いじめた加害者が、覚えていないと言ったから認定されない、
これは、まともな人間からしたら馬鹿馬鹿しくて、
校長以下、このような判断をした教師を全員解雇した方がいいと感じる。
こんなことが、子供を育てる場所で起こったなら、
大人になっても知らぬ存ぜぬを決め込めば逃げられると教えたことになるのではないか。
例えば、酒を飲んで殺人をしても知らぬ存ぜぬを決め込めば立証されないことになる。
いじめ加害者が否認するのも、
加害者当人が、まさかこの子が死ぬとは思わなかったという思いや、このくらい平気だろうと甘く思っていた気持ち、
それで罪悪感を越えた、ひどい気持ちを抱えて、無意識の領域が本人の意思とは無関係に、心を凍結させた可能性があると思う。
無論、意図的に嘘を吐いていることだってあると思う。
また、
担任が声をかけたら「大丈夫です」と答えたから、だから、どうのこうの、
という件についても、
当たり前だ、加害者が近くにいるかもしれないから、
聞かれたら何をされるかわからないから、大丈夫と言う他はない。
しかも、
大丈夫としか答えることができない状況で、被害者に問う行為は、
慰めでもなんでもないのだ。
被害者に恐怖を与えただけだ。
最も大切なことは、
どんな教師もプロではない、と言うことだ。
子供や親に育ててもらって本物になるのは、普通だろう。
だから
担任が何でも相談できるプロ教師を各学校に配置することが最も大切なことだ。
プロ教師の講演を聴講するだけでなく、
個別に秘密が守られる場所で、担任が定期的にプロ教師に相談できるようにしなければならない。
いじめを放置することは、
被害者にならなくてもよかった子供が被害者になってしまうことであり、
生き残れても一生消えない激しい心の傷を受けて、本来掴めるはずの夢や希望を打ち砕かれることであり、
被害者家族や縁者に、一生消えない悲しみが生まれることであり、
加害者にならなくてもよかった子供が加害者になってしまうことであり、
人を傷つけたという、重すぎる罪悪感を抱えて生きていかなくてはならないことであり、
傍観していたクラスメイトも、助けてあげられなかったという無力感を抱えることであり、
人生のさまざまな問題に直面しても、解決の道を探る前に逃げるような選択しか取れない人生になってしまったり、
もし、だ、
この子供たちをケアしないで放置することとなったなら、
将来の日本は、戦争を吹っ掛けてくる敵国が現れるような事態に陥ったときにどうなるか。
逃げしか出来ない国民だけだったら、植民地化されてしまわないか?
問題とは、解決をするために起きる、と聞いたことがある。
逃げるとか不幸を嘆くために問題が起きるんじゃない、と。
戦争が起きる前に、
大きくなる前に、
問題の芽が生えた時に、
関係する人々がいちばん喜ぶやり方で解決の道を探る、
探り続ける、諦めない、
その努力を、
めんどくさいから、とか、見たくないから、とか、そんな理由でやらなかったら、
問題が放置されて戦争になってしまう。
ひとりで悩むことが偉いんじゃない。
最後まで、この手を掴んでくれる人を、諦めないで探すこと、
それが大事なんだと思う。
親とか養育者とか教師というものは、
ぜひ「問題解決の仕方」をさまざま学び続けていただきたい。
問題は、本当に千差万別で、ひとつひとつが前例がない。
だからこそ、越え方を学び続けていただきたい。
これは私にも言えることだが。
そして、
生まれてきた命が、
少しでも親とか養育者とか教師から、問題解決の仕方を学べたなら、
それが本人を救い、将来の日本を救い、将来の日本人を救うと私は思う。
助けを求めることは、逃げじゃない。
間違えたらダメだ。
迷惑をかけるから、とか言うなら、考えて欲しい。
このまま助けを求めないで、不幸になっていくあなたをみて、悲しむ人がいたらどうする?
