シリーズでアップしている三池炭鉱。
保存されている施設の三番目は万田坑です。
このシリーズでアップしている施設は、
一昨年の夏および初冬に三池を訪れた際に見学した物件ですが、
唯一この万田坑だけは10年以上前から時々訪れていました。
ですので、記事内の現在の姿の画像は、
この10年のものを織り交ぜてアップしていきます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/a0/06b6f1c2544dfcbb8fc3306d7804f1ad.jpg?random=6bc43079817fc9fb81764948e3d9bae4)
数多ある三池炭鉱の施設の中で、
もっとも炭鉱の操業時の姿を今に伝えているのが、
この万田坑です。
前回、前々回とアップして来た宮浦坑、宮原坑と同様、
その多くの施設が国の重要文化財に指定されています。
三池炭鉱が県を越えて大牟田市と荒尾市にまたがっている話は、
このシリーズの沿革の前編でお伝えしましたが、
基本的に殆どの施設は大牟田市にあり、
唯一この万田坑だけが荒尾市に属します。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c5/54e7186d67918033df5aa6b707cf04b1.jpg?random=df911f4c80a465617f64e1b393285ea5)
万田坑は、
明治35年(1902)から昭和26年(1951)まで稼働した炭鉱で、
明治期に造られた炭鉱施設の中では、
国内最大規模のものでした。
当時日本一の大会社だった三井が、
模範となる様な坑口施設をつくらんと、
総力を結集して完成させた、
いわば三池炭鉱のシンボルのような坑口施設です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/b0/2fcfefb46b55930cc0afd6582bd21255.jpg?random=e41be215b0a39a57cd0d38a9a429325a)
画像は万田第一竪坑の創業時の姿。
万田の第一竪坑は、
明治30年(1897)に開発が始まり、明治35年(1902)に稼働しています。
実に5年の歳月を費やした掘削と整備は、
この坑道がいかにしっかりと造られたものかを物語っています。
櫓の高さは31mとその規模も大きく、
どっしりとした外観は、そのまま三井炭坑の、
安定的発展を象徴しているかの様です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/28/e1b9839b927def77ba7e1239cb6e1387.jpg?random=1a47e00c377f7b0f31fe0d2fb68d635b)
明治38年(1905)年頃の第一竪坑の巻上機。
この時代の動力が蒸気機関だったことを考えると、
手前に写る木製の筒はシリンダーでしょうか。
スチームパンク時代の重厚な音が今にも聴こえて来そうです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/73/1124f17ebf32b04541da735f5da0a077.jpg?random=2ca472737610939d15e7386fd5d33a87)
写真は明治40年(1907)頃の入坑の様子。
右側の人が手に持つ大きなざるは、
掘り出した石炭を運ぶためのもの。
沿革の前編でも触れたように、初期の炭鉱では、
先山と後山の二人でコンビを組み、
先山が採掘、後山が運搬を担当しました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/6b/77e93dec0dbcbab1391d0665c68a1bee.jpg?random=01c0978a39f640d13d097fed779f6326)
第一竪坑とほぼ同時期の明治31年(1898)に開発が始まりながら、
第一竪坑よりも更に長い10年の歳月をかけて完成したのが、
深さは264mの第二竪坑です。
手前左に写るのが第一竪坑、奥が第二竪坑。
第一と第二の竪坑が完成したことで、
第一を揚炭・入気・排水に、
第二を人員の入坑・資材の昇降・排気・排水に、
それぞれ使い分けられました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/f3/f5c3a5d5bcff39c0441d362efc017933.jpg?random=372367fdddc9ccea8579a812ea686501)
第一竪坑用のデビーポンプ。(大正14年(1925))
勝立坑や宮原坑で導入された世界最大の揚水様デビーポンプは、
万田の第一竪坑でも使われました。
それにしても凄いルックスですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/ca/607db5acb2fe547e004fa2d24625fac7.jpg?random=3c83af309aa0f209a39cb96476a72b29)
第一竪坑の櫓は昭和26年(1951)の閉坑後、
昭和29年(1954)に解体され、
その後北海道の三井芦別炭鉱の櫓として活躍し、
平成8年(1996)に解体されたそうです。
現在万田では、この記事の上から3番目の写真にも写る、
櫓が乗っていた巨大な基礎が残るばかりです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/3b/98237875728bd7274eb5fafe095c2bc4.jpg?random=d2d8a46a7e156cbfca2696511c765be4)
しかし櫓はないものの、
271mの竪坑は現在でも残っています。
行政指導のもと、三井鉱山による水位等の計測のために、
現在でも竪坑が塞がれていません。
通常、炭鉱の竪坑は閉山と同時に閉塞されるので、
第一竪坑のようにそのまま残存しているのは、
極めて珍しい例となります。
奥に見える水流は、上がって来た湧き水。
その水量はかなり多い様で、
数十メートル上の竪坑口からも、
