Pieces~私の独り言(HN緑茶猫)

※メンヘラブログにて閲覧注意

ときどき
いろんな気持ちを
勝手に書いてます

J-POPから引きずり出せるか

2012-02-29 23:52:35 | 唄songs・音楽
ふと、とある音楽サイトでJ-POP年代別ベストソング一覧を見ていた。
1年分ずつじっくり見た。曲名を見てそこからイメージする人物、それで思い出す事があるかどうかを探していた。

少し心臓と頭が痛い。
引きずり出すのはちょっぴりツライ。
でも自分にやらせてみたかった。

過去の吐き出しを済ませた部分の年代の曲は、湧いてきたイメージ人物を懐かしく思い出せた。

しかし、Kさんと関わった頃より後の曲名は、頭が痛くなって心臓の鼓動が動悸になってきて胸が痛くなった。
『頭痛も胸痛もきっと風邪のせいだ……』と言い聞かせた(苦笑)。実際、また風邪で数日倒れていたからだ。

私の記憶の中で、まだ未処理のために動揺する順番は、Kさん→DV男→最初の夫。
もしかしたらKさんとDV男の間の期間に何かあるかもしれない。ブロックされていて思い出せないから分からない。

それでも未処理部分が少なくなってきた事は嬉しい。やっと核心に近づいてきた感じがする。
直ぐ様あの場所へ突撃して記憶を掘り返してしまいたい衝動に駆られるが、まだ我慢だ。

できることならKさんに直接連絡してみたいが、私はKさんから絶交されてしまった身分だから、こちらから連絡するのは大変失礼だと思う。
自分でやれる所までやって、それでどうしても……と言うことになったら、他のメンバー経由でお願いして、もし話を聞けたら聞く……くらいしか出来ないだろう。

そう、以前メモしたように、

自発的に、医師に相談しないままに、何回か現場近くに飛び込もうと努力していた。
しかし笑えるくらいにビビりだった。
記憶の外堀から埋めて行こうと思うのだが、現場近くに行っただけで体が勝手に逃げていく(苦笑)


J-POP年代別一覧を見ていて、ひとつ思い出した事があった。
KさんはあまりJ-POPを聞かない人だった。そんなKさんが珍しく聞いていたJ-POPを思い出せた。山下達郎だった。


忘れないようにメモ。
……ああ頭が痛い(笑)

前の記事に追記

2012-02-29 13:39:43 | 独り言
前の記事に追記。


私は妹が希望校に入学試験を受けられるようにと親に戦いを挑んだ。
私がアパートで妹と同居したらどうかなど、様々提案した。
しかし妹は進学先を都内ではなく地元に変えた。
そして私は大学を続ける事が出来た。複雑な気持ちだった。

妹に電話した。「私が公立大学に入っていたら迷惑掛けなかったよね………」
妹は言った。「ううん、全然関係ないよ、お姉ちゃん♪」

力のない自分が悲しかった。妹一人、養えない自分に腹が立った。
私が金持ちなら、学費も交通費も生活費も負担したのに……
全額無理なら、半分だけとかでも負担したのに……

私は志望高校を決める時、最初から定時制を迷わず選択した。
働きながら学びたい、そう幼い頃から頑なに思っていた。
自分の食いぶちぐらい自分で稼ぎたいと。

しかし……
全くその夢は叶わない。

父から「お前を大学に行かせたのに、なんなんだ」とか
あの悲惨で激しい悲しい結婚生活を終わらせ、やっとひとりで歩くと決めた離婚直後に父から
「お前の年の女の人たちはみんな、結婚して子供もいるのに、お前はなんだ?」とか言われると

