黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

砧下浄水場01:旧ポンプ棟

2016-06-05 02:29:44 | 産業遺産
「東京水」の名で販売されるほど美味しい東京の水道水。
その黎明期を伝える施設が、
世田谷区の砧(きぬた)というエリアにあります。

砧には「砧浄水場」と「砧下浄水所」の2つの浄水所があり、
今回訪れたのは「砧下浄水所」。
田園都市線の二子玉川から徒歩で約30分。
多摩川の河川敷沿いにある浄水所です。
Google Map

元来、東京の南西部は水質が悪く、
さらに大正初期からふくれあがった人口による水不足に対応すべく、
水道事業は急を要しました。
近代水道の父といわれる中島鋭治博士の指導のもと、
浄水場から給水施設、そして水道網が完成したのは1923年(大正12年)のこと。
この時に建造された配水施設の駒沢給水塔は、
その特異な外観から広く世間に知られています。



現在は東京都の水道局が管理する施設ですが、
かつては渋谷区の前身である渋谷町が運営した浄水場でした。
創建時は浄水場と呼ばれ、現在では浄水所となっています。
現在も現役の浄水施設なので、
当然警備は厳しく、今回は取材で許可を頂き、
見学することができました。







門柱に掲げられた手書きの看板が、
時代を感じさせてくれます。
なお、浄水所は過去に2回、一般公開の見学会が開かれていますが、
建物の老朽化が進行しているため、
現在では、見学会の開催予定はないそうです。







門から入ってまず目につくのが、
真っ青な瓦屋根の中央に尖塔を持つ「旧ポンプ棟」は、
大正12年の創業時に建てられた場内で最も古い建物で、
創建時の記憶を今に伝えています。
当初は多摩川からの揚水と駒沢配水塔への送水の、
両ポンプが設置されていました。







送水ポンプ棟の正面中央。
壁面の細部にまでアールデコ調のレリーフが施された、
素晴らしい昭和初期モダン建築です。







裏側にまわってみます。
正面に限らず、建物の外周すべてに気が配られた建物からは、
創建当時の水道施設への思いが伝わってきます。







こんな小さな施設にまで、
しっかりとデコ調のデザインが。







建物中央の上部に設置された銅板の尖塔は、
都内最古の駅舎である原宿駅を思い出します。
(画像クリックで原宿駅が表示されます)
原宿駅は1924年(大正13年)築なので、
このポンプ室と同じ時代の建設です。


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