Pieces~私の独り言(HN緑茶猫)

※メンヘラブログにて閲覧注意

ときどき
いろんな気持ちを
勝手に書いてます

夢を見た

2009-08-31 05:08:07 | 見た夢記録
夢を見た

イメージ:明るい感じ
たくさんの群衆

お葬式に何千人もの人が集まった
誰のお葬式かわからない
私の父がホスト役

集まった人のなかに
元夫のお父さんがいた
相変わらず人情深い人だった
明るく朗らかで、周りの人にお酒を勧めている

お葬式が終わってみんなが帰るとき、私は元お父さんに近づいた
声をかけた

私を見たら元お父さんは私を避けた
当たり前だと思ったが寂しかった



私の師匠

2009-08-31 05:02:37 | 独り言
私の師匠は、殆どが古(いにしえ)の偉人だった。
本を書いた著者だったり、偉人伝シリーズに出てくるさまざまな偉業を成し遂げた人々だったり。


小さい頃は本をたくさん読んだ。
家にある子供向けの本、幼稚園の付属文庫にある本の3/4、小学校にある図書室の本の1/2、

それでも読み足りなくて小学4年の頃から母が読んでいた子育てシリーズ本や大人用の家庭の医学も読んでいた。手術の写真なども載っていて、とても興味がわいた。


たくさんの本をジャンルを問わず読んだことで、自分の中に著者の考えや偉人の事が染み込んだのだと思う。

そんな偉人(まだご存命の方もたくさんいるが)が私の師匠になってくれたような気がする。



テレビは親が制限していたから小さい頃はあまり見れなかった。
マンガも2つのマンガ以外は買ってもらったことがない…マンガにハマったのは大学に入ってからだった。万年貧乏な私に先輩が読み終わった週刊マンガをくれた。

こうして、文字を読んで書かれている情景をイメージする癖が付いた。



小学校6年からは小さいラジオを与えてもらって聴いた。
歌の番組を聞いたらたくさんの人が思いを唄い、叫んでいた。

また、落語に出会ったのはその頃だった。人情と言うものがあるんだと、落語を通じて学んだ。

でも、感覚として人情というものがさっぱり分からなかった。
人情味に溢れる人にあまり出会ったことが無かったからだった。

百聞は一見にしかず。
色んな本を読んでみたその後は、体験できるものは体験した方がいい、と思うようになった。


どうしていいのかわからない

2009-08-31 04:37:33 | 独り言
どうしていいのかわからない!と思ったとき。

そんな時、苦しみと悲しみの中に墜ちて不安になってどうしようもなくなることもある。


この前、別の奴と(文字で)会話していたら教えてくれた。

『どうしていいのかわからない!と思ったときは、「どうしていいのかわからないよお」って叫べばいいんだよ。そのままありのまま叫べばいいんだよ。本音っていうのは素朴なんだよ。』

そうなんだ、と思った。
私には確かにそれが欠けている。
そのまま叫ぶ人は素直だな、と思ったことはある。

親の教えてきた「素直」というのは「親の都合にあわせて生きる人間」という意味だったのだろう。

しかし本物の「素直」は、どうしていいのかわからない!と思った時に、どうしていいのかわからない!とそのまま叫ぶ事なんじゃないかと思えた。

ただ…真剣に困っている。これまでそんなことをしたことがない。

したことがないから、自分のなかに生まれた感覚を言葉に変換する自体ができない。

どうやって訓練するのだろうか?

自信はないが信念がある

2009-08-31 04:23:39 | 独り言
昔、心がすさんだ時に読んだ本に
「心がつらくて悲鳴を上げたら、昔あなたが愛されて笑顔に包まれていた時のことを思い出してみましょう」と書いてあった。

………、
思い出せなかった。
よけいにすさんだ。

もちろん、そんな瞬間も有ったのかもしれない、全否定はしない。
しかし私の場合 思い出せるのは、苦しかった事や激しい恐怖の方が威力が強すぎるようで、素敵だった時など吹き飛んでいる感覚がある。


