仕事が一段落して、やっと、母の所に行ってきました。
朝の、西武線の事故で、ひとつ手前の駅で時間調整のため、待たされ、お昼ギリギリになってしまいました。が、なんとか間に合い、上の階にある食堂で、ランチをすることができました。
食事の後、「はい、おみやげ」といって、11月3日付の、軽井沢彫りの記事のコピーを渡すと、
写真で”お盆”に再会した母は、
「とにかく、なつかしいよ」
その後で、本文を読み上げると、
目をしばたたかせながら、ゆっくりと、たぐりだすような言葉で続けました。
―ー私はひとりだと思っていたけれど、この記事を見たら、
「私は一人じゃない」って思った。
娘の知り合いも読んでくれていて、書いてくれて、
とても元気づけられたよ。
なつかしくって、うれしかった。
名前も知らない皆さんだけど、何よりうれしかったよ―ーと。
ブログというふとしたご縁につながれ、それこそ見ず知らずの母にまで、あたたかい思いを寄せてくださったみなさま、ありがとうございます。
何かと沈みがちな92歳の心に、ほっかりと明かりがひとつ点りました。
―ー毎日ね、病院の中(同フロア)を、車を押して午前に一回と午後に一回、ひとまわりするのを日課にしているの。それから、立って20、座って15数えて、それを20回繰り返しているの。少しでも自分の力で動いていられるようにね。負けるものかと、毎日たたかっている。
喜びも、哀しみも、つらさも、ミックスされた複雑な感情が、お互いの間を流れる。
それでも、一日一日、その時々をせいいっぱい生きていかなければね。
大伴旅人の歌ではないが、せめて、”生きてある間は楽しく~”―ー私もそうするから。
遠くからおおきな声援を送りますね。 いろいろな思いに涙しました。ごめんなさい…
次にお母様にお会いになる時にはどうか電車は平常運転でありますように。ご一緒の時間にいっぱいお話ができますように。
何かひとつぐらい母の願いを叶えてあげたいと。・・自分にできる精一杯のことをするしかないのです。
たこさんのお義母様のお元気をお祈りします。
頭が下がります。
ルピナスさんも何かとお忙しいでしょうが、小さなことでもお母様がお喜びになる事をやって上げて下さいね。
私の母も約束通り100才まで生きてくれました。
最後の方は認知症だったり、意識が無くなっても、
出来るだけ帰省して母に会いに行ってました。
ちょっと行くには遠すぎました・・・
今は不思議とそれがエネルギーになって、今も母に生かされている気がしています。
どうぞおだいじに❣️
とっても嬉しく励まされました。
一つmariaさんにお詫びしなければならないことがあります。
母は、99歳で亡くなりました。きちんと書かず、紛らわしくてごめんなさい。
お母様は「約束どおり」100歳まで!すごいことです。たくさんのことをmariaさんにお残しになったことでしょうね。
いつも、ありがとうございます。