Pieces~私の独り言(HN緑茶猫)

※メンヘラブログにて閲覧注意

ときどき
いろんな気持ちを
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操られない

2012-12-27 09:47:16 | 独り言
選挙があり、孤児院の慰問があり、バタバタしていたら既に2週間が経とうとしている。

今回の選挙で気が付いたことがあった。それは、マスコミが好き勝手にやっているんだな、ということだった。

NHKのニュースのように、アナウンサーとしての本分をわきまえ、私情を挟まずに報道しているニュース番組ならいい。
私情を挟まないという点で言うなら、池上彰さんや、地方の局の報道もいい。

しかし、ニュース解説番組の中で、『とにかく批判すれば視聴率が稼げる』とばかりに批判しまくっているものが増えた気がするのだ。
一般人を操っているんじゃないか?と疑惑を抱く。これに気が付いたひとつは、安倍晋三さんの潰瘍性大腸炎批判だった。

潰瘍性大腸炎を理由に総理辞任となると海外がどう出るかわからない、だから当時は伏せていた、と言っていたそうだ。
このニュースを報道している番組司会者が、潰瘍性大腸炎を批判して笑っていたのを見てしまった。

その姿はまるで、うちの隣のアレのようで、おぞましいと感じた。
噂という餌に群がるハイエナ、卑しいハイエナ、それが美味しい餌を投げ込まれたかのように、悪魔の顔をして『潰瘍性大腸炎ですか、そんな(笑)』と。

この報道は、すぐに沈静化したからまだ良かった。同じ潰瘍性大腸炎の患者さんたちが怒って、テレビ局に抗議したと聞いた。
当たり前だ、難病なのだ。地獄の日々を送っているだろう、

もしかしたらその患者さんは、報道の冒頭で『ああ、なんて安倍晋三さんはスゴいんだ、私も頑張ろう』と思ったかもしれない。
治らない、やりたいこともやれない、諦めた夢だって沢山あるだろう、そんな人がまた政界に復帰してたいと立ち上がった、すごい、私も頑張ろう。
そんな希望を抱いたかもしれない。

そんな勇気を抱いた矢先に、病気を批判されて笑われた、これは激怒するだろう。日頃から耐えているのに、テレビで笑われたり差別発言をされたら怒り心頭だ。

いつぞやアダルトチルドレンを知らないアホ司会者が、アダルトチルドレンを批判した時の怒りを思い出せば、容易に怒りが理解できる。
しかも、そいつらはノウノウと、テレビに映り続けて給料を稼いでいるのだ、患者団体に寄付さえしないだろう。


いやはや、話がいつものように脱線した。

そう、
最近、司会者やアナウンサーの質が落ちている気がするのだ。
番組を作る人たちも、視聴率に振り回されスポンサーに振り回されているのかもしれない。

批判ばかりのニュース番組なら、誰も見ない。
ニュースの報道とは『真実を誠実に伝える』ものだ。私情を挟まない、挟むならニュース番組じゃない。

そして社会的な影響を考えていない、

もし。
批判ばかりの番組を見続けた子供たちが、大人もそうだが、無意識のうちに影響を受けて『いじめの加害者』になったらどうするのだ?

そう、
批判ばかりの連中というのは、偉い訳じゃない。ただの『100を知ってる人』なだけかもしれない。
100を知った人は、100以内の範囲でしか判断できないが、1000や10000を知る人はもっと大きな範囲で物事を判断できる。
そしてこの、本当にすごい人は、自然に謙虚になっている人だ。他の人がすごいということを知っている。

理屈ばかりこねて批判ばかりしていると、昔は頭がいいインテリに思われたらしい。だからついついやってしまう奴がいるようだ。

頭がいいインテリに見られたいという欲望が歪んで、ただの揚げ足取りになってる人間を見て、
嫌気が差しているのが今の日本人の大半なんだ、と知らない、井の中の蛙が批判ばかりしている。

国民が前政権に振り回されて、さらに“賢さアップ”しているのだ。
無知で不勉強で批判ばかりのアナウンサーや番組を見なくなるのは当然だろう。
池上彰さんのような人の番組が受け入れられるのは、たゆまぬ勉強を重ねているのが伝わってくるし誠実で偏りがないからだ。

時々思う、
政治家批判をしているマスコミが、短命政権の一端を担っていないか?と。ニュース報道の際に悪魔のような顔をして批判した内容や噂で振り回される国民を見て、マスコミは笑ってないか?
本当に誠実なら、勉強しないままに病気を批判したアナウンサーを首にしたり左遷するだろう。普通の会社ならどうだろう?

