と地獄を味わった気がする。
不信感が募った。でも、言葉に尽くせぬほどの感謝も感じた。

残念だけど、
これからは医療関係者だとしても
構えてかからなきゃ身を護れないな。

素直に信じてしまって騙されるタイプの私。
昔っからそうだ。
用心、用心。

すっかり夜が明けた1

2010-06-30 05:49:21 | 独り言
ひどい苦しみの夜だった。
顔が染み付いて離れない。
しかも(私が通ってる病院じゃないよ)医療関係者からだったから
ますます医療関係者に対する不信感が募った。

知らなかったかもしれない、私の病気を。
でも、話を終えて私が病院の出口に向かうとき、真っ直ぐ歩いていなかった私、
それにも関わらず一言も声を掛けてこなかった。

迷わず自分の通ってる病院に飛び込んだ。
路上で行き倒れるよりは、通ってる病院に助けを求める方が正しいんじゃないかと思ったからだった。

通ってる病院に飛び込んで、総合窓口に助けを求めた。
意識がおかしかった。
きちんと話せなかった。

受付の女性が急いで看護師さんを呼んできてくれた。
ああ、やっぱりここは正解だ。
やっぱりここは病院だ。
具合の悪い人を受け入れてくれる。

看護師さんが
ロビーの長椅子で横になっていていいよと言ってくれた。
しかも私が倒れ込んできたことを
担当医さんと精神神経科の看護師さんと外来の方とカウンセラーさんに連絡を入れてくださった。

ああ、私の知ってる医療関係者さんだと、やっと思えた。

もちろん、迷惑をかけたくなかった。
いつもなら外で発作が起きたら30分くらいであらかた立ち直れると踏んだ。
30分くらい休ませてもらったら帰途につこうと思った。

長椅子に倒れ込んだ。
目が回っていたし、耳も聞こえなくなっていた。
周囲の状況が全く伝わってこなかった。

鞄を枕がわりにして頭をのせた。
帽子で顔を覆った。

どのぐらいの時が過ぎたのだろう、
名前を呼ぶ声がして帽子をはずした。
カウンセラーさんが来てくださった。

カウンセラーさんは、入院されている患者さんも担当されているから、大変お忙しい方。
なのに、ロビーまで来てくださったなんてと、
つい泣き出してしまいそうになった。


昼間のカウンセリングでは、
退行について教えて頂いた。
私の状態を伝えると「それは『良い退行』ですね。良かったですね」と教えて頂いた。

情緒がイキイキし始めて来てるのかもしれません、と、たしか教えて頂いた。

…病院から出て喫茶店に入ってから携帯のメールを使って教えて頂いたことをメモしておくようにしてるのに、
今回は余りにもひどい状態になってしまって思い出せなくなってしまった。


話をもとに戻して。

ふと帽子を取ってみたらカウンセラーさんがロビーまで来てくださっていた。
「なにかあったの」と言ってくださった。

私は言葉にならなかった。
単語を羅列してたような気がする。

しかも外来のロビーだから、あまりに具体的な話をしたらいけないな、と思った。

「少し休んでね」と言ってくださったと思う。
「また30分くらいしたら見に来るよ。それまでに良くなったら帰っていいからね」ともおっしゃって下さったと思う。

カウンセラーさんが上の階に戻られてから、また帽子で顔を覆った。
まだ目が回っていた。

ほかの症状ですっかり忘れていたが、動悸がしていた。
過呼吸はなかった。


続く。

参った(笑)

2010-06-29 17:30:38 | 独り言
今日は診察を終えてから
妹の病院に行ったよ。
私の病院から近いんだ。

調子が良かったのに、
妹の病院でパニック起こした(苦笑)
医療関係者だと思って気を抜いてたのが悪かった(苦笑)

医療関係者がトリガーになっちゃったよ。

今は思い出すと発狂しちゃいそうだから、
関係ないことを考えたいんだけど、
あまりにひどくて右側の腕の鳥肌まで止まらないよ。

久しぶりに「顔」のトリガーだったよ。

妹の病院が私の病院に近いから、
私の通ってる病院にまた戻って受付ホールの長椅子で横にならせてもらったよ。

冷や汗?が止まらなくて耳が聞こえなくなって口が回らなくなって千鳥足で
何を話したかもよく覚えてないよ。

看護師さんとカウンセラーさんが来てくださって。
ありがたかったです。

なんだか申し訳ないやら、情けないやら。
気を抜いてたのが悪かったなぁ(苦笑)

医療関係の人でも、ダイレクトに怒りをぶつけてくるなんて、
しかも私にそんなトリガーがあるなんて知らないとはいえ、あの態度はひどいなぁ。

私が悪いことをした訳じゃないんだよ。

何を話したかも思い出せないよ、パニック起きたから。

あ、ドキドキもまだ止まらないよ。
でも、病院からタクシーで帰ったよ。
いま布団の中だよ。

ううーー。
調子良かったのになぁ。
悔しいなあ。

根っこにあるもの?

