Pieces~私の独り言(HN緑茶猫)

※メンヘラブログにて閲覧注意

ときどき
いろんな気持ちを
勝手に書いてます

対人関係を変えてみたい~楽しかったことメモ

2012-08-31 07:59:19 | 独り言
朝、足に湿布を貼ったあと、傍らで山積みになっている本を適当につかんで開いた。
そこには、とある営業マンが緊張を解く話が書いてあった。

とある営業マンが一軒のお宅の前にやってくる。緊張でガチガチになってひきつっている。
彼はドアを開ける前に、今までの人生で楽しかったことを思い出した。そして顔がほころんだ所でチャイムを鳴らすのだった……。


『これは使える!』と思った。
しかし、『はてさて、急に楽しかったことを思い出せ、と言われるとかえって思い出せないなぁ』と気付いた。
一度、まとめてメモしてみないと自覚できないなと。

例えば、一日を終えるときにその日のことを思い返して【楽しかったこと】を特に書き出してメモしておくとか、
楽しいとか嬉しいとか感じることが出来たそばからメモしていくとか、

『自分は喜んだり笑ったりしたらいけない、幸せになったらもっといけない、真面目そうな顔を崩したらいけない』と小さい頃からゲッシュがかかった私は、この位やらないとなかなか出来そうもない(苦笑)

幸い、このblogでさんざん過去の荷下ろしをやってきたからか、少しずつイキイキした感情が発掘され始めた感じがある。
いまからコツコツ、メモしてやってみたら何かが変わるのかもしれない。

少なくとも誰かと会わなければならない時など、緊張感を消すために前述した方法を試してみたい。
どうせ変な噂を流されるなら、仏頂面だという噂よりは、アイツは笑顔だ、と流れた方がマシだ。


うー、楽しかったこと?

………

昨日の夢で、美味しそうなババロアにイチゴがたくさん乗っているデザートの夢を見たなぁ。
思わず顔がほころぶなぁ。

昨夜、痛すぎる足の土踏まずに湿布を貼った時、気持ちよくて体の緊張がほぐれてホッとしたなぁ。


いいや、とりあえずこんな感じでメモしてみよう。

扁平足が痛い。

2012-08-30 23:55:23 | スポーツ・健康関係の独り言
扁平足。そういえば私は扁平足だった。
今日は膝から下が久しぶりに痛くなった。
そう、脚のリハビリ筋トレが追い付かないのが再発の原因だと。

ほぼ寝た切り生活4年を過ごして、全身の筋肉が痩せるというのは本当なんだと、身をもって知った。
顔の表情筋まで痩せた、顔がたるんだ(涙)
相方から言わせればお手入れをしなかった60代かと思うほどだそうだ。

全身の筋肉が痩せる、つまり脚の筋肉も当然痩せただろう、それなら扁平足が再発したのも頷(うなづ)ける。


私が扁平足による症状で歩行できなくなったのは、最初に入社した会社で頻繁に出張していた頃だった。
慣れないヒールの靴を履いて本州を移動していたのが原因かと思いきや、実は元々遺伝的に扁平足の家系だったようだ。よく考えたら二番目の妹の脚は私よりひどい。

私の症状は、膝下全部が痛くてしびれ、足を前に踏み出すのが怖くなる。転ぶ、つまづく。
入院した時、入院したことを良いことに同じ病院内の整形にも行った。バッチリ扁平足の診断をもらった(笑)リハビリを受けるようになった。

また、足にはめる板(足底板・そくていばん)が処方された。が、足を精密に測って処方した訳ではなかったので、これを履くと余計に転んだ。
しかもこれを着けると持っている靴が履けない。仕方なく父のサンダルを履いていた。

私の扁平足は、とある靴屋さんで作った靴を履き続けたらアーチが形成されていって改善した。5~6年かかった。

……初めて靴屋に行った場面の記憶はかろうじてあるが、それ以降の記憶がない。
それは封印された記憶の時期と同時期のため、取り込まれてしまっているからだと。


話を戻して、

今夜は湿布を貼って横になっている。土踏まずとふくらはぎと膝下だ。
内心『あーあ』と落胆ぎみだ(苦笑)。

せっかくリハビリ筋トレをしたい気持ちが具体化して来つつあるのに。
かつ、私の場合は運動がPTSDの侵入記憶の改善に役立つそうで、継続する指示を頂いているというのに。

横になんかなりたくない。
動けるなら動きたい。
しかし。

完全な寝た切りの方々の気持ちを考えたら、こんな私の気持ちなど贅沢な想いだと思うのだが、少し落ち込む。

共通目的

2012-08-30 12:46:32 | 独り言
欠点をあげつらう人に対して感謝をする時というのは、どういう時か。

大抵の人は、欠点をあげつらう人を大嫌いになる。当たり前だ。
誉めてくれたり励ましてくれたり、寄り添ってくれる人を好きになるのも当然の事だ。

では、欠点を指摘されて嬉しい時とは、
『自分が掲げる具体的な目標に向かって歩いているとき』、その目標に到達するために邪魔をしている欠点があるのに気が付かない、そんな場合は教えてもらえて嬉しくなる。

