Pieces~私の独り言(HN緑茶猫)

※メンヘラブログにて閲覧注意

ときどき
いろんな気持ちを
勝手に書いてます

信じない

2012-09-30 23:44:48 | 独り言
信じている人から裏切られるということは
普通の人ならひどい苦痛となって心をさいなみ
心にポッカリ穴が開き
とまらない怒りをどうしていいのか分からなくなり
恨みを抱えて動けなくなるのだろう

私は、

裏切られても
もう穴が開かない

裏切られてばかりだから
慣れてしまっていて

穴が開かないように壁を崩さないようになり
怒りを感じる代わりに見切るようになった

他の人から見たら
『強くなったね』というのだけれど

違うよ、
信じる心を砕かれて
信じる心を守る防御を解かないようになっただけ

つまり、

誰も信じなくなった、だけの
ただの寂しい人間なだけ


本当の強さは
これじゃないんだ

私の欲しい本当の強さは
これじゃないんだ

メモ・夢で見た遺跡は

2012-09-21 23:00:08 | 見た夢記録
今夜、テレビ『たけしの新・世界七不思議 前哨戦スペシャル!』を見ている。
インド王妃の階段井戸『アダラジ・ヴァヴ(1499年)』を見たとき、驚いた。私はこれを以前、夢で見たからだった。
夢の中で翼が生えた私は、この遺跡を飛んでいた。


見た夢記録より
2012年5月3日
魔女篇

私はインドに行ったことがない。
ましてやアダラジ・ヴァヴという言葉さえ知らなかった。


争いの類いから逃げて丹田呼吸

2012-09-21 16:47:10 | スポーツ・健康関係の独り言
ここしばらく、私は、テレビに映し出される国際的な争いが元で、あたかも引きこもりのようになっていた。
まだ争いの類いは、私のトリガーをひくのだ。

そこで、少しばかり良くなった扁平足の足に湿布を貼り、包帯でグルグル巻きにしてポールウォーキングをした。
虹が見えたあの日とはうって変わって、海には漁船の群れが見えた。
どうやら漁師さんも時折私を見ているようだった。私の知り合いでもいたのだろうか。

それから、数年前から気になっていた丹田呼吸法を試してみた。

……数年前、カウンセラーさんが「PTSD治療のエクスポージャーをするときに大切になる呼吸法を家でやってきてね」とおっしゃった。
エクスポージャーをするときに起きるであろう反応に対抗する手法をマスターさせてくださろうとしたのだった。

しかしその頃、カウンセラーさんが教えてくれた呼吸法はマスターできなかった。それは、ご近所のアレからの言葉の暴力が収まらず、精神的安静と安定が得られなかったからだった。
これを書くために思い出しただけでもまだ鳥肌が立つ。

そんな訳で、カウンセラーさんが教えてくれた呼吸法をマスターできなかったが諦めきれず、落ち込みながらネットの古本屋で呼吸法の本を探していた。
そうしたら、白隠さんの夜船閑話にも載っている呼吸法の『丹田呼吸法』の本を見つけた。
(祥伝社・斎藤洋一著「奇跡の丹田呼吸法」)
見つけて買ったが、やはりお蔵入りになってしまったのだった。


先週、本をしまっている倉庫を整理していたら、たまたまこの本を見つけた。
いつものように手で埃を払って読んでみた。
今ならできそうだ、と、やってみた。

……これはいい!

丹田呼吸法の基本は三つ。
緩息(かんそく)、短息(たんそく)、長息(ちょうそく)。
詳しいところは割愛するが、息を吐く時に腹圧をかけて、吸うときは自然に吸うのが基本のようだ。

次の日、この本に載っている具体例の「駅まで歩きながら丹田呼吸」を参考に、丹田呼吸をしながらポールウォーキングをしてみた。
お腹のところに力を入れて息を吐きながら歩くのがこんなに気持ちいいとは知らなかった。
しかも、数日間、家で横になっている時にもやっていたら、息が長くなってきたような気がした。

それにつれて元気になってきた。関節の痛みはあるのに、足が出るし重い腰が軽くなった気がする。
しかも実際に動きやすくなっている。いつもなら立ち上がるとか関節が痛いから嫌々やっていた頼まれ事も、すくっとは行かないが、ゆっくり立ち上がって歩ける。
これまた感動だ。

不安定な気持ちと受験の時の回想

2012-09-18 10:08:46 | 独り言
私は、落ち込むことがあっても気分が不安定になることが少ない。
無理やり鼓舞するやり方で立ち上がれるから、軽いと思う。

気分が不安定になる人は、もしかしたら、人の中にある『こちらに向けられた怒り』に敏感な場合があるのかもしれないな、と時々思う。

私は人に怒られた時『どうしたら償えるか』と考えてしまう癖ができていた。高校時代以降ひどくなった。
こう考える癖ができてしまうと、何か失敗した時に『ご機嫌を取らなければならない』と強迫観念に捕らわれ謝り続けてしまう。
DV被害に遭った後は、もっとひどくなった。

いま考えると、何か犠牲にして尽くして相手のご機嫌を伺っていく癖は怯えからくる強迫観念なのかもしれないなと思う。
しかも当時の私の場合『ご機嫌を伺う』という強迫観念の求めている答えは、相手の幸せを願うものではなく『自分が受け入れられて、攻撃されない安心感を得たい』という『逆・利己主義』だったのだろうと思う。

子供の時は『守るべき対象』である妹がいたから、自分のことなど省みることはなかったと記憶している。
しかし私が中学2年生の時に家庭がバラバラになって、その頃、私は特別何かを守る必要がなくなった。