今は回りにそういう人がいなくても、実は、自分からドアを叩いた先に、そういう人と出会うことがある。
私は、
助けを求め続けて15年目だったか、
思い詰めてドアを叩いた先の人が、
私の話を聞いてくれただけでなく、
涙をボロボロ流してくれた経験を一度だけした。
諦めるな。
カウンセラーさんでも何でもいいから、助けを求め続けて欲しい。
学ぶ前に諦め、助けを求めることもしないで
いじめ問題から目を背けている
教師、親、に、
特にそれを言いたい。
そして自分にも。
これは、まともな人間からしたら馬鹿馬鹿しくて、
校長以下、このような判断をした教師を全員解雇した方がいいと感じる。
こんなことが、子供を育てる場所で起こったなら、
大人になっても知らぬ存ぜぬを決め込めば逃げられると教えたことになるのではないか。
例えば、酒を飲んで殺人をしても知らぬ存ぜぬを決め込めば立証されないことになる。
いじめ加害者が否認するのも、
加害者当人が、まさかこの子が死ぬとは思わなかったという思いや、このくらい平気だろうと甘く思っていた気持ち、
それで罪悪感を越えた、ひどい気持ちを抱えて、無意識の領域が本人の意思とは無関係に、心を凍結させた可能性があると思う。
無論、意図的に嘘を吐いていることだってあると思う。
また、
担任が声をかけたら「大丈夫です」と答えたから、だから、どうのこうの、
という件についても、
当たり前だ、加害者が近くにいるかもしれないから、
聞かれたら何をされるかわからないから、大丈夫と言う他はない。
しかも、
大丈夫としか答えることができない状況で、被害者に問う行為は、
慰めでもなんでもないのだ。
被害者に恐怖を与えただけだ。
最も大切なことは、
どんな教師もプロではない、と言うことだ。
子供や親に育ててもらって本物になるのは、普通だろう。
だから
担任が何でも相談できるプロ教師を各学校に配置することが最も大切なことだ。
プロ教師の講演を聴講するだけでなく、
個別に秘密が守られる場所で、担任が定期的にプロ教師に相談できるようにしなければならない。
いじめを放置することは、
被害者にならなくてもよかった子供が被害者になってしまうことであり、
生き残れても一生消えない激しい心の傷を受けて、本来掴めるはずの夢や希望を打ち砕かれることであり、
被害者家族や縁者に、一生消えない悲しみが生まれることであり、
加害者にならなくてもよかった子供が加害者になってしまうことであり、
人を傷つけたという、重すぎる罪悪感を抱えて生きていかなくてはならないことであり、
傍観していたクラスメイトも、助けてあげられなかったという無力感を抱えることであり、
人生のさまざまな問題に直面しても、解決の道を探る前に逃げるような選択しか取れない人生になってしまったり、
もし、だ、
この子供たちをケアしないで放置することとなったなら、
将来の日本は、戦争を吹っ掛けてくる敵国が現れるような事態に陥ったときにどうなるか。
逃げしか出来ない国民だけだったら、植民地化されてしまわないか?
問題とは、解決をするために起きる、と聞いたことがある。
逃げるとか不幸を嘆くために問題が起きるんじゃない、と。
戦争が起きる前に、
大きくなる前に、
問題の芽が生えた時に、
関係する人々がいちばん喜ぶやり方で解決の道を探る、
探り続ける、諦めない、
その努力を、
めんどくさいから、とか、見たくないから、とか、そんな理由でやらなかったら、
問題が放置されて戦争になってしまう。
ひとりで悩むことが偉いんじゃない。
最後まで、この手を掴んでくれる人を、諦めないで探すこと、
それが大事なんだと思う。
親とか養育者とか教師というものは、
ぜひ「問題解決の仕方」をさまざま学び続けていただきたい。
問題は、本当に千差万別で、ひとつひとつが前例がない。
だからこそ、越え方を学び続けていただきたい。
これは私にも言えることだが。
そして、
生まれてきた命が、
少しでも親とか養育者とか教師から、問題解決の仕方を学べたなら、
それが本人を救い、将来の日本を救い、将来の日本人を救うと私は思う。
助けを求めることは、逃げじゃない。
間違えたらダメだ。
迷惑をかけるから、とか言うなら、考えて欲しい。
このまま助けを求めないで、不幸になっていくあなたをみて、悲しむ人がいたらどうする?
今は回りにそういう人がいなくても、実は、自分からドアを叩いた先に、そういう人と出会うことがある。
私は、
助けを求め続けて15年目だったか、
思い詰めてドアを叩いた先の人が、
私の話を聞いてくれただけでなく、
涙をボロボロ流してくれた経験を一度だけした。
諦めるな。
カウンセラーさんでも何でもいいから、助けを求め続けて欲しい。
学ぶ前に諦め、助けを求めることもしないで
いじめ問題から目を背けている
教師、親、に、
特にそれを言いたい。
そして自分にも。