オリンピック選手がコーチに「フォームがなってない!」などと怒鳴られている場合はどうか。
これはコーチも選手も「金メダルを取る」という共通目的があるなら指摘が向上につながる。

ピアノ練習にしても、生徒と先生の共通目的がある。発表会に向けて曲を仕上げたい、そのために変えるべき点を、何度でも丁寧に分かりやすく励ましながら伝えてくれるなら、時に声をあらげた先生の姿に励まされる事もある。

しかし。
いかにオリンピック選手とコーチの間柄でも、例えばコーチが「お前のお兄さんは理系なのか?ダメな奴だ」とか「お前がスヌーピー好きなのは俺からしたら許せない」とか、
『オリンピックには全く関係のない話を持ち出してきて、勝手に自分の価値観を押し付けてくる』などしたら、どうだろうか。

もしお兄さんが理系人間だからというせいで金メダルを取れないとか、本人の大好きなキャラクターがスヌーピーだと金メダルがとれない、というなら話は分かるが、まずそんな話は聞いたことがない。
家族がどうであれ、本人の好きなキャラがどうであれ、金メダルとは関係ない。

共通目的を持っている相手からの話であってもこうだ、
ただ単に価値観の押し付けになってしまうと、押し付けられた側は腹が立つ。


性格上の欠点を指摘されて感謝するというのは『性格を変えたい』と願っているからこそ、だ。加えて『こんな性格になりたい』という『目標』がある時だ。
ただ単に変えたいというだけではない。

「好きな人が喜んでくれる性格になりたい」と言うときは、
相手が明るく活発な女性が好みならいつでも笑顔で明るく活発になりたいだろうし、
相手が謎めいた神秘的な女性が好みならそうなりたいだろうし、
個性的な女性でハイテク機器に強い女性が好みなら、パソコン周辺機器に詳しくなったりしたいだろう。

「友達から好かれたい」という場合は、その友達が大切にしている慣習や価値観を大切にしたり、相手がどんなことをしたら喜ぶのかを研究するだろう。

目標があるなら、誰かからの的確な指摘もまた嬉しいものだ。

しかし、
頭ごなしに欠点をあげつらう人に対しては、大抵の人は頭にくると思う。それは『変わりたい』という具体的な目標が設定されていないからだ。
変わりたくない相手に向かって、こちらの価値観を押し付けたらそれは『単なる嫌なやつ』だ。

時々「教えてやったんだから感謝ぐらいしてもいいじゃないか!」と怒鳴る人がいる。私の回りには、こういったタイプが多い。
話を聞いてみると「俺にとっては、これは大事なことだから、君もこれを大事と思うだろ?」と(笑)
どうやら、相手がそれを大事と思っているかいないかの確認をしないままに言っているようだ。

この確認を省(はぶ)くと、上手く行くはずの事が行かなくなる事もある。
両者が笑顔になるためには、互いが共通目的があるかどうかを、念押しで前もって確認することが重要だろう。
会社の朝礼で、毎回毎回「今月の目標!契約件数○○件!」「本日の目標!飛び込み○件!」など、目標を全員で口に出しているのも、互いの共通目的再確認をしているのかもしれない。

自覚された共通目的があるなら、「ねぇねぇ、ここはコッチの方がいいんじゃない?」という会話が上手く流れていく、と。

今日の頭の中に

2012-08-29 10:24:16 | 独り言
お中元売れ残り大バーゲンで買ったドリップコーヒーを煎れた。一杯ずついれるタイプだ。
しかし形状が悪く、お湯を入れたらフィルターが傾き、曳き豆がマグカップに落ちてしまった(苦笑)
いつも頂くドリップコーヒーならこんな事はないのだが。

曳き豆だらけになったコーヒーを見ていたら、なんだかバリ島で飲んだコピを思い出した。
あの時は、海外挙式を挙げる親友のために行ったのだった。和服を持っていった、とても重かった。

行くのが決まっていたのに会社の休みが取れず、退社してまで行った。あれは大変迷惑をかけたと猛省した。

そうして豆だらけのコーヒーを飲みながら、ふと考えていた。

『ピアノが弾けます』と人に話した時、人によっては『何か弾いて』と返してくれるかもしれない。
だったら、相手の方が聞き覚えのある曲を数曲弾けたら喜んで頂けるだろうか。

まだ私はベートーベンの月光第一楽章しか弾けない。しかも仕上げてある訳ではない。むむむ、と考える。
仕上げは、先生が指導してくださらなければ仕上げられない。今は、ショパンの別れの曲をお願いしているから当分新曲はお願いしたくない。先生にご負担を増やしたくないからだ。