だからだろう、その時やっと自分の事に、自分の姿に気がついて、
空の巣症候群ではなかったが、やっと自分の目の前にある世界に気が付いたのだと思う。

14年間、ただただ誰かのために体を張ってきた事は私の誇りになっていたのかもしれない。ただしそれは、守る対象がいなくなれば必要ない。
これはまるでRPGの勇者ご一行が、魔王を倒して平和な世界を取り戻した後に自分の村に戻って畑仕事に戻るようなものだ。

私には戻れる畑仕事が無かった。部活(楽器演奏)はあったがそれは補助的なものだったのだと今思う。
高校受験はあったが、どうでも良かった。

そういえば私は、高校の定時制にある看護科を志望していたが、祖母に相談した所いきなりビンタされ、訳もわからず受験できなくなった。
これは、定時制だと言うことがいけなかったらしいが、本当の理由は分からない。

私は小さい頃から「迷惑をかけるな」と言われて大きくなった。
子供には何が迷惑なのかがさっぱり分からない(笑)。しかし私は真面目に考えた。
『迷惑って何?どれがそうなんだろう?………あっ、そうか。産まれたらオシメを着けるしミルクも飲むなぁ。お金がかかるんだなぁ。……!そうだ、高校生になったら働きながら学校に通えば親孝行できるなぁ。』
純粋に、素直に、ただ親のためにと思い付いたのが「働きながら学校に通う」だった。しかも看護科だったら親が自慢できるだろうと思った。

担任の先生に相談したら「あなたならここの看護科の入学は大丈夫。でも、もう少し上を狙ってもいいんじゃないのかな。」と言われた。
上でも下でも何でも良かった。定時制の看護科なら親孝行できる、ただそれを心の希望にして、親の笑顔のためにと思っていた。

そうしたら、理由も告げられずにビンタされた。

どれだけ自分の優しい心が破壊されたことか。
純粋な私でなければまだ壊れ方が優しかっただろうに(笑)。


次に、家から近い高校(全日制・普通科)を受験しようとしたができなかった。大変成績が良い人でなければ入れない高校だった。
私は頭が足りなかった。特に英語がダメだった。

成績は、家庭がバラバラになってから格段に下がっていた。中学2年以降に転校したのだが、ここでまともに母から直接攻撃を受けてグレたからだった。
そして担任の先生と相談して、自分の成績に合った高校の普通科を受験した。

……と、振り返ってみると、
私はまだ中学高校時代は、純粋に親孝行を考えていたのだなと解る。
なんとバカで純粋で素直な奴だっただろう。

愛、

2012-09-15 04:16:57 | 独り言
ある日、夢を見た。
そこには かつての知り合いの男性が現れた。

夢の中で、その男性は私を愛しているんだと、おもむろに告白してくれた。


この夢を見て思ったことがあった。

愛されていると強くなれるんだと。


『○○をしたら愛してもらえる』と、条件付きの愛しか知らない私は、
私に特別に秀でたものが無くても愛してもらえるなんて全く信じられない。

さらには「君の本当の笑顔こそが僕の幸せなんだ」と言う男がいるなんて全く信じられない。

さらには「あなたに会えたことが私の幸せなんだ」と言ってくれる親がいるなんて全く信じられない。

しかし夢で見た知人の男性は、
そういえば、私の父が死んだときに直接連絡できず、会社の方に伝言して連絡した。
私から直接連絡しようにも私が教えてもらった番号とアドレスは変更してあった。

その方はその後、あわてて出先から私の携帯に電話を掛けてきて、何を言っているのかもメチャクチャだったが、私は、とてつもなく暖かい何かを感じたのだった。

そういえば、そうだった。


その人を突然夢で見た。
私はその人のことをすっかり忘れていた。

その人は夢の中で言った。
「いまでも愛してるよ、当たり前だろ(笑)」

まぁ、夢の中の話なので
何でもあるんだろう。

別に、
私が私でなくても愛しているし、
私が秀でていなくても愛しているし、
私がその人のことを忘れていても愛しているし、
私が見た目がどうでも愛しているし、

何も理由がなくても、私を愛していいだろ?と。
何か理由がないと、愛しちゃいけない?と。


夢から覚めた私は、力強い何かを与えられた気がした。
何だろう、浮気したいとかじゃなく、暖かいものが身の内からあふれる気がした。
そして、それがあるから強くなれた気がした。
まるで、ライブのあとに……お客様からの歓声を頂いた後のような感じの何か。


そうか、
愛してもらえる思い、それが人を強くするのか。
誰かから愛される事が、素直に自然に立ち上がる原動力になるのか。
そして、それを私の中にある素直な部分に受け取れたら、もっと動けるようになるのか。

確かに、(全くありえない事だが)現実世界でこの男性が直接私に告白したなら、私は微笑んで断ってしまう、
告白された喜びはあるのかもしれないが、夢で見た後のような暖かさは残らないのかもしれない。


そうか。神様が教えてくれたんだ、きっと。

異性間の愛でなくとも、
親が子供を愛したら子供は強くなれる。
家族間で家族を愛したらみんな強くなれる。
上司と部下で互いを思いやって支え合ったら強い信頼関係が生まれ強くなれる。

かつての知り合いの事でさえ思い出して相手の幸せを願ったら、私は知り得ないが、みんな強くなれる。

愛が、人を支えるのか……


どんな人だって構わない、
愛さえあれば強くなれる。

枯渇した愛、
信じることが出来なくなった私、
斜めに構えてぶった切っている私、

夢で見たからよかった。