2010-06-29 00:11:51 | 独り言
「子供の時にこうするのが当たり前だったよ」と親が言う。

親には当たり前だったかもしれないけどね、
「当たり前」と思ったのは何歳の時の出来事なの?

あなたのいう「当たり前」、それは「自己肯定感」が定着した後の出来事じゃないの?

自己肯定感が育っていない状態の子供に何かを学ばせるのは、
学ぶための動機が違ってると思わないかい?

子供がやり始めて「たのしいなぁ!」って思えていくってさ、

自分が楽しくなって「たのしいなぁ!」と思うのと、
親がやらせてくるから、仕方なく「たのしいなぁ!」と振る舞って
子供が大人のご機嫌を取ってるのじゃ
全然違うと思うんだけどな。

確かに子供の躾のためには、
自由気ままにやらせるんじゃなくて
ダメなことは駄目だって伝えるのも愛のある躾だよね。

だけどさ。

「自己肯定感」が育ってなかったらさ、
親からそのままの自分で受け入れてもらえてるっていう安心感がなかったらさ、

いざ、何か怖いことがあった時は守ってくれるんだなっていう
「私は守られてる」っていう信頼関係がなかったらさ。

守ってくれた親を見て、将来、大事な人を守れる大人になる、
自己肯定感が定着してたら、誰かの役に立たなきゃ愛されない、なんて気持ちは起きにくくならない?

自己肯定感が定着して大人になったなら、
仕事で私みたいに燃え尽きることはないよね?

「休みたい、吐き気が止まらないし、まったく食欲がないし、眠れないよ。
でも、やらなきゃ。会社から棄てられてしまったら途方に暮れるよね」とか

「休んだら頑張ってる人に申し訳ない、確かに吐き気が止まらないし、まったく食欲がないし、眠れないけど、まだ頑張れるはず」とか思わないよね。

「セクハラされて怖いけど、上司に訴えても信じてもらえないよね、
しかもセクハラしてくる人は仕事ができる人だし、長年勤めてる会社の大事な人だし、
私が傷つけてしまうと会社が被害を被るかも」とか思わないよね。


「確かにキツイ仕事だけど、明日有給もらってしっかり休もう。休んでリフレッシュしたら余計にはかどるぞ。
頑張ってるみんなの分も、しっかり休んで出ていけば俺が代われる事もあるだろう」とか
自分のことを大事にしながら仕事もやりこなせるよね?


恐怖という名の支配、
子供が怯えて言うことを聞いてるかどうか。

怯えて言うことをきくような子供なら、
将来、DVの罠にはまってしまうような気がするん。

怯えさせて言うことをきかせるんじゃなくて、
「ダメなことは駄目だ」って
根比べしてみたり、

子供が「なんでダメなの?」って聞いたときに適当に答えるんじゃなくて
子供が理解できるように伝える工夫をしていくのも愛なんじゃないかって思うんだよね。


めんどくさい

これも、愛の欠如かもしれないよね。

私、めんどくさいって思うとき、沢山ある。
だけど、めんどくさいって思った後に考える。
「このまま伝えなかったら、私が後悔しないか?」って。

こう考えるようになったのは最近だから、
それまでは「めんどくさいって思う自分はダメな人間だ。だからやろう」みたいに自己否定とか自己批判みたいに考えてた。
だからツブレタのかもね。

今は考え方を変えてみたいと思ってる。
めんどくさいと思うこと自体を自分に許したんだ。

許してみたら「めんどくさいって思う自分はダメな人間だ。だからやろう」って考えなくなった。

ダメじゃない。
いいんだよ、自然に思ったって。

ただ。

思った後にさらに突っ込むんだ。
自分にも相手にもいいのはどんな事かな?って。

そして「めんどくさい、だけど」って考えるようにしてみてるんだ。

で、ホントに辛くて遂行できないなら、それを伝えて、
説明が浮かばないときには「せっかく聞いてくれたけど、改めて聞かれたら私も分からないんだ。
少し考えてみるね。聞いてくれてありがとう」とか言うことにしてる。

全部が全部できる訳じゃないけど、こうやってみたいって。
私がされたい事だから。



好きなこと?

