Pieces~私の独り言(HN緑茶猫)

※メンヘラブログにて閲覧注意

ときどき
いろんな気持ちを
勝手に書いてます

夢を見た

2009-10-30 09:47:17 | 見た夢記録
夢を見た



隣の家で仲間と仕事をしていた。
作業が進み私は奥の作業部屋へ一人で行った。

明るい綺麗な作業部屋

突然何かが走り込んできた。それは私の背後の、蓋を外したドラム缶に飛び込んで行った。
赤いヒモ

どんがらがっちゃん!
派手な音がした。

物音にビックリして振り返り、ドラム缶の中を覗いたらそれは子犬だった。赤いリードが着いている。

よくみたらそれは小型犬(生後2~3くらい)だった。色はキナリ、耳は垂れている。耳の先が黒い。頬っぺたも少し垂れている。
有名アニメに出てきた犬にそっくりで、なんだか嬉しかった。

私は犬を抱き上げ、この犬に見覚えがないかどうか仲間に見せたが誰も知らない。

その後、作業をしている家人にも犬を見せたがまったく知らないらしかった。

犬は抱っこ慣れしているようで、私がずっと抱っこしてまわっていても違和感がないらしい。

よっぽど怖かったのか、私の腕の中で震えている、しかし目は前を見ている。
一体何があって驚いたんだろう?

私はまだ仕事があるので、この作業をしている家の隣の自分の家に犬を預かってもらうことにした。

犬は私の家に行ってもあんまり吠えない。
水とドックフードを出したら目の色を変えてガツガツ食べた。

犬は、うちにいるドーベルマンを見ても動じない。小さいくせになんて奴だ、と思った。

自宅から隣の家の作業に戻った。
仲間が言った。
「犬を連れて散歩してる人に、あの犬を見せてみたら、あの犬の飼い主しってるかもよ。」
あ、そうか、と思った。

仕事が終わって家に帰り、犬の様子を見たら、笑える、うちのドーベルマンとちゃっかり仲良くごはんを食べていた。

こいつほんと動じない奴だなぁ、と感心した。

明日はこいつを連れて散歩に行ってみようと思った。

キズ

2009-10-27 13:42:03 | 独り言
過酷な話なので
読むの気を付けてください。





キズ、
私の親が子供の時に心に受けたキズ、
私の祖父母が若い頃に心に受けたキズ、

満州での過酷な戦争体験、
押さえ込めば押さえ込むほど疲れる、心に受けたキズ、

うちは戦争の心のキズにあふれた家庭なんだと、いま思える。




終戦した頃、
満州では目の前でたくさんの人が死んでいく、

女だとばれたらただでは済まないから祖母は丸坊主にして、

住んでいた小さな小屋に兵隊がやってきて、一件一件銃剣を刺してきて、
祖母は畳を扉にあてがい娘を守り、
死にそうになるような目に何回もさらされ、
生きているのさえ不思議で、

栄養失調で、産んだ子供(母の妹)が死んで、
なんとか生きた私の母でさえ満州に置いて行かざるを得なくなって、
それでも必死で我が子を連れ帰った祖父母、

日本への船が出ると知らされ港まで何十キロも歩いて、
過酷な真冬、過酷な寒さなのに着ているものは夏物のスフ、
食べるものもなく厳寒の寒さと飢えで何人もの人が力尽き死んで道端で生き絶える、

港には貨物船、
人が多いから貨物スペースにみんなずっと立って日本まで、
激しく揺れる船内、
座れない、



そんな激しい戦争体験をしてきた人達の家で私は生まれた。



いまだからやっとわかってきたけれど、
心に傷を負った人が笑顔で生きるためには大変なエネルギーが要る。

思い出さないように押さえ込むことにかなりのエネルギーが遣われ、気持ちの余裕なんてものはない。
私がそうだったから。


祖母と母に、どうして心の傷をそのままにしたのか聞いてみた。

母は幼すぎるときに傷を負ったから自覚がなく話が聞けなかった。

祖母からは
「昔は心が弱いっていわれるからね」と言われた。

どうも、悩みや苦しみを嘆いたりクドクド言っているだけで心が弱いって言われたらしい。

心が弱いって思われる事は大変なことらしい。

だから放置した。
何も考えないようにエネルギーを使った。

今は体に着いた傷と同じく心に受けたキズも治療が進んできたけど、

事故や怪我で体に着いた傷は第三者に伝播しにくいけど、心に受けたキズは子供に伝播しやすいんだと思う…子供の年齢が低く、子供が親たちの傷の理由を知らされなかったら余計に。