何十年も毎日弾き込んでいる方だったら、ご自身で九分九厘まで仕上げられて、中には先生の前で弾いた時に一発OKをもらえる方もいるだろうが私は違う(笑)全然なってない。

ない実力をどうのこうの考えていても仕方がないので、別の切り口から別のことを考えてみた。
それは【単独コンサートを開くにはどうしたらいい?】だった(苦笑)。

まぁ私には、到底無謀な実現不可能な話なので、思い切り妄想できる(笑)。

妄想中……

コンサートを開くには、まずコンサート時間が大切だろう。
18:30開始、21:00閉演としたら正味2時間30分だ。前半後半で分けるにせよ3部構成にするにせよ、アンコールを含め2時間分くらいの曲数を選ぶ必要がある。
MCを入れると少し減らせるが。

だったら試しに10曲選んだらどうかと。まだ足りないが。
そんな妄想をしながら、スコアを眺めてチョイスしてみた。

ベートーベン月光第一楽章、
ショパンは別れの曲とノクターンOp.9-2
バッハ(J.S.Bach)のプレリュード第一番BWV846、
ドビュッシーのアラベスク第一番、雨垂れもいいなぁ、
サティのジムノペディ、
エンターテイナーは止めとこうか。
リストの愛の夢はどうしようか。

そうだ、仕上げが簡単な短い曲も増やそう。

C.Petzoldのメヌエット、
モーツァルトのプロムナード(展覧会の絵)、
ショパンのプレリュードOp.28-7(太田胃散の曲)……

そうこうして選んでいたら、ふと気付いた事があった。
私は『エリーゼのために』を弾いたことがない、と。
コンサートで弾く曲には入れないがこれも弾いてみよう。


あれこれ考えていたらテレビにNHKの「古事記1300年」番組が映し出されていた。確か今年は古事記編纂1300年だった。
大好きな神社がたくさん映っている。島根県の出雲大社、いいなぁ。宮崎県の高千穂神社、いいなぁ。

先日本屋に行ったら、入ってすぐの一番目立つエンドに古事記特集が組まれていて、猛烈に買いたくて仕方がなくなった。
そして一冊買った。文庫本サイズの本だ。枕元に置いてある。


……と、そうこうしていたら
別のカップで入れ直したさっきのコーヒーが出来た。これは人様には贈らないようにしよう。
大学の後期科目の申請も終わったし、そろそろ秋がやってくるのか。山を車で走っていたらヒグラシも鳴いていたな。

暑さが収まったらリハビリ筋トレのポールウォーキングを再開しよう。これから首回りの筋肉トレーニングと股関節回りの筋肉トレーニングが一気にできるからな。
そうだ、ウォーキング場所に自転車で行ったらもっといいなぁ。


少し頭が回るようになってきた。
しかしエクスポージャーが待っている、気が引き締まる。


とまどい

2012-08-28 06:50:37 | 独り言
車を縁石にぶつけて
シャーシをへこませた、


大切なこと。


どうやら、人は、
『事故っちゃいました(笑)』と言うと
とても心配してくれるらしいと、
また、すっかり忘れていた(苦笑)

いや、自分を笑ってるんだ、
心配してくれた人に対して笑ってるんじゃなく。

『世の中には、心配してくれる人がいるのが当たり前なんだ』と
なんど教わっても

私の母の態度が標準として取り込まれた私は
私に何が起きようとも横目で『フーン』とチラッと私を見る母が標準で

私が悲しみにうちひしがれていて、私が「聞いてよ!」訴えても
温かい言葉ひとつかけてくれない母が標準で

だから、ついつい
普通の人に『あはは、事故っちゃいましたよ(笑)』と言うと
死ぬほど心配してくれるか、死ぬほど心配してくれた振りをしてくれるか、体の心配をしてくれるのが当たり前なんだと忘れている。
頭でいくら覚えても、忘れてしまう。

だから、ついつい
日常の普通の会話に『あはは、事故っちゃいましたよ(笑)』を出してしまう

そして迷惑がられてしまう、

後から気付く、
『いけねぇ、これは(普通の人には)ヘビーな話題だったんだな』と

そして罪悪感を感じる、
また誰とも口をききたくなくなる、
誰の気分を損ねたくないのに損ねたから


重い話って、どんな話なんだ?
重いかどうか分からないんだ、
人が心配してくれるなんて、こんな私を心配してくれるなんて、
よく分からないんだ、

標準が母だから

私が救急車に乗った時でも
救急隊員さんが眉間にシワを寄せるほどだった母
可哀想っちゃあ可哀想だけど


ほんとゴメン、
事故ったには変わらないけど、
そんなに心配してくれるなんて、どうしよう

フーン、大変だったね。あっ、そういえばさ……と
すぐに話をあなたの話に切り替えないよね
それが当たり前なんだよね、私ならすごく心配しちゃうもん

ただ、何を口にしていいか、
かける言葉がなかなか出なくて困ってるけど