そう、もし無くても
今から生み出せばいい。

誰かがそう言った。


まだ生きているのか、と、自分が生きていることを悔やむ時代が長かったが

今は(自信はまだあまりないが)信念があるから立ち向かって生きている。

生み出せばいい、
欲しいなら与えてもらうだけでなく自分で生み出してもいいんだと。

自信でさえも、自分で生み出していいんだと。



最初は誰でも初心者で
誰かのサポートが有って初めて越えられる。

サポートは技術の面だけでなく、メンタルサポートも大切だと思う。

私はメンタルサポートしてもらえた経験があまりにもない。だから越えた事が少なすぎて、自信が持てないのだと知った。


越えられていないから自信が付かない。
ならば越えればいい。

さあいざ越えようと思ってもメンタルサポートされた経験が少なすぎる、厳しくされた記憶しかない、

厳しくされたばかりでは「自分はダメな人間だ、価値のない人間だ」という気持ちしか育たない、

そんな人生をどうしたらいいか分からなくて。



そうこうしていて
やっと気付いたこと、
「苦しみを抱えた人の気持ちを想像することなら負けないんじゃないのか?」

同じ苦しみを味わっていなくても類推することは可能だろう、
※類推と違う部分もあるだろうから、相手の方に聴いて確認することが相手の方を尊重することにつながるだろう。


そこに気が付いた時に、
やっと前を向けた。

自分も培ってきたことがあるんだと。


そう思ったら信念が生まれていた。
絶対に私のように苦しんでほしくない、と思った。

自信はないが信念があるとは、私の場合こんな感じだ。

私の怯え

2009-08-31 03:56:34 | 独り言
私の怯えはいくつかあるが
ひとつ自覚できたのでメモしたい。
私は他の人が何を考えているかわからない。
だから雑談が苦手である。

悩みを抱えた人や苦しい気持ちを抱えた人の気持ちは痛いほど伝わってくるし、必要とあらば自分の体験を伝えたりする。
つまり、こういった方々のお相手はあまり無理をしていない(時と場合にもよる時もある)。

しかし
自分の知らない世界…親から普通に接してもらえて育った人の気持ちが想像できない、

想像できないから、会話していて噛み合わなくなる…らしい。

受け答えが、普通に育った人が想像するものと異なるらしい。


通常、真剣に極めようと精進している占い師やカウンセラーさん、相談に乗る業務に携わる人などは、普通に育った人の気持ちが想像できるらしい。
※もしかしたら私のように苦しんでいる人もいるかもしれないが。

想像できるから、何かの行事に参加する場合、お悩みの相談を受けるモードから普通に会話するモードに切り替えが出来るらしい。

もちろん私も普通に会話するモードに切り替えて会話しているつもりだが、相手から思わぬお言葉を頂戴することがある。

思わぬお言葉を頂戴できないで、ただ避けられてしまう場合もある。

だから怯えるのだ。

どこをどう直せば善いか誰も教えてくれない、そのため原因が解決されず苦しむ。苦しみから脱皮できない時に人は怯えてしまう。

正体見たり枯れススキ、のように、おばけかと思って怯えたら実は枯れススキだった…のように
人は正体がわからないものに対し怯えを感じるのだろう。

怯えがある時、攻撃する人もいるし(戦時下において未知のものに怯えて発砲してしまうとか)、不安になりすぎて怯えて苦しむ人もいる。

会話において私は後者の方だろう。自己攻撃もときに激しいからだと思う。

自己攻撃するのは、なんでもまず「自分がいけないんだ」と自動思考が働くからだと推測している。

これは子供の頃からの自動思考だから年季が入っていて(笑)なかなか変えられないし、そもそも自信もないから「自分は悪くない、相手が悪いんだ」と思う気持ちをまず抹殺してしまいやすい。

一見素直な子供に見えたらしい、でも、自己主張の固まりである時期の子供の頃に極度な精神的ダメージを受けたためか、素直な子供を演じなければ命が無かったから、「自分が悪いんだ」と自分に納得させていなければ、とても素直な子供なんか演じられるものではない。

もちろん無意識に防御するために身に備わった生命力の為せる業だろう、無自覚でやってきたから、まさか自分がこんな思考になっているとは最近まで知らなかった。


話が脱線した、

つまり、
怯えは、

正体がわからないから怯えるのだろうし、
対策が練れないから怯えと不安から抜け出せないのだろうし、

ひとつひとつ細かく問題をわけて細分化し検証していかなければ越えられないだろう。


逆に言えば、

立ち向かう勇気を持つなら、怯えが越えられるのかもしれない、
希望が生まれる、

希望が生まれたならば生きていける。