理由がわかれば相手を責める気持ちが少なくなりやすい、怒りはわくとしても。
それは子供も同じ。

親が本気で困っていたら助けてあげたいって思う生き物が小さい子供。
訳もわからないのに、親の役に立ちたいって思ってる。

人って不思議なもので、誰しも誰かの役に立ちたいって思ってる。
どんなことで役に立てるかわからなくて諦めたから思ってなかったり、誰かから「役立たず」と言われた場合は役に立ちたい気持ちが消えることもあるけど、基本的に誰かの役に立ちたいって思ってる。

その最初が親の役に立ちたいって気持ちだと思う。

どうにもならない問題で親が越えられなくて苦しんでいても、子供は味方。

だからこうして、私は祖父母や母の心の傷を垣間見たことは幸せだと思う。

もちろんこの事と私の人生に起きてきたことはなかなか繋がらなかったけど、やっとこうして一連の繋がりに気づけた私はまたひとつ階段を登れたようだ。

目を背けてきたのは私。
怒るべき時に怒れなかった私、頼めばいいときに頼むことができない悪い意味での責任感の強さ。

自分に嘘を吐いてきた私、素直になることの意味を履き違えていた私、

味方がいないと小さい頃から思わされてきたから仕方ない、可哀想な私、


ここに来るまでにたくさんの事を親にぶつけてきた。
ぶつけ方も工夫し続けて何十年もかかった。
やっと階段を登れたようだ。

諦めたくない、ただその一念だった。
親も人間なんだと思いたかった、ただそれだけ。

うちから大きな喧嘩の声がしてくるから私はご近所に嫌われた。
でもそんなのいいんだ。
二度と喧嘩が起きなくなればそれが一番。

あの家から喧嘩がなくなったね、といつか噂が立つに違いない。

互いの気持ちを汲むこと。
目を背けないで見つめること。
見つめたら対応策を考えてみること。
考えたら行動に移してみること。


土星tがサインを変わろうとしている。
長かった。

たくさんの事を学んだ。

必ず越えられる。
土星の影響を恐れるより(休み休みでいいから)立ち向かうのが一番いいと、やっと自信をもって人に言える。

今度は私が引き受ける番だ。
何ができるかまだ未知だけど、私の体験がみんなの幸せに役に立ったら嬉しい。

気持ちを汲むこと

2009-10-27 12:47:07 | 独り言
人が人を誤解したり行き違いとかあったり、そうしてだんだん溝が深くなる。

早めに対応しておけば良かったものを、放置して時間がかかった分、解決するときに痛みが増してくる。

一番大事なことは、
「互いの気持ちの交換」なんじゃないかなと思う。

よく「俺が正しい」って言う人がいる。
でもよく聞いてみればどっちもどっち。

どちらも正しいことを言っているって思う。

何に対して正しいのかと言えば
「自分の気持ちに対して」なんだと。
だから両方とも正しい事を言っている。

でも中には嘘つきが板についている人がいて、そんな人は吐いた嘘をそのままにしていると、言った本人が後から苦しむだろうから、嘘を吐いている所を優しく暴きながら話を聞く。

悪く思われたくない、そのために嘘を吐いているからだ。

「嘘を吐かなくても、真実を話してくれても、ここであなたが○○って思ったことは(あなたの気持ちの上では)正しいんですよ。」と。

もしかしたら、昨今の日本は「人の気持ちの部分を汲むこと」が欠けてしまったんじゃないかと思うことが多い。

気持ちを汲むことは、第二次世界対戦ころからタブーになったのではないかと思う。

私が想像したのはこうだ。
例えば赤紙が来て兵隊に召集されるとき「私は行きたくありません」と言ったらどうだろう。
お母さんが「うちの息子は兵隊に行かせたくないです!」と言ったらどうだろう。

例えば戦地に赴き、目の前に敵が現れた時、それがまだ小さい子供だったとしたら。
「私は殺したくありません」って一人だけ行動できなかったらどうだろう。

気持ちを汲んではいけない時期を過ごしてしまった日本の昔がある。

あくまでも私の個人的な見解なんだけど。


気持ちを汲む事ができればたくさんの人間関係のイザコザは早いうちに解決するものもあるかもしれない、と思ったんだけど、
なんで人の気持ちを汲めないのかって考えたら、こんな原因も思い浮かんだんだよね。

日本の誰もが人の気持ちを汲むことも大切にしていれば、家庭内で起こる虐待なんかもあんまり起きないかもしれないって思ったんだ。

昔と違って子供が少ない今だから、子供が5人とか7人とかいれば親が子供に何か言っても兄弟とか近所の子供と遊んでるうちに解決していったかもしれない問題でも、

子供が少なくなったから、しかも無邪気に遊べない時代になってしまったから、その分、親が、大人が
「気持ちを汲みながら」
「子供の未来の幸せを想像しながら」
接してあげることが大切になってきてるんじゃないかな、と。