悪いが、もう、一般人はバカじゃない。
原発反対のデモ行進だってやる。テレビ局に電話したりメールしたりして抗議する。
見る番組だって選ぶ、見たくないならネットして好きなサイトを見たり外国メディアを見たりする、


誠実に伝えて下さっているアナウンサーやルポライターさん製作してくださる皆さん、頑張ってください。
負けないでください。

適応について

2012-12-15 12:02:35 | AC関連
関西では熨斗紙(のしがみ)に黄色の水引を使うが、関東では赤を使う。
関西で納豆と言えば甘納豆だが、関東ではご飯のお供に食べる水戸納豆。

女性でも自己主張しなければ変だという土地に育った人と、女性は他の人の言うことに素直に従わなければならないという土地に育った人とがいる。

自己主張するのでも、文句をポンポン言い合うのが当たり前の土地と、相手に穏やかに伝え合って話をするのが当たり前の土地がある。

また、お客様を大切に思う場合、笑顔で明るく接するのが当たり前の土地と、笑顔を出すのも明るく振る舞うのも失礼にあたる!という土地もある。

生まれ育った場所を出たことがない人だと、これらの地域の特性を肌で分かるのは難しい。


私の祖母の出身地は、私が生まれた所と違う。
母は満州生まれだが、私と同じ所で学生生活を送った。

私にとって祖母は保護してくれる立場の人だが、しかし何とも理解しがたい性格の人でもある。
何を考えているか、何も話さない。素直に見えるのだが実は頑固で仕方がないし、プライドが相当高いようだ。

私は今、祖母の出身地近くに住んでいる。何年かここに住んでやっと分かった事がある。
祖母は、嫁ぎ先の土地の慣習を理解しないまま、平気で、他県のやり方を子供に教えたのだと。
だから母も、祖母の出身地のやり方をすることになって、対人関係に混乱をきたしたということだろう。

またその母が育てた娘も、いま暮らしている場所ではなく、祖母が無意識に伝えた他県のやり方を吸収する他なかったのだろうから、
暮らしている場所での対人関係に混乱を来たし、引きこもりになったり自信を失っていったりしたのだろう。

信頼感を他人と形成する術さえやり方が違うから、どんどん自信喪失するのも分かるような気がするのだ。


先日、私は祖母に言った。
「おばあちゃん、何時までも出身地のやり方をしないでよ。ここに骨を埋める気なら、この土地の人たちの性格や真心をちゃんと理解してよ。」
祖母は、驚いていた。

私が祖母の出身地近くに嫁いでから散々苦労して、何がどう違うのかを身をもって体得したこと、祖母のやり方が通用していることが分かって驚いたこと、

しかし私は、祖母の出身地のやり方だけでなく、自分が育った場所のやり方と人々の気質を受け継いでいるから散々苦労して、
苦労して、色んな事が分かったとしても、自分の子供を胸に抱くことがないまま悲しみの涙に飲まれそうになりながら、取り返しがつかない年齢になってしまったこと、
もう、どうあがいても、取り返せないという現実、


祖母に言った。
「あなたのやり方は、あなたの出身地のやり方と気質。こことは違うの。それを踏まえないで、違いを無視して子育てをしたから、ここの土地に適応できない子供が育つの。
子供は自分が見たり聞いたりしたことと、お母さんの姿を見て無意識に混乱して、自信を失ってしまうの。
ね、おばあちゃんが自覚して、今からでも違いに気が付いて行くことが、みんなの幸せに繋がる、私はそう思うんだ。」

自分を殺して合わせるのが正しい訳じゃない。
違いがあるのは当たり前。

何処がどんな風に違うのか、それをまず把握していきながら、
自分のやり方を大切にした上で引っ込めて、新しい場所のやり方を表現していけばいい。

いつしか、自分のやり方が必要とされるタイミングがある。
その時までに、できることなら、新しい場所のやり方を調べて調査し尽くしておくと、自分もみんなも嬉しくなれる可能性が高い。

違いを研究しないままに、新しい場所で居続けるのは、周りが会わせてくれている可能性が高い。
だから感謝しつつ、日々精進して研究することが大切だ。

もし、子供がいるなら、子供の目で見たことや耳で聞いたことを尋ねてみるといい。
近くに住む、他県出身のお母さん方は、このやり方をしているんだと聞いた。

家族の会話とは、大人が一方的に話を聞かせることではない。子供や家族に「今日は、どんなことがあった?」と質問しながら会話方法を教えつつ、話を聞かせてもらうのだ。

うちは、大人が一方的に話を聞かせていたし、大人だけで日頃の会話をしていたから、だからそれもあって、この土地に適応できない大人だったのだろう。
人の思いなど気にすることがない大人4人。ご近所トラブルも放置。私が散々苦労して、トラブル処理を学んで教えてやったのだから。