水流による爆音が聴こえます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/48/ad9fb1cccdab077e8a215e6837827ada.jpg?random=b51be28222b3bbcfa044961166eae840)
第一竪坑は、竪坑以外解体されてしまいましたが、
第二竪坑はその周辺施設とともに現存しています。
櫓は高さ18.9mなので、宮原坑の竪坑櫓より実際は低いのですが、
横幅があるために、宮原の櫓より大きく感じられます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/7e/0e6e97f7c239f9bd1a74ddd9a2e223ac.jpg?random=93048cc28a3aacf3d834a07370c05792)
この2枚の画像は10年前の万田第二竪坑櫓。
この記事の一番上の現在の姿と比べると、
相当錆び付いていいたのがわかります。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/bf/d66b27764b48c7964194b39c83411a9a.jpg?random=c1cd014b7d6013069e2d8e4945581a7d)
櫓の真下にある第二竪坑の坑口跡。
竪坑こそ塞がれているものの、
それ以外の施設がほぼ完全な形で残る第二竪坑の坑口は、
竪坑がどのような施設だったかをリアルに知ることができる、
とても貴重な産業遺産。
左手前下に写る軌道は、
人員や資材を乗せたケージの、
地上での移動用線路。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5e/dcc672e20d89575bebce9a13c70e5c29.jpg?random=6d6541bab6b0ed27ca961916baa07284)
軌道は、囲まれた薄暗いトンネルを抜け、
やがて坑外施設へと続いています。
次回は竪坑関連以外の施設を取り上げます。
◆
【万田坑】
荒尾市原万田200番地2
0968-57-9155(万田坑ステーション)
見学時間:午前9時30分~午後5時
休館日:毎週月曜および年末年始
見学料金:大人400円、高校生300円、小・中学生200円
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/37/394c0699e369c6a51af9fe2ac50f16cd.jpg?random=4e7197ef354925ef20630f870ed424d5)
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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保存されている施設の三番目は万田坑です。
このシリーズでアップしている施設は、
一昨年の夏および初冬に三池を訪れた際に見学した物件ですが、
唯一この万田坑だけは10年以上前から時々訪れていました。
ですので、記事内の現在の姿の画像は、
この10年のものを織り交ぜてアップしていきます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/a0/06b6f1c2544dfcbb8fc3306d7804f1ad.jpg?random=6bc43079817fc9fb81764948e3d9bae4)
数多ある三池炭鉱の施設の中で、
もっとも炭鉱の操業時の姿を今に伝えているのが、
この万田坑です。
前回、前々回とアップして来た宮浦坑、宮原坑と同様、
その多くの施設が国の重要文化財に指定されています。
三池炭鉱が県を越えて大牟田市と荒尾市にまたがっている話は、
このシリーズの沿革の前編でお伝えしましたが、
基本的に殆どの施設は大牟田市にあり、
唯一この万田坑だけが荒尾市に属します。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c5/54e7186d67918033df5aa6b707cf04b1.jpg?random=df911f4c80a465617f64e1b393285ea5)
万田坑は、
明治35年(1902)から昭和26年(1951)まで稼働した炭鉱で、
明治期に造られた炭鉱施設の中では、
国内最大規模のものでした。
当時日本一の大会社だった三井が、
模範となる様な坑口施設をつくらんと、
総力を結集して完成させた、
いわば三池炭鉱のシンボルのような坑口施設です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/b0/2fcfefb46b55930cc0afd6582bd21255.jpg?random=e41be215b0a39a57cd0d38a9a429325a)
画像は万田第一竪坑の創業時の姿。
万田の第一竪坑は、
明治30年(1897)に開発が始まり、明治35年(1902)に稼働しています。
実に5年の歳月を費やした掘削と整備は、
この坑道がいかにしっかりと造られたものかを物語っています。
櫓の高さは31mとその規模も大きく、
どっしりとした外観は、そのまま三井炭坑の、
安定的発展を象徴しているかの様です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/28/e1b9839b927def77ba7e1239cb6e1387.jpg?random=1a47e00c377f7b0f31fe0d2fb68d635b)
明治38年(1905)年頃の第一竪坑の巻上機。
この時代の動力が蒸気機関だったことを考えると、
手前に写る木製の筒はシリンダーでしょうか。
スチームパンク時代の重厚な音が今にも聴こえて来そうです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/73/1124f17ebf32b04541da735f5da0a077.jpg?random=2ca472737610939d15e7386fd5d33a87)
写真は明治40年(1907)頃の入坑の様子。
右側の人が手に持つ大きなざるは、
掘り出した石炭を運ぶためのもの。
沿革の前編でも触れたように、初期の炭鉱では、
先山と後山の二人でコンビを組み、