2010-06-28 19:25:52 | 独り言
私は大人の顔色を伺うような子供だったんだよね、きっと。
「何がほしいの?」とか、私の希望を聞かれても嘘をついて身を守ってたような気がするんだ。

なんで気がついたのか、って言えば、
さっき、ある質問に答えていてね。
その中に「子供時代にやりたかったことは?」っていうのがあって。

それを読んだときにすごい怒りがわいてきてね。
…わいただけで、表には出さなかったけど。

それから、冷静に「なんで怒りがわいてきたんだろう?」って考えてみたんだよ。

数年前に家庭の大人から
「子供の頃から、なんでもおまえの好きにさせてきた」って言われて
何故か頭に来たことがあるんだよね。

6才のあの事件以来、きっと、大人の顔色を伺うような子供時代がずっと続いてたんだよね。
今の私から考えても、顔色や腹の中を察知するのが悲しいくらいに得意だった小さい私。

つい最近まで、これは誰でも出来ることなんだと信じてたくらいに
自然?に身に付いてるんだよね。

だから
大人から例えば「やりたいことある?」と聞かれたら、
それまでの状況を考えて、
さらに親が望んでる答えを察知して答えるんだよね。

自分が望んでやりたいって言ったこともあったけど、だいたい却下されるから、
とうとう「許可が得られそうもないもの(自分がやりたいこと)は諦める」っていう癖がつくんだよね。


水面下で押さえ込まれてきてる気持ちがあるなんて気がつかないよね。

合わせてきてやったんだ、それなのに!みたいな怒りとか、
親の望むように必死に振る舞ってたのに、とか、

いろんな(自分でも気が付かない)気持ちが水面下で押さえ込まれてきてるんだって。

誰かのために尽くして尽くして捨てられてるなんて、
叫びたくなるだろうし怒りがわいてくるよね、きっと。

子供は、ほんと知らないうちに身につけて、
誰もがやってるんだと信じて疑わないし、
親を信じて疑わないし、

さらには、
子供は、自分の中に知らないうちに怒りが蓄積されてきてるとか自覚なんかないよね。

なぜか意味付けの出来ない、自分でもオロオロしちゃうような怒りが
突然なにかの切っ掛けで吹き出したら、
しかもそれが、自分じゃなかったら、
ビックリして泣きたくなるよね。

めちゃくちゃ不安になるよね。

誰も信じてくれないような事が自分に突然起きたなら、
しかも何処でも聞いたこともないような、知識がないような事が起きたなら、
パニックに陥ってしまうよね。


今は(まだ足りないけど)沢山の知識を得て、
自分に起きてくる事も受け止められるモノが増えてきて、

今回みたいに、理由の分からない怒りがわいてきたら
逆に利用してみることもできて。

怒りの根本に傷があるかもしれないな、
未解決の傷があるかもしれないな、
どんな事なんだろう、知りたいな。

知ることが出来たら、いつか越えられるぞ、と
自分に指針を与えられるし、

つまり
暗闇の中にいても
トンネルの出口方向だけでも見えてるような安心感があって。
希望も捨てないで済むと思えるし。

よく、精神的な病や心の病になった人たちは
やたらと病名にこだわったりするって批判されるけど、

もしこれがガンだったなら。
どこの部分にできてるか、ステージはどのレベルか、
まだ間に合うのか、どんな治療法があるのか、
なんでなっちゃったのか、
いろいろ聞いたり、さらに調べたりするよね。

これ、精神的な病や心の病であっても同じだと思うんだ。
病名は何なのか、どんな治療法があるのか、
治るのか、どの位の期間で社会復帰できるのか、
なんでなっちゃったのか、
いろいろ聞いたり、病名を手がかりにさらに調べたりするよね。

ガンにせよ、精神的な病や心の病にせよ、
いきなり思いもよらない病気になったんだ、っていうショックがあると思うんだ。
だから必死に調べたいと思うと思うんだ。