生まれ育った場所がいいとか、新しい場所が悪いとか、私は思ったことはない。
どの都道府県でも暖かい人たちが沢山いる。それが私を旅にいざなう。

ただし住むなら、
その土地の風土や気質、人々が大切に思う価値観、それらを自分の生まれ育った場所で得たものと照らし合わせ、
自分の大切なものを大切にしながら、その土地の人たちの大切にしているものを自分も大切にできるようになることが、とても大切だと。

夢を見た 壁篇

2012-12-15 08:56:35 | 見た夢記録
夢を見た

※これは実際に寝ているときに見た夢のメモです。
もちろんフィクションです。念のため。



場所・暗い所


私は何処かのビルだろうか
建物の中を歩いていた
暗い

歩いていたら ぬいぐるみが落ちていた
私は立ち止まりそれを拾った
キツネの ぬいぐるみだった

ふと顔を上げると
動物園のような檻があった
中には20匹くらいのキツネがいた
暗い中で檻にスポットライトが当たっている

よく見たらキツネの檻は3っつあった
他にも檻があった
熊や猿などの動物が飼育されているようだった

『わっ、キツネがいっぱいだ……』
私は立ち去った
キツネは怒ったようだった

動物園を後にして歩いていたら
急に明るい場所になった
ビルの中は白い壁と床だったと分かった

ある一室に入った
そこには私の男友達が10人以上いた
楽しそうにしている

私が入っていったら
「おうっ♪○○。よく来たなぁ」と言った

私は机の上に乗った
そして天井についている2つの取っ手を持った

「○○、なにすんの?」
男友達は不思議そうに聞いた

私は表情も変えず
「うん、ちょっとやってみたいんだ」

そして私は取っ手をつかんで揺すり始めた
そうしたら部屋に地震が起きた

「おいっ○○、止めろよ!」
男友達たちは右往左往した

私はそのまま揺らし続けた
地震は部屋を襲った
床は抜けた

次の瞬間、部屋の壁が崩れた
壁と数人の男友達は
廊下に崩れた

「あたた………(笑)」

私は取っ手を揺らすのを止めて
男友達たちを振り返って見た
床は元に戻っていた

『やっと壁を崩せた』と達成感を感じている

夢を見た 自転車の高校生篇

2012-12-14 12:00:35 | 見た夢記録
夢を見た

※これは実際に寝ているときに見た夢のメモです。
もちろんフィクションです。念のため。


天気・晴れ
場所・日本の街

私は2800cc位の
黒いピカピカのセダンを運転していた
中はベージュ色の本革仕様

片側3車線
私は大きな立体交差の上の道路にいた
交通量は多いが渋滞せず流れている

ちょうど立体交差の上に交差点があって
私は右折した

曲がった先の道路は
アメリカのように
右側の車線を走るようになっていた
私は一番左側の車線に行った

順調に走っていると
なぜか自転車の高校生が二人
私の車線を向こうから走ってきた

車が走っているのを
まるで見ていない
『あっ!』と私は驚いた

次の場面、
私はなぜか車の外で
大きな茶碗をもっていた
炊きたての白いご飯が入っていた

自転車の高校生は
私のお茶碗の上を走った
白いご飯の上には
自転車のタイヤの跡がついた

うっ、美味しいご飯になんてことを……

次の瞬間、
場面は元に戻っていた
私は運転席から左を見た
左の、対向車線を見た

中央分離の金網の向こうに
さっきの高校生が二人とも
自転車もろとも転んで
道路におしりをつけて転んでいた
『あたたた……』と言っているようだ

対向には
まだ車は来ていない
来ていないが信号が変わればヤバい

高校生に
早く行ってほしいと
私は思った

夢を見た 公園篇

2012-12-14 07:23:19 | 見た夢記録
夢を見た

※これは実際に寝ているときに見た夢のメモです。
もちろんフィクションです。念のため。



私は街中にある大きな公園を歩いていた

明るい昼間
太陽の光が眩しくて嬉しい

エンジ色の階段を昇って行くとき
壁に字が書いてあった

『まほろば』


公園を歩いて行くと
噴水があった
綺麗な噴水があった

噴水の広場の横に立っている、
噴水を操作する機器の入っているコンクリート製の建物

そこの所に麻で出来た布がかかっていた

そこにも字が書いてあった
『まほろば』


よくよく見てみれば
向こうの民家の方にも
あっちの、公園の木々の方にも
字が書いてあった

『まほろば』


公園は明るい
光が眩しい