『あのDV男が私の人生を壊したのに、なんで親はあの男に怒りを感じないで私を責めるの?』と思えて仕方がなかった。

お金さえあれば出ていくのに……

いざ結婚して、扶養家族をしているのも悲しい。もちろん有難いことなのだが、悲しい。

結婚してなかったら、全国どこでも働きに行くのに……
私だけなら転勤OKなのに……

現実は、
PTSDが治っていないから
怒鳴り声や男の人の大声やしらない女性のヒソヒソ話等が引き金になってぶっ飛ぶから
発作が起きると3日はグッタリだから

………。
治りたい。

治っても希望の仕事は近くに無い。
私だけならどこでも働きに行くのに……
私のトリガーを引かない仕事が、旦那の許可範囲の少し外にあるのに……

退院後、発症していないとき、どんな仕事でもやってきた。
最初に勤めた会社では、言いがかりとも言える学歴差別を受けてひどい傷を受けたため、定年なし学歴無視の仕事で手に職をつけた。
しかしそれさえ、ここまで倒されてしまって勤めに行けない。

お金持ちになりたい。
誰かの笑顔のための支えになりたい。
夢を諦めて欲しくない。


働きたい。

私も幸せになりたい。

嫌々ながらも飛び込んだなら

2012-02-29 09:16:56 | 独り言
ある日BS放送を眺めていたら、私が大学時代と社会人1年生の頃に研究していた分野の話が放送されていた。
アメリカのNASAや大学で、より発展した形で、より実用化されて研究されていた。

驚いた。ここまで進化したのかと。
少し嬉しくなった。しかし反面、悲しくなった。何故、日本の話ではないのだろうか。

もちろん私の研究室の先輩方が第一線で研究を続けられていらっしゃるだろうから、ただ単に学会を辞めた私だから知らないだけなのかもしれない。

しかし……やはり思う。
パテント(特許)を取ったものが海外で利用されているならいいが、もしそうでなかったら……
これは共同研究なのだろうか……

そんなことを思っていたら、ふと思った事があった。
ゆとり世代と言われる時代に学んだ方々の事だ。

私は、ゆとり世代以前だから想像でしかないのだが、
もしや、こういった研究をしたいのに小中高の理科で学んだ内容が追い付かなくて断念させられた方々がいるのではないかと。

もしそんな事態が起きていたら、日本にとって大きな損失ではないかと。
磨けば光る人材ばかりだろうに、、、。
義務教育期間の1年と、社会人になってからの1年では全く違うと思う。
覚えられる量が違うと思う。

*************

目標や夢がない場合に学ぶのは叩き込まれる様な気がするものだが、それは悪いことではないと思う。

夢がない場合、自分が目指す夢に出会っていないだけという場合もある。
たくさんの物や事に触れるなら、いつか見つかると思う。

他にも、嫌々ながらも叩き込まれたなら、そこから夢がヒットする場合もある。
人の目を気にしてやらなかったこと、それを誰かに頼まれ嫌々ながらも手伝っていたらなんと、それが自分の中で大事な物になったり。

就職後もそうだ。
就きたい仕事が無くて、食べていくために就いた仕事だとしても、それが切っ掛けで夢が見つかった人もいる。すぐの人もいるが数年が経過してから見つかる場合もある。
何処にでもチャンスは転がっているのかもしれない。

しかし自分の好みで選んでいるばかりでは、大切なものを逃すこともある。
もちろん、人道的見地からみて外れた事や法律に触れることだったら断らなくてはならないが、そうでないなら引き受けてみるのも夢に歩き出した第一歩かもしれない。

私は……自分が携わった研究は……実は最初、あまり好きなテーマではなかった。
入学当初、その大学にある医学関係に繋がる研究室に入りたかった。しかし3年の頃に自主退学しようと思い立って大学に行かなくなった。
妹の進学問題で家のお金が足りなくなったことが一番の理由だった。それから、その頃、別に入りたい学校が見つかったからだった。
そんなこんなで3年後期、学校を休んで片付けをしていたら、ゼミの募集期間は過ぎた。