自分が子供だったとき、どんなことをどんな風に感じていたか。

私はまだ残念ながらそこに到達してないけど、
自分の子供ができれば嫌でも自分の過去に向き合う、
その時にまた考えてみたいと思ってます。



気持ちの伝え方。
気持ちを汲むこと。
相手の努力を感心しながら誉めること。

嘘をつかなくて正直に気持ちを親が大人が汲んでくれて、バカにされないでいられること。
嘘を吐かなくても味方がいてくれると思えること。

親が正直でかつ子供の将来の笑顔を誰よりも願っていること。
親が自分自身の問題から目を逸らさないで果敢に立ち向かっていくこと。

たくさんの日本人の忘れてしまった大切なものが復興すれば、人としてイバラの道を歩む子供が減って行くと思う。

会社員である前に人なんだ。
学生である前に人なんだ。
妻である前に人なんだ。
夫である前に人なんだ。

人として大切なこと。
あったかい何か。
子供の時にそういった物に出会えていれば、日本の誰もが将来の幸せを諦めなくて未来を見据えて困難に立ち向かえるのかもしれない、と。

問題解決って

2009-10-27 11:50:21 | 独り言
人が人に対して、相手に対して嫌な気持ちを抱くのが何だろうって考えてた。

誤解とか行き違いとか、
お互いに話をしたら解決するような問題を
解決しないで放置してしまったら当然関係が悪化するだろう。

解決しない理由って、めんどくさいっていう理由もあるかもしれないけど、

めんどくさいっていう気持ちの下には「どうやったらいいかわからない」って気持ちを隠している場合があるんじゃないかって思った。

この間、親に相談してみた。
遠回しに聞いてみた。
「ある人とある人が喧嘩してね、こんな時どうしたらいいと思う?」

親はうつむき笑いながらいった、
「ごめん、わからないよ」

やっぱりな、と思った。

やり方がわからない人がいる。
それはいいんだ。
誰しも最初は初心者なんだから。

わからないって思ったときに、次に「どうやったら解決するのかな」と考えるか、「こんなのわかんない、めんどくさいし、きっと誰かがやってくれるよ」なんて思うか、
それがひとつの分かれ目なんだと思う。

わからないなんて良いことだよと私は思うんだ。
わからないって事がある自分に気づけたんだ。
最初の一歩なんだ。
良いことなんだ。

気づけた時に具体的なアクションが取れなくたっていい、どうしたらいいかと少しでも気に留めていたら良いと思うんだ。

気に留めていたら、たまたま人のやり方を見れた時に吸収したり出来やすいし、本とかテレビとかから吸収していけると。


気に留めていられないわ、と面倒くさいって片付ける人がよく言うんだ。
私は悲しくなる。
その人が自分自身の成長の芽を摘んでいるように思えるから。


気に留めていられない人の共通点は「傷ついている」ってことなんじゃないかなって思うんだ。

ある問題が起こり、解決できなくて傷ついていた事があるんじゃないかって。

面倒くさいんじゃなくて、
問題に目を向けるのが怖いんだって思うんだ。

怖いと思ったことさえ口にするのも怖い、問題を抱えているのに越えられない自分を自覚しているけど解決の仕方がわからない、

いろんな理由があって解決の第一歩を踏み出す恐怖が「めんどくさい」って言葉になるんじゃないかと思う。


勇気を出して求めることが、自分を救う第一歩になるのにと、とても悲しくなる。

恐怖の表現

2009-10-21 07:57:36 | 独り言
昨日のカウンセリングは極度の緊張でした。

お腹が痛いんです。



そう、前回のカウンセリングの時に待合室で事件があって。

私自身は事件の記憶が薄れていたのに、体が拒絶反応しちゃってるんだって、やっとカウンセリングしてる時に気がついたんです。

恐怖の表現をするのは、私の場合は私に自覚がないまま体が拒絶反応することです。

胃の痛みお腹の痛み、
過敏性大腸、
聞かれてもいないのに緊張でベラベラしゃべる、

固まってました。


自分に言って聞かせます。

大丈夫。
原因の人はいないんだよ。
あんた(体)が嫌がってるのも仕方ない事だけど、私は通うよ。
あんたがどんなに拒絶反応しても行かなくちゃならないんだよ。

大丈夫だよ。
反応してくれてありがとう。



カウンセリングの帰りに公園をお散歩しました。
喫茶店でお昼を食べました。
落ち着いてきました。

対人恐怖症は少しぶり返しちゃったけど、まだ、全ての人が敵に見えたカウンセリング開始の頃よりは大丈夫です。

特定の人とのやりとりがこじれたこと、それを解決・決着つけるやり方を知らなかったから問題が残ってしまっていること、

そんな出来事が放置され続けて対人恐怖症にまで発展してしまったこと。

そんな事に気がつけた今は、あの時から比べればまだ大丈夫です。


公園の緑が綺麗でした。