先山が採掘、後山が運搬を担当しました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/6b/77e93dec0dbcbab1391d0665c68a1bee.jpg?random=01c0978a39f640d13d097fed779f6326)
第一竪坑とほぼ同時期の明治31年(1898)に開発が始まりながら、
第一竪坑よりも更に長い10年の歳月をかけて完成したのが、
深さは264mの第二竪坑です。
手前左に写るのが第一竪坑、奥が第二竪坑。
第一と第二の竪坑が完成したことで、
第一を揚炭・入気・排水に、
第二を人員の入坑・資材の昇降・排気・排水に、
それぞれ使い分けられました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/f3/f5c3a5d5bcff39c0441d362efc017933.jpg?random=372367fdddc9ccea8579a812ea686501)
第一竪坑用のデビーポンプ。(大正14年(1925))
勝立坑や宮原坑で導入された世界最大の揚水様デビーポンプは、
万田の第一竪坑でも使われました。
それにしても凄いルックスですね。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/ca/607db5acb2fe547e004fa2d24625fac7.jpg?random=3c83af309aa0f209a39cb96476a72b29)
第一竪坑の櫓は昭和26年(1951)の閉坑後、
昭和29年(1954)に解体され、
その後北海道の三井芦別炭鉱の櫓として活躍し、
平成8年(1996)に解体されたそうです。
現在万田では、この記事の上から3番目の写真にも写る、
櫓が乗っていた巨大な基礎が残るばかりです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/3b/98237875728bd7274eb5fafe095c2bc4.jpg?random=d2d8a46a7e156cbfca2696511c765be4)
しかし櫓はないものの、
271mの竪坑は現在でも残っています。
行政指導のもと、三井鉱山による水位等の計測のために、
現在でも竪坑が塞がれていません。
通常、炭鉱の竪坑は閉山と同時に閉塞されるので、
第一竪坑のようにそのまま残存しているのは、
極めて珍しい例となります。
奥に見える水流は、上がって来た湧き水。
その水量はかなり多い様で、
数十メートル上の竪坑口からも、
水流による爆音が聴こえます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/48/ad9fb1cccdab077e8a215e6837827ada.jpg?random=b51be28222b3bbcfa044961166eae840)
第一竪坑は、竪坑以外解体されてしまいましたが、
第二竪坑はその周辺施設とともに現存しています。
櫓は高さ18.9mなので、宮原坑の竪坑櫓より実際は低いのですが、
横幅があるために、宮原の櫓より大きく感じられます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/7e/0e6e97f7c239f9bd1a74ddd9a2e223ac.jpg?random=93048cc28a3aacf3d834a07370c05792)
この2枚の画像は10年前の万田第二竪坑櫓。
この記事の一番上の現在の姿と比べると、
相当錆び付いていいたのがわかります。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/bf/d66b27764b48c7964194b39c83411a9a.jpg?random=c1cd014b7d6013069e2d8e4945581a7d)
櫓の真下にある第二竪坑の坑口跡。
竪坑こそ塞がれているものの、
それ以外の施設がほぼ完全な形で残る第二竪坑の坑口は、
竪坑がどのような施設だったかをリアルに知ることができる、
とても貴重な産業遺産。
左手前下に写る軌道は、
人員や資材を乗せたケージの、
地上での移動用線路。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5e/dcc672e20d89575bebce9a13c70e5c29.jpg?random=6d6541bab6b0ed27ca961916baa07284)
軌道は、囲まれた薄暗いトンネルを抜け、
やがて坑外施設へと続いています。
次回は竪坑関連以外の施設を取り上げます。
◆
【万田坑】
荒尾市原万田200番地2
0968-57-9155(万田坑ステーション)
見学時間:午前9時30分~午後5時
休館日:毎週月曜および年末年始
見学料金:大人400円、高校生300円、小・中学生200円
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/37/394c0699e369c6a51af9fe2ac50f16cd.jpg?random=4e7197ef354925ef20630f870ed424d5)
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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私、テレビ大阪で「和風総本家」という番組を
担当しております佐藤と申します。
今回、弊社の番組の企画で、蒸気機関を使用している写真を探しております。
そこで、「三池炭鉱 #06:万田坑1」に投稿されている
4枚目のお写真を放映に使用させていただきたいと考えております。
突然のお願いで大変お手数をおかけいたしますが、
ご検討いただき、ご連絡いただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
テレビ大阪 東京制作部 「和風総本家」
東京都中央区築地1-13-14 東銀座スクエア6F
AD 佐藤由紀乃(さとうゆきの)
E-mail: wafu_shokunin24@yahoo.co.jp
Tel:03-3543-7705 FAX:03-5550-7227
携帯: 080-4109-7836