ある日、友人が訪ねてきた。大学に行かなくなった私を心配して来てくれたのだった。
私は『これなら分かってくれるだろう』と、理由を伝えた。

私は言った。「今さら戻っても、もう研究室に入れないよ。」
彼女はじっくり聞いていた、そして言った。「いい。任せて♪」

私は『ありがとう、でもなんともならないよ、気持ちだけ有り難く頂戴するよ、ありがとう』と思い、それからまた学校に顔を出さず部屋の片付けを続けていた。

数日後、彼女が電話をくれた。「○○研究室に行ってみて」と。
なんと彼女は色んな教授に掛け合って、私を受け入れてくれるゼミを探してくれたのだった。

私は感謝を十分に言葉に出来ず、勧められるままに戸惑いながら、そのゼミに向かった。
そこはなんと、大学一番の無機関係の研究室だった。私だけで伺ったなら絶対に受け入れてもらえないような研究室だった。私は絶句した。
しかし先生は言った。「いいですよ。来てください。」と。

ゼミの授業は難しかった。
英語の文献を夢に出るほどいくつも読んで、日本人の書いた英語文献とアメリカ人の書いた英語文献とイギリス人の書いた英語文献との違いが解るようになったことは、今の占星学文献の翻訳作業で役に立っている。

研究も何故かハードだった(笑)
夜9時になっても研究室の明かりがいつも点いている程だった。
泊まり掛けで実験をして、30時間一睡もしないでデータを取り続けた事が何回もあった。

大変な場所だった。しかしあのゼミでやったから、こんな私でも実社会という世界の研究職が視野に入るようになったのだと思う。
学会発表や他の大学との交流も全て血となり肉となった。
あのまま辞めていたら、絶対に体験しなかった。

そう、

嫌々ながらも叩き込まれるままに思い切って清水の舞台から飛び降り飛び込んだなら、
そこに新しい世界が広がっていく事もある、と。

大学だけではない。
世界中に沢山の宝があるのかもしれない。
そして、自分の部屋に埋もれている、いつもは気にも留めないような物が新しい世界の入り口なのかもしれない。


夢を見た 瀬戸物ドラゴン篇

2012-02-28 06:24:53 | 見た夢記録
夢を見た

※これは実際に寝ているときに見た夢のメモです。
もちろんフィクションです。念のため。


【空】曇り・白っぽい灰色
【場所】山の中腹にある学校
【BGM】Song for America(KANSAS)


学校を仲間と歩く
広い中庭

中庭の石で出来た階段を降りると
下は広々とした場所
人々が楽しそうに集っている

いくつも東屋(あずまや)がある
八角形の屋根

ひとつひとつの東屋には
高さ3mはあるような
巨大像がいくつも並んでいる

それはドラゴンの置物
羽根のついたドラゴン

まるでガーゴイルのような姿で
ドラゴンの瀬戸物が
1対ずつ東屋に設置されている

ドラゴンは色が塗ってある
東屋ひとつひとつで
色がそれぞれ違う

赤いドラゴン
黄色がメインで青と緑が補色されているドラゴン
などなど
東屋によって色がそれぞれ異なっている

集まってきている人々は
ドラゴンの前でお辞儀をしたり挨拶をしている

広場の縁はポプラだろうか
針葉樹林が生えている

広場の外は駅前
小規模な駅と商店街


私たちはドラゴンの側を通りすぎて
他の校舎に行った

とある教室では
巨大な魚くん(1.5mくらい)が頑張っていた
自分より大きな相手(3mくらい)を食べられるかを
実験されていた

この
イカのような魚くんは
とっても愛嬌があってヒョウキンで
みんなの癒し系アイドル

色がまるで茹でたイカなんだ
フワフワ浮きながら寝てる姿がイカに似ている
だからニックネームが「イカくん」

たぶん本人は
自分はミノカサゴなんだと言いたいんだろう

イカ君は
1度目をトライした

カレイだろうかヒラメだろうか分からないが
砂に埋まった相手を足のような触手で感知した

食いついた……が失敗

彼は諦めなかった
2回目のトライ

食いついた……が失敗

イカくんは目が悪い
それに少しボケている
それがまた可愛い

3回目のトライ

今度は相手の大きさを触手で測った
そして一気にいった

やった、大成功
相手を一気に食べてしまった

自分より大きい相手が
お腹に収まってしまった

私達みんなは喜んだ
すごいねと喜んだ

ミノカサゴのイカ君は
その後、お腹の横にあるハッチを開けて

お腹に納めた相手を
私達に振る舞ってくれた

ガルウィングのように
彼のお腹のハッチが開いた
ウィングはいくつもあった

私達は彼の振る舞いに喜んだ

怯えや恐怖との対決

2012-02-27 15:26:26 | 独り言
怯えや恐怖がなぜ悪いのか。
それは、人間らしい生き方ができなくなってしまうからだ。

なぜ衝撃により失われた記憶を探すのか。それは、健康的に忘れた記憶と違うからだ。

事件や事故など、失った記憶があるとそれは水面下で保存されている。
表面化してしまうと壊れるからだ。

かといって、忘れることもできない。
感情面でのレスポンスを表出させたりして意識上で感じなければ思い出のアルバムに移行しないからだ。
忘れるためには思い出さなくてはならない。

では、水面下で保存されている危険な記憶が呼び覚まされたらどうなるか。

なんの気構えもなくいきなり、テレビに似ている人が現れたり、思い出させるもの…トリガーが引かれたら、尋常ではないパニックを起こしてしまう。死の恐怖や耐えられない恐怖を伴って。
パニック発作を起こしたり叫んだり、私が体験したもので一番だったのは、勝手に走って逃げ出したり(しかもその時の記憶が無くなる事が多い)、激しい幻覚が激しい恐怖と共に一気に襲ってきてフリーズしたり、

これが頻発するようになると表に出られなくなったりするのだ。
叫んでいる姿を見られたくないし、異変に気付いた人に変な噂を流されるのも嫌だからだ。

以前、とある○○県立病院の受付で受付している時にパニックを起こしたことがあるが、受付の人も看護師も私を無視した。
患者さんたちはチラッと見ていたようだった。
病院でさえこれでは、症状がひどい時には表に行けない。本当に治りたくなる。

早くこの反応を引き起こす「水面下の記憶」を引きずり出せるものなら引きずり出して対決し、恐怖を思い出に変えないと危なくて仕方がない(少し皮肉)。
もし交通量の多い場所でトリガーが引かれ、万が一、車の前に走り出てしまったら困るからだ。


暴露療法に耐えうる自分作りも大切になるなと最近思うのだ。

私の個人的な意見だが、被虐待児だった人は暴露療法の前にやらなければならないことがあると思う。

虐待を受けてきた私は、自己否定をしてしまうクセがある。自動的なもので、親からの洗脳だろう。
これを変化させなければ暴露療法の時に壊れるだろう。

完璧でなくとも、自分の価値観を本当に大切にできて、自己肯定ができる自分にならなければ、怯えや恐怖が激しくなるだけだ。

『今度こそ、勝つ。』
そんな思いの柱が立派に心に立ったなら、今度こそ勝てる。
そう信じて、価値観を育てる。

誰に植え付けられたのでもない意見が出せる自分になり、その上で他人に愛想笑いするならいいが
誰かと異なる意見を持っていること自体が、私の間違っている証明になるんだ……というようなへんな洗脳がすぐに反応するようではまだまだ改良の余地がある。

「お前はバカだ!」と言われ「そうです……(私が悪いんだ)……」となるか、

「ふざけないでよ!あんたの方がバカじゃん!」とか「なんでそんなこと言うの?すごく傷ついたよ」と言えるか。
リアルにいきなり言われて、キチンと文句をいえたり気持ちを伝えられるかどうか。

ここまで育ったなら、暴露療法も良きハードルになるのではないかと思うのだ。